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メッセージUP:9/6早天祈祷会 癒しの先の関わりを求める主(マルコ5:25-34) 한국어예배
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2010-9-6 6:01
メッセージUP:9/5主日礼拝 創られたとおりに(創世記1:26-31、エゼキエル28章、エペソ2:4-10)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
- 執筆 :
- pastor 2010-9-5 12:47
人は元々神の似姿であり滅びとは何の関係も無く、神と共に永遠に生きるよう創られている(創世記1:24-31)が、悪魔の誘惑によって人に罪と死が入ってしまった。
それを憐れんだ神は人となって来られ、人としての誘惑や苦労を全て嘗め、人の罪の身代わりとなって死なれ、よみがえり、それを信じる者は、罪と死から開放されて神の子とされる特権が与えられるように、取り計らってくださった。−−これが福音の本質である。
聖書は人の設計図であり、人が歩むべき道を示した地図でもあり、愛の込められたラブレターでもある。
人間は元々滅ぼされるべき存在ではなく、神に似た者として、神と共に永遠に生き、全て創られたものを支配するように創られている(創世記1:26-31)。
「神から独立して生きる」という生き方は実に設計外、サポート外であり、神から離れた生活には、当然、様々な障害が生じる。
人間は、神の創作物の中で最高の、愛するべき存在であり(創世記1:31)、神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られ、良い行ないをもあらかじめ備えられている。(エペソ2:10)
例えば何かの芸術作品を作り、その作品は自らの息吹を丹念に込め、自らの性格や品性を見事に表現した、最高傑作であったとすして、もしそれを台無しにされたとしたら、どんな思いがするだろうか。
サタンは神の最高に良い作品である「人」をダメにした事で、神ご自身の品性につばきをかけたのである。
サタンが赦されるべきではないもう一つの理由は、彼は人間と違い、誰にも唆されず、自ら堕落し、罪を犯して神に逆らい、自分だけが滅びるのに飽き足らず、周りの天使や人間までも道づれにした事だ。
エゼキエル28章はツロの王に対する預言であるが、12節以降は明らかに「人間」に対するものでは無く、サタンについての記述である。
神は元々サタンを「油注がれたケルブ」すなわち特別な役割を果たす天使として創られた。
彼は様々の宝石の飾りで覆われ、美の極みであり、タンバリンと笛などの楽器が予め整えられ、与えられた。とあるため、彼は神を賛美するための指導的で特別な役割が与えられていたようである。
しかし彼の商い(やり取り)が繁盛するとそのやり取りの中心は暴虐で満ちるようになり、罪を犯したため、主は彼を汚れた者と見なし、追い出した。(16節)
彼は指導する事の味を知り、神の座に座って支配し、高き者として扱われたい、と思うようになった。
一人一人が各々の力量に応じて神に向かって奏でた素晴らしいメロディ、調和、美しさを、あたかも全て自分のものであるかのように、自分自身が栄光そのものになったかのような錯覚に陥り、自ら創られる前から整えられていたタンバリンや笛さえも、あたかも自分のものであるかのように高ぶった。
それ故彼は地に投げ落とされ、火で焼き尽くされる運命となり、自らの滅びが近い事を知って、一人でも多くの者を滅びの道連れにしようと、躍起になっているのである。
もし人が様々な良い物で飾られているとしたら、それは神のためであり、予め与えられ整えられた賜物、能力があるのなら、神をあがめるためである。
神が、私達が産まれる以前から生きる環境を整え、母の胎の内で能力や特性を仕込み、産まれた後もずっと導いておられたのは、キリストのためである。
一人一人は各々与えられた力量に応じて、「私達の生き様」というメロディを主のために 奏でるべきだ。
サタンのように、自分が今生かされている本質を忘れたり、神のために奏でるべきメロディを自身の栄光のために奏でたり、あるいは、神から離れて「設計外」の生き方をしてはならない。
思うべき限度を越えて思い上がらず、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
神の作品である私達は、神の作品らしく、あらかじめ備えられた良い行いをするべきである。
