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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

「沈黙は金なり」が真ではない場合の見分け方(詩篇39篇)
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聖歌隊の指揮者エドトンによってうたわせたダビデの歌
39:1 わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間は/わたしの口にくつわをかけよう」と。
39:2 わたしは黙して物言わず(KJV: even from good: トーブ)、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、
39:3 わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに火が燃えたので、わたしは舌をもって語った。

ダビデは、口で罪を犯さないようにするために、悪者を前には、口を閉ざしておこう、と決心したが、すればするほど痛みがひどくなっていった。
口を閉ざすべき時もあるが、黙ってはならない時もある。
ダビデの悩みがひどくなったのは、良いこと(トーブ)をさえ、口から出さず、黙っていたからだ。

トーブというヘブライ語、それはパーフェクト、ビューティフル、グッドの意味で、神の天地創造の6日間で6回、ご自身の創造のみわざに対して神が評価された言葉であり、そして神の混じりけのない御言葉は、トーブそのものである。
悪者を前にして、神のトーブな御言葉と、神のトーブな御業を黙っているなら、ますます悪が調子に乗って、はびこり、同時に、トーブを口に出さなかった本人の中には、悩みが火のように燃え上がってしまうのだ。

ダビデがトーブな言葉にも黙っていた結果、思い知らされたのは、自分も含めた「人間のはかなさ」である。

詩篇39:4 「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。
39:5 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも/息にすぎません。〔セラ

はびこる悪におもねって、10年や20年、命を永らえたとしても、結局それは、はかないものである。
この卑屈にながらえた期間は、むなしさと痛みの日々にすぎない。
ダビデは、自分も含めた人間というものの「むなしさ」を味わった故に、次のように結論する。

詩篇39:6 まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために/騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。
39:7 主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。

ダビデは、彼自身の望みは、ただ主である、と結論した。
まことの神から離れた人の世界の中にも、人と人との間にも、そして、自分という人の中にも、結局は、むなしさしか以外には何も見いだせない。
そんな人間が、永遠なる神を抜きにして、10年20年ながらえた所で、一体何になるだろうか。
結局ダビデは、わが望みは決してすたれる事の無い、永遠に価値ある御方、主である、と、思い知るに至ったのだ。

私達は、イエス様にならうべきである。
イエス様は、悪しき者に取り囲まれ、よってたかって「偽り」の言葉に囲まれた時、それらに対しては、一切口を開かなかった。
しかし、真理の言葉については大いに口を開いた。

マタイ26:59 さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。
26:60 そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて、
26:61 言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。
26:62 すると、大祭司が立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。
26:63 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
26:64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

イエス様はこれ故に十字架刑が確定したが、イエス様はいつも真理に立って、心安らかであった。
キリスト者も、偽りに対して一切くちびるで関わらず、ただ、真理の言葉を発するなら、後ろ暗さが一切無く、心安らかで、たとえ迫害され殉教に至るとしても、聖霊が助けてくださり、世の何者にもまさる平安に満たされ、主の栄光をあらわす事が可能なのである。(使徒7:54-60)

詩篇39:8 わたしをすべてのとがから助け出し、愚かな者にわたしをあざけらせないでください。
39:9 わたしは黙して口を開きません。あなたがそれをなされたからです。
39:10 あなたが下された災を/わたしから取り去ってください。わたしはあなたのみ手に打ち懲らされることにより/滅びるばかりです。

ダビデは自分自身の罪や愚かさに由来する災いを、取り去って下さいと願う。
随分都合の良い願いだが、しかし罪の赦しと、聖霊による造り変えは、罪穢れを除き、ゆるしてくださる主へと向かっていき、主に自分の罪を言い表し、悔い改め、主と関わりを持とうとする人々に、与えてくださる。

詩篇39:11 あなたは罪を責めて人を懲らされるとき、その慕い喜ぶものを、しみが食うように、消し滅ぼされるのです。まことにすべての人は息にすぎません。〔セラ

人が、主を抜きにして喜び楽しむ世の楽しみや栄華は、結局、しみが食うように消し滅ぼされてしまう。ソロモンがまさにそうだった。
彼は前半人生は主に従っていたものの、人生の途中から驕り高ぶり、主を抜きにして歩み、富も権威も地上の頂点に立った時、妻を700人、妾を300人囲ったが、結局、それら得たものは全てが虚しい、と言う以外にはなかった。(伝道者の書)
ダビデは、この詩篇の最後を、祈りで締めくくる。

