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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

悔い改めないソロモンに与えられた反対勢力(1列王記11:9-25)
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ソロモンは、十戒で第二番目に禁じられていた悪、「偶像崇拝」をしてしまった。
そこへと導いてしまったのは、ソロモンが愛して離れなかった、異邦の女達である。

『このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである。』(1列王記11:9-10)
ダビデは、罪を指摘された時、その一度の警告で恐れ悔い改めたが、ソロモンには二度も主が現れて、命じられたのに、改めなかった。
ちょうどサムエルの時代の祭司、エリのように。
エリもまた、彼の子達が主の前に大きな悪を行った事について、二度も警告を受けたのに、悔い改めなかった。

幼いサムエルを通してエリに主の警告が与えられた時、エリは「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」と言った。
一見、信心深そうにも見える言葉だが、「主に食い下がらない姿勢」「主との交わりを断絶してしまうような姿勢」は、悔い改めない者に共通する性質だ。

もし、罪を犯したゆえに災いの警告が与えられたなら、アブラハムやモーセ、ダビデのように、主に赦しを乞い願い、あくまで食い下がって主との対話を続けるべきなのだ。(創世記18章、出エジプト記32章、詩篇51編)
しかしソロモンは悪びれもせず、彼女たちを愛して離れなかった。

『それゆえ、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。』(1列王記11:11)
主は、人の心の内を何もかもご存知である。
警告を受けて改める人であるなら、何度でも警告を与えるであろう。
しかし、ソロモンに与えられた警告は、2度であった。
そして、2度ともソロモンは警告を聞かなかったため、具体的な災いの内容が示されるが、それでも、主の憐れみを垣間見る事が出来る。

『しかしあなたの父ダビデのために、あなたの世にはそれをしないが、あなたの子の手からそれを裂き離す。ただし、わたしは国をことごとくは裂き離さず、わたしのしもべダビデのために、またわたしが選んだエルサレムのために一つの部族をあなたの子に与えるであろう」。』(1列王記11:12-13)
ソロモンに対する警告は、ソロモン王家からイスラエルを取り上げはする、しかし憐れみとして、ソロモンの生きている間はそれをしない、また、一つの部族だけは残される、という事だった。
主は、ひと度、災いの警告を発せられた場合、人がその警告を聞いて、悔い改めた場合には、災いを思い直されるお方である。(ヨナ書)
ソロモンは最終的な警告を聞いたのに、それでもなお改めなかったのだ。
結局、この災いの預言は実現する事となってしまい、実際に歴史で起きた通り、ダビデの時代に統一したイスラエル王国は、北イスラエル王国と、南ユダ王国に分裂してしまって、その時以来、今日なお一つにまとめられていない。
しかし、イスラエルはやがて、一つにまとめられる事は、預言で示されている。(イザヤ11:12、56:8、エゼキエル38:8)

主は彼らを懲らしめる杖として、敵を起こされた。
『こうして主はエドムびとハダデを起して、ソロモンの敵とされた。彼はエドムの王家の者であった。・・・彼らがミデアンを立ってパランへ行き、パランから人々を伴ってエジプトへ行き、エジプトの王パロのところへ行くと、パロは彼に家を与え、食糧を定め、かつ土地を与えた。・・・ハダデはエジプトで、ダビデがその先祖と共に眠ったことと、軍の長ヨアブが死んだことを聞いたので、ハダデはパロに言った、「わたしを去らせて、国へ帰らせてください」。パロは彼に言った、「わたしと共にいて、なんの不足があって国へ帰ることを求めるのですか」。彼は言った、「ただ、わたしを帰らせてください」。』(1列王記11:14-22)

エジプトも、エドムも、ソロモンが政略結婚した相手であった。
しかし結局、そのような人間由来の「結婚して和解し一つとなろう」という試みは何の助けにもならず、かえって、異邦の価値観と一つとなってしまい、自分達に災いをもたらした結果となってしまった。
このような、世の妥協は、逆に霊的にはマイナス効果なのだ。

エドム人ハダデは、イスラエルの南に興った敵対勢力であったが、主はさらに、北にも敵対勢力を備えられた。
『神はまたエリアダの子レゾンを起してソロモンの敵とされた。彼はその主人ゾバの王ハダデゼルのもとを逃げ去った者であった。ダビデがゾバの人々を殺した後、彼は人々を自分のまわりに集めて略奪隊の首領となった。彼らはダマスコへ行って、そこに住み、ダマスコで彼を王とした。彼はソロモンの一生の間、イスラエルの敵となって、ハダデがしたように害をなし、イスラエルを憎んでスリヤを治めた。』(1列王記11:23-25)