メッセージUP:9/3早天祈祷会 沈黙の向こうの深い愛(マルコ5:21-25) 한국어예배
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- 執筆 :
- pastor 2010-9-3 6:16
メッセージ音声:レギオン_前編(マルコ5:1-13) 한국어예배
メッセージ音声:向こう岸へ渡ろう(マルコ4:35-41)
メッセージ概要
この1週間の間、身近な3人の死に関わったが、それについて何か語らせていただくというのは、あまりに
重い事であり、「これこれの意味がある」などと第3者的に解説できるものでもない。
しかしこの事を置いて他を語る気がしないのは、兄弟姉妹の喜びや悲しみは、キリストの体の交わりにおい
て互いに無関係ではありえず、また、これら出来事を通して学んだ貴重な事は、分かち合わなくてはならな
いと切実に思うからである。
神様の個人個人に対するお取り扱い、特にいのちに関する事柄は、本人といえど不可解なものである。
ダビデとバト・シェバの間に生まれた子は、何もしていないのに父親の罪の故に神から打たれた。
ある者が罪を犯して本人が罰されるのは理解できるが、別の者が代わりに罰されるのは、不条理に見える。
彼の死によって、生き残った多くの者達、すなわちダビデとその王国は、周辺の異国のように罪にまみれる
事から防げたが、それでは一体、その子はどうなるのか。
人は、世における行いに従っておのおの裁かれると書かれてあるため、善も悪もしないまま亡くなったその
子は裁かれる事無く、ラザロのように、世では得るに至らなかった慰めを主の懐で享受していると思われる。
親の罪故に亡くなった子の弟に当たるソロモンは、以下の言葉を残している。
「私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかっ
た者だ。」(伝道者4:2,3)
ソロモンは、世のあらゆる栄華を極め、甘いも酸いも嘗め尽くした結果、この言葉に至った。
いたずらに苦しみや罪を増し加えるためだけに生きる人生もあるため、主の御前では、「この世で生き続け
る」事が最善であるとは限らず、むしろ早く世を去ってキリストの御許に行くほうが優れている事もある。
主は死を容認しているわけではなく、サタンの唆しによって人に入ってきてしまった「死」を非常に憎まれる。
サタンはいのちを憎み、その瑞々しさ、美しさ、その躍動を、何とかして破壊しようとするが、神はいのちを
量っておられ、それに手をつける事はサタンであってもできない。(ヨブ2:6)
キリストは死に対し、サタンに対し、罪に対し、圧倒的に勝利し、主の愛から引き離す者は何者も無い。
「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そ
のほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできませ
ん。」(ローマ8:39)
もし死が全ての終わりであるならば、この世は不条理の極みであるが、キリスト者には、死の向こう側がある。
イエスがあえてラザロが死ぬまで沈黙されたのは、イエスご自身が、よみがえりでありいのちである事を私
達が知り、イエスを信じるまでに至る事が、文字通り「死ぬほど大事」だったからである。
御父の思いは天を越えて遥かに高く(イザヤ55:8-11)、御父の愛は死を超えて遥かに強い。
御父は御子を十字架から助ける事など指を動かすよりも遥かに簡単だったはずなのに、あえて沈黙された。
それは、御子の死の向こう側に、より良い「いのち」があり、私達人間を彼にあって死から開放するためだ。
子が嘲られ、罵られ、死に渡されようとしている時、沈黙して何もしないような親はいるだろうか。
人間の愛はインスタントに、子を苦しみから解き放とうとするが、父の愛は死を超えて遥かに強いのである。
しかし、単に強いだけではなく、私達の心の辛さ、言葉にならないうめきも全て受け止めておられる。
御霊は弱い私たちを助けてくださり、私達はどのように祈ったら良いか分からなくても御霊ご自身が言いよ
うもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださるのだ。(ローマ8:26)
キリストにあって眠った者たちはよみがえらされ、主はあらゆる権威、権力、不条理を滅ぼし、そして最後の
敵である死をも滅ぼされるのである。(1コリント15:20-26)
この主に在る者は、決して滅びる事は無い。