詩篇39:12 主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。
39:13 わたしが去って、うせない前に、み顔をそむけて、わたしを喜ばせてください」。

この短い祈りの中に「わたし」という言葉が6回も出てくる。
彼は、「わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、、、」と主に嘆願し、わたしにかまってほしいと、主との関係を求めたのだ。
主との親密な関係を求める事こそ、罪が赦され、パラダイスへ行くコツである。
イエス様と共に十字架につけられた強盗は、イエス様に「わたしを思い出して下さい」と、関係を求めた事によって、その日、イエス様と共にパラダイスに行った。

結局、以下の告白こそ、人間世界のむなしいやりくりから脱出できる言葉である。

詩篇39:7 主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります。

主イエス様に望みをかけ、真理の御言葉とあかしを宣言し、主に対して一切の後ろ暗い所が無い、永遠に充実した「生」を生きる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

ベエル・シェバを得る人に欠かせない大事な事(創世記22:1-19)

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週報/メッセージ(説教)概要

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成田エクレシア礼拝 音声


 この新年が、信仰者にとって大いに祝福の年となりますよう、主イエスキリストの御名によって祝福します!

昨年に続き、今年も「ベエル・シェバ」を得て、そこで豊かな祝福を得る事が示されていた。ベエル・シェバとは、信仰の父アブラハムが井戸を掘り、ぎょうりゅうの木を植えて開拓した地で、敵が入り込んで来る事なく安心して産んで増て行ける地であるが、金曜の礼拝でさらに大事な事を発見したので、分かち合いたい。



年末の主日は創世記21:33から、アブラハムがぎょりゅうの木を植え、そこに礼拝の場を構築した箇所より、ベエル・シェバを得る方法・そこを管理する方法を学んだ。ベエル・シェバのキーワードが次に登場する所は22:19であるが、この、ベエル・シェバのキーワードでサンドイッチされた箇所に、全ての信仰者にとって最重要とも言える場面が挿入されている。すなわち、アブラハムが最愛の子イサクを捧げる場面である。

主は、アブラハムが100歳にしてようやく生まれた子、神が約束しておられた子を、「全焼のいけにえとしてわたしに捧げなさい」と言われた。神は「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのに、なぜ、そのイサクを殺すような事を、アブラハムに言われたのか。矛盾している、と思われがちだが、彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。(ヘブル11:17-19)

このテストを彼がクリヤした結果、神は「誓って」、アブラハムとその子孫の祝福を約束する(17-18節)。

神が誓われた祝福の内訳は、4つあり、まずは?「大いに祝福する(バラクの反復による強調)」事。

バラクの原意は「ひざをかがめる」で、神ご自身が、あたかも親が子にひざをついてあらゆる便宜を図るように、あらゆる便宜を図ってくださる事である。次に?「大いに子孫を増やす」事で、それも、天の星のよう、海辺の砂のように増し加えるのである。信仰の子達は、天の星のように輝き(ピリピ2:15)、肉の子も、海の砂のように大いに増えていくのだ。さらに、?子孫(単数形)は、敵の門を打ち取り、?地のもろもろの国民は、アブラハムの子孫(単数)によって、祝福を得るというのだ。これが、最愛の子イサクを捧げた事による祝福であり、こうして彼はその後、あらゆる面で祝福された(創世記24:1)。

神は、ケチなお方ではない。一度捧げたら、本人の手元には何も残らないまま、というような事は、決してなさらない。天地の全てのものは、神のもので、神は太っ腹にじゃんじゃん与える事の出来るお方である。



聖書全体は、神の全人類・全被造物を救うための計画書でもある。全人類は元来、神の似姿として、神に祝福(バラク)され、生んで増えて地に満ち、地を支配しつつ、神と共に永遠を生きるものだった。しかし、敵であるサタンがそれを台無しにしてしまった。そこで神は、一人の人アブラハムを召し出し、彼が信仰によって、その子を捧げるようにし、そして、捧げられた子よって、この世に救いをもたらす土台を得たのだ。

