メッセージ - 花婿ではなく花婿の影を慕う者(ガラテヤ4:8-11)
礼拝説教メッセージ音声:花婿ならぬ花婿の影を慕う花嫁(ガラテヤ4:8-11):右クリックで保存
韓国語通訳有
ガラテヤ人達は救われる以前、神ではない偶像の神々の奴隷で、その点は日本人と良く似ている。
仏式の葬式を経験された方はご存知の通り、諸々の法要や○周忌など、多くの気遣いやお金、労力がかかり、そうした事が発端となって、兄弟や親類とトラブルが発生し、関係が悪化する事も良くある。
神ではない人間や企業、あるいは誰かの作った搾取システムなどを「神」の座に据え、その仕組みに乗っかってしまうと、束縛の中を生きざるを得ないのだ。
「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。」(9節)
偶像の神々は明らかに無力で頼りにならないが、それまで一度も守っても見なかったくせに、律法の教えを有り難がって新たに守ろうとする事もまた、無力、無価値な支配する諸霊の下に逆戻りする事なのである。
「律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。」(ヘブル10:1-5)
パウロにとって、彼がキリストへと導いた人々は皆、キリストへと嫁がせた花嫁である(2コリ11:2)はずなのに、その花嫁たちが、嫁いだ先の本体・キリストを離れて、キリストの影である律法に仕えるようになってしまった事を、彼は嘆いている。
例えば、女性が男性その人を愛するのではなく、男性の「影」を恋い慕うような、あるいは、3次元世界でいのちを持って生きている人間よりも、2次元世界のみに存在する命の無いアニメキャラなどを愛するような事をしているのだ。
キリストという実体ではなく、キリストの影である律法を求める行為は、そのようなものである。
『キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、/むしろ、わたしのために/体を備えてくださいました。』(5節)
ここでは、私達のために備えられたのは「体」と書いてあるが、この引用元である詩篇40編は「体」ではなく「耳」であると書いてある。
神様が私達に備える「体」に匹敵する重要な器官は、耳である。
人はうわべを見るもので、目に頼ると惑わされやすく、例えば律法の行いや、目に見える儀式などを見ると、それを自分も行いたくなる。
しかし、目を使うのではなく、耳を使って御言葉が何を言っているか聞いて従えば、大体間違える事はない。
「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。」(1サムエル15:22-23)
見えるものに拠らず、信仰によって歩み、祝福を得る皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!