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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:血を伴う犠牲の大いなる意味(創世記9:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

ノアは何事にも従順であったが故に、祝福された。
彼は、箱舟を造れと言われればその通りに実行し、箱舟に入れと言われればその通り実行し、外に出ても大丈夫そうであっても自分勝手に出る事をせず、神様から出なさいと命じられてから、はじめて箱舟から出た。
彼はそのように従順であった故に、後の世に多くのいのちを繋げ、そして祝福の契約をいただいた。
そして、彼が新天新地に降り立った時、真っ先に行ったのは、犠牲を伴った礼拝だった。
神はそのなだめの香りをかぎ、それによって、もはや地を滅ぼすまいと約束された。

『神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。』(創世記9:1)
このいのちの祝福の言葉は、創世記1章でも語られたが、1章28-30節における契約と、9章における契約とは、異なっている所がいくつかある。

まず、1章に存在して9章には存在しない言葉は、「地を従わせよ」「生き物をすべて支配せよ。」である。
罪が入って以降、人は全地を支配するべき者ではなくなってしまった。

また、ノア以降は創造のはじめと違い、全ての生き物達は「あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。」(2節)つまり、動物たちは人間に対して恐怖が芽生え、動物たちは人間の手に委ねられた。

また、1章では人間の食物は種子を持つ木や草であったのに、9章では、「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。」と、肉食が始まっている。
創世のはじめは、生き物は全て草食で、どの生き物も、何も恐れたり脅かす事は無かったのに、9章以降では、弱肉強食の世界となり、恐れる関係になってしまった。

そしてまた、9章では新たに、血に関する新しい戒めが定められた。
「肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」(4節)
ここで神は、血は、肉なるものの命そのものである、とした。
いのちを買い戻す為には、血のあがないが必要であり、血は、とてつもなく重要な意味を持っている事がわかる。

「どうして人は人を殺してはいけないのか?」という質問の明確な答えが、6節に書いてある。
「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」(6節)
神にかたどって造られた人は尊いものであり、そのいのちそのものである血を流すことは、その似姿の元なる神に対する大きな冒涜である。

「生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」(レビ17:11)

旧約祭儀において祭壇の上で流す血は、人間の命の贖いのためである、とまで書かれてある。
そうであるからには、まことの神の子羊・イエスの血は、どれほど私達を救う力を持っており、イエスのいのちそのものであるイエスの血は、どれほど尊いものであろうか。

イエスの血の尊い意味を理解し、この血の守りにますます拠り頼む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:なだめの香り(創世記8:15-22):右クリックで保存
韓国語通訳有

ノアは、鳩の知らせによって水が引いたのを知った時も、箱舟の覆いを取り除いて地の面が乾いた事を確認した時も、自分の判断で身勝手に箱舟を出ることはせず、神様から示しが与えられてから、箱舟から出た。(創世記8:16-18)
出エジプトの民の多くは、神の時ではなく自分の望む時を優先させ、滅びへと導かれてしまったが、ノアは神の時が来るのを忍耐して待ち、そうして新しい天地へと導かれた。
神が定めた次のステップへ移る時は、神が計っており、その導きを従順に求めるなら、主は平安と祝福の内に、導いて下さる。

「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。」(20節)
ノアが新天新地に降り立って、初めて行った事は、礼拝だった。
箱舟の中を生き残った、貴重な生き物達を捧げたのだが、ノアは、神様がよしとする捧げものは何かをよく知っていた。
それは、犠牲である。
主が、カインの捧げものではなくアベルの捧げものに心を留められたのも、犠牲があったからであり、人間の罪・咎を洗い清めるのは、イエスキリストの尊い犠牲による。

『主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。』(21節)

人には相変わらず罪の性質があるが、それでもなお生きながらえているのは、主がこのなだめの香りを受け、その時にそのように約束されたからである。
そして、主を完全に満足させるなだめの香りは、キリストである。
キリストは十字架上で、燃え尽くされるような苦痛を味わって「私は渇く」と言われ、その主の宥めを受け取って、神は完全になだめられた。

