メッセージ - 執り成す為に立て(創世記18:16-22)
礼拝説教メッセージ音声:執り成す為に立て(創世記18:16-22):右クリックで保存
ソドムとゴモラは、不品行がはびこり、性的な錯乱がまかり通り、不当に抑圧されている者が多く、神の御前に悪を積み上げている町であった。
『主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」』(創世記18:20-21)
不当に流された血は、主に対して叫び(創世記4:10)、労働者へ支払うべき未払いの賃金も、また叫ぶ(ヤコブ5:4)。
ソドムとゴモラは潤って栄えていたものの、彼らを訴える叫びが非常に大きかった、という事は、この町では不当な血が多く流され、支払うべきものが支払われず膨れ上がっていたのだろう。
神は全能なるお方なのだから、わざわざ人の姿を取って、その通りかどうかを見に行く必要は無いはずである。
しかし、主がわざわざ人の姿を取り、主みずから足で行って目で見、耳で聞き、そこの住人が実際に乱暴した様を実体験したのであるなら、その報いとして滅ぼされても、誰も何の文句も言えないはずである。
なぜ主は、これから為そうとしておられる事を、アブラハムに打ち明けたのか。
それは、彼が主の命じられた事を守り行い、主の「友」となったからである。
『わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの「友」である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。』(ヨハネ15:14-15)
また創世記18章19節、「わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
神は正義と公正を行うお方であり、アブラハムとその子孫が、これから主の目が注がれた祝福の民として御心を行い、子孫達が主の道を守って生きるよう、実体験として学ばせるためであったろう。
そして主は、いかに罪人であっても、滅ぼす事は望んでおられず、彼らが悪の道から離れて生きることを望まれるお方である(エゼキエル18:23)。
それ故、主は、人を滅ぼさないようにとご自身に執り成してくれる人を、望んでおられる。
『国の民は抑圧を行い、強奪をした。彼らは貧しい者、乏しい者を苦しめ、寄留の外国人を不当に抑圧した。この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった。それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、怒りの火によって彼らを滅ぼし、彼らの行いの報いをその頭上に返す」と主なる神は言われる。』(エゼキエル22:29-31)
エゼキエルの時代のイスラエルには、主の御前に出て執り成す者がおらず、滅ぼされてしまった。
しかしアブラハムは、ソドムさえも執り成すために、主の前に立っていた。(創世記18:22)
主は、絶対なるお方である。
はたして自分ごときが口出しして良いものか、という恐れも、アブラハムにはあっただろう。
しかしそれでも彼は執り成すために、主の前に立った。
主は、悪人を滅ぼす事を望まれないお方。だから、アブラハムが執り成すために御前に立った事は、主にとって嬉しかったに違いない。
今、この時代は、不品行がはびこり、性的な乱れや錯乱がまかり通り、不法に抑圧されている者が多い、ソドムのような時代である。
その中において、アブラハムのように主の御前に立って執り成す皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!