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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
ヤコブ4:1-5:右クリックで保存
韓国語通訳有

礼拝の後、皆で集会室で昼食をとるには、場所が手狭になってきました。

主がそろそろ場所を広げてくださらないかな。。。

「必ず、あなたの廃墟と荒れ跡と滅びた地は、いまに、人が住むには狭すぎるようになり、あなたを滅ぼした者たちは遠くへ離れ去る。
あなたが子を失って後に生まれた子らが、再びあなたの耳に言おう。『この場所は、私には狭すぎる。私が住めるように、場所をあけてもらいたい。』と。」(イザヤ49:19)

主日メッセージは放蕩息子の譬えからでしたが、まさしくそのような週でした。

失っていた兄弟姉妹を得て、喜びに溢れ、今まさに宴会のような感じです。

昨晩の祈祷会は、イエス様の十字架が迫ってきて、みんな泣いていました。

そしてその後、交わりが盛り上がって6,7人で教会に泊り、結局寝たのは朝5時でしたが、11時に起きてそのままファミレスで再び交わりに入り・・・。

私は礼拝準備のために抜けてきましたが、まだ交わりは続いていると思います。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。」
詩篇133編

礼拝説教メッセージ音声:捧げる事の喜び(2コリント8:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

8章でパウロは、施す事、捧げる事を勧め、その恵みと祝福を分かち合っています。
「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」(1,2節)

マケドニアの教会は、激しい試練に遭い(使徒16、17章)、窮乏の中にありました。
普通「恵み」と言えば、試練や貧しさとは真逆の事かと考えがちですが、必ずしもそうではありません。
それを理解するキーワードは、2節の「満ち満ちた喜び」です。
神の恵みとは、試練や極度の貧しさなどの状況に左右されない、満ち満ちた喜びであり、状況に左右されない平安の事です。

「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。」(4節)
この「慈善の業と奉仕」の原意は、コイノニア(交わり)です。
すなわち、交わり(コイノニア)とは、受けるよりも与える事の意味合いが強いのです。
教会や聖徒達の交わりから何か得ようという動機で、交わりを求める人もおりますが、本来交わりとは、キリストのからだである聖徒達のために捧げる事、与える事です。

マケドニアの人達は、極度に貧しいにも関わらず、むしろ喜んで惜しみなく施しました。
それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえであり(ピリピ4:18)、そして神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、私達に必要なものをすべて満たしてくださいます。(同19節)
ピリピの教会は神から栄光の富をいただき、そうして成長して行きました。
それだから、施す事はまさしく恵みだと、パウロは言ったのです。

私たちも、主にあって捧げるなら豊かに祝福され、全ての必要は満たされ、あらゆる面で富む者とされていきます。
そのように祝福される皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!
 

今日は遅まきながらのバレンタインデーの祝いという事で、男性達はレストランでスイーツをごちそういただきました。

たまたま今日お休みした兄弟達、残念でした。。。

礼拝説教メッセージ音声:御心に沿った悲しみ(2コリント7:1-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

7章全体は、パウロのコリント人達に対する信頼が回復できた事への喜びに満ちている。

パウロは1コリントへの手紙で、不品行に対する叱責をなど、結構厳しい内容を書いたが、パウロ自身、そのように厳しく戒めるのは悲しい事、嫌だった事が、8節から伺える。
彼自身、あの手紙を書いた事で心に不安を抱えていたが、しかし、パウロのその悲しみは喜びへと変わった。
コリント人達は、あの手紙によって御心に沿った悲しみをし、悔い改めが生じて良い実を結んだからである。
「つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。」(7節)

神の御心に添った悲しみは、大いに有益である。
御心に添った悲しみのメリットの一つ目は、まず、その罪による害を、もはや受けなくなる事である。(9節)

二つ目は、悔いの無い救いに至る悔い改めを生じさせる事だ。(10節)
世の悲しみは、死をもたらすだけだが、御心に添った悲しみは、逆にいのちをもたらす。

三つ目のメリットは、あらゆる良き熱心を起こさせる事である。
「神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。」(11節)
これによって、本当に罰されるべき人が処罰され、群れ全体が汚され全体が処罰される事を免れた。

このように、御心にそった悲しみは、多くの良い実を結び、神と聖徒達とを喜ばせるものである。

人に後ろ指をさされないために、決してごめんなさいを言わない人がいるが、それは強さとは言わず、愚かと言う。
悔いない心、頑としてごめんなさいを言わない心は高ぶりであり、周りの人達に悲しみや気落ちを起こさせ、結局は自分の身と周りに害を招く事である。
「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」(マタイ5:5)

聖徒達の中に罪があれば、パウロのように、悲しむ事を辞さずに指摘し、悔い改めへと導く皆さんでありますように。
そして、もし自分に悔い改めるべき所があればすぐ悔い改め、いつでも柔和な心で、大きな益を受け続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって、祝福します!