人が神に何かを捧げるなら、神は、その捧げものを通して、この世界に介入し、御業を働かせる「取っ掛かり」を得られる。その実例として、少年がわずかなお弁当をイエス様に捧げた結果、イエス様はそのお弁当を通して5千人以上を満腹させたし、ハンナは、自分に生まれてくる子を捧げた結果、その子は偉大な預言者・キングメーカーである、サムエルとなった。さらにハンナは祝福され、多くの子達も与えられた。

アブラハムの場合も、彼がイサクを捧げた事により、神はイサクから生まれる子孫を通して、全人類・全被造物を贖う「とっかかり」を得たのだ。それでアブラハムの子孫(単数形)を通し、全人類は贖われ救われる。

この単数形の子孫が、イエス・キリストである。彼こそ、アブラハム対する約束の通り、全人類の敵・サタンの門を打ち破り(?)、囚われている人々を開放させ、全民族・全国民は彼によって祝福される(?)。信仰者は夜空の星々のように輝き(?)、アブラハムの霊的子孫であるキリスト者は、大いに祝福されるのだ。(?)

「ベエル・シェバ」は、サンドイッチ型キアズム構造の「パン」にあたり、イサクを捧げる出来事が「中身」として挟まっている。この構造で大事なのは「中身」であり、すなわち、ベエル・シェバを得る人にとって決して欠かせない事は「主に捧げる事」である。いかに自分にとって最愛のものであっても、また、たとえ神様がようやく与えて下さった、最も大事なものであっても、それは、主に捧げられたものとすべきだ、という事である。

それをするなら、主はその「捧げもの」に機会を得、世に介入し、御業を為し、暗闇の世界をひっくり返して祝福に輝く世界へ造り変える事が出来る、のみならず、その捧げた本人自身も、大いに祝福されるのだ。

この新年、ベエル・シェバをわがものとし、与えられた全ては、主に捧げ、そうして、主の御業をこの世に運び込み、自身も大いに祝福される皆さんでありますように! イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
ベエル・シェバを得た後に受けたアブラハムの最終テスト(創世記22:1-19)
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創世記22:1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。
22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

1サムエル記1:11 そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。


創世記22:3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
22:4 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
22:5 そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
22:6 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。
22:7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
22:8 アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
22:9 彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
22:10 そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
22:11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
22:12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
22:13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
22:14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。
11:18 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。
11:19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

創世記22:15 主の使は再び天からアブラハムを呼んで、
22:16 言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、
22:17 わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、
22:18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
22:19 アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って、共にベエルシバへ行った。そしてアブラハムはベエルシバに住んだ。

2コリント9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。

主の御名を呼び求め、主との交わりに入っていく事によって、罪をきよめていただく(詩篇38篇)
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『記念のために(to bring to remembrance)うたったダビデの歌』(詩篇38篇表題)

この詩篇は、7つある悔い改めの詩篇の内の一つである。
ダビデは、何かしらの罪を犯したために、この詩篇を記した。
人は一生の内、何度も、無意識的に罪を犯し、人を傷つけ、神の御胸を損傷させてしまうが、この詩篇は、そのような都度、私達も告白すべき祈りである。

詩篇38:1 主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。
38:2 あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。

この詩篇で、ダビデは、「主(エホバ)よ」「主(アドナーイ)よ」「わが神よ(エロハーイ)」「あなたは」「あなたに」と、主を呼び求める言葉を、何度も何度も発している。
罪に責め苛まされる時、主の御名を呼び求めるべきなのだ。

詩篇38:3 あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。
38:4 私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。

彼は、自分の中でありありとうごめいて表面化してしまう罪ゆえに、主から責められ、突き刺されているような思いがしている。
習慣的・自動的・無意識的に犯す罪が、自分で償いきれる分量を超えて、重くのしかかり、それに押しつぶされてしまうように感じる事がある。

私達が病むのも、また体に現れてくる諸々の疾患も、全て、罪ゆえである。
罪のとげが自分の体を蝕み、精神を突き刺し、病ませるのだ。

詩篇38:5 私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。

ダビデは、自分の罪が、あたかもじゅくじゅくと膿んで悪臭を放つ傷口のようだと言っている。
その溜まりに溜まった汚れが破裂し、膿を周囲へ飛ばして汚し、悪臭を振りまいてしまうように。
自分から離れなくなってしまった罪は、そのように、無意識的に人を、周りを、そして主の御胸を汚すものだ。

