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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

主日礼拝
変わらぬ愛をもって戸の外に立つ花婿(雅歌5:2-8)
第一礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要

 雅歌書は、男性と女性が互いに呼び交わす形で記されている愛の歌で、男女が恋愛関係から結婚へと至り、初々しい新婚生活から成熟した夫婦へと至るまでの道のりが生き生きと描かれている。これを単なる恋愛本として見るのではなく、キリストの花嫁である私達と、キリストというまことの花婿との関係として見る時、私達に豊かな示唆を示してくれる。今回、この書から、キリストの愛と、私達が陥りやすい罠とを見てみたい。
 
 『私は眠っていましたが、心はさめて(ウゥル)いました。』(2節) ウゥルは、目覚める、掻き立てる、立ち上がる等の意味がある。彼女は夜、何かに心掻き立てられた状態だった。そこに夫が帰って来て戸を叩いた。
 『わが妹、わが愛する者よ。戸をあけておくれ。私の鳩よ。汚れのないものよ。私の頭は露にぬれ、髪の毛も夜のしずくでぬれている。』ところが彼女の返事は、つれない。『わたしはすでに着物を脱いだ、どうしてまた着られようか。すでに足を洗った、どうしてまた、よごせようか。』(3節)
 夫は前章までのところで、彼女の上から下までを事細やかに褒めそやしてくれたが、彼女はつけあがったのだろうか。夫はわたしいつも褒めて、優しく何でもしてくれる、だから、床に入ったわたしの足を汚すのなら、いつまでもドアの外にいて、と。しかし夫としては、衣服を再び着るとか、足を洗う以上の手間をかけ、夜露に濡れて仕事から帰って来たわけである。彼女は何と薄情な、面倒くさがり屋だろう、と思うだろうか。 
 私達は、ここから戒めをいただくべきである。キリストの花嫁である私達は、主人であるイエス様に対し、このような態度を取っていないだろうか?イエス様が扉を叩いておられるのに、面倒くさい、あるいは彼は優しいから、赦して下さるのは当然だから、いつまでも開けない、と言うような態度を取っていないだろうか。
 
 彼女は、夫の手だけが戸の穴に差し入れられ、かんぬきを外そうと、手をこまねいているのを見た。その時、ようやく彼女の心が騒ぎ、戸を開けに行った。彼が触れたそのかんぬきには、没薬が滴っていた。
 花婿はせっかく彼女に、腐らせない愛を保とうと、没薬の山に上ってから(4:6)彼女の元に来たのに、彼女は実につまらない理由で彼を締め出し、ようやく身を起こして、開けた時には、彼は何かの言葉を妻に言って去って行ってしまった。その言葉で彼女は気を失った、とあるが、彼はどんな言葉をかけたのだろう。
 怒り、罵倒の言葉だろうか?それとも逆に、愛に満ちた言葉だろうか?イエス様は、愛の言葉をかけてくださる故に、私達は自分の罪深さ、至らなさを悲しみ、悔い改めるのである。そのかんぬきは、ついさっきまで、彼がなんとか入ろうとして触れた、愛の没薬が香っている。彼女は思っただろう。自分はなんとつまらない理由で、彼の愛を踏みにじっただろう、と。
 没薬は、腐らせない作用があり、黄金、乳香に続く、キリストの性質である。キリストの受難はpassionと言うが、彼は十字架の場面で、ありとあらゆる痛み、悲しみ、苦しみを経験し、そうして愛を示された。実に情熱的に、感情的に、そして実際的に、十字架という決して腐らない、究極の愛を私達に示して下さった。
イエス様は、罪に閉じこもっている私達を救い、愛の関係へと導くため、十字架という没薬をまとい、戸の外側から「あけておくれ」と戸を叩いて下さる。もし締め出したままにするなら、とんでもない事になってしまう。
 
 雅歌書では、彼は去ってしまい、今度は彼女が夜露に濡れ、足を汚して、彼を求めに行かなくてはならなくなった。さらには夜回りから打たれ、傷つけられ、はぎ取られてしまった(6-7節)。こうして彼女は悟った。
自分はとんでもないことをしてしまったのだ、と。私達も、主人であられるイエス様の庇護がないと、ただ、剥ぎ取られるだけの存在なのだ。放蕩息子のように。彼女は傷を受けたが、それによって自分は「愛に病んでいる」事に気づき、一層、愛が深まった。私達も、愛する夫であられるイエス様が、とても優しい、大切にしてくれる、という事に甘んじ、高慢になってしまうと、このように、痛い思いをさせられてしまう。しかし、それによって、私達もキリストの愛を一層知るようになるのだ。
 私達がつまらない事でイエス様を締め出してしまうような時、イエス様は戸の外に立って、扉をたたく。
彼の変わらぬ愛の没薬に濡れた手で、堅く閉ざした心のかんぬきを、開けようと。もし戸を開けるなら、彼は入ってきて、共に食事をし、宴が始まる(啓示録3:20)。しかし、あまりにイエス様を戸の外に締め出し続けるなら、やがて、間に合わなくなってしまう時が来る。イエス様との関係も、また世における夫婦の関係も、さらに麗しく、成熟したものになっていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

