メッセージ - 肉の実と御霊の実(ガラテヤ5:19-26)
礼拝説教メッセージ音声:肉の実と御霊の実(ガラテヤ5:19-26):右クリックで保存
韓国語通訳有
御霊によって歩む者と、肉によって歩む者の、具体的な結ぶ実が、今日の19節から23節に、詳細にリストアップされている。
例えば、ある働き人が来た時、もしその人が来た事によって、敵意や争い、分裂や分派など、19-21節の実が増え広がったら、その人がいかに有名であろうと、肉の人であり、肉の頑張りによって行動していると分かる。
しかし、もしその人が来た事によって、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(22-23節)などが増え広がったら、その人は、御霊によって働く人だと分かる。
では、どのよにしたら、御霊の人となれるのか。
それは「御霊によって歩む」(16節)事によってであるが、それには都度、御霊に委ねるか、それとも肉に委ねるかを、自らの意志によて選択する必要がある。
例えば、皆さんが実印を持っているとして、それを善い人に渡すか、それとも悪い人に渡すかによって、結ぶ実が違って来るようなものである。
もし実印を善い人に渡せば、その人は知らない内に良いビジネスをして資産を増やし、いつのまにか皆さんの評判も良くなっていく。
しかし、もし悪い人に渡すなら、知らない内に借金だらけになっていて、いつのまにか色々な人から憎まれるようになっている。
同様に、皆さんの意志という実印を御霊に渡し続けているなら、内におられる御霊は、知らない内に皆さんを造り変え、どんどん良くなって行く。
しかし、いつも肉に渡し続けているなら、肉はいつも皆さんを滅びへと導き、どんどん悪くなって行く。
真理の上では、キリストにある者の「罪の肢体」は、無力となっている。(ローマ6:6)
しかし、私達の内にありありと罪が生きているかのように感じるのは、以前の罪の記憶が条件反射的に残っているからである。
例えば、皆さんが梅干を思い出す時、そこに梅干が無いのに、あたかも塩吹いた梅干があるかのように唾が出る。
同じように、罪の肢体はキリストにあって既に無力となっているのに、以前の肉にある罪の経験や記憶が鮮明に残っているから、そのように感じてしまうのである。
それはどう対処すれば良いか。それには、ローマ6章11節の、仕分けをする事である。
「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考え(原意:仕分け)なさい。」
「仕分け」は会計用語で、客観的事実を、単にそのまま適用する事である。
だから私達は、罪に対しては死んだ事、神に対してはキリストイエスにあって生きた者である、と、しっかり仕分けし続ける必要がある。
キリストにあって生きた者であるといつも仕分けし、いつも御霊に実印を渡し、御霊にあって歩み続け、御霊の良き実を豊かに結び続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!