詩篇38:6 私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。
38:7 私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。
38:8 私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。

腰(ケセル)は、信頼する、確信する事の意味もあり、安定の源であるが、ダビデは自ら犯してしまった罪ゆえに、安定に事欠いており、心乱されうめいている。。

以上のように、自分の中にパターン化されている罪、自動的・無意識的に犯して、自分で償いきれる分量を超えて重くのしかかる罪ゆえにさい悩まされる時、どうするべきか。

その時に「してはならない事」は、アダムとエバのように、主の御顔を避けて隠れる事、覆い隠す事、他人のせいにして自分の罪を告白しない事である。
そうしてしまうなら、彼らのように、楽園から追い出され、労苦と呪いがつきまとってしまう。

ダビデはその真逆、積極的に自分の罪を主に告白し、主との交わりへと積極的に入っていき、罪を扱って下さる主を何度も呼び求めた。
それでこの詩篇で、彼は、何度も「主(エホバ)よ」「主(アドナーイ)よ」「わが神よ(エロハーイ)」「あなたは」「あなたに」と、主を呼び求める言葉を何度も発している。

詩篇38:9 主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。

ダビデは自分の中の全てを主に開示し、主に取り扱っていただく体制を、主の前に整えた。

詩篇38:10 私の心はわななきにわななき、私の力は私を見捨て、目の光さえも、私にはなくなりました。
38:11 私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。
38:12 私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、一日中、欺きを語っています。

ダビデは、彼を責める人々がいる事も主に打ち明けた。
人に対して罪を犯し、それを責められても仕方がない場合は、相手に謝意を示すと共に償いをすべきであるが、ありもしない事で悪口雑言を言われる時がある。
その時のダビデの対応が以下である。

詩篇38:13 しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう。口を開かないおしのよう。
38:14 まことに私は、耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。

ダビデは、善にかえて悪で返すような者(19-20節)に対しては「耳が聞こえない人のよう」「口をひらかないおしのよう」になった。
イエス様も同様、彼を訴える者にはそのように対応した。

善を悪で返すような悪人からあざけられ、ありもしない事で悪口雑言を言われるような時、私達もそのようにするのだ。
人の悪意、人からの悪口に対しては、耳が聞こえない者のようになり、また「悪口」に対し「悪口」で返さず、ただ正統にさばいてくださる主に委ね、そして私達の耳は主に対して開き、口は主に対して開くのだ。
ダビデはそれをした。

詩篇38:15 それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。

この1節の中に、「主(エホバ)よ」「あなた」「わが神(エロハーイ)」「主(アドナーイ)よ」と、4つの主を呼び求める言葉がある。
罪の責めに悩まされる時は、ただ主を呼び求めるのだ。
私達の救い主・イエス様のヘブライ語読みは「イエシュア」、意味は「主は救い」である。
このイエス様の御名を、信仰をもって呼び求める時、「神は救い」だと告白して呼び求めているのだ。

詩篇38:16 私は申しました。「私の足がよろけるとき、彼らが私のことで喜ばず、私に対して高ぶらないようにしてください。」
38:17 私はつまずき倒れそうであり、私の痛みはいつも私の前にあります。
38:18 私は自分の咎を言い表わし、私の罪で私は不安になっています。

ダビデは、自分の罪を言い表した。
自分の罪を認め、それを表明する時、不安になるかもしれない。
そこでダビデは主に願う。

詩篇38:21 私を見捨てないでください。主よ。わが神よ。私から遠く離れないでください。
38:22 急いで私を助けてください。主よ、私の救いよ。

ここでも「主(エホバ)よ」「わが神」「主(アドナーイ)よ」「私の救いよ」と、4つの主を呼び求める言葉がある。
ダビデは罪を犯した時でも、どんな時でも、積極的に主を色々な呼び名で呼び求めた。
このように、いつでも絶えず主を呼び求め、主と関わる「交わり」の中にこそ、罪や汚れが清められる源がある。

1ヨハネ1:3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。

使徒ヨハネは、交わりへの参加を促している。
なぜなら主は、二人でも三人でも主の御名がある交わりの中におられ、そのイエス・キリストの血潮の中に、罪のゆるしがあるからだ。