資産と手のわざの祝福、敵の腰が打たれて立てなくなる祝福の秘訣(申命記33:8-11)

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第一テモテ 講解説教 水曜夕礼拝

あなどれない影響力を持つ教会指導者の立ち居振る舞い(1テモテ4:7-16)

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4:7 しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。
4:8 からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。
4:9 これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。
4:10 わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。
4:11 これらの事を命じ、また教えなさい。
4:12 あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。
4:13 わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。
4:14 長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。
4:15 すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい。
4:16 自分のことと教のこととに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教を聞く者たちとを、救うことになる。

 

 エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝

イスラエルの運命が大転換したエホヤキムの第四年(エレミヤ45章)

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 詩篇講解説教 早天祈祷会

ペンテコステのペテロのメッセージは御言葉に裏打ちされたイエスの証(使徒2:14-36)

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使徒2:14-36にペテロのペンテコステメッセージがある。その内訳は、前半1/3が、今、目の前で起きている出来事のヨエル書に裏打ちされた説明であり、残る2/3すなわち22-36節は、ナザレ人イエス・キリストについてのメッセージである。
そのイエス・キリストについてのメッセージは、使徒信条の内容と一致する。すなわち、主イエスは神であられるのに人となって来られ、3年半の間、力あるわざ(デュナミス)と、不思議なわざ(テラス)と、あかしの奇跡(セメイオン)を行い、彼が神が遣わされたお方である事をあかしした。(22節)
しかし十字架の上で苦難を受け、死んで葬られ(23節)、
しかし神は彼を三日目によみがえらせた。ペテロは詩篇16篇を引用し、キリストは死に縛られないお方で、よみがえられたイエスこそキリストである事を証左した。(24-32節)
さらに、彼は、イエス・キリストは今、全能の父なる神の右に座したもう主である事を、詩篇110篇から証左した。
 
聖霊充満のメッセージは、決して、しるし・不思議のひけらかしだけで終わるものではない。
必ず御言葉の引用と、イエス・キリストの栄光化が伴うものである。
 
1ヨハネ 4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
 4:2 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、
 4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

主日礼拝
祝福の実体を得るために必要なもの:信仰(ヘブル11:1-6)
第一礼拝 Youtube動画
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要

 クリスチャン生活をする上で最も欠かせないものが、信仰である。今回は信仰について学びたい。
 ヘブル書11:1に「信仰とは」何であるかが書いてある。『信仰(ピスティス)とは、望んでいる事がら(エルピゾー)を確信し(フポスタシス)、まだ見ていない事実を確認すること(エレグコス)である。』
 ここの「望んでいる事がら」と訳された語は、エルピゾーの受動態分詞、フポスタシスとは「実質」「実体」「裏付けのあるもの」の事である。だから、ここを字義通り訳と、「信仰とは、(信仰者たちから)望まれている事がら(例:癒やし、必要の満たし、解放など)の、実体である」。すなわち、癒やしや、必要の満たし、解放など、人から「あってほしいな」と願われる事柄(エルピゾーの受動態)の実体化は、信仰によって、である。
 裏を返せば、信仰が無い人は、いくら望んでも手に入らない、という事だ。聖書は「信仰をもって、こうすれば、こうなった」という事例の集大成であり、私達も聖書の記述を信じ、期待して行動するなら、そうなるのだ! 世の人は、目に見える証拠や実証を求めるが、聖書は「信じるなら得る」という法則である。『昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。』(2節) 『信仰がなくては、神に喜ばれることはできない』(6節)
 
 イスラエル12部族中、最も多く土地を勝ち得たのは、ユダ族だった。ヨシュア記15章には、ユダ族が勝ち得た町々・村々のリストが、延々、63節に至るまで記されており、読むのも一苦労だが、それだけユダ族は、「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与える」「あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもない」という、主の約束の御言葉を信じ、積極的に戦って行った結果、分捕ったリストを読み上げるのが大変な程に勝ち得て来たわけである。
私達も、聖書に記されている約束の言葉を信じて行動し、ユダ族のように実体として勝ち取って行くべきだ。
 