「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」(22節)

人の営みには、シーズンがある。
蒔くべき時があれば刈り取る時があり、寒い時があれば暑い時もあり、明るい時もあれば暗い時もある。
そして、人は種を蒔けば、それに相応しい刈り取りをする事になる。(ガラテヤ6:7-8)
その法則は、世の終わりまで、永遠に変わることは無い。

自分由来の何かではなく、神様の望まれる捧げもの、すなわち、キリストを信じる信仰による礼拝を捧げる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:烏と鳩(創世記8:1-14):右クリックで保存
韓国語通訳有

地球全体は死の水で覆われ、その大いなる水の上に浮かぶノアの箱舟は、非常に心もとない、ちっぽけな存在である。
このちっぽけな箱舟の中に、ノア達八人の人間と、全種類の生き物たちが、息をひそめて生息し、箱舟から出る日を待ち望んでいた。

神はその、ちっぽけな箱舟に、心を留めておられた。
「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」(創世記8:1)
いかに周りは死の水で溢れていようとも、神はご自身を求める全ての息ある者を心に留め、しっかりと守って下さるのだ。

ノアは40日の終わりに、箱舟の天窓から烏を放った。
烏は賢い鳥ではあるが、身勝手に箱舟と外の間を出入りするだけで、ノアの手元には戻って来ず、箱舟には何の益ももたらさなかった。

そこでノアは、今度は鳩を彼のもとから放ち、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。
最初に放った時、鳩は力の限り飛んでいったが、見えるものはひたすら死の水、水、水ばかり。
再び箱舟のノアの所に戻ってきたので、ノアは手を伸ばし、鳩を手の内に収めた。

7日待ってから二回目に鳩を放った時、鳩はオリーブの若枝をくわえて来た。
この小さな一本の枝は、箱舟全体にいのちと希望を伝える便りとなり、ノア達は、地から着実に水が引いているのを知った。
さらに七日待って再び放つと、もう戻って来なかった。
全生物中、この新天地に真っ先に住まいを得たのは、鳩であった。

「柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。」(マタイ5:5)
主は、鳩のように素直でありなさいと勧められた。
私達も、賢くても身勝手な烏のようでなく、鳩のように素直にいつでも主の手元に戻って行き、聖徒たちに良い知らせをもたらす有用な者となるのであれば、真っ先に、新しい御国を相続できるのである。

素直で、聖徒たちに平和の訪れを告げる者となる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:裁きの日(創世記7:11-24):右クリックで保存
韓国語通訳有

ノアは義を宣べ伝えて来たが、人々は悔い改める事をせず、ついに裁きの時が来てしまった。
「ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」(創世記7:11)
天の上の水も、地の下の水の源も、元々は全て生けるものを潤す恵みとして用いられていたが、この日、それらはことごとく死のために用いられた。

天の水門が一気に開かれ、地の底の深淵の源が張り裂け、そこから溢れる水は大波のように、濁流のように全てを洗い流し、人々はそれまでめとったり嫁いだり、売ったり買ったりしつつ、あらゆる営みによって築きあげて来た家も土地も財産も、ことごとく一瞬にして運び去ってしまった。
わずか40日ほどで、何千メートル級の山々さえ水没し、世界で最も高い山さえ、その上15アンマも覆うほど、地球全体は水で覆われたのである。
事実、ヒマラヤ山脈の標高何千メートルの所から、水生生物の化石が発見されている。

「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。」(16節)
その日その時、救いの扉を閉ざすのは、ノアのような人間ではなく、神みずからである。

「イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(ヨハネ10:7-10)

