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関わってはならない争いに関わってしまった故に死んでしまったヨシヤ王(2列王記23:29-37)
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- pastor 2017-6-28 6:52
関わってはならない争いに関わってしまった故に死んでしまったヨシヤ王(2列王記23:29-37)
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23:29 ヨシヤの世にエジプトの王パロ・ネコが、アッスリヤの王のところへ行こうと、ユフラテ川をさして上ってきたので、ヨシヤ王は彼を迎え撃とうと出て行ったが、パロ・ネコは彼を見るや、メギドにおいて彼を殺した。
23:30 その家来たちは彼の死体を車に載せ、メギドからエルサレムに運んで彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子エホアハズを立て、彼に油を注ぎ、王として父に代らせた。
あの、主の目に叶う事を熱心にして、最大の賛辞を受けたヨシヤ王であるが、彼の最後は実にあっけなく、突然訪れた。
第二歴代誌のほうに、その次第がより詳しく記されている。
35:20 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコはユフラテ川のほとりにあるカルケミシで戦うために上ってきたので、ヨシヤはこれを防ごうと出て行った。
35:21 しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。
35:22 しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、
35:23 射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。
35:24 そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。
つまりヨシヤ王の死んでしまった原因は、関わってはならない戦いに関わった事である。
当時アッシリヤは力衰え,新興のバビロニヤがこれを西北方へ押しやっていた.アッシリヤ王とその軍隊はバビロニヤ軍に追われ,ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰められた.このアッシリヤへの援軍を率い〈エジプトの王ネコ〉(20)が北上するという情勢の中で,それを阻止するためにヨシヤは軍を率いて〈メギドの平地〉(22)でエジプト軍に戦いを挑んだ.ネコは「ユダを攻めるのではないから,軍を引け」と忠告したが,ヨシヤは聞き入れず,この戦いで彼は戦死する(20‐24)(聖書注解)
ヨシヤ王が自分が関与すべきでない大国間の戦争に関与し、しかも神からの警告に聞かず変装までして戦いに出て、しかも結果的にはバビロンを助ける形で関わってしまったゆえ、アッシリヤとエジプトの連合軍は破れ、バビロンが盛んとなり、さらにはそれが、後のイスラエルの首を締める形になってしまった。
箴言に記されている。
箴言26:17 自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ。
また、主は言われた。
マタイ5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
あの善王ヨシヤが死んでしまった原因、それは、首を突っ込んではならない戦いに首を突っ込んでしまった事だった。
私達の戦いの武器は、肉によるものではなく、御言葉の剣、平和の福音、信仰の大盾であり、平和をもたらすべきものである。
23:31 エホアハズは王となった時二十三歳で、エルサレムで三か月の間、世を治めた。母はリブナのエレミヤの娘で、名をハムタルといった。
23:32 エホアハズは先祖たちがすべて行ったように主の目の前に悪を行ったが、
23:33 パロ・ネコは彼をハマテの地のリブラにつないで置いて、エルサレムで世を治めることができないようにした。また銀百タラントと金一タラントのみつぎを国に課した。
23:34 そしてパロ・ネコはヨシヤの子エリアキムを父ヨシヤに代って王とならせ、名をエホヤキムと改め、エホアハズをエジプトへ引いて行った。エホアハズはエジプトへ行ってそこで死んだ。
23:35 エホヤキムは金銀をパロに送った。しかし彼はパロの命に従って金を送るために国に税を課し、国の民おのおのからその課税にしたがって金銀をきびしく取り立てて、それをパロ・ネコに送った。
23:36 エホヤキムは二十五歳で王となり、エルサレムで十一年の間、世を治めた。母はルマのペダヤの娘で、名をゼビダといった。
23:37 エホヤキムは先祖たちがすべて行ったように主の目の前に悪を行った。
こうしてイスラエルは衰退の奈落へと転げ落ちていく。ヨシヤ王以降、主に聞き従う善い王は、出なかった。
ヨシヤ王は、確かに主に喜ばれる政策を行った。
23:26 けれども主はなおユダにむかって発せられた激しい大いなる怒りをやめられなかった。これはマナセがもろもろの腹だたしい行いをもって主を怒らせたためである。
マナセの犯した罪の中で、何が、主を特に怒らせたか。
それは、罪のない者の血を流す罪である。(2列王記24:3-4)
人の血を流す事は、後々まで、人の心に傷を残し、その人達が主に訴え続けるなら、主は彼らの叫びを聞かれる。
