メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
今日は思いがけず、教会の庭で焼き鳥パーティになりました。
炭火をおこして焼く焼き鳥はとてもおいしかったです。
火の熾し方や味のつけ方、どうすればおいしくなるかなど、色々と研究するのは楽しいです。
1ヶ月ほど前、ある事について、継続すべきかそれとも止めるべきか、主に御心を求めることがありました。
それについて「もし**の○○が下がったら、継続しなさいという主からの徴だ」と、アブラハムの僕のように、ほぼありえない事を、あまり考えもせずに主に申し立てておりました。
それが、、、今日聞いたところによると、なんと○○は下がっていました!
どのようにそれを継続していくのか、具体的な手段はまだ示されておりませんが、主の鮮やかなGOサインに思わず笑いが込み上げて来ました。
今は詳しく書けませんが、いずれ感謝の報告が出来る日の来ることを、楽しみにしております。。
信徒さんの韓国料理屋でテレビを見ていたら、島田紳助の引退について、色々な人のインタビューをひたすら流していて、しかも枝野官房長官までインタビューしていました。
インタビューを受けた有名人はほとんど「残念」という言葉でしたが、なんで暴力団とのメールで引退するのかも不思議ですが、
夕方のゴールデンタイムにこぞって一芸人の引退ばかり報道して、しかも官房長官にまで聞くのか、というテレビ局の在り方に、ある種のぞっとするものを感じました。
他に地震や放射能問題、政治問題など、報道すべき事は色々あるでしょうに。
ちなみに私は塩酸タンクに作業員2人が落ちて死亡、というニュースが一番ぞっとしました。
いつもメッセージ概要をツイッターに140字以内で載せていて、そこに載せた内容がそのままFacebookやmixiにも自動反映するようにしています。
その内容に興味を持ってホームページへ来てくれる方が結構いて、この140字に、いかに内容を詰めようかと、いつも心砕いています。
それで昨日、
「そもそも、割礼はなぜ男性器という部位に為されるのだろう。 続き:http://t.co/9d4VKFn」
と投稿したところ、かなりの流入がありました。
「アブラハムはメソポタミヤで生まれ育ち、、、」みたいな見出しでは、やはり人は興味を示さないようで。
mixiニュースやスポニチみたいに、性的・男女系ネタをたくさん書けば流入が良くなるのでしょうけど、、、私はパウロみたいに、ただ愚直に御言葉だけを語って行きたいと思います。
高校野球は日大三高が10年ぶりに優勝しました。
部員の一日のスケジュール内訳は、練習11時間、食事4時間、授業4時間、睡眠5時間、休みといえば元旦の午前中だけで練習の無い日はないそうです。
部員は50人くらいいるのに、ベンチ入りできるのは十数名、全国から推薦が来る位の人でも、3年間1度もベンチにも入れないという人も多いらしいです。
このように、華々しい舞台に立てるのはほんのわずかで、その陰には、下積みだけで費やして表に出てこなかった、実に多くの才能ある者達がいるのです。
ここまでは良く聞く話ですし、その事を取り上げて、一度きりの青春の全てを野球に注ぎ込んだのは果たして、、、という議論も良くなされますが、彼らの青春はとても貴重だと思います。
ベンチの陰で、あるいはグラウンドの外でじっと見守ってきた人たちこそ、人間の作った仕組みの不条理さや、その下にいる人の気持ちを理解する心が、人一倍育まれて、社会に出て有用な働きをするからです。
主は、38年間シロアムの池沿いで臥せっていた病人を、40年間美しの門の前で物乞いをしていた者を、主から目に泥を塗って癒してもらった生まれつきの盲人が追い出された時、探して訪ねて下さった。
人の目には無駄に見える事でも、このお方にあっては何一つ無駄は無く、最善へと、主の栄光へと導かれるから、私達の歩みに失望は無く希望を持って歩み続ける事が出来ます。