1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

使徒ヨハネも、罪の告白を説いた。
自分の罪を告白し、悔い改めるなら、神はその罪をゆるし、すべての不義から清めて下さる。
そのような罪を告白した人に対して、主は弁護者となり、告発者・サタンに立ち向かって下さる。

ゼカリヤ3:1 主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシ3:1 時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。
3:2 主はサタンに言われた、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」。
3:3 ヨシュアは汚れた衣を着て、み使の前に立っていたが、
3:4 み使は自分の前に立っている者どもに言った、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。
3:5 わたしは言った、「清い帽子を頭にかぶらせなさい」。そこで清い帽子を頭にかぶらせ、衣を彼に着せた。主の使はかたわらに立っていた。

大祭司ヨシュアは、バビロン捕囚から戻ってきた時代の人である。
バビロン捕囚という罰を受け、しっかりと悔いて改めたなら、主が弁護者として立ってくださるのだ。

罪のゆるしは、ダビデのように悔い改め、そして正直に告白し、主との交わりの中へ入っていく人のものである。
アダム・エバのように、神から逃げ隠れ、自分の罪を隠す間は、のろいの中に留まり続けるしか無いのだ。

大胆に主の元に進み出て折にかなった助けを得るために(ヘブル4:14-16)
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ヘブル4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
4:16 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。

ルツ記3:6 こうして彼女は打ち場に下り、すべてしゅうとめが命じたとおりにした。
3:7 ボアズは飲み食いして、心をたのしませたあとで、麦を積んである場所のかたわらへ行って寝た。そこで彼女はひそかに行き、ボアズの足の所をまくって、そこに寝た。
3:8 夜中になって、その人は驚き、起きかえって見ると、ひとりの女が足のところに寝ていたので、
3:9 「あなたはだれですか」と言うと、彼女は答えた、「わたしはあなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です」。
3:10 ボアズは言った、「娘よ、どうぞ、主があなたを祝福されるように。あなたは貧富にかかわらず若い人に従い行くことはせず、あなたが最後に示したこの親切は、さきに示した親切にまさっています。
3:11 それで、娘よ、あなたは恐れるにおよびません。あなたが求めることは皆、あなたのためにいたしましょう。わたしの町の人々は皆、あなたがりっぱな女であることを知っているからです。
ルツ3:3 それであなたは身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。ただ、あなたはその人が飲み食いを終るまで、その人に知られてはなりません。
3:4 そしてその人が寝る時、その寝る場所を見定め、はいって行って、その足の所をまくって、そこに寝なさい。彼はあなたのすべきことを知らせるでしょう」。


ヨハネ15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
 

1テサロニケ人への手紙 講解説教 水曜夕礼拝
たった3週間のチャーチプランティングで模範教会へと成長する秘密(1テサロニケ1:4-6)
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エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
召命の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 6/9:エレミヤ28:15 (エレミヤ28章)
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御言葉は信仰のバンドによって心と行いに結びつけよ(申命記11:13-21)
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申命記11:13 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、
11:14 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、
11:15 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。
11:16 あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。
11:17 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。

1列王記17:1 ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。

申命記11:18 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、
11:19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、
11:20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。
11:21 そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。

マタイ23:2 「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。
23:3 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。
23:4 また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
23:5 そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、
23:6 また、宴会の上座、会堂の上席を好み、
23:7 広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。

ヘブル4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、/「わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、/誓ったように」/と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

4:10 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。
4:11 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。

初めであり、終わりであり、そして初めである主(黙示録22:10-15)
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黙示録22:10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。
22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

主日礼拝


ベエル・シェバは私達・神の民のもの(創世記21:33)

English Service

 
 
 天声では例年、過ぎ行く年の最後の数時間、悔い改めの祈りで罪の垢を落とし、年が改まった瞬間から、礼拝によって新たな年を初める。
2018年が明けた最初の礼拝ではベエル・シェバの言葉が与えられ、天声のカレンダーにその言葉が記された。
 
 ベエル・シェバとは、私達の信仰の父・アブラハムが開墾してしばらく定住した地で(創世記21章)、
水を豊かに汲み上げられる地、敵が入り込んで来ない安心して生んで増えて行ける広い土地である。
 
