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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

ぶどう園の忍耐強い主人と悪い農夫(マルコ12:1-12)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

雇われている農夫が収穫を納めず、主人の僕達を、ましてや一人息子を殺す事など、あってはならない。
そこまで忍耐強いというか、愚かなほどお人よしな雇い主はいないし、報復を受けて当然な行動をするような雇われ人も、現代社会にはいない。
しかし愛なる神は人には愚かに見えるほど忍耐強く人を救おうと何度も使いを送り、人は、そんな事すれば報復を受けて殺されるだろう、と先読みをあえてしないほど、愚かなのだ。
天の父はまことの農夫、主イエスはまことのぶどうの木であるが、その父に代わってこの世界というぶどう園を管理し、主イエスが結ぶぶどうの実を本来手入れするよう、人は任せられている。
私達は良き忠実な僕としてこの世を管理し、イエスの結ばせてくださった良き実を、父なる神様にお返しすべきである。
主は人には捨てられたが、このお方を礎として忠実に歩むなら、ぶどう園を継ぐ事ができるのである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

何の権威によって(マルコ11:27-33)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

人が何かをしている時、その行為の正統性の裏付けとして、何の権威によって行い、その権威は誰が授けたのかを知りたがるが、天の御国の活動をする上での権威は、父なる神様から直接与えられる。
キリストこそ、天においても地においても来るべき世においても全ての権威の頭であり源であり、教会はそのお方の満ち満ちている所である。
それゆえ私達はキリストの権威を用いて全ての民に福音を伝え、洗礼を授け、弟子とするべきである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

なくならない食物、湧き上がるいのちの泉であるイエス 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

10/11/14 週報

世間一般の人が「キリスト教会」と聞くと、どういうイメージがあるだろうか。
教会では、お金や食べ物に困っている人を助けるといった「慈善活動」をする、あるいは、社会的弱者を擁護するために署名活動したり政治と戦ったりするような「社会活動」をする、あるいは、ゴスペルや外国語教室など「文化的活動」をする、といったイメージがあるかもしれない。
しかしそれら慈善・社会・文化的活動は副次的なものであって、本体ではない。
「教会はキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしている方の満ちておられる場です。」(エペソ1:23)
教会はキリストというお方を伝える事が本来的な役割であって、イエスキリストを中心とした生活をし、このお方を中心とした者達で交わるうちに、前述したような活動が、副産物として生まれてくるのである。

そういった副産物を求めて教会の門を叩くのは、福音に入る取っ掛かりとなるため大いに結構な事である。
しかし、いつまでもそうした副産物を、ただ受けるだけの人、ただ与えるだけの教会は、本質を外している。
人は何を教会から受け、教会は人に何を与えるべきなのだろうか。それは、キリストである。

主が5千人にパンを与える奇跡をした後、群集はイエスを探し出したが、その群集にイエスは「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6:26,27)と言われた。
困って教会の門を叩く人々は、いっときのパンやお金、精神的な満たしなどを教会に求めがちであるが、そうした物はいつか使い果たしてしまうもので、あげてももらってもキリが無い。
群集は「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」(6:34)と言ったが、主は「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と言われた。
教会は本来、肉体・精神・物質全ての満たしの根源であるお方、まことのパンなるイエス・キリストを提供するべきである。

人は本質的に、自分の事しか見ておらず、人が言っている事は中々理解できないものである。
主の元に何かを求めて来る者は多いものの、主が私達に求めておられる事は聞かず、守らないものである。
主は耳が聞こえず舌の回らない人を癒した際(マルコ7:31-37)、彼を群集から隔離して、指を両耳に差し入れ、唾をつけてその舌に触れられ、天を仰いで「エッファタ」(「開け」という意味)と言われ、癒された。
主は群集にこの事を口止めしたが、口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
それ以前にも、主が口止めしたのに言い広められて、公然と歩くこともできなくなってしまった事があった。
主が口止めするのは「癒してもらえたぞ」「パンがもらえるぞ」と言った表面的な祝福、副産物だけを言い広める者に対してであり(マルコ1:44)、主がどんなに憐れみ深いお方か、どんなに良いお方か、つまりキリストという「お方」を言い広める事は大いに勧めている。