今日の文体がいつもと違うと思われた方がいるかもしれませんが、それは、いつもメッセージのテキスト起こしをしていただいている働き人・中祖兄弟が体調不良のため、パスターがしたためです。
彼が主にあって健やかに回復し、主の働きを存分にできますように、皆さんもお祈りに覚えてください。

礼拝説教メッセージ音声:くびきを共にする相手を選べ(2コリント6:11-18):右クリックで保存
韓国語通訳有

人間の教えや神学に頼らず、御言葉の真理に頼った方が良い、と、どんなに事例を示したり、論理的証拠を示しつつ説明しても、決して自分の考えを手放さないとするなら、その人は、御言葉の真理よりも、自分の納得のいく答えを言ってもらおうという願いを、決して手放さないからだ。
パウロは勧める。
「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。」(12,13節)

コリントの人達が、自分の心を窮屈にしているもう一つの理由は、一緒につながれてはならぬ者と共に歩んでいるからである。

「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛(くびき)につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。」(14節)

ここは、キリストを信じていない人と全く付き合ってはならない、という事ではなく「不釣り合いな軛」につながれてはならない、と言っているのである。
軛(くびき)とは、牛や馬などを組にさせて、2頭で車を引かせるための道具であるが、申命記22:10には、牛とろばを同じくびきにつなげてはならない、と書かれてある。

別のいのちの動物は、力も耐久力も違うし、嗜好の方向性も違うため、同じくびきにつなぐなら、当然不具合が起こる。
牛はあっちに行きたいと思っているのにロバはこっちに行きたい、といった事が起こるように、キリスト者はこれをしたいと思っているのに、不信者はこれをしたいと思って互いに引っ張られ、いつもお互いに辛い事が起きてしまう。

キリスト者は、世の中の釣り合わぬ価値観を、自分と自分の家族に取り入れてはならず、むしろ、世の中にどんどん神の国の価値観を広め、キリストを証していくべきである。
私たちが世に染まるのではなく、世を、キリスト色に染めるべきである。

私達のアイデンティティは「生ける神の宮」であり、キリストは、私達の内に住んでおられる。
キリストを宿しているからには、それに見合う聖なる者として、ふさわしく歩むべきである。

鉄と泥が決して混じる事は無いように、私たちは不信者と釣り合わぬくびきを負ってはならない。
もし祝福を得たい得たい思っているのに、どうしても得られないなら、自分の中に、神と自分を隔てている壁が存在しないかを吟味すべきである。

「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。」(イザヤ59:1-2)

皆さんは祝福を受け、安らぎを得たいだろうか?
そうであるなら、神に対して生きた者として、死んだ者としてのくびきを取り払い、キリストとくびきを共にするべきだ。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

日々、キリストのくびきを負い、キリストと歩調を合わせ、安らぎの内を歩む皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:恵みの時、救いの日の内に(2コリント6:1-10):右クリックで保存
韓国語通訳有

人は、キリストにあって神と和解し、神との間に平和が成就しました。
私たちキリスト者は、その平和の使節であり、パウロはキリストに代わって「神との和解を受け入れなさい」と言いました。(5:20)
そしてパウロは続けて、神と共に働く者として「恵みを無駄にしないように」と懇願しています。(6:1)

私たちは税金や経費精算など、身近な所では支払ったものを取り戻そうと努力するものですが、イエス様が支払ってくださった「いのち」という代金を無駄にする事は、なんと多い事でしょう。
どのようにしてムダにするのでしょうか。
それは、御言葉よりも自分の凝り固まった概念を優先してそれに囚われてしまったり、御言葉を素直に信じなかったりする事で、キリストの贖いを空文にしてしまうのです。

「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(2節)
大切なのは「今」です。
そうです。救いには、賞味期限があるのです。
恵みの時に、差し伸べられた救いの御手に応じるべきであり、明日に引き伸ばす事無く、救いの告げられた日の内に、素直に受け入れるべきなのです。

パウロは自分を、神のしもべとして推薦している、と話しております。(4節)
それは、この奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも、人につまづきとならないために、です。

私たちが神のしもべとして福音を伝えているのに、その私達事態がしっかりしていなくて、私達の存在が逆につまづきのきっかけとなり、福音の妨げになるような事は、あってはなりません。
だから私たちは、この身をもって、神の栄光を現す器として、整えられなくてはなりません。

「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。」(8節)
悪評を受けるのは望ましくないと感じるものですが、最も良くないのは、好評も悪評も無い事、つまり、何も伝え無い事です。
私たちがすべきことは、まず御言葉をのべ伝える事です。

「人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、 悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(9,10節)
私達は、弱い時にこそ強いのです。
なぜならキリストの力は、弱さのうちに完全に現われるからです。(2コリント12:9)
求めるべき事は、私たちが強くなる事ではなく、私達の内におられるお方に働いていただく事です。

どうか、このイエス・キリストにある、大能の力に満ち溢れ、どんな時にも、いかなる困難においても、全てにおいて全てを満たすお方に働いていただき、このお方を表現する皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:託された和解のつとめ(2コリント5:16-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しい者が生じた。」(17節)

私たちはキリストにあって、生まれながらの自分とは全く違う、全く新しい人間となります。
血筋も、能力も、誰かからの支配も、外見も関係無く、ただ神によって、新しくされるのです。

「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1章12-13)

新しく変えられるのは、血筋や肉体的性質に留まらず、遺伝的な病気や、家庭内の虐待や歪んだ育て方によって染み付いてしまった、呪われた生き方からも解放されます。
そのようにキリストによって新しく造り変えられたという証は、キリスト者達から沢山聞くことができます。
キリストは、生きておられるのです。

「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」(16節)

この世は、血筋や能力、どこに属しているかなど、目に見えるものさしで人を判断しますし、自分の事も判断します。
しかし、キリストにあって新しく生まれた以上、そのような肉的な標準で自分を計る必要はありません。
キリストを信じた者にとって重要なのは、「私が何者か」ではなく「私の内におられるお方は何者か」だからです。
「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(1ヨハネ4:4)

キリストは神と私達と間を、和解させてくださいました。
今、イエス様は肉体をもってこの世におりません。だから和解のつとめは、肉体を持ってこの世にいる私たちに、課されているのです。(18節)

「ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」(20節)
私たちがキリストの使者である以上、まず、キリストというお方の人となりを、そして神の意図している事を、正確に知り、伝える必要があります。
そのためにはキリストを知る知識の霊がさらに与えられるよう、祈り求めるべきです。

「キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:17-19)

イエス様の名前によって祝福します!

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