メッセージ - 言い触らす者の呪いと覆う者の祝福(創世記9:8-17)
礼拝説教メッセージ音声:言い触らす者の呪いと覆う者の祝福(創世記9:18-29):右クリックで保存
韓国語通訳有
ノアは、改まった世界以降、農夫となってぶどう畑を作り始め、出来上がったぶどう酒を飲むと酔って、天幕の中で裸で寝ていた。
酒に酔う事は王たる者のする事ではない、と、箴言にある。なぜなら、さばきを曲げるといけないから(箴言31:4-5)であり、また、そこには放蕩があるから(エペソ5:18)である。
事実、あの義人ノアでさえ、酔った事によってさばきを曲げてしまった。
「カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。」(22節)
この「見る」のヘブル語(ra^'a^h)は、じっくり見る、楽しみつつ見る、等の意味がある。
ハムは敬うべき父の天幕に入り、そこで見つけた父の裸を、じっくりと見、楽しんで見、そして天幕から出て、兄弟たちに言いふらし、来て見るよう招いた。
敬うべき人の裸を、指さしてあげつらえ、罪を指摘して中傷するのは、サタンの道である。
ノアはその事を知ると、ハムの子カナンを呪った。
「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(25節)
事実、カナンの子たちは、ノアの呪ったの通りの歴史となっている。
エブス人やエモリ人、ソドムやゴモラ等のカナンの子孫たちは、偶像崇拝や不品行、暴虐に満ち溢れ、セムの子孫であるユダヤ人を通して神に滅ぼされる対象となってしまった。
そして、ハムは黒色人種の祖先であると言われているが、世界歴史はノアの呪い通りである事を示している。
我々が学ぶべきは、父、あるいは祝福を授ける立場の者のプライベートへ踏み込み、露わな様をじっくりと見て楽しみ、周りの兄弟たちに言いふらし、一緒に来て見るように招いたりするような者は、確かに呪われ、罪と滅びを招いてしまい、その子孫も呪われる、という事である。
「セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。」(23節)
敬うべき人が裸をあらわにしていたら、そこから目をそむけ、覆ってあげる事こそ、祝福される者の道である。
「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。」(26節)
事実このとおり、セムの子孫からアブラハムが出て、神の民イスラエルとなり、カナン人を追い出し、さらには、全人類の救い主イエスが出た。
「神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト)/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ。」(27節)
ヤフェトはヨーロッパ系の白色人種の祖先であると言われており、以降の歴史では異邦人であったものの、キリスト以降、福音が最も普及した民族であり、「セムの天幕に住まわせ」という預言が実現した。
兄弟姉妹の裸を覆い、裸の恥から目を背ける者は、栄誉を受け、祝福を受けるが、敬うべき人の天幕に入り込み、そこで見た裸をあざ笑い、言いふらすような者は、奴隷となり、呪いを産み、滅びを刈り取るのである。
ハムのようではなく、セムやヤフェトのようになって祝福を受け継ぐ皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!