スリヤはすなわち、今のシリヤである。
エリアダの子レゾンは、略奪隊の首領としてイスラエルを無差別に荒らしたが、現代のテロに近いものである。
現在、まさにシリヤは、イスラエルに対してテロを仕掛けて悩ませているが、全く同じ事が、当時から起きていたのだ。

このように主は、イスラエルを懲らしめる鞭として、北と南に敵対勢力を備えられ、さらには、内部からも、分裂を促す敵を主は備えられる。
どうしてソロモンがこうなってしまったのか。
それは、異邦の女の誘惑を、真っ向から受け入れてしまい、結局、誘惑に負けてしまったのだ。
だから私達は、「主の祈り」で祈っている通り、誘惑に陥らせられる事なく、悪から救い出されるように、祈っているべきなのだ。
人は、どんなに力強い人でも、どんなに知恵深い人でも、誘惑への抵抗力は無いからだ。

天声とは(2ペテロ1:16-21)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 天声キリスト教会設立のビジョンが与えらて15年目、この会堂での礼拝が始まって10年目、この教会にとって節目にあたる今年に入って以来、設立当初に与えられたビジョンについて見ているが、今回はこの教会の名前である「天声」とは、いかなる意味であるのか、について見ていきたい。

今までホームページに記して来た通り、天からの声とは、父なる神の御声、すなわち御言葉、それは「ことばは人となって私達の内に宿った」(ヨハネ1:14)という、御言葉なるキリストであり、三位一体の主である。
聖書には、天から声がした事の記事が幾つか示されているが、いずれの場合も、ある特別な人だけが聞くような、出処元の分からないものではなく、その声を聞いた誰もが「天」からのものとハッキリ分かる「神の声」であり、その内容はイエス・キリストこそ救い主であり、生ける神の御子である事を明示するものである。
例えば、イエス様がバプテスマを受けられた場面では「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ3:17)と言っている。 また、イエス様が弟子達の前で栄光の姿に変わった場面では、天の声は「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」(同17:4)と言っている。だから私達は、その天の声に従い、御言葉なるキリストに「そのまま聞く」教会として今日まで歩み続けているのだ。

聖書の時代、天の声は、その場で聞いた人の誰もが、出処元が神である事がハッキリ分かったが、現在、神の言葉は「聖書」として、誰もが手にする事が出来、信じる・信じないは別として、出処元が神である事は、誰もが聞いている所だ。では、その天の声である御言葉に対し、私達はどのように接するべきなのか。
第二ペテロの手紙で、ペテロはイエス様が栄光の姿になられた場面を述懐し(1:16-18)、この天の声により、預言の言葉は一層、確実なものになった、と言った。「夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。」と言っている。(同19-20)
私達は、聖書のことばは、分からない事だらけだ。もし聖書は全部分かる、などと言う人がいれば、ちょっと疑ったほうが良い。聖書の言葉は霊の書物であり、わからない人には、とことん分からない。
使徒パウロが、主からの召命を受ける場面では、パウロは、天からの声の内容は明確に理解できたのに、同行していた人達は、「声(フォネー:ノイズとも訳せる)」は聞こえても内容は理解できなかった。(使徒9:7)
福音も聖書の言葉も、ある人にとっては救いをもたらす神の力だが、ある人にはノイズに過ぎないのだ。
では、その分からない聖書と、どう付き合えば良いのだろう。どうすれば「わかる」のだろう。まず、聖書の言葉が分からない時に、「してはならない事」は、「自分勝手に解釈」する事だ。聖書の言葉は「心の中を照す」ものであり、その時まで「目を留めている」事が、御言葉への正しい作法である。(2ペテロ1:19)
御言葉が心を照らす時、不安だった心に、決して揺るがない平安が与えられ、心配だった将来に希望がもたらされる。例えば、聖書の「恐れるな」という言葉を聞いてもなお恐れがあるなら、光は照らされていない状態であり、その言葉を受けて、恐れが消えた、というなら、光が照らした、という事だ。
これは人の理屈や、たくみに考え出されたものでもない。ただ上から与えられ、照らされたもの、すなわち、聖霊によって運ばれて来たものである。『なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に「感じ(φερομενοι:運ばれ;担がれ)」、神によって語ったものだからである。 』(21節) つまり預言は、人の解釈や人の定めた一定法則に拠ってはならず、聖霊の促しによって読み解くものだと書いてある。
では聖霊とは何だろう。それは、イエスを証し(ヨハネ15:26)、イエスを栄光化する霊である。(同16:14)
霊の声を聞いて啓示を受けた、と言う人がいる場合、その霊をためすと良い。人となって来たイエス・キリストを告白する霊は神からのものであるが、イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではなく、それこそ反キリストの霊である(1ヨハネ4:1-3)。預言の霊は、イエスのあかしである。(黙示録19:10)
御言葉を開く時、旧約も、新約も、私達を救う主・イエス・キリスト、この御方を中心に据えて読む時、分からないものが見えて来る。律法も預言書も、全てイエスについて書かれてあるからだ。(ルカ24:25-44)
だから、この天声キリスト教会は、ホームページも、礼拝も、どこを切っても、御言葉とイエス様しか出てこないのであり、人間的ビジョンは一切見出だせないのだ。この天の声すなわち父なる神の御声、御言葉なるキリスト、聖霊によって導かれ歩み続ける皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

