メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
昨日、教会にあるお客さん達が来て、天声教会についてお話したのですが、「天声教会」という名前は、日本人にはかなり怪しげなイメージを持ったネーミングだと確認しました。
韓国人にとっては怪しげなイメージを彷彿させるものは全く無いようです。
実を言うと、私もここに来た当初怪しげな名前だなと感じた事もありましたけれど、ここの主の臨在と聖徒達の暖かな交わりの心地良さに触れる内に、そんな事意識すらしなくなってきていました。
名前の変更も視野に入れて検討したほうがいいかもしれませんね。
ちなみに「天声教会」という名前の由来は、聖書マルコ1:11の御言葉です。
『そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」』
天からの声とは、何かの教祖のものでなく、怪しげな霊の声でもなく、神が認証された御子・イエスキリストの声であり、イエスキリストの御声に聞き従う教会でありたい、という事で、名付けられました。
ペテロはモーセやエリヤといった指導者や預言者を素晴らしいとしましたが、天からの声は「これ(イエスキリスト)は、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」(マタイ17:4,5)でした。
誰か人間(牧師や大先生、教祖)をイエスキリスト以上に担ぎ上げる事を、偶像崇拝と言います。
唯一、神と人との仲介者になられた、イエスキリストから直接聞く皆さんでありますように。
かつてオカルトの儀式に関わっていた方ですが、先週と比べると見違えました。
先週は、不安に満たされていて何時間話しても「怖い」しか出て来なくて普通の会話が出来ませんでしたが、段々自信と平安が支配するようになってきて、今週は普通の会話も楽しめるようになりました。
良い方向に変わる人とは、御言葉を聞く人、理解した御言葉を曲がりなりにも行おうと努力する人です。
そういう人ならどんな状況にあっても必ず良くなって行きますが、耳も心も頑なな人は、どんな大声で戒めても悪いまま何年も変わりません。
K姉妹はiPhoneを1週間使ってみて、結局前の携帯に戻る事にしたようです。
機能がありすぎて、間違った操作を多発してしまうのです。
情報や嗜好があり過ぎると、過ちも増し加わるものですね。
教会はいつも長老に掃除していただいているのですが、その際、よくホームページのサーバの電気も落としてしまいます。
コンピューターを知らない長老には、サーバは外見上何も働いていないのに電気だけ使っているナゾの物体で、教会の電気節約のために気を遣ってくれているようです。
サーバは外見上何も働いていないようでも、インターネットという世界では重要な働きをするものです。
パスターも社会的には何も働いていないナゾの人物かもしれませんが、案外、別の世界では重要な役割を担っているかも知れません。。。
夜の祈祷会で、ひょうんな事から箴言を輪読する事になりました。
今まで、聖書の輪読は、あまりしていませんでした。
というのは、皆と一緒に日本語の文字を読む事が得意でない方が、普段から多いからです。
(昨晩参加した人でも、韓国人2名、中国人1名、コロンビア人1名、教育を受けられなかった日本人1名)
しかしそれでも読んでみると、それぞれが懸命に読んだり、賢明に日本語に訳したりと、普通人には何でもない事も必死にしている事が喜ばしく、
また、箴言の御言葉は直接的すぎて、すがすがしく心刺され、逆に笑いがこみ上げて来たりと、とにかく恵まれました。
輪読さえ必死にしなくてはならないようなメンバーですが、箴言の輪読を夜の祈祷会でやっていこうと思います。
7日に引越しした姉妹が、聖徒達を招いてサムギョプサルをごちそうして下さいました。
主が彼女をさらに御国の子、祝福の子として整えて下さいますように。
話が変わりますが、いつもメルマガでパスターからの一言を編集後記に添えていましたが、ホームページでも「パスター日記」として残して行く事にしました。
パスター日記のURL(携帯でも見れます):
http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/index.php?cid=10
オカルトの儀式に関わっていた方は助言者(口寄せ?)からもらったという指輪をずっと持ち歩いており、その指輪を恐れていたので、引き取らせていただきました。
ピラミッドマークや不思議な模様が刻まれていて、これをしていると色々な場面で守られたり、あるいは自分自身に災いを下されたりする、と言うのです。
とりあえず便器の裏側に置いておき、聖徒達が集まった時に一人一人にこの指輪を踏みにじらせて
「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」(ヨシュア10:25)
と宣告して、聖徒達と悪霊達の見せしめにしました。
聖徒達のハイヒールや靴に踏みにじられる内に、指輪はカンタンに割れましたが、割れた中身を見ると、何の事は無い、メッキの安物でした。
炎の中にぶちこみたかったので、生ゴミに入れて捨てました。
かつてオカルトの儀式に関わっていた方と話しましたが、イエス様を信じた後も恐れに付きまとわれているようでした。
イエス様を信じた者は、以前の事柄に対してはもう死に、キリストと共に既に勝利した事を話しているのですが、恐れに長く取り付かれていると「勝利した」という概念が中々実感できないようです。
人は何を信じて生活しているかによって、人生の色合いがかなり違ってしまうのだなあと思いました。
以前静岡の姉妹から譲っていただいたiphoneは、電話としても使えるようになりました。
今の所ネックとなっているのはアドレス帳がうまく引き継げない事で、SBショップ端末の転送ツールやgmailのインポート、iアプリなど色々試しているのですが、どうも満足いく結果が得られません。
でもうまく転送できれば、色々と便利になりそうです。
今日は一人で気ままに自宅でのんびりしたり、ぶらっと一人で外食したりして、主と二人きりの隠れ家タイムを楽しんでいます。
女性の中で、男性から「一人にしてほしい」と言われてショックを受けられる方は結構いるようですが、男はたまに一人になりたくなる生き物ですので、どうぞご安心下さい。