 今年、まさにベエル・シェバのような安心できるような広く良い所有が与えられた聖徒が横浜に、成田に、静岡に出た。今年を納めるにあたり、ベエル・シェバを得る方法を今一度おさらいし、いかにそこへ入り、いかにそこを保って行くべきかを復習したい。
 
 ベエル・シェバは最初、アブラハムが開墾して井戸を掘ったが、アビメレクのしもべ達が奪ってしまった。
しかし、アブラハムにイサクが生まれた後、何をしても栄える彼を、アビメレクは恐れ、不可侵条約を結びに来た。その時アブラハムはベエル・シェバを返すよう抗議し、見事、奪い返した。(創世記21章)
 アブラハムがもしこの時抗議していなかったなら、黙認的に奪われたままだった。今年まだベエル・シェバを得ていない、奪われっぱなしのままだ、と心当たりあるなら、その相手に抗議を発するべきである。
 
 奪い返した時、『アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木(אֵשֶׁל:エシェル)を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。』(創21:33) このぎょうりゅうの木・エシェルは、水が無い所でも深くから水を汲み上げる。イスラエルが再建国された時、砂漠地帯だったベエル・シェバを、先祖アブラハムにならってこの木を植えた所、緑化に成功し、今や、ネゲヴ沙漠最大の都市となって『ネゲヴの首都』とも呼ばれている。
 
 このエシェルの木は、詩篇1:1にある「幸い(エシェルאֶשֶׁר)」から派生した語で、イスラエル12部族のアシェル族はこのエシェルの木を旗とし、アシェル部族も、エシェルの木も、共に「祝福」の意味を持っている。
アシェル部族は、兄弟の中で愛され、守られ、妬まれないという最高の祝福を得た。(申命記33:24-25)
 
 このように、ベエル・シェバは、信仰の父アブラハムが正統な手続きを経て入手し、潤いある地へと開墾し、永遠の神・主の御名を呼んだ地である。そのような所を得るよう求め、そして得たなら、主の御名を呼び求め、手放してはならず、豊かに祝福を流し続けるよう、管理し続ける必要がある。神がエデンに人を置いた時、そこを管理させ、そうしてエデンから川が流れて全地を潤していったように。(創世記2:4-17)

 アブラハムの子・イサクは、ききんを理由にそこを離れ、アビメレクの所へ「下って」行ってしまった(26章)。
「下」は世であり、そこは一見、食料に事欠かず、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
 イサクは困難を「下」の方法で解決するために、世に「下った」結果、散々な目に遭う。妻を「妹です」と偽ったり、百倍の収穫を得ても妬まれ、井戸を埋められた挙句、追い出されたり、行った先で井戸を掘っても奪われ、さらに行った先で井戸を掘っても、奪われてしまった。それは彼は、主が定めた地ではない所に行ったからであり、御言葉によってではなく、目に見て良さそうな「世の方法」で解決を求めたからだ。
 
 主は人や状況を鞭として用いて、ベエル・シェバへと追い立てて行く事がある。たとえ成功してもすぐ奪われてしまったり、狭い所で敵だらけで、やられっぱなしで、いつも気を張っていなくてはならないなら、どこが本来居るべき「ベエル・シェバ」なのか、広く安心して産んで増えて行ける地を主に求めるべきである。

 イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、そこには争いが無かったので、その名をレホボテ( 「広場」という意味)と名づけて言う。『いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。』(23節) 彼はようやく争いの無い井戸を掘る事が出来たが、すぐベエル・シェバへ「上る」。
 彼は「上」を見上げ、結局、信仰の父が井戸を掘った地、神の約束がある地こそ、自分が産んで増えて地に満ちていくべき所だと悟ったのだ。するとその夜、主がイサクに現れ、「恐れてはならない」「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、あなたの子孫を増す」と言われた。それで彼は、その所に礼拝場所を築き、天幕を張って井戸を掘り、住み込む準備を整えた。(24-25節)
 
 私達も主が「ここだ」と示される地、仕事、礼拝を求め、そして「ベエル・シェバ」を得たなら、そこで産んで増えて地に満ちていく準備を整えるのだ。ベエル・シェバは、私達・神の民のものである。ベエル・シェバをわがものとし、産んで増えていく皆さんでありますように! 
 
 イエス様のお名前によって祝福します!
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