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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:人の思いをはるかに超えた神の愛(申命記7:7-11):右クリックで保存

神はなぜ、イスラエルを特別視し、愛されたか。
その理由は、人間の感覚で納得の行くものではない。
『主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。』(申命記7:7-8)

神がイスラエルを愛されたのは、イスラエルが他よりも優れているからでも、他より正しいからでも、ない。
神が私達を愛されたのは、私達が他よりも優れているからでも、他より正しいからでも、ない。
神は愛だから。
ただそれが、理由である。
『神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。』(1ヨハネ4:9-10)

私達の側には元々、聖なる神に愛される理由なぞ、何も無い。
むしろ、神の怒りを引き起こす罪深さだけがある。
罪の中に生き、神の愛と憐れみを受けるに相応しくない私達であるが、神は、ただ一方的に私達を愛し、ひとり子を世に遣わし、彼によって私達を生きるようにして下さった。その事によって、私達に、神は愛であられる事が分かった。

すなわち、神は、私達がまだ敵であった頃、ひとり子を身代わりとして私達のために捧げて下さったのである。
『わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。』(ローマ5:6-8)
神の愛は、まさに、人間の感覚をはるかに超えている。

『あなたの神、主があなたの前から彼らを追い払われた後に、あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。これは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた言葉を行われるためである。
それであなたは、あなたの神、主があなたにこの良い地を与えてこれを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。』(申命記9:4-6)

神がイスラエルに、約束の地を与えられ、その地の先住民に勝利させて下さるのは、イスラエルが正しいからではない。
その地に元々いた住民が、邪悪だからだ。
その事は、アブラハムの時代に、既に主が言っておられた。(創世記15:16)

神は、このイスラエルの先祖・アブラハムの信仰と従順の故に、イスラエルを愛された。
『それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。』(申命記7:9)
アブラハムは神を信じ、それが義とされた。そして、自分のひとり子を捧げる程に、主への信仰を示したからこそ、神はアブラハムの子孫を祝福されたのだ。
そして、その恵みは千代まで、と約束されている。
それ程に愛を示して下さった神に、なお反逆するとするなら、当然、滅びが待っている。
『それゆえ、きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてとを守って、これを行わなければならない。』(申命記7:11)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
山上の説教 - 主の祈り1(マタイ6:9-15):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
忠実また真実なる王の王、主の主(黙示録19:11-21):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:滅ぼし尽くすべき敵(申命記7:1-6):右クリックで保存

『あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。』(申命記7:1-2)

ヨシュア記の快進撃を読んでいると、イスラエルは、とても弱い敵と戦っていたかのように見えるが、決してそうではない。
ここに記されている通り、これら7つの民は、イスラエルよりも数多く、強かった。
実際に40年前、彼らの父の世代は「こんな強い民とは戦えない」と恐れ、夜通し泣き明かし、エジプトに帰ろうと言い出した程だった。

しかし主は言われる。
『あなたは心のうちで『これらの国民はわたしよりも多いから、どうしてこれを追い払うことができようか』と言うのか。彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がパロと、すべてのエジプトびととにされたことを、よく覚えなさい。』(申命記7:17-18)
主の言葉は、出エジプトした父の世代の時も、それから40年経った申命記の時代も変わらない。約束の地へ行って、滅ぼすべき民を、滅ぼし尽くせ、である。
実際、主が言われた通りに、聞き従って行くなら、あのヨシュア記の快進撃となる。
しかし、恐れをなして退くなら、民数記の荒野の40年の放浪となるのだ。

主の約束を信じ、命令どおり行くなら、必ず勝利が待っているが、そこで、イスラエルが気をつけなくてはならない事がある。
『また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。』(申命記7:3-5)

主の怒りを引き起こすような習慣に染まり切った、異邦の男や女とは、結婚してはならない。
実際、二万四千人が倒れたペオルの事件やコズビの事件の原因は、異邦の女との結婚が元であり、イスラエルの中に、みだらな事や偶像礼拝が、はびこったためだ。

『あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。』(申命記7:6)
主は、主の民を「聖なる民」「自分の宝の民」とされた。それはキリストにある私達も同じである。
だから、先住民がそこで行っていた汚れた行いの、痕跡すら残してはならないし、私達も以前のような暗闇の生き方を捨て去るべきなのだ。

人は思う。
邪悪な民を滅ぼすのに、主はなんでわざわざ人の手に任せたりするのか。主がソドムを一瞬にして火で焼き滅ぼしたように、それをしてくれればいいのに、と。
そうしてくれれば自分達は戦争に行く必要は無いし、誘惑の元凶とも相対さずに済むし、不従順に陥ってしまう危険性も無いのに、と。

まず覚えておくべきは、主は、見境なく火を降して一気に滅ぼすようなお方ではない。
実際、ソドムの時も、問答無用で滅ぼす事をしなかった。
主は、ソドムを火で滅ぼす前に、アブラハムの執り成しを聞かれたし、また、ちゃんと使いを遣わして義人がそこにいるかを確認し、ロトを逃してから、火を下された。
主は、主に立ち返る異邦人が救われる余地も、残しておられるのだ。それで、遊女ラハブとその家族は救われた。

また主は、あえて誘惑となりそうなものを人の前に置き、その人自身の自由意志によって、それを拒否するよう、命じられる。エデンの園に、いのちの木の他に、善悪知識の木を生えさせたように。
なぜなら神は、人間をロボットのようにではなく、自由意志を持った「神の似姿」として創造され、地を支配するよう創られたからだ。
親が学校に居座って、四六時中、子供の隣で手取り足取り指示したり便宜を図っていたりしたら、子供は不健全に育ってしまうように、主は、人間をご自身の「子」として扱われ、子の領分では、子の自由意志に任せているのだ。
子が自ら親のアドバイスに従って行動するなら、学校での生活も自然と充実して行くように、私達も、この世界において、御言葉のアドバイスに従って行動するなら、この世で大いに祝福されるのだ。

主は、滅ぼすべき民を聖絶するよう命じた。
同じように、私達の内にも、滅ぼし尽くすべきものがある。
『だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである。』(コロサイ3:5-6)

出エジプトしたイスラエルの民が、約束の地に巣食う先住民には「絶対かなわない」としりごみしたように、私達も、思うかもしれない。自分の内に巣食う、この情欲や不品行、これらと戦っても絶対にかないそうにない、と。
しかし、主ご自身が強敵と戦い快進撃したように、私達も、主に従順し服従し続けるなら、私達の内に巣食う情欲や不品行などは、御霊がそれらを殺し、快進撃し、今まで入れなかった幸いな領域にやすやすと入って行けるのだ。
「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。」(ローマ8:13)

私達には、二つの選択がある。肉に従って生きるか、御霊に従って生きるか。
もし主に頼り、御霊に従って生きる決断をするなら、主が働いて下さり、今までの私達には決して出来なかった事がすんなり出来るようになり、罪と死に勝利し、多くの祝福を勝ち得る事が出来るのだ。

礼拝説教メッセージ音声:子供たちへの信仰のQ&A(申命記6:20-25):右クリックで保存

今回の箇所では、子供からこう質問されたら、こう答えなさい、という、Q&Aを示している。
『後の日となって、あなたの子があなたに問うて言うであろう、「われわれの神、主があなたがたに命じられたこのあかしと、定めと、おきてとは、なんのためですか。」』(申命記6:20)

子供が信仰についてする質問は、時に、本質を突いて鋭い。
皆さんは、子供に限らず、未信者から信仰について質問された場合に、答える準備は出来ているだろうか。
ペテロは言っている。
『また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。』(1ペテロ3:15-16)
故に、キリスト者は日々、いつでも私の望みについて、やさしく、慎み深く弁明できるよう準備しておくべきであり、また、あかしのため、そして主キリストがそしられないために、良い生活を心がけるべきである。

信仰に関する質問をされた時は、自分は以前どのような状態で、主はそんな私達に、何をして下さったか。それをまず説明すると良い。
『その時あなたはその子に言わなければならない。『われわれはエジプトでパロの奴隷であったが、主は強い手をもって、われわれをエジプトから導き出された。』(申命記6:21)
イスラエルはかつて、エジプトの奴隷だった。主はそこから力強い御手で救い出された。
私達も以前は、罪に縛られ、サタンの奴隷状態だった。しかし主は、そこから偉大な御手によって救い出して下さった。
その過程がエペソ書2章に詳しく記されている。

『あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。』(エペソ2:11-13)
これが、主が私達に為して下さった事である。
キリストは、私達の身代わりに十字架上で罰される事によって、神と私達との間の隔ての壁を打ち壊し、神との平和をきたらせて下さった。

今や私達は、主にあって、どのような立ち位置を得ているだろうか。
『あなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。』(同19-22節)

当教会では、信徒の事を「聖徒」とよく呼んでいるが、あるクリスチャンは、一般のキリスト者を「聖徒」と呼ぶのはおこがましいのでは、と言う。
確かにクリスチャンは罪を犯すし、自分が「聖なる人」だとは到底思えないかもしれないが、ヘブル2:2に「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。」と書いてあるし、エペソ書にも、あなたがたは、もはや「聖徒たちと同じ国籍の者」であり、「神の家族」である、と記されている。

私達キリスト者は、使徒や預言者という土台の上に建てられた者であり、キリスト・イエスご自身が、隅のかしら石となっているのだ。
このキリストにあって、私達は古今東西の「聖徒たち」という建物へと組み込まれ、聖なる宮へと成長し、主にあって共に建てられて、霊なる神の住まいとなって行くのである。
そのように記されているからには、私達はアーメンと言って信じ、受け入れるのが筋であって、「信じられないから」と、御言葉に変な解釈を足すべきではない。

続いて主は、イスラエルを虐げてきた敵に対し、主はどうされたのか、という事も、子どもたちに教えるよう命じられた。
『主はわれわれの目の前で、大きな恐ろしいしるしと不思議とをエジプトと、パロとその全家とに示され、われわれをそこから導き出し、かつてわれわれの先祖に誓われた地にはいらせ、それをわれわれに賜わった。』(申命記6:22-23)
主はイスラエルのために、奴隷生活を強いてきたエジプトを処罰し、そこからイスラエルを救い出して、約束の地へと導き入れて下さった。
同じように、主は私達のためにも、奴隷を強いてきた罪とサタンを処罰され、そこから私達を救い出し、永遠のいのちへと導き入れて下さった。

また私達は、何のために主を信じ、どうして主の命じられた事を守り行うかを、そして、それら主のいましめを守り行ったらどうなるかも、子どもたちにしっかりと教えるべきである。
『そして主はこのすべての定めを行えと、われわれに命じられた。これはわれわれの神、主を恐れて、われわれが、つねにさいわいであり、また今日のように、主がわれわれを守って命を保たせるためである。』(申命記6:24)
主の命じられた事を守り行うなら、常に幸いであり、また、主に守られ、命を保つ事が出来る。
このように私達は、子供たちへ信仰を継承するのである。

礼拝説教メッセージ音声:祝福されるための条件(申命記6:10-19):右クリックで保存

『あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって、あなたに与えると誓われた地に、あなたをはいらせられる時、あなたが建てたものでない大きな美しい町々を得させ、あなたが満たしたものでないもろもろの良い物を満たした家を得させ、あなたが掘ったものでない掘り井戸を得させ、あなたが植えたものでないぶどう畑とオリブの畑とを得させられるであろう。あなたは食べて飽きるであろう。』(申命記6:10-11)