今日の礼拝は静岡から主にあるご家族が久しぶりに来られ、にぎやかで楽しかったです。
お子さん達は見違えるように成長しており、やはり親の祈りに支えられ自らも祈っている子供は成長が違うなあと思いました。
今日の礼拝も、御言葉の内容から沢山の喜びと笑いがあり、満たされました。(特に第2礼拝)
主がさらに新しい祝福の領域へと促しているような気がします。
子供の頃の夏休みの影響でしょうか、8月10日と20日とでは、10日の違いしか無いのに、精神的雰囲気が全く違いますね。
8月10日という言葉からは、まだまだこれからたくさん遊べるぞ、というある種の希望があるのですが、8月20日という言葉からは、なんだか祭りの終わりがすぐ近くのような、物寂しい響きがします。
さて、11/23の賛美集会「もはや人の祭りは終わり」の、会場が決まった次第は、本日配信の音声メッセージで話しています。
賛美集会の場所は、新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」です。
参加されたい方、奉仕されたい方は、のちほど詳細を掲示します。
既にご存知の方もおられると思いますが、11/23(水)に新潟において賛美の集会を行います。
この集会の主人公は徹底的にイエス様とし、人の誰かがイエス様よりも前面に出る事を徹底的に排除するため、私達は主から示されたスケジュール、場所、方法、曲目で運営するのみです。
そのような趣旨であるため、段取りが決まらず準備が進んでいなかったりすると、自分の考えを先走らせて、あれこれお膳立てしたいという思いが何度も到来しました。
しかし、今回の新潟行きで主ご自身が動かれ、御技を働かせて下さったのを、目の当たりにしました。
まさに人間が神を担ぎ上げるのではなく、神自らが栄光を現して下さったのです。
具体的に何をして下さったのかは、明日配信する音声メッセージにて。乞うご期待。
今回も新潟では大きな恵みがありました。
日曜夜に新潟グローリーチャペルに着いてそのまま眠り、その翌早朝の早天礼拝で、ある姉妹から次のような相談を頂きました。
亡くなった身内の遺骨を、どうして良いのか分からない、と。
その遺骨は寺で分骨してもらったのか、位牌の印がついた格子模様の小箱に入っていて、それまでその家に無かった時は何も無く普通に暮らしていたのですが、
ある理由で家に持ち込んだとたんに、悪い霊があばれだし、次男は毎晩、夜中2時に起き出して、色々と変な事をしたり、友人が泊りに来たら、その友人が金縛りに遭ったりしたそうです。
私達は御言葉から、遺骨とは塵に過ぎず(創世記3:19)、その霊は既に全能者の元に還っているため、その模様つきの箱に入っているのは、単なるカルシウムの塊に過ぎない事、
また、骨に限らず、人の思いや信念が形ある物(偶像など)に向けられる時、悪霊が働く足場が作られてしまい、遺骨に霊的なものが宿っていると「信じて」いる者は、それによって悪霊の影響を受けてしまう事を、御言葉から説明しました。
彼女は納得し、私達は急遽、その日のうちに散骨式を執り行わせていただく事になりました。
私達が処理するよりも、遺骨は本当に塵に過ぎないという事を、本人が理解し体験していただくために、本人の手で実際に見、触り、散骨のための袋に入れていただいた所、彼女は束縛されていた思いから本当に解放されて行きました。
その翌日、彼女は本当に晴れ晴れとした思いになったという感謝と、次男も昨晩は目覚めさせられる事無く、平安にぐっすり眠ったそうです。
他にも主が生きて働かれた嬉しい知らせがあるのですが、それはまた後程。。。
本日8/14から8/17まで新潟グローリーチャペルに出張奉仕しますので、その間のメッセージ配信はお休みさせていただきます。
その間、ホームページやメール等の定期的なアップデートはありませんが、横浜天声キリスト教会における朝夕の礼拝や祈祷会などは通常通り行っております。