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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

わたしの霊があなたがたの間で働いている(ハガイ2:4-9)
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週報/メッセージ(説教)概要

 2006年4月末、この横浜・弥生町の物件が与えられ、この会堂において「天声教会」として礼拝が始まり、今年4月でいよいよ10年目を迎えた。そこで今一度、設立当初に与えられたハガイ書の御言葉から学びたい。主の家の建て上げにおいても、礼拝の再建においても、主の霊が働かれる事が記されている。
『主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。』(ハガイ2:4-5)
勇気を出す事の根拠、そして働く事の根拠は、「わたしの霊が、あなた方の内に宿っている」事であり、聖霊抜きの、人間の考え・力・勇気の振り絞りによる働きは、やがて破綻してしまう事は既に学んでいる通りだ。
主はまた、昔、エジプトを出た時に約束された御言葉は、今なお有効である事を、思い起こさせている。
その時主は、主はイスラエルの人々の内に住んで彼らの神となって下さる事を、そして、主こそ彼らを奴隷の家・エジプトから導き出された神、主である事を知る、と言われた。そして「わたしは彼らの神、主である」という主の御名の”証印”によって、約束は確かであると”捺印”された。(出エジプト記29:46-47、20:2)

しかしエジプトを出た民の内、約束の地に入れた成人は、僅か二人であった事もまた、心に留めるべきである。約束の地、主の安息に入るために必要な事は、約束された事を信じ続ける事と、従順な事だ。
70人の長老達にも、モーセに注がれたのと同じ主の霊が注がれ、預言したが、それは一度きりで終わってしまった(民数記11:25)。その時ヨシュアは、招集に来なかった二人にも主の霊が注がれた事にねたみを起こしたが、モーセは「主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられる事は、願わしい事だ」と言った。今、主の民皆が預言者となり、主の霊が与えられる時代であるが、守るべきは主への従順である。
結局、この70人の長老も、カナンの強そうな人達や街々に恐れをなし、約束の地への歩みは止めてエジプトに帰ろう、と言う側に回ってしまい、与えられた主の霊をでモーセを支えるのではなく、反逆する側となり、結局、最後まで信仰と従順を貫き通したヨシュアとカレブだけが、約束の地に入る事が出来た。
『わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。』(ヘブル10:38-39)

ハガイの時代、主の言葉に心奮い立たせられ、実際に山に登り、木を切って主の宮を建てるための行動を起こした人々、御言葉に従順し、主の御言葉によって礎を建てた人達にこそ、主は全地を揺り動かし、全世界の財宝が入って来て、栄光を主の家に満たす、という約束を与えられた。(6-7節)
銀は主のもの、金も主のものである。だから私達は、金銀を求める以前に、全ての祝福の源であり、完全な愛で我らを愛し、ひとり子さえ惜しまずに渡された主をこそ、慕い求めるべきなのだ。
「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい」、「わたしはこの所に繁栄を与える」と、万軍の主は言われた(9節)。なんと、これから後の「主の家」の栄光は、あの豪華絢爛な、金銀宝石を豪勢に用いたソロモンの神殿の栄光より大きいのだ。ソロモンが建てた豪奢な神殿があった列王記・歴代誌の時代と、神殿より粗末な幕屋で礼拝していたモーセやヨシュア、ダビデの時代と、どちらが主の栄光に輝いていただろうか。
結局大事なのは、建築物としての建物ではなく、私達礼拝者という「主の宮」の、主を慕い求める心である。
あの山でもなく神殿でもなく、真の礼拝者たちが「霊:御霊」と「真理:御言葉」によって礼拝する礼拝こそ御父に喜ばれる礼拝、求められる礼拝である(ヨハネ4:23)。今、私達はイエス・キリストを通し、霊において、真理において、モーセの時代、ソロモンの時代よりもさらに優れた栄光を、主はそこに置いて下さるのだ。

天声の物件が与えられ10年目。新しい領域へと入りつつある。私達キリスト者は日々「新しくされ続け中」であり、リフォーム中である(エペソ4:17-24)。信仰生活をして行くならば、慣れ親しんだ所にいつまでも留まるという事はなく、主が道を示してくださるなら、いつでもその地へと恐れず、従順し、そして期待と楽しみに胸をふくらませながら進んで行けば良いのだ。行く先は見えないかもしれないが、主が行くように言われたその先に待っているのは、必ず祝福である。その栄光を勝ち取って行く皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
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わたしの霊があなたがたの間で働いている(ハガイ2:4-9)
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エペソ人への手紙 講解説教メッセージ
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イザヤ書 講解説教メッセージ
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油注がれて間もない弱き働き人への主の配慮(1サムエル記10:1-9)
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聖霊によって心刺された時(使徒2:36-42)
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聖霊に満たされるための心備え(使徒1:3-8)
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週報/メッセージ(説教)概要

