メッセージ - バベルの塔の呪い(創世記11:1-9)
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韓国語通訳有
全地が一つの話し言葉であった頃、東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
このシンアルの地は、神の前に(敵対的に)力をつけたニムロデが、バベルの町を建造した所である。(創世記10:8-10)
ノアに祝福されたセムの子孫は、東の高原地帯に住んでいた(10:30)が、その彼らがシヌアルの地に移動して来て、ハムの子孫と共に定住し、『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」』(4節)
本来彼らが主体にすべき神は、脇に置かれてしまい、「われわれ」主体となってしまっている。
(欽定訳では、4節は「us(われわれ)」という言葉が4回も登場する。)
神のノアに対する祝福は、生んで増えて、地に満ち、あちこちへと増え広がる事であったが、彼らはそれを好まず、人間同士が結託し、力を合わせて高くなろうとした
しかし、人間が高くなろうとして結託する結果、神からもたらされるものは、混乱(バラル)である。
人間が高い建造物を作りたがる背後には、自らが高くなりたいという高慢と、洪水への恐れがある。
かつて不従順のために洪水が起こった、だから神に従順しよう、という発想ではなく、だから高い建造物を造ろう、という発想になるわけである。
この、自らが高められたいという欲求は、サタン由来である。
サタンは、真に高められるべき神を差し置いて、自らが高い所に座をしめようとした結果、地に投げ落とされた。(イザヤ14:12-15)
同じように、バベルの時代の人間も、自分たちが高みに登ろうとしたものの、その野望は、ことばの混乱によって砕かれた。
彼らは言葉が通じなくなったため、全地に散っていく事となった。
せっかくノアを通して、人類が神と共に歩む新しい希望が生まれた、と思ったら、早速人類は、神に敵対し、混乱と離散が起きてしまった。
創世記を11章まで学んできたが、そこまでに人類は既に幾度も神に敵対し、被造物を台無しにし、どうにもならない所まで来る度に、神の介入が入って来た。
さらに旧約聖書を読み進めて行くと、人の神に対する不従順と、罰と、悔い改めのくり返しを、幾度も見る事になる。
今回も、人類は不従順のために神の介入が入ったが、神はそれでもめげずに、人類を救済するご計画を立てられる。
それは、エベルの子孫からアブラハムを立て、このアブラハムの子孫を通して、人類を救済する方法である。
旧約聖書の大部分は、このアブラハムの子孫の歴史である。
私達が今回、この箇所から学ぶべきは、高慢になってはならない事である。
本来、主とすべきお方を差し置いて、自分が高くなろうとすると、それはへし折られ、混乱が起き、散らされるのだ。
自らはへりくだり、主であるキリストを高く上げ、そして聖霊をいただく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!