メッセージ - 律法とは1:違反を示すためのもの(ガラテヤ3:15-22)
律法とは1:違反を示すためのもの(ガラテヤ3:15-22)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ガラテヤ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-3-27 20:30
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韓国語通訳有
例えば、親が遺言を残し、一たびそれが発せられたなら、後になって誰かがそれに付け加えたり減らしたりできないように、アブラハムに与えられた契約(別訳:遺言)も同じである。
『主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』(創世記15章5-6節)
この契約は、アブラハムの時代から現代に至るまで、そして、これからも決して減らされたり、加えられたりしない、信じた者に対して有効な、永遠に変わらない契約である。
ここの「子孫」(ゼラ:種という意)には、単数形が使われている。
つまり「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っており、その「ひとり」とは、キリストの事である。
アブラハムは信仰によって義とされた「信仰の父」であるが、キリストを信じてキリストにつながる者達も、信仰によって義と認められ、神の民に加えられ、生んで増えて地に満ちる祝福が、自分のものとなる。
つまるところ、救いに関しては、信仰を持った者だけが救われ、人間が何か行いによってそれに加えたり、減らしたりは、出来ないのだ。
「では、律法とはいったい何か。律法は、約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもので、天使たちを通し、仲介者の手を経て制定されたものです。」(19節)
主によって定められた契約に、付け加えられるべきものは何も無いからには、後に付け加えられた律法は、「信仰によって救われる」事に対して、直接的には何の関与もしない性質のものである。
その証拠に、21節で「もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば」と、仮定法が使われているからには、律法は、人を生かす力が無いのである。
では律法とは何か。
それは、私達に違反がある事を示すためのものである。
アブラハムの子孫は、信仰によって救われる。では一体、「何」から救われるのか。
その「何」を示すもの、それが律法であり、その「何」とは、私達の内にある罪の性質、神の基準に従い尽くす事が出来ない違反の性質である。
その性質を示すのが律法であり、その性質から救い出されるのが、キリストへの信仰によるものである。
「しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。」(22節)
私達はイエスにあって、真っ黒な罪の性質から、純白な汚れ無き者へと造り変えられ、この暗闇の時代から光の子として救われたのである。
神様がアブラハムを外に連れ出し、「外に出て星を見なさい」と言われ、アブラハムが夜空を見上げた時、夜空には数え切れないほどの星々が輝いていたことだろう。
暗闇の中に輝くきれいな星、、、大きな星もあれば小さな星もあり、赤い星も青い星もある。
「あなたの子孫は、このようになる」と神は言われたが、その子孫であるキリストを信じて救われた皆さんは、今、真っ暗な闇の世界にあって輝く星々のようではないだろうか。
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エペソ5:8)