主が癒しや開放の良きわざを為し、見えない人の目が開かれ、聞こえない人の耳が開き、口の利けなかった人が喜び歌うのは、イザヤ35章の預言の成就であった。
その預言は、現代の私達に対しても成就するのであり、イエスを信じた者には、既に成就している。
私達の人生がいかに砂漠のように味気無く、花が無くても、花が盛んに咲く人生となり、あらゆる束縛は解放され、水の湧かない砂漠のような私達の心に対しても、主はエッファタと言って下さり、永遠のいのちに至る泉が開き、いつまでもなくならないいのちの水がほとばしり出るようになる。

主イエスから「エッファタ」と言っていただき、祝福が開かれ、御言葉に対する耳が開かれ、賛美の口が開かれ、腹の底から生ける水が川々となって流れ出る皆さんであるように、イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

山が海に移る信仰(マルコ11:20-25)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

神殿があればその町は滅びないのではなく、神の箱を持ち込めば勝てるのでもない。
神を信じる信仰によって勝利を得るものであり、滅びない保証を頂けるのである。
祈りが聞かれないのは欲望による悪い動機で祈るからであって、例え何万回同じ言葉を繰り返しても自分の体を傷つけても決して聞かれない。(ヤコブ4:1-4)
動機は人間によるのではなくキリストによるべきである。
信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞く事による(ローマ10:17)。つまり、信仰とは口を膨大に使うのではなく、まず耳を使う事である。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

霊的な実と収穫(マルコ11:12-14,20,21)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

イエスが憤られ神殿内を清められたのは、当時神殿において、礼拝者の心を利用した独占的な搾取が行われていたからだ。
現代、神殿とは私達のからだを示し(1コリント3:16)欲望の取引をする強盗の巣としてはならない。
もしそうなっているなら、主イエスが入り込んで清めてくださるのは幸いである。
祈りの家とは本来喜ばしいものであり、私達の体はいつも祈りと喜びで満たしているべきである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

癒されたなら(ルカ17:12-19)礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

10人のらい病人の所にイエス様が通られた時、彼らは遠くからイエス様に助けて下さるよう叫んだ。
イエス様は癒すと言う事も手を置く事も無く、ただ行って祭司に見せなさい、とだけ言われた。
彼らはその言葉を信じ、実際に自分の足で祭司の所へ向かったが、行っている最中に、全員癒された。
主は時に、私達自身が自ら体を使って信仰を表明する事を要求されるが、その通りにすれば癒しが行われる。
しかし彼らの内、イエス様にお礼するために戻ってきたのは外国人一人だけであった。
イエス様は自動癒し販売機ではなく、人間として関わりを求めておられ、癒された喜びを共に分かち合いたいのである。
もし癒されたり問題が解決したのなら、主の元に言ってお礼し、喜びを分かち合い、主から「安心して行きなさい」というお言葉を頂く皆さんでありますように。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

霊的な実と収穫(マルコ11:12-14,20,21)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

イエスはなぜ実がなる季節ではないのにいちじくの木を呪ったのか。
この後彼は神殿へ行き、商人達を追い出されるが、主の喜ばれる実が無く「人間の取り繕い」といういちじくの葉だらけのものは呪われ枯れてしまう。
主の喜ばれる実、食べ物とは、御心を行いそのわざを成し遂げる事(ヨハネ4:31-38)であり、主に繫がってこそ実を結ぶ事ができるである。
たとえ人の目にはその季節でなくても実を結び、私達は主が労苦して種を蒔いて下さった実を刈り取る事ができるのである。横浜天声キリスト教会 copyright 2010

仮庵祭としゅろの枝とエルサレム(マルコ11:7-11)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

仮庵祭はしゅろの枝を持ち7日間喜び祝うが、ことばなるイエスは肉体という仮庵に宿り、エルサレムの群集に喜んで迎えられたが、その1週間後には群集から嘲られ、十字架につけられた。
ろばの上のイエスはどんな表情だっただろうか。
しかし主はまさしく、このエルサレムの真っ赤な罪を雪のように白くするために身代わりとして来たのだ。
花嫁として整えられる新エルサレムは、イエスの血によって衣を白くした大勢の群集が、しゅろの枝を持ち、まことの夫イエスを迎え入れ、永遠に共に住むのだ。
横浜天声キリスト教会 copyright 2010

主のご指名は雌ろばの子の子ろば(マルコ11:1-6)한국어예배 礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

