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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:向きを変えて出発せよ(申命記1:6-8)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

先週の昼の会合で、当教会は、これから礼拝を日本語のみにして行こう、という方向性となった。

主にあって進んで行く先は、分からなくとも、祝福がある
信仰生活をして行くならば、慣れ親しんだ所にいつまでも留まるという事はなく、主が道を示してくださるなら、いつでもその地へと導かれつつ進んで行くべきだ。
行く先は見えないかもしれないが、主が行くように言われたその先に待っているのは、必ず祝福である。
「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1-3)

自分の願いではなく御心が成るように
その上で取るべき心構えは、自分の願いではなく御心を選択する(ルカ22:42)という事だ。
今回、天声教会の開拓当初から霊的にも物理的にも骨折っていただいた鄭先生や聖徒達が、主の御心を最優先するという英断をしてくださったからには、その姿勢を全ての聖徒達が模範とすべきである。
教会の前進においては、誰かがすたれ、誰かが栄える、という事は全く無い。
バプテスマのヨハネは、人々をキリストへと導くミニストリーを展開したが、キリストが現われ、キリストが盛んになった時、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」と言った。(ヨハネ3:26-30)
すたれるべきは誰や彼ではなく、私達全員である。主イエス様だけが栄えるべきなのだ。

キリストにあって一つとなれ
今まで慣れ親しんできた形式から離れるため、当然、不便を被る方もおられる。
そうであるからには、私達聖徒達は今まで以上に一つとなり、愛をもって互いに助け合って行く必要がある。
「主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハネ13:14)
言葉が違う者同士集まってはいても、私達は主にあってひとつであり、同じ天国民であるから(ピリピ3:20)同じ思いとなり、愛を結びの帯として心を一つにキリストの喜びを満たしていくべきである。(ピリピ2:1-2)
「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。 ・・・ そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:9-11,14)

「天声教会」とは
そして、私達が中心とするお方は、まことの大牧者なる主、イエスキリストだ。
この群れが集うのは、同じ言葉の元ではなく、誰々さんや誰々先生の下に集うのでもなく、同じ主であるキリスト・イエスの名の元に、である。
天声教会という名は、天からの声すなわちモーセでもエリヤでもなく、あの師でもこの先生でもない、ただイエスキリストの御声に聞き従う教会を目指すものとして、名付けられた。(マタイ17:4,5)
主が明らかに方向性を示して下さっているのであれば、迷わず、確信をもってその道を進めば良い。
そういうわけで私達は、人間的な心地よさに留まり続けるのではなく、主が示して下さる方向へと足を踏み出し、愛を持って互いに仕え合い、大牧者なるキリストの声を聞きつつ歩んでいくのみである。
主が示される先には必ず祝福が待っているのだから、大胆に進み行き、祝福を勝ち取って行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:生まれる前から選ばれた(ローマ9:19-23):右クリックで保存
韓国語通訳有

神様は元々、救われる人を、その人が生まれる前から選ばれているのだろうか?
答えは、イエスである。
では神は、救いの器と、滅びの器を、おまえはあっち、おまえはこっちと、好き勝手に選別するのだろうか?
聖書を読んでいくと、救われるか滅びるかは、神の側の一方的な選びだけではなく、人の側の責任も関与している事が分かる。
「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。」(ローマ1:24)
もし人が、あくまで欲望のままに歩むなら、神はその人を望むままに、汚れへと引き渡されるのだ。

そもそも、この世はなぜ、滅びの器と、憐れみの器が混在するのだろうか?
マタイ13章24-30の毒麦のたとえを見ると、世という畑には、神の蒔いた良い麦と、敵(悪魔)の蒔いた毒麦が混在している事が分かる。
毒麦を巻いた張本人がサタンであり、サタンの根本的欲求は「自分が神のように高められよう」である。(イザヤ14:12-15)

