メッセージ - 割礼のしるし(創世記17:9-14)
礼拝説教メッセージ音声:割礼のしるし(創世記17:9-14):右クリックで保存
契約を取り交わす際、契約書にサインを記してから初めて契約は有効化されるように、アブラハムも、契約に同意したというしるしを残さなくてはならなかった。
この、契約のサインに相当するものが割礼であり、そのしるしは自らの体に記すものである。
「あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。・・・それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。」(創世記17:10-13)
それ故、割礼無しには、神の祝福の約束は、有効化されないのだ。
割礼とは、男性器の包皮を切り取る行為である。
男は支配し治める者であるが、その、男性のシンボルたる部位の肉を切り捨てる事が、神の民なって世から分離した事のしるしとなる。
それは実に、私達を含めた神の民にとって、象徴的である。
私達も信仰によってアブラハムの子孫とされたからには、割礼は避けて通れない。
もっとも私達キリスト者が受けるべき割礼は、刃物による肉の割礼ではなく、御言葉の剣による心の割礼である。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって「心」に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(ローマ2:28)
ここの「心」とはカルディア、すなわち、心、感覚、思いである。
割礼は、感覚の敏感な所を切り取るからには、痛みを伴う。
私達も、肉的な心、感覚、思いが切り取られる際には、覚悟と痛みを伴うが、聖霊がその痛みを和らげて下さる。
それを通り越した先には、祝福が待っており、私達を責め立てていた債務証書は全て無効化され、真にアブラハムの子孫としての祝福にあずかるようになるのである。
私達にとって、目に見える割礼のしるしに相当するものが、洗礼(バプテスマ)であり、それは、これからは肉に頼らず、御霊に従って歩む事を約束する事のしるしである。
「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」(コロサイ2:11-12)
そのように、肉に対して死に、キリストと共に復活させられたからには、色々な定めを通して責め立てている債務証書は無効にされ、神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされたのである。(コロサイ2:14)
「主はモーセとアロンに言われた。「過越祭の掟は次のとおりである。外国人はだれも過越の犠牲を食べることはできない。ただし、金で買った男奴隷の場合、割礼を施すならば、彼は食べることができる。」(出エジプト12:43-44)
ここにある通り、外国人は単に奴隷として買われただけでは過越の子羊を食べることはできない。
割礼を施されて、はじめて過ぎ越の子羊を食べる事が出来るようになる。
私達も異邦人であったが、キリストの流された血潮の代価によって買い戻され、キリストの奴隷とされた。(1コリント7:22)
あとは、私達自身が、支配欲という男性的な心の包皮を御言葉の剣の前に差し出し、肉の思いをキリストの故に切り落とす「心の割礼」を施す事によって、祝福の約束を有効化するのみである。
そうして子羊の血潮の守りに預かり、いのちを産んで増えて地に満たすアブラハムの祝福を、自分のものとする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!