メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
焼き鳥屋は祈られているので、やはり祝福されています。
祝福を妬む人から、妬むきっかけが取り除かれましたし、大量の什器が余っていたのでどうしようかと思っていたのですが、ちょうど料理屋を開業したいという人と繋がりが持てて、彼我の需要と供給が一致しました。
さて、今韓国から鄭先生が着いたそうです。
以前アナウンスしましたとおり配信は暫くお休みさせていただきますが、朝夕の祈祷会や礼拝は通常通り行い、また水〜金は午後1時から礼拝がもたれます。
13日(火)より韓国長老教会の牧師・鄭先生がゲストとして来日し、以下の礼拝にてメッセージの奉仕をしてくださいます。
・14〜16日の朝5時からの早天礼拝と昼13時からの学び会
・18日の主日礼拝
・19日の早天礼拝
それに伴い、その間のメッセージアップはお休みいたします。
その週、私は久しぶりに、ゆったり過ごさせていただきます。
今日は秋晴れのさわやかな日で気持ちよかったです。
元町で用事を済ませてから、久しぶりに山下公園のベンチで海をぼんやり眺めたり、公園沿いのマクドナルドで御言葉の準備をしたりして、ゆったりと過ごしました。
教会の焼き鳥チームは今日お店で商品開発し、究極のタレ(?)を作ったそうです。
オープンに乞うご期待。
今日は娘を持った父親のような心境を体験できました。
私は肉の子供はいないので叱るのは不得意ですが、主にあって戒めて、主が全てを取り扱ってくださった後、お互い心開かれて、御言葉や証を色々話す事の出来た一時は、素晴らしかったです。
主の法則と人の法則が対決する時、あざやかに主の法則に乗っている方が勝つ、というのを、再び見ました。
法則とは、例えば主イエスを信じればあなたもあなたの家族も救われる、とか、父や母を敬えば長生きするとか、十分の一を捧げれば祝福の窓が開く、など、既に皆さんが聞き慣れている事です。
どうぞ皆さんも試してみて下さい。(マラキ3:10)
パスターになってからは、恵み続きの幸い続きです。
もちろん富や権力・名声といった幸いではなく、イエス様の実わざを間近で見る事の出来る幸いです。
自らを養う能力や資質が無くても、主ご自身が御腕を動かされて必要を満たして下さった。
以前はどうしようもなかった人が、どんどん良くなって行った。
イエスの名によって祝福すれば、ちゃんと祝福の実が生った。
イエス様が身近にいて生きて働かれる幸せは、あたかも、力強い勇士が私の前を進み盾となって戦ってくれて、私たちはその戦利品を獲得するだけ。そしてその勇士は私たちのすぐ前にいて、私たちはその背中を見ながら安心しているような幸せ。
こんなに幸せが続いていいんだろうか?もしかしたらワナが待ち受けているんではないか?と恐れた時期も一時期ありましたが、主は「いいんだよ、わたしはいつでもあなたの傍にいるよ」と答えてくださっているようで、そういう不安も無くなってきました。
教会の数名が、協力して新しく焼き鳥屋をはじめようとしています。
野心的な理由は全く無く、本当はもっと別に打ち込みたい働きがあるのですが、色々と止むを得ない事情が重なって、そうせざるを得ない所に辿りついた感じです。
その集まりにはわくわくする心と希望があり、これから主がどう導いてくださるのか楽しみです。
子供の頃はやった漫画に「北斗の拳」というのがありました。
主人公は拳法の達人で、指先ひとつで敵をダウンさせるのですが、その時の名セリフが「お前は既に、死んでいる」でした。
ローマ6章のキーワードは、これです。
私たちはキリストの十字架によって、既に、世に対して罪に対して死んでいるのですが、自分で自分を救おうとバタバタして、もがき苦しんでいるクリスチャン(クルシ・チャン)が多いのです。
イエスがすべての人のために死んだ以上、すべての人が死にました。
死人が鏡で自分を見て、何か希望が見える訳がないですし、十字架のあちら側へと逝ってしまった「世」を眺めて一喜一憂しても意味がないです。
死人は死人らしく安楽し、十字架のこちら側、つまり、私の側におられるイエス様を眺めていればいいのです。
野田氏が新代表になる事が決まりましたね。
私は彼がどのような政治家であるのか良く知らないのですが、いつもどおり祭司として上に立てられた権威のために祈りたいと思います。
政治家達が知恵においても行動においても祝福され、日本国民がより幸せになるために良い政治を為し、日本がより発展してゆくように。
また、もし今政治の場に上に立つべきでない者がいたら、その全てが速やかに権威の座から下ろされるように。
今日のメッセージでは「時」について少しお話し、一時と二時と半時(合計3時半)の事に触れましたが、礼拝後の学び会でも、偶然、豊川先生が同じ所が出て来ました。
一時と二時と半時(合計3時半)については色々な解釈がありますが、私たちは日々、終末の艱難の時代においてもイエス様に明け渡し、イエス様の用意して下さった密かな隠れ場で養われたいと思います。