私達は血を流す者ではなく、平和の子として地を相続するものでありたい。
歴代の王達の中で最高の賞賛が与えられたヨシヤ(2列王記23:15-28)
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- pastor 2017-6-27 7:23
歴代の王達の中で最高の賞賛が与えられたヨシヤ(2列王記23:15-28)
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23:15 また、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムが造った高き所、すなわちその祭壇と高き所とを彼はこわし、その石を打ち砕いて粉とし、かつアシラ像を焼いた。
ヨシヤ王は先祖たちが造った主に忌み嫌われるものを、惜しむ事なく破壊した。たとえそれが何百年も前のものであろうとも、また、彼の父祖たちがいかに大切にしてきたものであろうとも。
それは、主の目に適った事である。なぜなら主は、彼がこの事をするのを既にヤロブアムの時代から宣言しておられたからである。
23:16 そしてヨシヤは身をめぐらして山に墓のあるのを見、人をつかわしてその墓から骨を取らせ、それをその祭壇の上で焼いて、それを汚した。昔、神の人が主の言葉としてこの事を呼ばわり告げたが、そのとおりになった。
この事を、神の人がこの事が成る事を呼ばわり告げたのは、どのくら「昔」であったか。
それは実に300年以上も昔である。
23:17 その時ヨシヤは「あそこに見える石碑は何か」と尋ねた。町の人々が彼に「あれはあなたがベテルの祭壇に対して行われたこれらの事を、ユダからきて預言した神の人の墓です」と言ったので、
23:18 彼は言った、「そのままにして置きなさい。だれもその骨を移してはならない」。それでその骨と、サマリヤからきた預言者の骨には手をつけなかった。
ヨシヤは、300年ほど前に建てられたこの石碑に目を留め、現地の人々に聞いたところ、これは「あなたが」この事を行う事を預言した人の墓です、と答えた。
300年前に何が起きたか。
それが記されているのは第一列王記13章、歴代の王達と何百何千万の人々に罪を侵させる大元となったヤロブアム王の時代に遡る。
1列王記13:1 見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたいていた。
13:2 神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる』」。
ヨシヤが宗教改革を行ったのは紀元前622年頃と言われている。また、ヤロブアムの即位は、紀元前931年と言われている。
実に、300年前から既に主はヨシヤを名指しして、この事が行われる事を予告しておられたのだ。
その時預言者は、遠い将来に起きる事を予告しただけではない。その場でしるしを主は与えられた。
1列王記13:3 その日、彼はまた一つのしるしを示して言った、「主の言われたしるしはこれである、『見よ、祭壇は裂け、その上にある灰はこぼれ出るであろう』」。
13:4 ヤラベアム王は、神の人がベテルにある祭壇にむかって呼ばわる言葉を聞いた時、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ」と言ったが、彼にむかって伸ばした手が枯れて、ひっ込めることができなかった。
13:5 そして神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。
13:6 王は神の人に言った、「あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてください」。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった。
ヤロブアムは、この自分の祭壇に悪い事を予告した預言者を捕らえよと言って伸ばした手がしなびてしまい、ゆるしを乞い願った結果、その手を元通りにしていただいた事も、その身をもって経験した。
しかし彼は、悔い改める事をせず、自分で造ったこの祭壇を自分の手で破壊する事をしないまま、その祭壇で300年もの間、多くの人々に罪を犯させ続ける結果となってしまった。
破壊し尽くすべき罪、そのように罪をそそのかさせてしまう物は、すみやかに私達の中から除き去るべきである。
そうでないと、自分自身に災いを招くのみならず、自分の家族や多くの子々孫々さえも、災いへと導いてしまうからだ。
彼は、このように、自国内を隅々まで行き巡り、主の目に汚らわしいものを取り除ききよめた。
私達が、皿がいかに純金で出来ていようとも、汚物のついているなら用いないのと同じように、神は、きよくない者は用いず、きよい者をこそ用いてくださる。
だから私達も、自らをきよくする努力を務めるべきである。
23:21 そして王はすべての民に命じて、「あなたがたはこの契約の書にしるされているように、あなたがたの神、主に過越の祭を執り行いなさい」と言った。
23:22 さばきづかさがイスラエルをさばいた日からこのかた、またイスラエルの王たちとユダの王たちの世にも、このような過越の祭を執り行ったことはなかったが、
23:23 ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越の祭を主に執り行ったのである。