主はイスラエルに、大きな美しい町々を得させ、良い物で満ちた家を得させ、良い井戸やすばらしい実りを実らせる畑を得させ、食べ飽きさせて下さる。
しかしそれらは全て、自分が頑張ったり努力したりして得たものではない。主が、得させて下さるのだ。
同じように、私達も、主の御言葉に従順し、服従するなら、主は必ず私達を、多くの良き物で満ち足らせて下さる。

しかし、祝福されて満ち足りた時こそ、私達は気をつけるべきである。
主にいつも従順するよう気をつけていた、あのダビデでさえ、満ち足りた時に、罪深い事をした。
だから以下のアグルの祈りは、自分を良く知り、とてもわきまえた祈りである事が分かる。
『わたしは二つのことをあなたに求めます、わたしの死なないうちに、これをかなえてください。うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。』(箴言30:7-9)

続いて主は「してはならない」を示した。
『あなたがたは他の神々すなわち周囲の民の神々に従ってはならない。あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し、地のおもてからあなたを滅ぼし去られるであろう。』(申命記6:14-15)
神が特別に目をかけたイスラエルさえ、地のおもてから滅ぼされるような罪、それは、まことの神、主を捨てて、他の神々に従う事である。
実際イスラエルは、モーセの時代には六十万以上おり、ダビデの時代には、全イスラエルには剣を使う者が百十万人、ユダには剣を使う者が四十七万人いたのに、バビロン捕囚後にイスラエルに残った民は、エズラ記によると、わずか四万ほどしかいなかった。

神と人とは、夫婦のような愛の関係にある故、他の神々に従う事は、霊的姦淫である。
私達も、赤の他人が浮気していても、痛くも痒くもないが、それが自分の伴侶だとしたら、どうだろう。
同じように神も、異邦人が偶像の神々を拝んでいても何でもないが、私達主の民が、他の神々に従って霊的姦淫を行うとしたら、主は「ねたむ神」として災いを降し、いかに栄えていようとも、たちまち落ちぶれ、無い者のようになってしまう。

また、主を試みる事、それもしてはならない事である。
『あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。あなたがたの神、主があなたがたに命じられた命令と、あかしと、定めとを、努めて守らなければならない。』(申命記6:16)

主を試みるなら、その人は主の怒りを買って、安息に入れなくなってしまう。
「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。あなたがたの先祖たちは、/そこでわたしを試みためし、しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、/いきどおって言った、/彼らの心は、いつも迷っており、/彼らは、わたしの道を認めなかった。そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息に/はいらせることはしない、と誓った。」(ヘブル3:7-11)

イスラエルはマサで、水が無かった時、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みた。
その結果、主はモーセに命じ、岩から水を出させた。
岩砂漠の岩から、六十万以上が満ち足りる程の水が湧き出てくる。これは驚くべき奇跡である。
それを見ておきながら、実際飲んでおきながら、主に対して何の感謝もなく、学ぶ所ない人々は、次は肉をくれ、と言い、さらに図に乗って主を試みた。
だから主は「怒って、彼らをわたしの安息にはいらせることはしない、と誓った」のである。

『あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。そうすれば、あなたはさいわいを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう。また主が仰せられたように、あなたの敵を皆あなたの前から追い払われるであろう。』(申命記6:18-19)
会社の経営者は、時間給で働くアルバイトと違い、自ら市場調査をし、顧客が喜ぶ事を自主的に考えて、その通り実行するが、同じように私達も、主が喜ばれる事を自主的に考え、自ら御言葉に調べ、その通り行動すべきである。

私達は、言われた事だけを嫌々ながら行い、それ以上の事をしない「霊的アルバイト」であってはならない。
そのような人には、実入りも喜びも、やりがいも少ない。
何が御心なのか、何が主に喜ばれる事なのか、御言葉をひもといて調べてみよう、こう書いてあるからそのように行動しよう、と、自らすすんで主に喜ばれる事をする人には、『あなたはさいわいを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう。また主が仰せられたように、あなたの敵を皆あなたの前から追い払われるであろう。』という祝福の約束があるのだ。