使徒行伝は、現代を生きる私達と同じキリスト者達、主の働き人達が行った「言行録」である。
弟子達は、福音書で見られたような弱く俗的で、すぐに間違いを犯すような有様とは真逆の、強く大胆で、きよく聖なる有様が記されている。そのようになった分岐点は、彼らが聖霊に満たされた時であった。
聖霊に満たされたキリスト者は、もはや自分のために生きるのではなく、キリストのために生きる。
ペテロは以前は自分で自分を縛り、自分の好む所を歩き回っていたが、主が復活し、聖霊に満たされて以降、もはやそのように歩むのを止め、自ら聖霊の導かれるままに歩み、主のために生き、主のために死ぬようになった。生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。生きるにしても死ぬにしても、主のもの。それが、主の働き人の本来の生き方である。(ローマ14:8) 主は、働き人に約束しておられる。
「聖霊があなたがたにくだる(エペルコマイ:圧倒的に臨む、迫り来る)時、あなたがたは力を受けて・・・さらに地のはて(エスカトス:最後の、末端の)まで、わたしの「ために(原意)」証人となるであろう」(使徒1:8) 
キリスト者は、二通りある。以前のペテロのように自分のために生き、自分の好む所へ行こうとする人、また、主のために生き、主の御霊に導かれるままを生き、主の栄光のために死ぬ人と。前者の人生は、自由のように見えていて実はそうではなく、失敗が多く、最後まで主に従い尽くせず、惨めさと恥ずかしさに行き着く。がしかし後者の人生は、力強く、充実し、主の栄光に満ち満ちている。だから私達キリスト者は、もはや、自分に生きる事は止め、主のために生きるために聖霊を求めるべきなのだ。弟子達は聖霊を受ける前、どのように整えられて行っただろう。私達も聖霊が臨むまで、どう整えるべきか、使徒行伝から学びたい。

『イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。』(使徒1:3)
イエス様が復活されて後、天に昇られる日までの四十日間、すなわち、もはや弟子達と面と面を向かって交わる事ができなくなるときまでの尊い四十日、主が弟子達に現れた都度示された事は、「ご自身が確かに生きておられる事」と、「神の国(バシレイア トゥー セウー:神の(王としての)統治」についてであった。
これら2つの事は、私達キリスト者にとって、重要な備えである。もし主の働き、主のミニストリーにおいてこれら2つ、「イエス様が生きておられる事」、「神の統治」が無いとするなら、全く無意味だ。
私達は、きょうと言われているこの日、今まさに現実この瞬間に、イエス様が生きて、働いておられる事を、常に信じ意識しているだろうか? また、主の支配が、地のエスカトス、すなわち、私達の生活や仕事、ミニストリーの末端・極みに至るまで、行き届いている事を、切に求めているだろうか。
主の支配ではなく、その逆に、自分の支配が隅々まで行き届く事を、求めたりしていないだろうか。
聖霊に満たされる事を求めるなら、まず、ここを整える必要がある。

「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」
主は次に、命じられる。エルサレムという都、主の宮があり、主の民が礼拝に集うべき所から離れず、父なる神の約束を「待っている(ペリメノーの現能:期待して待つ)」事を。すなわち、主の礼拝、主の交わりから離れず、積極的な心で、すなわちボーッとではなく、期待する心持ちで、主の約束の成就を待ち望む事だ。
バプテスマは「浸し込む」事の意味である。死と復活を経たキリスト者は、いつまでも以前の自分を死に明け渡し続けるという段階にとどまらず、積極的に聖霊に浸しこまれる事を求めるべきだ。
「主よ、イスラエルのために国を復興(復元する、元通りする)なさるのは、この時なのですか」 弟子達は、四十日、神の支配に拠って歩むべき事を学び続けたはずなのに、相変わらず世の国の、以前の栄光の復元を期待した。あいにくイスラエルは、以前の栄光が帰るのではない。イスラエルはもはや一民族のものではなく、全世界がイエス様にあって一つとされ、神の民、霊的イスラエルとされる事が主のご計画である。
「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」と主が言われたように、私達は、これから主が何をなさるかを「理解」しようとするより、私達の思いを遥かに超えた主の圧倒的なわざに期待するべきだ。聖霊を待ち望むこの時期、私達は自分の自由にしたいという思いを御前に置き、ただ主の御言葉が成る事を積極的に期待しつつ、主の御国と御心を求めたい。

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