主に属する羊たちは、主のその声を聞き分ける。
ノアの時代の動物たちは、主の御声を聞き分けて箱舟に入ってきて、救いを得たが、私達も、いつも主に向かって心を研ぎ澄ませているべきである。
世の思い煩いや、富の誘惑によって霊的感性が鈍っていたら、主の御声は聞き分ける事ができない。

主は天と地の水の門を管理し、人々に恵みを施して来たが、かの裁きの日、それが人への災いとなった。
主は門である。
主を通ってこそ、私達は救われ、救いの領域の内側で守られ、養いを受け、そしてかの日、主の門から不従順な人間に災いが降るのである。

創世の初め以来、世界は一度水によって滅びており、今我々が生きているこの世界も、やがて火で滅ぼされる。(2ペテロ3:3-7)
今は恵みの時である。
この時を有効に用いて、多くの人を救いへと至らせる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:救いに入るか入らないか(創世記7:1-10):右クリックで保存
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「あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。」(2,3節)

神様は、清い動物だけでなく、清くない動物も、滅びから救った。
ペテロは幻の内に、四隅を吊るされた敷布が天から降りてきて、そこに、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っているのを見せられ、主に「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言われたが、ペテロはそれを断った時、主から「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と言われた。(使徒10:9-16)

この幻は、きよくない民である異邦人にも、イエスキリストによる救いの門が開かれた事を意味している。
清い動物も清くない動物も、共に箱舟に入って救われたように、イスラエル人も我々異邦人も、ただイエスを信じる信仰によって救われるのだ。

箱舟がノアの時代の救いであったように、今の時代、イエスキリストの福音こそ救いである。
動物たちはノアのところに自分から来た。(9節)
現代、主にある働き人達が一人でも多くの魂を救うためにと奔走しているように、ノアも、一つでも多くの種を生き長らえさせようと、動物たちを箱舟へ導く事に奔走したのではないだろうか。

主のたとえ話の中で、王子の婚礼に予め招待されていた人達はことごとくキャンセルしてしまい、結局王は僕に命じて、通りで出会った人なら良い人でも悪い人でも片端から宴会に導いた話がある。(マタイ22:2-14)
宴会で食卓を味わう事ができたのは、良い人か悪い人かは関係なく、ただ、王の呼びかけに応じて、宴会に来た人たちであった。
ノアの時代も、救われたのは、良い動物か悪い動物かは関係なく、また、ノアが無理やり箱舟に入れられた動物であろうと、あるいは自ら箱舟に入った動物であろうと関係なく、ただその時、箱舟に入った動物だけが、救われた。
同じように今、救われるのは、良い人か悪い人かは一切関係なく、また、神の働き人の手を焼かせたかどうかも関係なく、ただイエスを信じた者だけが、救われるのである。

ノアが、神様から命じられた事を言われた通り実行して、多くのいのちを救ったように、皆さんもまた、実践を伴う信仰によって、多くの命を救いますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:行いを伴う信仰によって救われる(創世記6:17-22):右クリックで保存
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「見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。」(17節)
前回まで学んで来たように、神は人を身勝手に創造して、また身勝手に滅ぼすお方ではない。
私たちは創世記1章から6章まで読むまでに1時間もかからないが、時間的には千年以上の月日が流れており、神はその間、人が悔い改めて立ち返るのを、ずっと忍耐して待っておられた。
しかし人類は、エノクやノアを通して義が伝えられても立ち返らず、とうとう、ノア達以外の人類は全て暴虐に溢れ、道ならぬ事をするようになってしまった。
そこで神は、ノアを通して救いのご計画を発動されたのである。

「わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。」(18節)

邪悪な時代の中にあっても、しっかりと信仰を守り、忍耐して御言葉を実験している者は、家族単位で救われる。
この時代救われたのは、ノアとその家族だけでなく、各種類の鳥、動物、地をはう全ての全てであった。
そのようにノアが多くのいのちを救うことができたのは、神から命じられた事を全て忠実に行ったからである。