ソロモンの栄光が暗転してしまった原因 - 異邦の女(1列王記11:1-8)
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前章までは、栄華を極めたソロモンの様子を見てきた。
実にきらびやかな有様だったが、所々で律法に対する妥協があり、また、その栄光に陰りも見せていたが、第一列王記は、この章を境に、暗転し、士師記のような混乱期に突入してしまう。

『ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。』(1列王記11:1-2)
ソロモンの栄華が暗転してしまった決定的原因は、ずばり、女である。
本来交わってはならない女を愛して離れなかったため、彼女たちがソロモンの心を転じさせてしまったのだ。
それで彼は、あからさまに、主の忌み嫌う事をするようになってしまった。

男性は女性に夢中になると、引きずり込まれてしまうものであり、ひと度、夢中になってしまったなら、彼女と一緒なら地獄に行く事が分かってはいても、一緒に突入してしまうような所があるのだ。
最も強い男・サムソンはそうだったし、最も知能の高かったソロモンさえ、そうだった。
最初の人・アダムからして、そうだった。
ノアの時代、神の子達は人間の女の美しいのに惹かれてめとり、そうしてネフィリム(原意:伐採者。巨人、いじめっ子、暴君の意味)を生み出して行った故に、地は暴虐に溢れ、それで、あの大洪水が起きて、ひと度世界は滅んでしまったのである。(創世記6-8章)

一緒になってはならない女によって身を滅ぼしてしまうのは、腕力の強さや知能の高さも、一切、関係無い。
その誘惑からは、ただ「逃げる」以外には無いのだ。(創世記39:12、箴言5章、伝道者の書7:26)

『彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。』(1列王記11:3)
妻とそばめの数を合わせると、1000。すさまじい数である。
一日にひとりずつ交代交代で相対するとしても、次に会えるのは、999日後という事になる。
そんな事で妻は、また、生まれて来た子供達は、健全でいられるだろうか。

律法に書いてある。
『王となる人は・・・妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。』(17:16-17)
結婚とは、男と女の「ふたりが一つのからだとなる」事であって、決して、1001が1となる事ではない。
彼は妻を多くし、1000の女性達を不幸にし、さらに何人もの子供達は、父親不在の不健全な育ち方をしてしまった。

ソロモンは、そのように育った自分の子供たちを見て、こう言っている。
『わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望みを失った。』(伝道者の書2:18-21)

労して得たものを、自分の跡取りに継がせるのは、本来、喜びのはずである。
実際ダビデは、ソロモンに、神殿を建設するための莫大な金銀を遺して、喜んで譲渡した。
それなのにソロモンは、自分が労して蓄えたものを、跡取りに譲らなくてはならない事に「絶望」している。
よほど子供たちの中に、この莫大な財産を譲りってやりたい、と思える人が、いなかったのだろう。

『ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。』(1列王記11:4-6)
ソロモンはなんと、異邦の神々に従ってしまった。
彼に富と栄誉と、知恵を豊かに与えて下さった、まことの神である主を捨てて。
実に、あってはならない事が起きた。
信仰無き女性に惑わされる事は、いかに恐ろしい事だろう。

『そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。』(1列王記11:7-8)
これらの神々が「憎むべき」者と呼ばれているのは、子供を火で焼いて捧げるような事を求める神だからだ。
ケモシュの前で子供を全焼のいけにえとしてささげたことが碑文に記されており,?列3:27のモアブの王の長男を全焼のいけにえとしてささげた記事も同様の慣例を示すものである
モレクの信者たちは,その手の上に子供をのせ,下から火をたいていけにえとした(レビ18:21).モレクの祭司たちは,太鼓をたたき続けて,子供の叫び声を消し,両親の悲しみを和らげたと言う。
また、エルサレムを西から南にかけて囲む谷をベン・ヒノムの谷(ゲー・ベン・ヒンノム)と呼ぶが、この谷のどこかにある小高い丘はトフェテと呼ばれ(?列23:10,エレ7:31)、モレクへの幼児犠牲礼拝が行われた。それはソロモンによって建てられたもので,異教徒の妻たちのために建てられたのかもしれない。また、この谷では火で汚物等を処理したところから,罪と災いの象徴となり,新約聖書の永遠の刑罰を受ける場所「ゲヘナ」という語が生れた.すなわち,ギリシヤ語ゲエンナはヘブル語ゲー・ヒッノームの転訛である.(新聖書辞典)

ソロモンは後に言っている。
『わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。』(伝道者の書7:26)
1000人も妻や妾をむかえたソロモンには、その通りだろう。

結局、夢中になって良い女性は、唯一、結婚相手だけである。(箴言5:15-19)
未婚の男性は、将来、ひとつとなって添い遂げる相手について、また、将来築き上げていく家庭が健全な信仰の家庭となるよう、よくよく祈り求めるべきである。

サムソンは、自分の目に喜びとなる女に夢中になった結果、身を滅ぼしてしまった。
洪水前の神の子たちは、人の女の美しさにおびき寄せられた結果、大洪水を招いてしまった。
ソロモンは、妻とすべき女性を誤り、それを多くした結果、ゲヘナをつくってしまった。
アダムは、神の声を退けて妻の声に従った結果、全人類を死と呪いへ導いてしまった。

私達は、夢中になってしまいがちな対象について、そして、ひとつとなるべき伴侶について、よくよく気をつけるべきである。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
船の全員を救うための漂流(使徒27:9-44)
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栄華を極めたソロモン、その短かった栄華(1列王記10:14-29)
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前回の所ではシェバの女王が来訪し、ソロモンに与えられた知恵と栄誉、そして、イスラエルの国民が栄えている有様を彼女たちは目の当たりにして息をのんだが、それに続き今回の箇所でも、ソロモンがいかに栄華を極めていたかが記されている。

『さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。そのほかに貿易商および商人の取引、ならびにアラビヤの諸王と国の代官たちからも、はいってきた。ソロモン王は延金の大盾二百を造った。その大盾にはおのおの六百シケルの金を用いた。また延金の小盾三百を造った。その小盾にはおのおの三ミナの金を用いた。王はこれらをレバノンの森の家に置いた。』(1列王記10:14-17)
毎年、膨大な量の金が外国からもたらされ、ソロモンはそれを用いて、宮殿に置くための盾を造った。
本来、盾は武具であるが、純金は重く、また金属として柔らかいので、戦闘では役に立たない。
だから、これらは武器庫にではなく、宮殿のきらびやかさを示す「飾り」として置かれた。

『王はまた大きな象牙の玉座を造り、純金をもってこれをおおった。その玉座に六つの段があり、玉座の後に子牛の頭があり、座席の両側にひじ掛けがあって、ひじ掛けのわきに二つのししが立っていた。また六つの段のおのおのの両側に十二のししが立っていた。このような物はどこの国でも造られたことがなかった。ソロモン王が飲むときに用いた器は皆金であった。またレバノンの森の家の器も皆純金であって、銀のものはなかった。銀はソロモンの世には顧みられなかった。』(1列王記10:18-21)
ソロモンは、かつてどの国にも造られた事の無かったような贅を凝らした王座に座した。
銀は価値なしと見られる程、金の器物が惜しみなく大量に使用された宮殿に住み、どの国も、かつてなかった程のごちそうが毎日宮殿で振る舞われ、そのような豪勢な暮らしをしていた。