大事な所へ入場する場面で乗り物を選ぶなら、普通は高級で格好の良いものを指名するものだが、主が指名されたのは、誰も乗ったことの無い子ろばであった。
この場面はゼカリヤ9:9にて預言されていたが、かの王は戦いを止めさせる柔和な平和の王。
主があえて取るに足らない者を用いられるのは、力ある者をさげすみ知恵ある者をはずかしめるため。
あえてろばの子を指名してくださった主は、私達も主のご入用として用いてくださるのだ。
横浜天声キリスト教会 copyright 2010

何によって一つとなるか(ピリピ2:1−11)礼拝メッセージ音声(右クリックで保存)

10/11/7 週報

「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。(ピリピ2:2)」
「一致」「志を一つに」という言葉はキリスト教会においても頻繁に使われるが、誰かの考え方やイデオロギーを中心にして、人々を従わせるかのような誤解を招きやすい。
キリスト教会に限らず、幾多の組織が、志を一つにして彼らの正義の名の下に人を支配し、それに逆らう者は攻め、殺して来た。
パリサイ人は自分達の神学を第一とし、それに同意しなければ追放し、神の子イエスさえ十字架につけた。
志とは、私達の中にそうっと置かれ、主から差し出された分に自発的に応答するものであって、人の議論や会議などによって導きだされるものではない。(ピリピ2:13)
天声教会では会議を開いた事が実は無いが、会議をする時は使徒15章のエルサレム会議のように、人の慣習や人の良かれと思われる事ではなく、あくまで主の御心、主のよかれを優先させるべきである。

人間の意見による一致の極み:バベルの塔
人々が主体となり、一丸となって構築した究極の建造物が、バベルの塔である。(創世記11:1-9)
「頂が天に届く塔を建て、名を上げよう」(創世記11:4)という性質は、「私は天に昇ろう、いと高き方のようになろう」(イザヤ14:13)というサタンの性質と、同じである。
バベルの町のトップに君臨していたのは地上で最初の権力者でもあるニムロデ(反逆者という意味)で、彼はシヌアルの地にバベル、エレク、アカデの王国を建てた。(創世記10:8-10)
シヌアル(追放する、撒き散らす)の地はメソポタミア平原、すなわち後のバビロン、今のイラク地方に位置するが、この地は代々、神の民を誘惑し(ヨシュア7:21)、神の国のものを奪って来(ダニエル1:2)、罪悪が神殿に安置される所(ゼカリヤ5:11)である。
私は幼い頃、人類歴史は何千年も続いているのにどうして平和が実現しないのだろう、文明が進歩し、国々の一致が進んだ将来なら、平和で殺し合いの無い人類になるだろうか、と考えていた。
しかしそれはありえない事で、罪ある人々が一致して生み出すものは反逆、分裂、混乱である。

神の国で上に立つ者(マルコ10:35-45)
ゼベダイの子達は野心を持ち、他の弟子達をさしおいて自分達を主の栄光の座の右、左に座らせて下さいと願ったが、主が示されたのは、主の杯と主の洗礼、すなわち、キリストのあかしの故の苦しみと死である。
彼らは人の上に立って支配し、権力を振るいたかったし、それを聞いて憤った他の弟子達も、自分達は支配される側、こき使われる立場に立たされる事を思い、当然のように憤ったのである。
人々の間では支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るうものだが、天の御国の中では、皆に仕える者が偉く、すべての人の僕になる者がいちばん上の者である。(マルコ10:43)
イエス様は人々に仕えるため、人々を贖うため、人々の身代わりとなって罰を受けるために来た。
つまり「自分を高く」できりょうな要素は微塵もなく、むしろ人のため、主のために仕え、犠牲となる事であり、それは人の生来の性質では決してできない。
私達のスタンスは、相手を自分よりも優れた者と考え(ピリピ2:3-5)、キリスト・イエスの心を心とする(5節 ・文語訳)事であり、十字架の死に至るまで忠実であったイエスに習う事である。

主にある一致
すなわちピリピ2:2の心を一つにする、志を一つにするというのは、キリストの心と一つとなる、という事であり、キリストと一つとなる時、兄弟姉妹の間に和解と一致が生まれ、交わりは美しい調和によって保たれる。
バベルの塔の呪いの逆は、ペンテコステに始まり、使徒達によって伝えられた福音であり、それは言葉の壁を越え、国、文化を越え、イエスという「ことば」を中心に、皆の心を一つにする。
私達が一つとなる事ができるのは、ただキリスト・イエスによるのみである。(コロサイ3:9-11)
人間的な主義主張、神学知識によるのではなく、イエスというお方にあって一つとなれる皆さんであるように、イエスの名によって祝福します!!

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

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