神様に命じられて、ノアが建造したのは、全長135m、幅22.5m、高さ13.5mの巨大な船であった。
横浜大さん橋にも時折、100mを超える船が停泊するが、そのような巨大船を、なんと500歳以上の老夫婦と、その子である3組の夫婦の、計8人が仕上げた訳である。
一体どれほどの労力があっただろう。そしてそのように実際にしてしまう信仰と、また、子供たち家族にそのように行わせたほどの信仰の確信は、どれほどであろうか。
その途方もない、人の目から見たら気違い沙汰とも思える事業を、何十年もかけて成し遂げ、その箱舟が完成した時、ノアの信仰が実体となったのである。

「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。・・・信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブ2:14−17)
もしノアが、聞いていても行っていなかったなら、彼の家族の救いも、生き物たちの救いも、無かっただろうし、彼が信仰に妥協して、長さ50mの船を作っても、救いは無かっただろう。

「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」(22節)
もし今、主から何かするよう示されているなら、足したる引いたりせず、実行に移すべきである。
もし主から何か悔い改めが示されているなら、悔い改めにふさわしい実を結ぶべきである。
何か御言葉が与えられているなら、その通り為すべきである。

ノアが命じられた通りにそのまま実行して救いを得、多くのいのちを救ったように、皆さんもまた、実践を伴う信仰によって多くの命をも救いますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:救いの箱舟(創世記6:9-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は罪深い人間に対して憐れみを示され、人間が悔い改めて、義に立ち返るのを、実に何千年も忍耐して待っておられたが、地は暴虐で満ち、全て肉なるものは、その道を乱し(12節)、ついに、ノアとその家族以外は全て、神の前に堕落してしまった。
それ故、神はこの不信心な世代を滅ぼす事にされた。
神の子達と人とが結婚し、在るべき道を乱す時、いよいよ滅びが近いのである。

「神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。」(2ペテロ2:5)
ノアたちは3人の子を産んで後、神から箱舟を造るよう指示され、およそ100年の間、人々に義を説いて来たが、結局、箱舟を通して救われたのは、ノアの家族だけだった。
ノアの家族が宣べ伝えても、誰も立ち返る者はいなかった、という事である。

「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタール(油)を塗りなさい。」(14節)
この箱舟は、私達の救いを予表している。
ゴフェルの木は、油分の多い木で、油は聖霊を表し、また、木は十字架を表す。
箱舟には部屋がたくさんあり、部屋の内も外も、木のやに(油)が塗られている。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14:1-3)

ノアがゴフェルの木で箱舟を造り、その中に部屋を沢山用意し、ノアが動物たちをそこへ導いたように、主も、十字架の木によって天において私達が住むべき場所を沢山用意して下さり、主が私達をそこへ導いて下さるのである。
そして、ノアの時代は箱舟にしか救いはなかったように、今、救いは主イエスキリストにしかないのだ。

「箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。」(16節)

この救いの箱舟の中には、窓は上にしか向けられていない。
救いに入れられた私たちが見るべきは、滅びゆく世界ではなく、横にいる人間の罪ではなく、ただ天のみを見るべきであり、この天窓から、主のあらゆる恵みと祝福が注がれていくのである。

また、船は三階構成で、三位一体の神から、それぞれ救いの門が開かれているのである。
この門は、ノアが宣べ伝えている間は、いつでも開かれていたが、ある日ある時ある時間になると、神が自らその扉を閉め(7:16)、そうなってしまったらもはや、誰も救いには入れないのだ。

礼拝説教メッセージ音声:神の後悔(創世記6:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は、人が罪を犯したらすぐに滅ぼすことはせず、戒めと憐れみを与え、人が悔い改める事を意思によって選択し、行動するのを待っておられる。
しかしカインの子孫は、その憐れみの機会を悔い改めには用いず、やられたら何倍にもして仕返しするという価値観の元、結束して暴虐の子孫を増やして行くだけだった。