ソロモンは、金銀や象牙などの貴重な品々ばかりでなく、珍しい動物も集めて来た。
『これは王が海にタルシシの船隊を所有して、ヒラムの船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に三年に一度、金、銀、象牙、さる、くじゃくを載せてこさせたからである。このようにソロモン王は富も知恵も、地のすべての王にまさっていたので、全地の人々は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた。人々はおのおの贈り物を携えてきた。すなわち銀の器、金の器、衣服、没薬、香料、馬、騾馬など年々定まっていた。』(1列王記10:22-25)

ソロモンの栄華が極みだった時代、国々の王達が、全世界より、陸路からも海路からも栄光を携え上って来た。
物質的な祝福の、最も与えられたソロモンだったが、ただ、その祝福を継続させるには、「主の御言葉に対する従順」の継続もまた必要だ。
ソロモンは残念ながら、栄えるにつれて、主への従順を失って行ってしまった。

『ソロモンは戦車と騎兵とを集めたが、戦車一千四百両、騎兵一万二千あった。ソロモンはこれを戦車の町とエルサレムの王のもとに置いた・・・ソロモンが馬を輸入したのはエジプトとクエからであった。すなわち王の貿易商はクエから代価を払って受け取ってきた。エジプトから輸入される戦車一両は銀六百シケル、馬は百五十シケルであった。このようにして、これらのものが王の貿易商によって、ヘテびとのすべての王たちおよびスリヤの王たちに輸出された。』(1列王記10:26-29)
律法には記されている。
王たる者は、馬を多く得るために、再びエジプトへの道へと帰ってはならない、と。また、自分のために、金銀を多く蓄えてはならない、と。(申命記17:16-17)
なぜ馬を多く得るために「再び」「エジプトへの道を帰ってはならない」のか。

エジプトはかつて、イスラエルの子・ヨセフによって、世界一の強国となったにもかかわらず、後には、イスラエルの民を奴隷として搾取し、それによって得た富をイスラエルには還元せず、ただ自分のために蓄えた。
エジプトは、馬や戦車などの軍事的強制力でもって他人を抑え、奴隷として搾取し、さらには、イスラエルの民が増えて脅威となったならもっと過酷な労働を課して減らそうとし、それでもだめなら、男子が生まれたらナイル川に捨ててまで、減らそうとした国である。

そのように、馬を増やして強制力を強くする事や、自分のために金銀を増やす事は、エジプトの流儀であり、そのような流儀に「戻って」はならないのだ。
これは、クリスチャンも同じである。
人々を強制力で縛り、搾取し、自分のために富を蓄える事は「世のやり方に戻る事」であり、そこに戻るとするなら、主がエジプトを撃って神の民を救われたように、主は、そのような事をする者達を撃ち、搾取されてあえいで苦しんできた人々を、救って下さるのだ。
だから「その道に帰ってはならない」と言われたのだ。

ソロモンの治世の後半は、残念ながら、「エジプト化」してしまい、重税を課して人々は苦しんでしまった。(1列王記12:4)
人生、いくら生きた所で100年足らずである。
永遠から比べれば遥かに短いその人生の期間である。
その短い人生で、あの手この手を尽くして栄え、たとえ、全世界の富を手に入れたとしても、それで主の御心を損ねて、いのちを損じてしまったら、何もならない。

この章が、ソロモンの栄華の極みであるが、1列王記のこの章を最後に、栄光の記述は終わってしまう。
私達は、金銀を追いかけて滅びる者ではなく、主を追い求め、主に喜ばれ、主の恵みといつくしみのほうから逆に追いかけられる者でありたい。

祈祷会礼拝説教メッセージ

キリストにあって受けた旧新約全ての祝福(ガラテヤ3:23-29)
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エペソ人への手紙 講解説教メッセージ
父・御子・御霊にあって(エペソ1:7-14)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主に聞かない人達(イザヤ30:1-14)
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火曜早天祈祷会

金を払わないで穀物を買い、代価を払わないでぶどう酒と乳を買うには(イザヤ55:1-3)
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シバの女王の来訪(1列王記10:1-13)
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『シバの女王は主(エホバ)の名にかかわるソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試みようとたずねてきた。』(1列王記10:1)
ここの記事は新約でもイエス様から言及されており、また、様々な芸術でも取り上げられている有名な出来事である。
彼女はソロモンの名声を聞くに及び、試みる(ナーサー:テストする、試す)ために、遠路はるばる来たが、ソロモンに与えられた知恵や富、その栄華の様は、彼女の想像をはるかに超えたものだった。