彼の治世の18年に、どんなに素晴らしい過越の捧げものをささげたかは、2歴代誌35章に詳しく記されている。
2歴代誌35:18 預言者サムエルの日からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭を行ったことはなかった。またイスラエルの諸王のうちには、ヨシヤが、祭司、レビびと、ならびにそこに来たユダとイスラエルのすべての人々、およびエルサレムの住民と共に行ったような過越の祭を行った者はひとりもなかった。
預言者サムエルの時代からこのかた、である。
サムエルはサウルに油を注いでイスラエル最初の王とし、またダビデにも油を注いだキングメーカーである。
つまり、歴代の王の中で、ヨシヤは、最も優れた過越祭を捧げたのだ。
23:25 ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起らなかった。
23:26 けれども主はなおユダにむかって発せられた激しい大いなる怒りをやめられなかった。これはマナセがもろもろの腹だたしい行いをもって主を怒らせたためである
23:27 それゆえ主は言われた、「わたしはイスラエルを移したように、ユダをもわたしの目の前から移し、わたしが選んだこのエルサレムの町と、わたしの名をそこに置こうと言ったこの宮とを捨てるであろう」。
結局、救いは本人自身のものである事を示している。
彼の前の王達がいかに許されない事を、主の前に行ってきたか。それは、もはや許されない所までに、審判の目盛りを満たしてしまったのだ。
しかしその直前に、ヨシヤ王は主の前に忠実に仕え、そして先祖たちの犯してきた諸々の罪の生成物を破壊し、主の預言をことごとく成就させた。
彼は、歴代の王達の中で、最もすぐれた賞賛を与えられた。
それは、彼は、御言葉が与えられた時に悔い改め、御言葉に忠実に従い、その通りに実行したからだ。
私達も、救いを実現するために、自らの中の主に忌み嫌われるものは取り除き、主に喜ばれる礼拝を捧げ、そして主から最高の賞賛が与えられる者を目指して、信仰の競争を走りぬきたい。
主の前に約束し、誰よりも思い切って実行したヨシヤ王(2列王記23:1-15)
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- pastor 2017-6-16 7:22
主の前に約束し、誰よりも思い切って実行したヨシヤ王(2列王記23:1-15)
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若い時から主の道に歩もうと志し、ある時、主の律法を発見し、それに記された主の道と、それにあまりにも反した道を歩んできた先祖代々の罪とを照らしあわせた時、恐れおののいたヨシヤ王は、早速主に伺った。
主は、御言葉を前に恐れおののいた彼の代には、その災いを降されない、と、約束して下さった。
主からの災いを、自分は免れた、と思ったキリスト者が、それに安んじて、油断し、罪を犯してしまう事はままあるが、ヨシヤはどうだっただろう。
23:1 そこで王は人をつかわしてユダとエルサレムの長老たちをことごとく集めた。
23:2 そして王はユダのもろもろの人々と、エルサレムのすべての住民および祭司、預言者ならびに大小のすべての民を従えて主の宮にのぼり、主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読み聞かせた。
ヨシヤは早速行動した。しかも、大小全ての人々を集め、彼らに主の御言葉をことごとく読み聞かせた。
聞かせた、というだけで終わるのではない。霊の指導者は、ただ聞かせるだけでは十分ではない。
23:3 次いで王は柱のかたわらに立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし精神をつくして、主の戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物にしるされているこの契約の言葉を行うことを誓った。民は皆その契約に加わった。
ヨシヤ王はさらに、自分のみならず人々にも主の御前に正しく歩む事を約束した。
私達も、人々に主をすすめる時、主の前に歩むか、そうでないかを人の口から告白させる事が重要である。
ヨシヤは、律法の書に次のように書いてある事を心にとめ、それを実行したのだ。
申命記6:1 これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。
6:2 これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。
6:3 それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。
6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
そして彼は、約束したならら、それで満足して、何もしなかったというわけではない。
彼は、実に思い切った行動に踏み切る。
23:4 こうして王は大祭司ヒルキヤと、それに次ぐ祭司たちおよび門を守る者どもに命じて、主の神殿からバアルとアシラと天の万象とのために作ったもろもろの器を取り出させ、エルサレムの外のキデロンの野でそれを焼き、その灰をベテルに持って行かせた。
主の神殿の中に、バアルとアシラと天の万象とのために作ったもろもろの器があったのだ。
確かに彼の祖父マナセの代にそれが築きあげられたと、記されているが、それがそのまま主の宮に放置されていたのは、おどろくべき事かもしれない。