鳩の性質とカラスの性質(創世記8:1-12)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

今日は、年が改まってから最初の主日礼拝である。当教会では、昨年の終わりの時間は、古き年の罪を洗い流すために悔い改めの祈りで過ごし、新年が開けたと同時に礼拝で始め、心も思いも霊も一新した。
この世界もかつて、古く罪深い世界を水で洗い流され、新しく改まった事があった。それはノアの時代である。ノアは主に命じられて箱舟を造り、洪水が来た時、雄と雌の一つがいの動物たちと共に箱舟の中で過ごし、古き時代から、新しい時代へと、いのちを繋いだ。
その動物たちの中で、ノアよりも、誰よりも早く、新天新地で住まいを得た動物は、鳩である。
今回は、誰よりも先んじて、新天新地の住まいを得る幸いにあずかった鳩の性質と、それとは反対のカラスの性質について、見て行きたい。

『神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。』(創世記8:1) その時、全地は、見渡すばかりの、水、水、水で、その膨大なさばきと死の水の中、ただ箱舟だけが、ぽつんと浮かんでいた。主は、その箱舟にこそ心に留められ、その中にいるわずかな生き物たちのために、地に「風(ルアッハ:息吹、主の霊)」を吹き巡らせ、徐々に水は引いてゆき、山々の頂もあらわれ始めた。
『四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、からすを放ったところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった(原文:行った、行った、戻った)。』(創世記8:6-7)
カラスは賢い鳥であるが、ノアや箱舟の生き物に対し何の益ももたらさなかった。
主人であるノアの手の中に戻らず、ノアが望んだように遠くへ行って何か情報を持ち帰るでもなく、ただ気ままに、箱舟の周辺を行ったり戻ったりを繰り返すだけで、そんな身勝手を、水が引く時までやっていた。
キリスト者の中にも、このカラスのように、何か問題が解決されたら、気ままに教会と世を行ったり来たりを繰り返し、主イエスの御腕の中に戻らず、教会にも主イエスにも、何の益をもたらさないような人がいる。
カラスは何の役にも断たないので、ノアは次に鳩を放った。鳩は、小さな羽を羽ばたかせ、力の限り飛んで行き、ノアの意を汲んで陸地を探したが、飛べども飛べども水ばかりだった。この第一回目の飛行では何も収穫は無く、鳩は箱舟のノアの手の中に帰って来て、箱舟の中で、次の働きに備えて休んだ。
鳩の二回目の働きの時、とても小さなおみやげを、くちばしにくわえて戻ってきた。その小さなおみやげは、ノアと、箱舟の中の生き物達とに、希望をもたらした。『はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。』(創世記8:11 )
そして三回目に放った所、鳩は戻って来なかった。一新して改まった世界で、最初に住処を得たのである。

後に、カラスは汚れた動物として扱われ、鳩は、貧しい人が主に捧げるいけにえとなり(レビ記1,5,12章)、かわいらしく愛される象徴となり(雅歌1,2,4章)、イエス様が生まれて八日目に割礼を施された時にも捧げられ、そして、イエス様が水のバプテスマを受け、水から上がられた時、聖霊が鳩のように降った。
鳩は、カラスより力も知恵も無いが、カラスよりも有用な働きをした。
カラスは鳩よりも力強く飛べるのにそれをせず、手近な所を行き来して、身勝手に屍肉をついばんだり、その汚れを箱舟に持ち込んだりしたが、鳩はカラスよりも遠くへ行き、希望の良き知らせを口にして、ノアの手の中に戻り、箱舟の中で休みを得て、そしてカラスに先んじて、新天新地に住まいを得た。
鳩の性質、それは素直(マタイ10:16)である。主は、カラスの知恵や力より、鳩の素直さを喜ばれる。
従わないことは偶像礼拝の罪であり、御言葉に素直に聞き従う人は、雅歌書の女のように主から愛される。
そして、鳩のように柔和な性質こそ、地を相続する性質である。(マタイ5:5)

ノアや動物たちが、やがて箱舟から去り、新天新地に行って住まいを設けたように、私達もやがて、この地上を去り、永遠の住まいへと入植する時が来る。
この地上にとどまっている間、鳩のように素直に主イエス様の用を果たし、働きから戻ってきた時には、主の御手の中へと飛び込んで行き、次なる働きの時まで、教会の中で養いを受け、新天新地においては、真っ先に住まいを得、主に捧げられる者とされ、主イエス様の元に留まる皆さんでありますように!

