• カテゴリ 礼拝メッセージ説教音声配信 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

早天礼拝
自分の思い・意思・感情を御前に捨てて、永遠のいのちを獲得する(ヨハネ12:12-36)
Youtube動画

第二テモテ 講解説教 水曜夕礼拝
主のしもべは争わず(2テモテ2:23-26)
Youtube動画

 

エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
反逆に対するさばきの向こうに備えられた希望(エレミヤ52:17-34)
Youtube動画

 

早天礼拝
主に起立して迎えられたステファノス:冠(使徒7:44-60)
Youtube動画

 

主日礼拝
神と人とが一つになるための条件:アーメン(ルカ1:26-56)
第一礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)

 マリヤは『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』と信仰告白した(ルカ1:37-38)。主のご到来を待ち望むこの時、私達はどのような態度で待ち望むべきか。今回はマリヤから学びたい。
 
 前回、ザカリヤは、主の言葉を信じず、「私は何によってそれを知ることができましょうか」と、自分が理解する事を求めたため、口が閉ざされてしまった。それに対しマリヤは、神のことばが「成るように」と言って、主の言葉を100%受け入れた。エリザベツはそんな彼女を評価する。『あなたは女の中で祝福されたかた・・・ 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう』(42-45節)
マリヤも言った。『今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう』(48節) 全世界・全時代で一番幸いな人とは、神のことばを100%受け入れる人、すなわち、神の言葉に「アーメン」する人である。
神の言葉に対するアーメンは、本人自身と神の言葉とを「ひとつ」に結びつける意思表明である。
 マリヤは主を賛美している。『主は、憐れみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けて下さいました、わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえに憐れむと約束なさった通りに。』(54-55節)
 主が助けて下さる相手は、「イスラエル」である、とマリヤは言った。「イスラエル」の名の意味は、神と苦闘する、すなわち、神と粘り強く関わろうとする人である。全て神と必死で関わろうとする人は、イスラエルであり、また、主がとこしえに憐れむ、と約束された相手は、「アブラハムとその子孫」である。私達も、神に粘り強く関わろうとし、また信仰の父・アブラハムの「子孫」となるなら、神は私達に憐れみを注ぎ、助けて下さる。
 
 私達の信仰の父・アブラハムは、なぜ義とされたか。それは、神の約束に対しての「アーメン」によった。
「アブラムは主を信じた(アーマン)。主はこれを彼の義と認められた。」(創世記15:6) ここのアーマンはアーメンの元となる動詞で、「建てあげる、サポートする、忠実にする、看護する」の意味もある。
また、この箇所では使役態が用いられているので、「アブラムは(自分自身を)主へと信じさせた」と訳せる。
 人が義とされるのは、本人自身の意思をフル稼働させ、自らを主へと信じさせ、自ら、主の言葉をサポートし、建てあげる事による。ダビデが『わがたましいよ、主をほめよ』と、たとえそのような気分でなくとも自分のたましいに言い聞かせ、主をほめたたえたように、自らを信じさせる事が、神に義と認められるのである。
 神の言葉は、にわかには信じ難い事ばかりである。そんな事は有り得ない、と思えるような事でも、自分の納得や理解は投げ捨て、神の言葉への「その通りです」を自分の中に建てあげ、自分自身を神の言葉と結びつけるなら、そのアーメンによって神の力のエンジンがかかり、絶対起こり得ない事が実際に起きる。
 しかし、ザカリヤのような、「わたしが理解できるよう証拠を見せてください、それなら信じます」と言うような心構えなら、前回見た通り、「口を閉ざされてしまうしるし」が与えられ、強制的に黙らされてしまうのだ。
 マリヤは彼女の讃歌の中で、主は、頭が自分の思いで凝り固まった者を追い散らされる、と歌っている。
 『主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし・・・富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。』(51-53節) 主は、神の言葉を押しのけて、自分の思いを優先させ驕り高ぶっている者は、追い散らし、傲慢に富んでいる者は、何も与えないまま帰させる。
 
 期待しない、アーメンしないけど、祝福されている信仰者にはくっついて行って、利益を得ようとする者も、ちゃっかりと祝福を受ける。ロトは主とくっつく事はしないまま、祝福されているアブラムと行動を共にしてお金持ちになったが、結局、自分の目で見て良いと思う方に進んで行った。それで彼は、アブラハムと別れた後は、ただ落ちぶれるだけであったが、逆にアブラハムは、ロトと別れると直ちに祝福が増し加えられた。
 100歳のアブラハムに子が与えられたのは、100%神の力によった。マリヤがイエス様を身ごもったのも、100%神の力によった。いずれも、自身のアーメンの言葉によって神の力が働き、現実世界を動かしたのだ。
 聖書の一番最後は、聖徒による神の約束へのアーメンで締めくくられる(黙示録22:20-21)。創世記から黙示録までの、神の言葉の全てに対して「アーメン」があればこそ、聖書は、人を罪と死から救い、永遠のいのちを生きる神の力が発生するが、信仰者の側にアーメンが無いなら、ただの本に過ぎなくなってしまう。
 マリヤのように、アブラハムのように、神の約束に積極的にアーメンし、自分自身と神の言葉をひとつに結びつけ、神のわざの実体が現れる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