この時代、主の御名を呼び求めるセツの子孫も増え広がっていったが、「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。」(2節)
「神の子ら」という言葉は、御使いを指して言う事もあるし、神に従う者たちを指して言う事もあるが、一つ、ここから分かる事は、私達キリスト者を含む「神の子ら」が、人の娘が美しいからと好き勝手に選んで妻にしてしまうと、良くない事が起こる、という事だ。
その結果、神の霊はその人にはとどまらなくなり、単に肉に過ぎなくなくなり、齢も縮められてしまう。(3節)

神の子が、人の娘と結婚した結果、生まれるのは、ネフィリムという巨人、力強い勇士、名のあるものである。
人の価値観では、より強い、よい大きい、より名のある、より美しいのは、望ましい事であるが、神から離れたそのような価値観において、それらを追求する結果、引き起こされるのは、人の悪が増大する事、人の心に思い量る事はいつも悪いことに傾く事である。
その結果、この世代はノア以外は神の目に適わぬほどにまで、全員が堕落してしまった。

神は地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。(6節)
『主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」』(7節)
せっかく自らの手で造った人なのに、神はなぜ、人を創造した事を後悔し、拭い去ろうと言うまでになってしまったのだろうか。

もし皆さんの顔写真が悪用され、皆さんの顔によって暴力や不品行が行われているコラージュ画像や動画などが大量に出回ったとしたら、そんな画像や動画を直視していられるだろうか。
神は人を創造された時、神に似るように、神のかたちに創造され、天地万物の全てが整って、その中にご自身の似姿である人間が収まった時、はなはだ良かった、と喜ばれた。
その、神の似姿として、良い行いをするために造られたはずの人が、暴力や不品行に満ち、創造された良き物を破壊し始める事は、神にとってどれほど残念で悲しむべき事だったろう。

「しかし、ノアは主の好意を得た。」(8節)
全被造物は、ノアの故に、滅ぼし尽くされなかった、と言っても過言ではない。
もし一人の義人が、その町に、その国に、その世界、その宇宙に一人でもいるなら、神はそれを滅ぼすことを、なさらない。

ノアの名前は慰め、新しい希望という意味である。
ノアがその世界にとって慰めとなり、滅ぼさない事の原因となったように、私達も信仰によって、その地域、その国にとって慰めとなれるし、新しい希望となる事が出来るのだ。
ノアが信仰によって、古い世界から新しい世界へと生きのびたように、私達も、信仰によって来るべき世へと移行して、御国を継ぐ事が出来るのである。

礼拝説教メッセージ音声:系図に秘められた福音(創世記5:1-32):右クリックで保存
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創世記5章は、アダムの子セツ以降、人類が一旦滅びるノアの時代までの系図である。
人名にはそれぞれ意味があるが、面白い事に、アダム系図の名前の意味を順に列挙して行くと、ある意味が浮かび上がって来る。

アダムは「人、土」という意味があり、セツは「約束の、授けられた、定着した」という意味で、エノシュは「脆い、致命的、悲惨」、ケナンは「悲しみ、哀歌」、
マハラルエルはマハラル「祝福」とエル「神」の合成で、「祝福の神」という意味、エレデは「降りてくる」、エノクは「教える、始まる、ささげる」、
メトシェラは「彼が死ぬ時、何かが起きる」、レメクは「嘆き、悲しみ」、ノアは「慰め、新しい希望」という意味である。
これらの名前をつなげると、次のようになる。

「人は、定着した(約束された)。脆さ、致命的、悲惨、悲しみが。祝福の神は、降りてきて、捧げた(教えた)。彼が死ぬ時、次の事が起きた。嘆き悲しみは、慰められた(新しい希望となった。)。」

これは、キリストを如実に表していないだろうか。
系図の中には他にも、福音がちりばめられているのを見る。

「エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。・・・エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」(創世記5:22-24)
エノクは信仰によって神と共に歩み、死を経験しないよう天に移された(ヘブル11:5)が、エノクは、信仰によって永遠の死から免れる、現代の私達の雛形である。