神は元々、人をあわれみの器として、作られた。(創世記1章)
しかし悪しき者が蒔いた種の子孫もいて、この世は良い麦と毒麦の混在状態である。
サタンは何故赦されないのか?
それは、人は唆されて御言葉に背き、神から離れてしまったが、サタンは誰にも唆されず、自らの意志で反逆し、高き者になろうとしたからである。
そのサタンが、世の中という畑に毒麦を蒔いて行き、その毒麦が誰の目にも明らかな「毒」を結んだのであれば、当然の結果として、火に投げ込まれるのである。

神は何も、好きこのんで人間を頑なにしたり、滅びの器に定めたりするわけではない。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」(エゼ18:23)
むしろ神は、人を憐れもうとするが故に、一人子を世に与え、その大切な一人子を身代わりの十字架につける程の憐れみによって、憐れもうとされたのである。

主は、偉大な寛容さをもって、忍耐しておられる。
「もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。」(ローマ9:22)

こういうわけで、神は徹底的に義なる御方であり、公平で正しい御方なのである。
むしろ、良い逆らう私達の方に、問題があるのである。
私たちは、神が不公平だといって、神を裁いたり計ったりするのではなく、むしろ、神が私達に一人子を賜るほどに愛し、憐れまれたことを、感謝すべきである。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:4,5)

私たちを、憐れみの器として、世界のはじまる前から愛をもって定めておられた神様に、栄光と祝福がありますように。

新潟にて

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-9-23 23:00

今、新潟で皆を祝福の内に見送った所です。

7月終わりの引越しの時みたいに、見送りが終わったとたん、大粒の雨が降り始めました。

今回、みんながイエス様に救われた時の分かち合いをし、イエス様に感謝を捧げ、とても喜びに溢れた会となりました。

横浜では、聖徒が帰る所を一人ひとり祝福の祈りで送り出していますが、新潟の兄弟姉妹も同じように祝福で送り出していていました。

主がこれから、どう祝福して下さるのか、とても楽しみです。

礼拝説教メッセージ音声:ある人を神が頑なにされる理由(ローマ9:10-18):右クリックで保存
韓国語通訳有

「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。」(ローマ9:13,14)

神がエサウを憎んだのには、理由がある。
ヤコブとエサウが生まれる以前から、祝福されるのは弟ヤコブである、という選びは、確かにあった。
しかし実際は、エサウはアブラハムの子であるゆえに祝福され、400人の奴隷を抱えるほど、持ち物は有り余っていた。(創世記33:9)
では「エサウを憎んだ」とは何か。
この言葉は、旧約の最後の書、マラキ1章からの引用である。

エサウの子孫(エドム)は、選びの民であるヤコブの子孫を助けてその祝福に預かっていれば良かったのに、高慢になり、ヤコブの子孫にひどい仕打ちをした。(オバデヤ書)
つまり時系列で言えば、エサウは当初、神の祝福に与って増え広がって行った。
しかし子孫になるにつれ高慢となり、行状も悪くなって行き、だから、神はエサウを憎んだ、という順番である。
神は、選びの民を祝福する者を祝福し、呪う者を呪われる。(創世記12:3)
そして行状を改めない者に対しては、「主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。」(オバデヤ15節)

もう一つ、神様が約束の子を引き立てるために用いた器が、エジプトのパロである。
「聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。」(ローマ9:17)

エジプトは、ヨセフの統治に任せた結果、世界一強く豊かな国へと祝福された。
にもかかわらず、彼らが神の民にした事といえば、400年もの間奴隷としてこき使った挙句、神の民の祝福を妬んで、男の子が生まれたらナイルに投げるようにさえ指示して、虐待の限りを尽くした。
それだから神はパロの心を頑なにし、エジプトを神の栄光を現す器として、用いられたのである。
エジプトに1回、2回と災いが下るたびに、パロはかえって心頑なとなり、神の言葉を拒んで行き、結局10の災いが下った。

結局、誰の目にも明らかに、神の民は正しくエジプトは間違いである。
そして神は正しく義であり、神に言い逆らう人が不義なのである。

神は確かに人の心を頑なにされるが、人が滅びに至るのは、人の側にも責任はある。
「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。」(ローマ1:24)
人があくまで欲望のままに歩むなら、神はその人を、そのまま汚れへと引き渡される。

神は、何も好きこのんで、人を頑なにしたり、滅びの器に定めたりするわけではない。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」(エゼ18:23)
むしろ神は、人を憐れもうとするが故に、一人子を世に与え、その大切な一人子を身代わりの十字架につける程の憐れみによって、憐れもうとされたのである。

神は人に、幾度も預言者を遣わし、立ち帰れ、帰れ、と何度も促されてきたのに、イスラエルは立ち返らなかった。
それだから、イスラエルはバビロンに引き渡されたのである。

私たちは、神が不公平だといって、神を計り裁くのではなく、むしろ、神が私達に一人子を賜るほどに愛し、憐れまれたことを、感謝すべきである。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:4,5)

私たちを、憐れみの器として、世界のはじまる前から愛をもって定めておられた神様に、栄光と祝福がありますように。

久しぶりの配信です。

久しぶりで何ですが、私と川合さんは明日より23日まで新潟に出張する予定です。

それに伴い、その間のメッセージアップは、お休みさせていただきます。

鄭先生は昨日韓国に帰られました。

暫く先生が奉仕して下さっていたので、私は家族一同と久しぶりに会ったり、三浦半島の海岸巡りをしたりと、ゆっくり過ごせました。

礼拝説教メッセージ音声:救いを受け入れない者への神のうめき(ローマ9:1-12):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロはユダヤ人同胞から数多くの迫害を受け、幾度も陰謀によって陥れられたり、時には石打にさえ遭った。
それなのに彼は、同胞を思って深く悲しみ、心痛め、しかも、同胞のためになら、自分がキリストから引き離され、呪われた者となって良いとさえ願うほどだ。
彼はなぜ、そんなにもユダヤ人のためにうめくのだろう。

そのうめきは聖霊によるものであり、そして神のうめきである。
神はイスラエルを救おうと数々の預言者や、一人子イエス様さえ遣わして、救いの道を示して来たが、彼らはその救いを受け入れなかった。
イエス様も、エルサレムに登られた時、都を見て泣かれた。

パウロは8章において、世の何者も引き離すことの出来ないキリストの愛のすばらしさを説いたが、ユダヤ人達はキリストを受け入れないがために、せっかくのその素晴らしい愛と贖いを受けられないという、「大いなるもったいなさ」を嘆いている。

もちろん、ユダヤ人達がキリストを受け入れないからといって、神の約束が無効になるわけではない。
イスラエル人(アブラハムの血縁)だけが救われる、というわけではなく、御言葉の約束を信じる者こそ真にアブラハムの子孫と見なされ、救われるのである。

事実、ユダヤ人が福音を受け入れないから、その福音は世界に広まり、多くの異邦人たちが信じてアブラハムの子孫に加えられている。
神は、神の約束を信じきれずに、人間の力によって先走った結果生み出した「イシュマエル」を祝福するのではなく、神の約束を人間が受け止めた結果生まれた「イサク」を祝福するのだ。

救いが成就するのは、神の側から救いの約束が示された時、人が自由意思をもってそれに応答するなら、である。

しかし、パウロの時代のイスラエルは、神の側から差し伸べられた救いの手を、掴まなかったため、救いを逃してしまった。
同様に、この時代の日本も、神から示された救いの道を掴まず、数々の災いに遭っている。
そんな日本のために神と共にうめき、とりなし、そして約束の御言葉を自らしっかり掴んで、祝福をたくさん掴み取る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

焼き鳥屋は祈られているので、やはり祝福されています。
祝福を妬む人から、妬むきっかけが取り除かれましたし、大量の什器が余っていたのでどうしようかと思っていたのですが、ちょうど料理屋を開業したいという人と繋がりが持てて、彼我の需要と供給が一致しました。