早天礼拝
いのちを支配する主に呼ばれて天に帰る(詩篇90篇)
Youtube動画

________________ 
 

第二テモテ 講解説教 水曜夕礼拝
汚れた言葉から離れよ(2テモテ2:14-22)
Youtube動画

_________________ 

エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
エレミヤ書という失敗談(エレミヤ52:12-23)
Youtube動画

_________________ 
1列王記9:1-9
黙示録3:11-13
 

エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
エレミヤ書という失敗談(エレミヤ52:12-23)
Youtube動画

_________________ 
1列王記9:1-9
黙示録3:11-13
 

早天礼拝
とりなしによって罪が赦され癒やしが起きるメカニズム(ルカ5:17-26)
Youtube動画

__________________ 
昨日、働き人のお父さんの癒やしと、ご家族に福音を伝えるために、伊豆の病院へ向かった。
ICUは家族親類以外はだめなので、行っても中に入れるかどうかは分からなかったが、祈りつつ行ってみると、主の特別なはからいがあり、許可をいただいて入ることが出来た。
のみならず、通常は30分ほどしか許されていないICUの面会なのに、1時間半ほど居ても大丈夫で、じゅうぶん祈る事が出来た。
 
御言葉を耳元でささやくと、反応があった。
3人で手を置いて祈っていたら、冷たかった所が温かくなって来た。
また、体内に溜まって悪さをしていたガスが、口から「ゴポッ」と音を出しながら出て行っていた。
体は意識不明であっても、霊は確かに生きている。
霊と肉は、別物であるから(マタイ26:41)、意識不明であったとしても、信仰をもって語りかけるべきだ。
 
本人の信仰や祈りは0%でも、第三者の信仰やとりなしの祈りが100%で、癒やしが起きたケースが、聖書に幾つかある。
百人隊長のしもべの癒やし、会堂管理長ヤイロの娘など。これらの癒やしは、どのようなメカニズムで起きるのか。
 
次の御言葉を注目したい。
 
ルカ5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
 
彼ら、それはこの中部病の人を運んだ4人である。イエス様は彼らの信仰を見て、「人よ(単数)」あなたの罪(複数)は、ゆるされた、と言った。
ここも、4人のとりなしのわざによって、イエス様に運ばれて、イエス様から罪のゆるしと、いやしのわざをいただいたケースである。
 
癒やしと、罪のゆるしは、切っても切り離せない関係がある。
 
ヤコブ5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
 
罪のゆるしが起きてから、癒やしが起きる。ローマ6:23 罪の支払う報酬は死である、と書いてある。
 
原罪があるから罪々を犯し、病が起き、死ぬ。
犯してしまう罪々は、サタンにつかまれてしまう「取っ手」のようなもので、罪々を抱え持っているなら、サタンに掴まれ放題である。
しかし、罪の問題が解決されるなら、サタンの取っ掛かりはなくなり、病や死がその人を掴む理由を失い、いやしが、救いが湧き起きるための取っ掛かりを得る。
そして、その、第三者の罪の問題を解決させるのが、愛である。
 
中風病の人を担いだ4人のわざも、百人隊長のケースも、会堂管理長のケースも、全て、愛がいやしの原動力だった。
 
1ペテロ4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」
 
だから、愛をもったとりなしによって罪は覆われ、罪が覆われたなら、死が、サタンが取っ掛かりを失って、病は、簡単にはがれるようになる。
そして、癒やしが起きるのである。
 
ローマ6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
 
上記箇所の「罪」は単数形で、原罪、諸々の罪の根っこと言える。
罪々は愛のとりなしによって覆われても、この、原罪を取り扱えるのは、ただ主イエス・キリストの賜物(100%与えられるもの)であり、イエス・キリストを信じる事によってしか、救いは得られない。
 
だから、熱心に愛し合い、また、祈る事、聖徒の交わりが重要である。
私達が救われたいと願っている人が、イエス・キリストから罪のゆるしと癒やしをいただけるように、その人を運んで、屋根をはがして、4隅を吊るして、でも、イエス様の元に導くわざを、今日も、これからも行っていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest