メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
敵はいかなる手を使ってもイエス・キリストの名から引き離そうとします。
福音の初心者はイエスの名で祈る事をすぐに忘れてしまいますし、20年来の信徒さえも怒りに駆られたらイエスの名で祈る事を忘れていました。
そういう時はすぐに「イエス様の名前で祈ってください」とツッコミを入れて、思い出させています。
茨城から父親が来てくれて、役所の諸々の手続きを手伝ってくれました。
忙しくて中々出来なかった事が一気に進んで、とても有り難かったです。
メッセージをしている時、私の中では別に何でもない箇所を、何の感情も込めずにふっと言った言葉でも、ある人にとっては心の琴線に触れ、涙が止まらないほどになる、という事があります。
後になって「パスターのあの時の言葉がとても心に触れられました」と言われても、私自身がそれを覚えていないのです。
触れてくださるお方は主イエス様であり、私は御言葉を配達した郵便配達人に過ぎませんし、その時触れられたのは、その方が信仰を持って御言葉を聞いたからです。
今日の聖書学び会(恵みの投げ合い会)には、新しく2名の方が参加し、いつもよりも2名分よけいに(?)恵みをいただき、幸いでした。
ブティックはこの数日、連日売り上げが祝福されていますし、今朝も早天に初めて参加された方がおりましたし、また、別のある姉妹も教会に繋がるかもしれません。
教会のある女性は、一歩間違えれば日常生活から追い出されてしまう程の突然の危機から救われました。
彼女は主日が近づく度に中にいる霊が騒ぎ、主日の心ぞなえの邪魔をされていたのですが、主は今回の事によって憐れみと戒めを示して下さいました。
11日のメールで、神様は大きな霊的詰まりからの開放を私達に用意されておられるのかもしれない事を書いておりましたが、早速いろいろな方面で詰まりが取れて、祝福が流れているようです。
私達には、もっと祝福されて欲しい困難続きの聖徒達がおります。
主が彼らを祝福し、幸いを得させてくださいますように。
今日の礼拝と、聖書の学び会では「人間の熱心」と「イスカリオテ・ユダ」を気をつけるべき事として、図らずも一致していました。
また、金曜の祈祷会で私は「バベルの塔」のメッセージをして、神の御心をほったらかして人間が積み立てたものは神が散らす事を話したのですが、それも今日の学び会で一致していました。
人間中心ではなく神中心、ヒューマニズムではなく、キリストニズム(?)に立つようにと示されている気がします。
最近、ブティック「詩篇128」が祝福され、主の用事のために店を開けられない時でも主が開けておられるかのように、お客さんが次々と入っているようです。
また先ほども、コロンビア出身の女性がたまたまブティックに来て、この近辺に教会は無いかと、訪ねて来たとの事だったので、私も合流させていただきました。
彼女はとても敬虔なキリスト者で、お互い主の導きによって出会えた事を喜びました。
主が祝福の窓を大きく開いて下さっているかのようです。
入院していた姉妹は土曜に退院する事になりました。
その姉妹も不思議な夢を見たそうです。
汚いぼろをまとった霊的存在が彼女を群がって追いかけるのですが、そいつらは彼女に追いつけない。
そういう夢を続けて見ていたそうですが、入院中、御言葉にとどまって祈りをした所、夢の中では彼女は花畑の中に入っていて、その霊的存在は彼女の所に行こうとするのですが、花畑の内側には絶対に入れなかったそうです。
霊的空き家状態になると、悪い奴は入り込もうとするのですが、御言葉で満たしていると、奴らは決して灰って来れないのです。
最近、Facebookを始めました。
私のプロフィールは以下です。(Facebookアカウントでログインしないとご覧いただけません)
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002256571728
沢山の人が登録していて、それまで疎遠だった昔の友人とも繋がる事が出来ました。
アカウントをお持ちの方は、ぜひつながりましょう。
なんと、別の信徒の家でも排水溝の詰まりが起こり、そちらの対応に行ってきました。
実は私も、ある姉妹も、別の意味での「詰まりからの開放」を経験しています。
神様は何か、大きな「詰まりからの開放」を私達のために用意されておられるのかもしれません。
今日は教会の信徒が経営している韓国料理屋で、排水溝が詰まって、詰まりの除去を手伝いに行きました。
食べ物のかすが指の届かない所で詰まって異臭を放っているし、当初はどうしようかと思っていましたが、金属製のロープのような道具を買って使ったら、あっさり除去できました。
霊的排水溝の異臭や詰まりを取り除くには、その人自身がいただいた霊的食物を溜め込む事無く、いつも流し出す事ですね。