メッセージ - 滅びの火は真価を試す(創世記19:23-30)
礼拝説教メッセージ音声:滅びの火は真価を試す(創世記19:23-30):右クリックで保存
ロトがツォアルに着いた時、主はソドムとゴモラに硫黄の火を降らせ、滅ぼされた。
「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」(創世記19:26)
ここの「振り向いた」の言葉の構成は「振り向いて+見る」で、「見る」はヘブル語でnawbat、すなわち「注意して見る」「没頭して見る」という意味である。
つまり、ロトの妻は、振り向いてはならないと言われていたのに振り向いて、しかも滅んで行く様をじっくりと見入ったのだ。
それでソドムへの裁きが彼女にも追いついてしまったのである。
彼女がいたのは、ロトのうしろである。
つまり彼女は、滅ぼされるべき町ソドムに、また、滅ぼされるべきソドムにある家財、栄華、暮らし向き、娘や婿たちに未練があったため、振り返ってしまったようである。
「ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の「命(思い、意思、感情)」を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」(ルカ17:31-33)
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。」(1ヨハネ2:16-17)
「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」(創世記19:29)
脱出前のロトの信仰と、神様に対する従順は、かなり弱っていたが、それでも憐れみが注がれたのは、アブラハムの執り成しの祈りお陰だったのだ。
ように執り成しの祈りは、信仰の弱い者が立ち得なくなってしまった時でも、執り成す者の祈りによって、助けられるのである。
ロトはアブラハムと別れた時、ロトのほうが有利であるかのように見えたかもしれないが、結局彼は、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢に引き寄せられた結果、全てを失って、身一つで逃げるはめになってしまった。
私達もやがて、日々の信仰の真価が試される日が来る。
私達の信仰の土台、それは、キリストである。
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出され、かの日にそれは明らかにされる。
かの日は火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味し、ある者の建てたものは残り、報いを受け、ある者の建てたものは、燃え尽き、損害を受け、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われる。(1コリント3:10-15)
永遠に残るもの、それは、真き心からキリストに捧げる捧げ物、キリストを信じる信仰によって行う、行いの全てである。
永遠に残らないもの、それは、キリスト抜きに行った行いの全て、自分由来のもの全てである。
ベタニヤのマリヤは、イエス様に300デナリの香油を注ぎ、永遠に残る記念の礼拝を捧げた。
しかし、彼女の礼拝を見積もったイスカリオテのユダは、彼女の捧げ物が永遠の恥の材料となってしまった。
アブラハムのように、滅びの火が届かない、神の示された所に住み、世のものではなく、自分由来のものにでもなく、御言葉に従って生きる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!