礼拝説教メッセージ音声:最も大切ないましめ(申命記6:1-9):右クリックで保存

今回の箇所は、イスラエルに与えられた戒めの中でも、最も重要な掟である。
『これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。』(申命記6:1)
この重要な一連の命令の中で、繰り返し命じられている事は、「聞きなさい」「子孫達に教えなさい」「守り行いなさい」である。

この、聞く事、子に信仰を受け継がせる事、守り行う事は、今日のクリスチャンにとっても大切な教えであり、それを守り行うなら、以下に記されている御言葉の通り、幸いを得、長く命を保つ事が出来、乳と蜜の流れる地で、大いに増え広がっていく事が出来る。
『これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。』(申命記6:2-3)

「乳と蜜の流れる地」は、モーセ五書では良く聞く言葉だが、乳は、聖書の他の箇所では御言葉をあらわし(1ペテロ2:2)、蜜もまた、御言葉をあらわす。(エゼキエル3:3、詩篇119:103、黙示録10:10)
御言葉に親しめば親しむ程、それは蜜のように甘く、乳のように滋養に富んだものである事が分かり、ますます豊かな養いを得て行く事になる。
それ故、私達・神の民にとって大切な事は、御言葉に聞き従い、甘く味わい、喜び、御言葉を教え継がせて行く事である。

『イスラエルよ聞け(ヘブライ語:シェマー・イスラエル)。われわれの神、主は唯一の主である。』
この、申命記6章4節の言葉は、ユダヤ教の朝夕の祈りの中心的言葉であり、ユダヤ人にとって最後に言う言葉、両親が子供に夜寝る前の言葉として教えるという伝統がある。

『あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。』(申命記6:4)
続くこの言葉も、福音書に何度か出てくる言葉で、イエス様も「律法の中で最も重要な戒め」とした。(マタイ22:37、マルコ12:30、ルカ10:27)
それ程、聖書の中で重要な言葉である。
私達もそれを忘れる事なく、誰かから「聖書の中で最も大事な戒めは何か」と聞かれた時は、すぐにこの言葉を答えられるよう、心がけているべきであり、またキリスト者であるなら、それを日々、実際的に守っていくべきである。

『きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。』(申命記6:6-7)

御言葉を子供に教える事、これも大切な事である。
今の日本では、子供の信仰については親は関与しなかったり、また、子供を生みたがらない親さえ多いが、それは聖書的ではない。
聖書の示している「子育て」の中で、最も優先すべき事は、御言葉を教えることであり、御言葉を寝ても覚めても、家の中でも家の外でも口ずさむ事である。

皆さんは、子供に習い事をさせたり、受験させたりする事以上に、御言葉を教える事に心砕いて来ただろうか。
御言葉を昼も夜も口ずさみ、守り行わせるのであれば、学業も自然と祝福され、優秀になって行く。
実際、ユダヤ人は世界の人口の0.25%しかいないのに、そのユダヤ人がノーベル賞の20%を獲得しているのは、小さいころから御言葉を昼も夜も口ずさませているからだ。
『わたしはあなたのあかしを深く思うので、わがすべての師にまさって知恵があります。わたしはあなたのさとしを守るので、老いた者にまさって事をわきまえます。
わたしはみ言葉を守るために、わが足をとどめて、すべての悪い道に行かせません。あなたがわたしを教えられたので、わたしはあなたのおきてを離れません。あなたのみ言葉はいかにわがあごに/甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました。』(詩篇119:99-104)

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