また、エノクはカイン系列の不信心な者たちに預言した。
『アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」』(ユダ14,15節)

彼は、邪悪な世代に対し、やがて主が来られて全ての人を裁かれる事を公に言った。
私達もまた、世に対して福音を伝え、義と裁きと救いについて伝えるべきである。

エノクは自分の子の名にメトシェラ(彼が死ぬ時、何かが起こる)と名付けたが、実際、メトシェラが死んだ年に、洪水が起こった。
(メトシェラが187歳になったとき、レメクを産み、レメクが182歳になった時ノアが生まれた。この時、メトシェラは187+182=369歳。
ノアが600歳の時に大洪水が起こり(7:6)、この時メトシェラは369+600=969歳、5章27節の彼の死んだ歳と一致している。)
メトシェラ自身の名前は、そのまま預言だったのである。

神は、前触れもなく突然裁きを起こすことはなさらない。
必ず預言の御言葉を人々に示し、そのとおりに事を行われるお方である。
私達もエノクやノアのように、邪悪な時代にあって御言葉を世に示し、伝え、信仰にあって生きていくのである。

このノアの時代に一旦人類は滅びたのだが、ノアは神とともに歩んだ信仰によって、滅び去る世から、次の新しい改まった世へと生きながらえた。
私達も、信仰によって次の世へと生き長らえるのである。

礼拝説教メッセージ:カインの子孫と神を呼ぶ子孫(創世記4:8-16)

※ 本日の録音は不備がありましたため、テキスト配信のみとなります。

神はカインの乞い願う憐れみに応え、だれもカインを撃つことのないようにと、しるしを付けて下さった。
彼はその施してくださった憐れみの故に悔い改め、へりくだって生きるべきであったが、そうではなかったようである。

彼は主の前から去って、町(城)を建てて住み、子や孫、ひ孫、玄孫、来孫を生んで行った。(17,18節)
カインの来孫にあたるレメクは、二人の妻をめとり、家畜を飼う者の先祖・ヤバル、笛と竪琴を巧みに奏する者の先祖・ユバル、青銅と鉄のあらゆる用具の鍛治屋の先祖・トバル・カインを産んだ。
地が呪われ、農耕をする事はできなくなったカインは、代わりに、町を立てて集まり、畜産や芸術、技術などの文明を発達させ、神に頼るのではなく、結束して自らの力に頼って生きるようになった。
しかし、それは主から離れた生活、神なき文明であり、代を下るごとにその暴虐さは増して行く。

カインの子孫がどのような価値観であるのか、レメクの言葉から見る事が出来る。
『レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」』(創世記4:23-24)
カインは、やられたら七倍の復讐だったが、レメクの代ではそれが七十七倍に増加しており、少しでもやられたら相手を殺した事を妻たちに、しかも、誇らしげに自慢している。
このように、やられたら何倍にもして返す生き方、相集い、文明を発達させる生き方を続けて行くと、地は堕落し、暴虐に満ちて行き、神が心痛めるまでになるのである。(6章)

神はなぜカインを生かしておいたのか。それは、憐れみである。
人は、すぐにでも滅ぼせば良かったのに、と思うかもしれないが、もし神がそうだとしたら人は誰も残っていなかっただろう。

しかし神は、主に従う子孫も備えて下さる。
「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(26節)
アダムに再び子が生まれた。
その子はセト、セトの子はエノシュで、このエノシュの代から、主の御名を呼ぶようになっていった。
バアルにひざをかがめない七千人のように(1列王19:18)、世の中がいかに不信仰に満ちようとも、主は、主の残された民を、備えておられるのである。

人はカインの子孫になりたがる。
しかし、私たち主に呼び出された者達は、主の御名を呼ぶ事をやめてはならない。

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