メッセージ - 律法とは2:キリストへと導く養育係(ガラテヤ3:23-29)
律法とは2:キリストへと導く養育係(ガラテヤ3:23-29)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ガラテヤ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-3-28 21:30
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韓国語通訳有
律法とは、違反を示すためのものである事を前回見たが、律法のもうひとつの意義は、キリストの元へと導く養育係である事だ。
「こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。」(24節)
ユダヤ人は、年ごと日ごとに犠牲の子羊が屠られ捧げられるのを目で見、鳴き声を耳で聞き、自らの罪に痛みを覚える度に「ただ一度犠牲が捧げられて全ての罪が清められるまことの子羊は無いものだろうか」と、全人類を救うメシヤに思いを馳せ待望した事だろう。
キリストこそまことの子羊であり、人類全体の贖いを、ただ一度で成し遂げられた。
「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。」(ヘブル7:27-28)
律法は、罪ある自分を晒し出し、まことの贖い主なるメシヤへと心を向けさせ、行いによるのではなく信仰による救いへと導く、「養育係」としての役割もある。
キリストを信じた者は、キリストを着る者とされ、キリストへと接合され、神の子となった。
「洗礼(バプテスマ)を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(27節)
洗礼(バプテスマ)には「浸しこむ」という意味があり、キリストへと浸しこまれた者には、もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女も無い。キリスト・イエスにおいて一つであり、そして信仰によって皆、アブラハムの子孫である。
ますますキリストを信じ、キリストに浸しこまれ、キリストの香りをさらに放っていく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!