メッセージ - だまされて束縛されない方法(ガラテヤ5:1-6)
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韓国語通訳有
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」(1節)
もし、主イエスを信じる前より、信じた後の方が束縛されている感じが大きいなら、それはガラテヤ人のように罠に陥り、間違った歩み方をしている。
なぜなら、真理は人を自由にするものであるからだ。(ヨハネ8:32)
私達が真理の自由の中を歩み続けるには、無防備のままでいてはならず、堅く立つ必要がある。(2節)
なぜなら敵はいつでも、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来るからである。(ガラテヤ2:4)
私達の戦いは肉弾戦ではなく、思いの中に汚れを吹き込む暗闇の支配者や、天にいる諸霊に対してであり、その戦いの武具は、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、そして、御言葉の剣である。(エペソ6:11-17)
しっかり立つ事をせず、まんまと敵に偽りを吹き込まれてしまったガラテヤ人は、自由が揺るがされてしまい奴隷のくびきへと繋がれてしまった。
「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。
割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。」(2-3節)
この御言葉から、簡単な国語問題を出題する。
キリストが、あなたにとって何の役にも立たない存在とならせるには、どうしたら良いだろうか。
答えは「割礼を受ける」である。
割礼などの行いで義と認められようとするなら、律法全体を守り行うという義務もついて来てしまうため、割礼に限らずどんな律法の行いによっても、義とされる事を目指すなら、キリストから離れて恵みから落ちてしまったのである。(4節)
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」(6節)
たとい、山を動かすほどの完全な信仰があっても、愛がないなら、天においては何の値打ちも無い。(1コリ13:2)
行いの伴わない信仰は死んだも同然であり、愛の無い信仰も値打ちが無い。
愛と信仰が撚り糸のように紡ぎ合わされて、それに伴う行動が発せられこそ、信仰生活は意味を成すのである。
実体のある生きた信仰生活をしていく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!