しかし読み進めていくと、もっとおどろくべき事が記されている。
23:5 また、ユダの町々とエルサレムの周囲にある高き所で香をたくためにユダの王たちが任命した祭司たちを廃し、またバアルと日と月と星宿と天の万象とに香をたく者どもをも廃した。
23:6 彼はまた主の宮からアシラ像を取り出し、エルサレムの外のキデロン川に持って行って、キデロン川でそれを焼き、それを打ち砕いて粉とし、その粉を民の墓に投げすてた。
当時のエルサレム周辺の町々には「高き所」という、太陽や月や星々や、天のもろもろを神とする神社仏閣のようなものがあり、そこに仕える祭司もいた。
彼はそれを廃止し、また、なんとアシェラ像が主の宮の中にさえあったのだが、それをも排除した。
次にはもっと驚く事が書いてある。
23:7 また主の宮にあった神殿男娼の家をこわした。そこは女たちがアシラ像のために掛け幕を織る所であった。
なんと、主の宮の中に、神殿男娼の家があったのだ。男と男が忌み嫌われるべき事をする者の家が、聖なる主を礼拝する所に、あったのだ。
御言葉に立っているキリスト者は、これを驚嘆すると同時に、震えるほど不愉快な思いになるかもしれない。しかし、御言葉を知らず、同性愛をよしとする「キリスト者」は、それをなんとも思わないかもしれない。
しかし聖書は、同性愛は、生きたまま炎に焼かれる滅びに至るような、忌むべき行為である事を示している。(創世記19章、ローマ1:26-28, レビ18:22-30, 1テモテ1:9-10, 1コリント6:9-10, 2ペテロ2:6-10、ユダ1:7)
しかし、なぜこのような忌むべき事が、この箇所に至るまで、気づかなかったのか。
それは、それが習慣化し、まかり通っていたからであり、その存在が「罪」とは思っていなかったからである。
つまり、万物の基準である御言葉が無かったからであり、指摘されるまで気づかなかったのだ。
ヨシヤは、御言葉の基準を知った時、それを取り除いたのだ。
23:8 彼はまたユダの町々から祭司をことごとく召しよせ、また祭司が香をたいたゲバからベエルシバまでの高き所を汚し、また門にある高き所をこわした。これらの高き所は町のつかさヨシュアの門の入口にあり、町の門にはいる人の左にあった。
23:9 高き所の祭司たちはエルサレムで主の祭壇にのぼることをしなかったが、その兄弟たちのうちにあって種入れぬパンを食べた。
高き所は、主を礼拝するのか、偶像を礼拝するのか、あやふやな所であるが、ひとつはっきりしている事は、律法に照らすなら主が定めた所以外で礼拝するのは違反である事である。
ヨシヤはそれをも取り除いた。
23:10 王はまた、だれもそのむすこ娘を火に焼いて、モレクにささげ物とすることのないように、ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した。
自分の息子や娘を火で焼いて邪教の神に捧げるという蛮行を、ヨシヤの祖父マナセは行ったが、彼はもはやそのような事が出来ないようにした。
23:11 またユダの王たちが太陽にささげて主の宮の門に置いた馬を、境内にある侍従ナタンメレクのへやのかたわらに移し、太陽の車を火で焼いた。
23:12 また王はユダの王たちがアハズの高殿の屋上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇とをこわして、それを打ち砕き、砕けたものをキデロン川に投げすてた。
ヨシヤは、彼の祖父が、そのまたさらなる祖父の代由来の諸々の偶像、すなわち、主に忌み嫌われるべきものを、思い切って破壊した。
そればかりではない。
23:13 また王はイスラエルの王ソロモンが昔シドンびとの憎むべき者アシタロテと、モアブびとの憎むべき者ケモシと、アンモンの人々の憎むべき者ミルコムのためにエルサレムの東、滅亡の山の南に築いた高き所を汚した。
23:14 またもろもろの石柱を打ち砕き、アシラ像を切り倒し、人の骨をもってその所を満たした。
なんと、ソロモンの代から存在した高き所も、ずっとあって、そこで主の目に忌み嫌われる事が行われて来たのだ。
それは数百年の昔から存在し、日本でいえば、国宝級のような史物さえも、ヨシヤは、主に忌み嫌われるものであるからには、破壊した。
まことに生半可な心持ちでは出来る事ではない。今までの王は、できなかった事を、ヨシヤは実行したのだ。
私達も、自分の人生で、あるいは家系で代々持ち続けてしまった、主に忌み嫌われる習慣や思考パタンなどは、気付かされた時には、ヨシヤのように、いさぎよく捨て去るものでありたい。
ヨシヤ王 - 南ユダ王国最後の良い王(2列王記22:1-20)
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22:1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。
22:2 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。
ヨシヤは、南ユダ王国最後の「良い王」に数えられた王であり、彼以降は悪い王が続いて、バビロン捕囚への道をまっしぐらに進んでしまう。
彼は8歳で王になった。彼の父アモンが謀反にあって殺されたからであるが、彼は十六歳の若い時から既に主の目に叶う統治をしようと心がけている有様が、2歴代誌に記されている。
2歴代誌34:3 彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、