 これと真逆を行ったのが、ダン族である。彼らもくじによって相続地を割り当てられたのに(ヨシュア記19:40-46)、彼らはヨシュアが生きている間に得た相続地を、原住民によって追い出されてしまった。相続地を原住民によって追い出された部族は、イスラエル部族の中で彼らだけである。(士師記1章)
 それは、他人の信仰によって地を得ても、追い出すべきものをいつまでも追い出さず、信仰に立って動こうとしない「霊的怠慢」の結果だった。彼らはライシという所を偵察し、そこに攻め上ろう、と言ったが、その理由は、その地の人々は弱そうで、孤立しており、たやすく攻め落せそうだったからだ。(士師記18:8-10) 
 彼らはその時、取って付けたように「神はそれをあなたがたの手に賜わる」とも言ったが、そこは主がくじによって割り当てた地ではなかった。かつてヨシュアとカレブは、敵が巨体であろうと、城壁を持っていようと、「主が共におられるのだから、必ず攻め落とせる」と、信仰によって攻撃を仕掛け、実際に攻め落とした。
 しかしダン族の考えは、全く逆だった。その地は、御言葉の約束外の、相続地としては示されていない地だったのに、相手が弱かったので楽勝し、そこに自分たちの部族名「ダン」という名をつけて、定住した。
 しかし彼らは、そこに行く途中にあった家から、偶像やテラフィムと、その家の雇われ祭司(実は祭司ではなくレビ人)を強奪し、自分たちの祭司に仕立て上げ、偶像礼拝の体制を整えて、定住する事にした。
 『ダンの人々は刻んだ像を自分達のために安置し、、、国が捕囚となる日にまで及んだ。』(士師記18:30)
 彼らは、士師の時代が終わった後、他の部族が正当な信仰に戻っても、ダン族だけはシロやエルサレムに礼拝に行かず、イスラエル最北端の地で不当な礼拝をし続けていたのだろう。啓示録には、神の印が押されるイスラエル十二部族が出てくるが、そこからは、ダン族は、外されてしまっている。(黙示録7:4-8)
 結局、「主が与えてくださった」という約束の御言葉を信じず、主から「しなさい」と言われた事をいつまでもせず、目で見て勝てる相手と戦って、御旨でない地を手に入れ、神の方法にかなわない自己流の礼拝を続けて行くなら、神が忌み嫌われる偶像礼拝へと落ち込み、ついには、祝福から外されてしまうのだ。
 
 天の御国は、積極的に襲う者達によって、奪われていくものである。『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
目で見て勝てる相手と戦って、勝てない相手とは戦わないような不信仰は捨てて、御言葉の祝福を信じ、積極的に求め、信仰によって多くを勝ち取り、勝ち取った良き地のリストは読み上げるだけでも一苦労であったユダ族のように栄えて行くみなさんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ15:1-11)

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私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
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【概要】

イエス・キリストは羊の門であり、良い牧者として私たちを救いへと導く

【聖書箇所】

ヨハネによる福音書10章1-18節

ヨハネによる福音書12章24-26節

【慰めの言葉】

イエス・キリストは私たちの名を呼び、罪から救い出し、永遠の命へと導いてくださる

【励ましの言葉】

イエス・キリストの声に聞き従い、従うことで、私たちも牧者となり、他の人々を導くことができる

【戒めの言葉】

偽りの教えや、羊の皮を被った狼に惑わされないよう注意する

【勧めの言葉】

自分の命を愛するのではなく、イエス・キリストに従い、永遠の命を得るよう励む

【悔い改めの促しの言葉】

自分の罪深い性質を憎み、イエス・キリストに従う決心をする

【***詳細***】

今日の箇所は、ヨハネによる福音書10章1-18節です。イエス・キリストは、ご自身が「羊の門」であり「良い牧者」であることを宣言されています。

まず、1-2節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」とあります。ここでイエスは、正当な方法で羊の囲いに入る者と、不正な方法で入る者を対比しています。

4-5節では、「彼は自分の羊をみな連れ出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえってその人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」とあります。ここで重要なのは、羊が牧者の声を聞き分けるということです。私たちクリスチャンも、イエス・キリストの声を聞き分け、従うべきです。

7節で、イエスは「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。」と宣言されます。イエスは私たちが救いに入る唯一の門であり、イエスを通してのみ、私たちは救われ、安らかに生きることができるのです。

9-10節では、「わたしは門です。だれでもわたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」とあります。ここでイエスは、ご自身が来られた目的を明確に述べておられます。それは私たちに「いのち」、しかも「豊かないのち」を与えるためです。

11節で、イエスは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と宣言されます。ここでの「いのち」は、ギリシャ語で「プシュケー」であり、魂や心を意味します。イエスは私たちのために、ご自身の思いや願いを捨て、十字架にかかってくださったのです。

14-15節では、「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のために、わたしのいのちを捨てます。」とあります。ここでイエスは、ご自身と羊との関係が、父なる神との関係と同様に親密であることを示しています。

