メッセージ - 創世記に現れたキリスト(創世記14:18-24)
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王たちを打ち破ったアブラムの元に、シャレムの王メルキゼデクが、パンとぶどう酒を携えて迎え出に来た。
14章には、戦争に参加した王たちの名前や地名が多く出て来るが、メルキゼデクはその中のどこにも無い名前であり、シャレムはどこにも無い地名である。
他の王たちの名は、ほぼこの章でしか登場しないが、メルキゼデクは、詩篇においてダビデが記し、新約においてもヘブル書の記者が詳細に記している。
突如現れ、いと高き神の祭司としてアブラムを祝福し、アブラムでさえ十分の一を捧げた彼は、いったい何者だろうか。
「アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。」(ヘブル7:2-4)
サレムとは、エルサレムの短縮である。
エルサレムの王であり、いと高き神の祭司としてアブラハムを祝福するお方であり、パンとぶどう酒を提供し、アブラハムでさえ十分の一を捧げたお方。
義の王であり、平和の君であり、父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりも無いお方。。。
それは、キリストでなくて一体誰であろうか。
パンとぶどう酒は、単なる食料の差し入れではない。
パンはイエスの裂かれた体、ぶどう酒はイエスの流された血潮を意味する。
メルキゼデクはこれを持って「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」(19-20)と言って、アブラムを祝福された。
アブラムに勝利をもたらして下さったのは、いと高き神である。
この神が、敵をアブラムの手に渡して下さったからこそ、勝利したのである。
アブラムは続いて、ソドムの王から「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と持ちかけられた。
しかし彼は、いと高き神にかけて、辞退した。
彼は以前、エジプトの富を手に入れ、財産として罪の誘惑が家の中に入り、ロトと分裂した苦い思いをしている。
世の富、ことさら、ソドムの王のような神の前に罪深い者の富は、受けてはならない。
それは神の名誉ではなく人の名誉をはびこらせる事になり(23節)、誘惑と分裂をもたらし、心配を増し加え、苦々しさを増し加えるものとなる。
アブラムは、祝福の御言葉を信頼して進み出て勝利した所、パンとぶどう酒を携えたメルキゼデクに出迎えられ、祝福され、アブラムは十分の一を捧げた。
同じように私達も、御言葉を信頼して進み出て戦うのであれば、主は勝利を与えて下さり、キリストご自身が祝福をもって迎えて下さるのである。
主が勝利を与えて下さり、祝福を与えて下さったら、私達も十分の一を捧げるのである。
真に人を幸いへと導くものは、不相応な富ではなく、御言葉である。
御言葉に従い、主から御体なるパンと、御血なるぶどう酒をいただき、祝福を受ける皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!