メッセージ - 闇を通り過ぎる炉と松明(創世記15:7-21)
礼拝説教メッセージ音声:闇を通り過ぎる炉と松明(創世記15:7-21):右クリックで保存
『その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで』(18節)
イスラエル民族が、エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまでの広大な土地を所有した歴史は、今に至るまで、無い。
この約束は今もまだ、成就へと向かっている真っ最中という事である。
アブラムは、出生の地・ユーフラテスの地から、エジプトに至るまで足で踏み歩いた。
神はかつて「その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」(13:17)と言われた通り、彼が踏み入った土地すべてを、彼と彼の子孫のものとするわけである。
アブラムは主に、この土地を継げるという事を、何によって知ることができましょうか、と尋ねた所、主は「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」と言われた。
アブラムは言われたとおりの動物を用意し、神が何かをなされるのを待ったが、待っていてまず来たのは、禿鷹だった。(創世記15:8-11)
神が「用意せよ」と言われたものを用意すれば、すぐに何かが示されるわけではない。
主に示された捧げものを用意して主を待ち望む時、汚れた者がその尊いものを狙って来る事は、大いにありうる事で、その時、私達もそれを追い払わなくてはならない。
『日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。
主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。
しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。』(12-14節)
神の民であれば何の苦労もなくそのまま自動的に約束の地へと入れる訳ではなく、必ず試練の時、暗黒の時を通らされる。
「それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」(16節)
約束の地は、悪しき者の支配下にあり、その悪しき者達の悪が、神の秤の目分を満たすまで、裁きは執行されないからである。
ノアの時代やアブラハムの時代と同じように、この世の悪も、極みに満ちるまでは裁きは為されない。
神は義なるお方で、人が何も悪い事をしない内に「お前は悪しき者だ」と言って裁くことはせず、中々裁きが実行されない事がある人の目には遅いと感じるかもしれないが、その者達の邪悪さが誰の目にも明らかとされるその時まで、神は裁きはなされない。(黙示6:9-11)
「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。」(17節)
主は、煙を吐く炉と燃える松明という形で現れ、二つに裂かれた動物の間を通り過ぎる事によって、アブラムとの契約に調印をされた。
詩篇18編によると、立ち上る煙と燃える火による顕現は、神の怒り、さばきのしるしである。
事実、後の時代に、主はエジプトで苦しんでいるアブラハムの子孫達のさけび声を聞き、火と雲を従えて降りてこられ、エジプトをさばき、アブラハムの子孫達を助けられた。
現在、この世は邪悪な者達が好き放題しているが、やがて主イエスは雲に乗って来られ、火によって裁かれ、そうして世は改まり、永遠なる主の支配が来るのである。