17-18節で、「わたしは自分のいのちを再び得るために、自分のいのちを捨てるのです。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令を父から受けたのです。」とイエスは述べられます。ここでイエスは、ご自身の死と復活が、自らの意志によるものであり、また父なる神の命令によるものであることを明らかにしています。

さらに、ヨハネによる福音書12章24-26節も重要です。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」ここでイエスは、ご自身の死と復活を一粒の麦にたとえ、また私たちにも自己犠牲の精神を求めておられます。

【結論】

イエス・キリストは私たちの良い牧者であり、私たちのためにいのちを捨ててくださいました。私たちは、イエスの声に聞き従い、イエスを通して救いに入り、永遠のいのちを得るべきです。また、イエスに倣って自己を捨て、他者のために生きる決心をしましょう。そうすることで、私たちも良い牧者となり、他の人々をイエスのもとへと導くことができるのです。
 
 
 
10:1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
10:4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
10:5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
10:6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命(ゾエ:永遠のいのち)を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)よい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)よい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるのである。
10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ(女・単数形)、ひとりの羊飼(男・単数形)となるであろう。
10:17 父は、わたしが自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
 
12:25 自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を愛する者はそれを失い、この世で自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を憎む者は、それを保って永遠の命(ゾエ:永遠のいのち)に至るであろう。
12:26 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。

終わりの時代に来る惑わしの霊にとらわれないために(1テモテ3:14-4:6)

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1テモテ3:14 わたしは、あなたの所にすぐ行きたいと望みながら、この手紙を書いている。
3:15 万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
3:16 確かに偉大なのは、この信心の奥義である、/「キリストは肉において現れ、/霊において義とせられ、/御使たちに見られ、/諸国民の間に伝えられ、/世界の中で信じられ、/栄光のうちに天に上げられた」。
1テモテ4:1 しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
4:2 それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。
4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
4:5 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。
4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰の言葉とあなたの従ってきた良い教の言葉とに養われて、キリスト・イエスのよい奉仕者になるであろう。

エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝

主から図星を突かれても我が道を行く人達の行く先(エレミヤ44:20-30)

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44:20 そこでエレミヤは男女のすべての人、およびこの答をしたすべての民に言った、
44:21 「ユダの町々とエルサレムのちまたで、あなたがたとあなたがたの先祖たち、およびあなたがたの王たちとあなたがたのつかさたち、およびその地の民が香をたいたことは、主がこれを忘れず、また、心にとどめておられることではないか。
44:22 主はあなたがたの悪しきわざのため、あなたがたの憎むべき行いのために、もはや忍ぶことができなくなられた。それゆえ、あなたがたの地は今日のごとく荒れ地となり、驚きとなり、のろいとなり、住む人のない地となった。
44:23 あなたがたが香をたき、主に罪を犯し、主の声に聞き従わず、その律法と、定めと、あかしに従って歩まなかったので、今日のようにこの災があなたがたに臨んだのである」。
44:24 エレミヤはまたすべての民と女たちに言った、「あなたがたすべてエジプトの地にいるユダの人々よ、主の言葉を聞きなさい。
44:25 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたとあなたがたの妻たちは口で言い、手で行い、『わたしたちは天后に香をたき、酒を注いで立てた誓いを必ずなし遂げる』と言う。それならば、あなたがたの誓いをかため、あなたがたの誓いをなし遂げなさい。
44:26 それゆえ、あなたがたすべてエジプトの地にいるユダの人々よ、主の言葉を聞きなさい。主は言われる、わたしは自分の大いなる名をさして誓う、すなわちエジプトの全地に、ユダの人々で、その口に、『主なる神は生きておられる』と言って、わたしの名をとなえるものは、もはやひとりもないようになる。
44:27 見よ、わたしは彼らを見守っている、それは幸を与えるためではなく、災を下すためである。エジプトの地にいるユダの人々は、つるぎとききんによって滅び絶える。
44:28 しかし、つるぎをのがれるわずかの者はエジプトの地を出てユダの地に帰る。そしてユダの残っている民でエジプトに来て住んだ者は、わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか、いずれであるかを知るようになる。
44:29 主は言われる、わたしがこの所であなたがたを罰するしるしはこれである。わたしはこのようにしてわたしがあなたがたに災を下そうと言った事の必ず立つことを知らせよう。
44:30 すなわち主はこう言われる、見よ、わたしはユダの王ゼデキヤを、その命を求める敵であるバビロンの王ネブカデレザルの手に渡したように、エジプトの王パロ・ホフラをその敵の手、その命を求める者の手に渡す」。
 
ローマ1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
1:21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。
1:22 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、
1:23 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
1:24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。
1:25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
1:26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、
1:27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。
1:29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、
1:30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。
1:32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。
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