メッセージ - 躓きを与える者の災い(ガラテヤ5:1-6)
礼拝説教メッセージ音声:躓きを与える者の災い(ガラテヤ5:1-6):右クリックで保存
救いに至る道を妨げる者、人を福音から遠ざける者は、どれほど災いであるか。
小さな者の一人でも躓かせるなら、むしろ石に結わえられて海に沈められたほうが、その者にとって良い、と主は言っているし、パウロも「あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。」(ガラテヤ5:12)とまで言っている。
割礼とは、包皮の一部を切り取る儀式だが、それをガラテヤ人に勧め、せっかく受けた救いをかき乱し、躓きへと陥れるような者は、いっそ、不具者になってしまえ、と言う程の強さで、パウロはそのような者を忌み嫌っているのだ。
「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。
だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」(1コリント5:6-8)
悪意と邪悪を振りまくパン種のような者から、私たちは一切影響を受けない、だからそのような者も同じ集いに留めても問題は無い、と思っていたら、それは傲慢である。
キリストがわたしたちの過越の小羊として十字架上で屠られたからこそ、私たちはパン種の入っていない者とされたのである。
そこに、古いパン種や、悪意と邪悪のパン種を混ぜて、聖なる集い全体を汚してはならない。
過越祭は旧約の祭儀だが、この屠られた子羊とは、十字架につけられたキリストを表している。
その流された血潮によって、私達の内にあった罪や穢れというパン種は、一切消毒されたため、もはや律法を行う必要はなくなった。
そのキリストが命がけで提供して下さった完全な救いを、あたかも不完全であるかのように見做し、人間が律法の頑張りなどによって、キリストの達成できなかった分を補完しようなどと思い込むのは、傲慢の極みである。
キリストの十字架の贖いは完全であり、流された尊い血潮の効力は完璧である。
それに、人が何か付け加えたりしては、決してならない。
十字架の贖いに何も付け加える事無く、迷い出る事無く、尊い救いに留まり続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!