さて、今韓国から鄭先生が着いたそうです。

以前アナウンスしましたとおり配信は暫くお休みさせていただきますが、朝夕の祈祷会や礼拝は通常通り行い、また水〜金は午後1時から礼拝がもたれます。

礼拝説教メッセージ音声:圧倒的な勝利者(ローマ8:31-39):右クリックで保存
韓国語通訳有

御父は私達全てのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡されたほどに、愛してくださった。(32節)
御子キリストは、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださる。(34節)
御霊は弱い私達を助け、深いうめきによって私達のためにとりなして下さる。(26節)
このように、父、子、聖霊なる神が、私たちのために執り成し、愛し、守っていて下さるのだ。
一体だれが、私たちに敵対できるだろうか。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(8:35)
世にある限り、魂に訴える困難(艱難、苦しみ、迫害)や、肉体に訴える困難(飢え、裸、危険、剣)があるが、それらはキリストの愛から引き離す事は出来ない。
それらの内にあっても、私達はキリストにあって勝利者以上の勝利者、圧倒的な勝利者である。
それはそれら全ての訴える者どもを私達の主イエス様が打ち破り、勝利され、をして私達も勝利に連なる者とされたからである。

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38,39)

ここにリストアップされているのは、私達の力ではどうにもならない被造物であるが、それらさえも、神の愛から私達を引き離すことはできない。
主は最終的に死を火の池に投げ込み、後のいのち(zoe)に移っても決してキリストの愛から離される事は無く、諸々の権威を委ねられた御使いも、後に来る竜や獣、アポリュオンなども、
また、崇高なるものも、深遠なるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、私たちを引き離すことはできないのだ。

礼拝説教メッセージ音声:想定以上の「益」(ローマ8:26-30):右クリックで保存
韓国語通訳有

あの事を祈るつもりで祈り始めたのに、別の事を祈るよう促され、何時の間にかそちらを祈っていた、あるいは、訳も分からず深いうめきが来て、涙の内に言葉にならない祈りを何時間もしていた、といった事があるだろうか。
それは“霊”(御霊)が導いておられる時だ。
「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8:26)

御霊は、人の思いや知恵によってではなく、神様の御心によって、人を正しく探りきわめて下さる。
そのため、御霊は私達以上に私達をご存知であり、取り巻く状況がどうであるかを私達以上にご存知であり、私たちの表層意識に上らない事も、私たちが知らない事さえも探り極め、うめきつつ執り成し祈って下さるのだ。

御霊、すなわち弁護者は、永遠に、いつも、私達と一緒にいて下さる。(ヨハネ14:16)
たとい私達が、ちょっと神様には目をつぶっていて欲しいような時でも、御前に都合が悪いような時でもいつも共におられ、御父の御前で弁護していて下さる。
そればかりでなく、私達に全ての事について教えて下さり、そして、イエス様が話してくださった御言葉を思い起こさせて下さるのだ。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28節)

これは「今の状況は私の望むものではないけれど、将来きっと神様は、私の望むあの状況にして下さるだろう」というようなものではない。
神様は、私達が思う「益」よりも遥かに勝る「益」を用意していて下さる。
その「益」とは、「御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められ」(29節)ている事である。
つまり「御子の姿」こそが、私達の目指すべきゴールであり、全ての事を働かせて下さる事の、行き着く先である。
御子の形・・・それは、十字架と復活を通った、栄光のキリストの形であり、イエス様が世の始まる以前から持っていた極めて優れた栄光だ。

この目標に向かって、日々導かれていく皆さんでありますように。

お知らせ

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-9-11 18:12

13日(火)より韓国長老教会の牧師・鄭先生がゲストとして来日し、以下の礼拝にてメッセージの奉仕をしてくださいます。

・14〜16日の朝5時からの早天礼拝と昼13時からの学び会
・18日の主日礼拝
・19日の早天礼拝

それに伴い、その間のメッセージアップはお休みいたします。
その週、私は久しぶりに、ゆったり過ごさせていただきます。

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