メッセージ - 人に任された管理責任(創世記2:15-20)
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韓国語通訳有
神は人に、エデンの土地を耕し、守る仕事を与えられた。(15節)
私達は、たといエデンのような素晴らしい所が与えられるとしても、ただ安穏と何もしないのは御心ではなく、与えられた領域をしっかりと管理し、私達という人間性をしっかりと耕して、豊かな実を結び続ける努力をしなくてはならない。
神が人に与えられた命令は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(2:16-17)
神は、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果、どのようになってしまうのかを、明言した。
神は、ずっと後に定められる律法においても、また、イエスキリストの福音においても、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果どのようになるかの明示は、必ずなされる。
私達は生かされている領域を、しっかりと耕して管理し、神様から示された良い事を為し、してはならぬ事をしない、という事を、守り続けるべきである。
エデンにおいて唯一してはならなかった事とは、善悪を知る知識の実を食べる事だったが、今私達も、神から離れた独善的な善悪判断は、してはならない。
神が唯一「良くない」と言われたのは、人が独りでいる事だった。(2:18)
1章26節において神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と仰せられたが、神は三にして一なるお方であるように、人間もまた、神の前に夫婦は二人にして一人である。
さてここで、神は男と女とに創造されたと1章では書いているのに、2章ではなぜか、男が独りのままである。これはどういう事だろうか。
1章での創造の時、エバはまだアダムの脇腹にいて、外見上はアダム独りであったかもしれないが、神の目は、アダムの中にいるエバを既に見ていた、と思われる。
それと同じように、キリストを信じて救われ、キリストの花嫁となった私達も、キリストが十字架につけられ死んだ時、キリストの脇腹にいて共に死に、キリストが復活した時、共に復活し、キリストが天に昇られた時、共に天の所に座させてくださったのだ。(エペソ2:6)
神は人のところに、野の獣、空の鳥を連れてきて、それにどんな名をつけるかを見ていた。(創世記2:19)
親が子に名前をつけるように、名前をつけるとは、その者の支配者であり保護者であるという事を示す。
人は元々、全ての生き物の支配者として創られた。(1:28)
アダムの所にライオンなどの強い獣が連れられた時も、彼は全く恐れず、名前をつけて支配する側となったように、私達も、神様が送って下さったあらゆる状況に対して、主にあって恐れる事なく、正しい名をつけ、御言葉に沿った正しい判断をして、支配者として立つべきである。
神が創造された生き物に、人間が名前をつけ、そうして全ての生き物は、神と人間とによって共同で支配されるものとなったように、私達もキリストと共に全てを治めるのである。
『次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」』(2テモテ2:11-13)