『彼女は多くの従者を連れ、香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせてエルサレムにきた。彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げたが、ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは一つもなかった。
シバの女王はソロモンのもろもろの知恵と、ソロモンが建てた宮殿、その食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候ぶり、彼らの服装と、彼の給仕たち、および彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった。』(1列王記10:2-5)
彼女は、何に「全く気を奪われてしまった」か。
ソロモンの知恵と、彼の宮殿、および、彼に仕える家来や侍臣たちの服装や立ち居振る舞いに至るまで、そして、礼拝の捧げものに対して、である。
私達もソロモンのように知恵が与えられ、そして、教会においても、礼拝においても、家においても、また、養っている息子娘の、服装や言葉遣い、立ち居振る舞いにおいても、そして、私達が礼拝するその礼拝においても、主の栄光を豊かにあらわし、証できるようになるために、祈るべきである。

『彼女は王に言った、「わたしが国であなたの事と、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。しかしわたしがきて、目に見るまでは、その言葉を信じませんでしたが、今見るとその半分もわたしは知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています。
あなたの奥方たちはさいわいです。常にあなたの前に立って、あなたの知恵を聞く家来たちはさいわいです。あなたの神、主はほむべきかな。主はあなたを喜び、あなたをイスラエルの位にのぼらせられました。主は永久にイスラエルを愛せられるゆえ、あなたを王として公道と正義とを行わせられるのです」。』(1列王記10:6-9)
彼女は、ソロモンの有様を通して、そして、その国イスラエルの有様を見て、「あなたの神、主はほむべきかな」と、主の御名を褒め称えるに至った。
まことに、主に祝福された人は、その祝福された様を通して、主を知らない人が、主に立ち返るのだ。
「もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。」(イザヤ60:3) と記されている通りである。

クリスチャン、と言うと、貧相だけれどなんだか頑張っている、と考える人がいるかもしれない。
病だけれど、貧しいけれど、これだけ私達は頑張っています、といった所に、私達はずっと留まるべきではなく、むしろ神の子である神の民は、もっと健やかに、もっと栄え、富んだ者にされて然るべきである。
確かに自分自身の罪深さや、弱さ、不完全さを見るに、そんな大それた願いを求めるには相応しくない、と思えるかもしれない。
しかし主は言っている。
わたしが贖い主、すなわち、あなたの貧しさを覆い、罪の借金を買い戻す者である、わたしの所に来なさい、と。

『あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。』(イザヤ41:13-14)
『だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。』(イザヤ43:1)
主がそのように言われているからには、私達もルツのように主のご好意にあずかって、大胆に御前に進み出るべきである。
それこそ主の目に「真実な行動」なのだ。(ルツ記3:10)

『ソロモン王はその豊かなのにしたがってシバの女王に贈り物をしたほかに、彼女の望みにまかせて、すべてその求める物を贈った。そして彼女はその家来たちと共に自分の国へ帰っていった。』(1列王記10:13)
こうして彼女は、イスラエルから多くのおみやげを持って帰って行ったが、彼女が持ち帰った何より素晴らしいものは、主の栄光である。

主の御言葉を信じず、主が為された奇跡を見ても信じなかった人々に対し、主は彼女を引き合いに出して次のように言っている。
『南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。』(マタイ12:42)
そう、彼女は、ソロモンを富ませ栄光を与えて下さった「主を信じた」のだ。

彼女は、ソロモンの富と栄光を見て、彼と彼に仕える人達は幸いだ、と言ったが、後から見ると、幸いなのは彼女のほうである。
なぜならソロモンのこの後は、浪費の人生となり、しまいに彼は「むなしい」が口癖のようになってしまったのに引き換え、彼女は、御言葉を聞いても信じない人を「さばく側」になっているからだ。

新約でソロモンについて言及されているのは、この箇所と、もう一つ、「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」という箇所である。(マタイ6:29、ルカ12:27)
結局大事なのは、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、ソロモンよりも美しく装わせて下さる主であり、ソロモンよりもさらに優れた御方、主イエス様を信じる事である。
ソロモンのように、世的な富を追求するあまり、主を忘れてしまうとするなら、本末転倒も甚だしいのである。

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