メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
横浜は強い雨が降っていて、桜が満開でしたのでおそらくこれで散ってしまうでしょう。
今年はまだ桜を見に行けていませんが、それは、4月になって以来、色々な祝福の桜が咲き乱れて、そっちを手入れしたり、愛でたりするのに忙しいというのが、その理由です。(笑)
昨日からはじまった韓国おかず屋は、来る人来る人みんな「おいしい」と言って結構大量に買っていくようです。
向こう1週間ほどは半額セールしておりますので、近くに来られた方は、ぜひお立ち寄り下さい。
韓国バンチャンカゲ「いっさく」:045-567-2962
231-0045 横浜市中区伊勢佐木三丁目107 Kビル伊勢佐木1F
最近、焼き鳥屋の話が出ていなかったと思いますが、実はここ数ヶ月の間、ゴスペルや聖徒達の養いなど、主の働きが忙かったため、休業しておりました。
しかし、お店のために素晴らしいクリスチャンの働き人が与えられ、韓国バンチャンカゲ(おかず屋)として新装オープンする事になり、私も今日、大工係のお手伝いをさせていただき、そして祝福を祈りました。
お店の名前は「いっさく」、アブラハムの子イサクから取っています。
お店が、イサクのように生んで増えて地に満ちる祝福、植えた種が100倍実を結ぶ祝福が与えられ、主の働きのために、また働き人のために、大いに用いられるお店でありますように!
今日は、午後の聖書学び会の後、洗礼を希望されている方のために、第一回目の洗礼準備会を開きました。
洗礼を受けたいと希望しておられるのは彼女だけですが、他に、学びの恵みを共にいただきたいという方も参加し、合計四人で行いました。
キリスト者として最もベーシックな事柄を、御言葉を根拠に学んでいきますので、硬い食物を時間をかけて噛み砕いていくような淡々さはありますが、真理を知れば知るほど、主がどういうお方かを、知れば知るほど、喜びが増し、信仰が増し加わって行く恵みがあります。
あるブティックを経営している方が、それまで十分の一献金を捧げていたのを、主に示されて、十分の三捧げられました。
十分の一は今までどおり主に、残る十分の二は働き人のためにと捧げて下さったため、押入れ揺すり入れして祝福が注がれるように祈りました。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」(ルカ6:38)
引き続き、御言葉どおりの祝福が注がれるよう、祈りに覚えている所です。
今日、ある聖徒の金銭的な事が解決されました。
午後3時までに一定の金額を入れなければ、どうしようもない状況になっていたはずで、実際、今朝までどう振り絞っても、無いものは無かったのですが、ある人からたまたま電話があり、ギリギリ救われたそうです。
この事は私達に、非常に大きな慰めでした。
エリヤが7たび祈り、手のひらほどの雲が湧き起こったのを見て、3年半降らなかった大雨が来るしるしとしたように、この事は私達にとって、大きな恵みの雨の予兆として受け止めました。
主は生きておられる方。
金銭だろうと、病気だろうと、主キリストに拠り頼む者に、解決されない問題はありません。ハレルヤ!
昨日、ある聖徒と話していて分かったのですが、御言葉を取り次ぐ者は、シェフみたいなものですね。
食材はそのままで食べるよりも、切ったり焼いたり味付けしたりして、よりおいしく食べれるように、御言葉という硬い食物も、取り次ぐ者が色々な御言葉から厳選し、消化しやすいように教えるからです。
ある程度は御言葉という硬い食物を調理して口に届けやすくする者も必要ですが、最も良いのは、それぞれ一人ひとりが、御言葉から直接養いをいただけるようになる事です。
私としては、牧師依存者を増やすのではなく、キリスト依存者を増やす事を目指しております。
昨日のメールでお知らせした大量のおでんですが、すみません、もうありません。
昨日の夜礼拝に参加したメンバで半分くらいなくなり、今日の水曜礼拝参加者によって全て食べ尽くされました。
鍋から吹き出る程あったのに、わずか一日でなくなるとは、教会の皆の口はすごいなと思いました。
おでんを鍋から吹き出る程作ってあります。
横浜・関内近辺の方、教会に来て一緒に食べませんか?
今夜は21時から賛美集会、明日は13時、19時半に礼拝があります。
今日も礼拝や学び会の後、10人ほどが残り、皆で夕食を作って食べました。
主日礼拝の後、大勢で食べる夕食は、本当に楽しくおいしいです。
夕食の後、静岡のある夫婦の誕生日サプライズのために、CDを録音しました。
彼らはアクラとプリスキラのような夫婦で、静岡の教会だけでなく天声教会も色々な面でお世話になり、主のために忠実に仕えておられた夫婦です。
バースデーソングを歌いながら、また、御言葉メッセージを伝えながら、彼らの祝福を祈り、また、この主にある交わりはなんて祝福されているのだろう、こんなに幸いな交わりの中にいていいのだろうか、と思いました。
いよいよ2コリントの講解説教が今日で終わりです。
ローマ、第一コリントと違って、教義的な内容は少なく、一教会へのプライベートなメッセージで、パウロのコリントに対する押し迫るような愛が篭った手紙でした。
明日の早天からは、ガラテヤ人への手紙の講解説教に入りたいと思います。
主がどのように導いて下さるのか、楽しみです。