34:4 もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、
34:5 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。
34:6 またマナセ、エフライム、シメオンおよびナフタリの荒れた町々にもこのようにし、
34:7 もろもろの祭壇をこわし、アシラ像およびもろもろの刻んだ像を粉々に打ち砕き、イスラエル全国の香の祭壇をことごとく切り倒して、エルサレムに帰った。
彼は若い頃から自ら率先して主に喜ばれる道を歩もう、とした。
そうして、彼の父たちの代で汚されてしまった主の宮をきよめている最中に、彼はあるものを発見する。
22:8 その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。
22:9 書記官シャパンは王のもとへ行き、王に報告して言った、「しもべどもは宮にあった銀を皆出して、それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡しました」。
22:10 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それを王の前で読んだ。
22:11 王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。
この、神殿の中に古く眠っていた書、それは、モーセの律法の書であった。
そして、その内容を知った時のヨシヤの対応は、衣を裂いて、悔い、へりくだり、泣いた事だった。(19節)
それまでヨシヤやその時代の人々は、久しく、モーセの律法の内容を知らず、ただ、預言者の言葉から主の意図を知り、預言がない時は、なんとなく過ごして来たのである。
主の御言葉を知らず、主の基準を知らずに罪を犯して来るという事は、ある。しかし、主の御言葉を知り、基準を知った後に、どう行動するか。それこそ最も大事である。
モーセの律法には、書いてある。主に聞き従って歩む人がいかに幸いであるか、いかに特別扱いを受けて祝福されるか。
それと同時に、主の御声に聞き従わないなら、どんなに災いに遭うか、その災いはどの程度か、それでも聞き従わないなら最終的にはどうされてしまうのか。
実際、ヨシヤは見た。北イスラエル王国が、主の御声に聞き従わない事を続けた結果、彼らは災いに遭い、律法に書いてある通りに、母親が自分の子の肉を食べるほどの飢饉にも遭い、そしてついにはアッシリヤによって滅ぼされ、捕囚として連れて行かれてしまったのを。
御言葉に書いてある事を知り、そして実際にその通りになっている人を見た時、私達も、ヨシヤのように恐れおののきつつ、御声に聞き従う対応を取るべきである。
それでも主を恐れず、聞き従わない事を続けたらどうなったか、ヨシヤはその父アモンがそうだったのを見た。それで彼は、御言葉に対する恐れがあった。
22:12 そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、
22:13 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。
ヨシヤは御言葉を知って恐れおののき、早速、主の御心を伺おうとして預言者へと人を遣わした。
22:14 そこで祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャパンおよびアサヤはシャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハルハスの子であるテクワの子で、衣装べやを守る者であった。その時ホルダはエルサレムの下町に住んでいた。彼らがホルダに告げたので、
22:15 ホルダは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。
22:16 主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。
22:17 彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』。
ヨシヤがそれまで主に対して示してきた忠実は、確かにあったかもしれない。しかし主が言われた事は、手厳しいものだった。
その内容はヨシヤにではなく、主を怒らせた者達に対して、すなわち、イスラエルに対してのものだった。
イスラエルの歴代の王達や人々は、律法に照らせば災いを受ける他はないことばかりして来たからだ。しかし主は、悔い改める人には憐れみを注がれる。
22:18 ただし主に尋ねるために、あなたがたをつかわしたユダの王にはこう言いなさい、『あなたが聞いた言葉についてイスラエルの神、主はこう仰せられます、
22:19 あなたは、わたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。
22:20 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう』」。彼らはこの言葉を王に持ち帰った。
主は、悔い改めて御言葉を守り行う本人には、憐れみを注いで下さる。
肝心なのは、御言葉を聞いた後である。
ヒゼキヤは、災いが自分の代に降される事はないと思った時、「その言葉はありがたい」と、他人事のようにして、悔い改める事をしなかった。それで彼の子マナセという非常に悪い王を育ててしまった。
ヨシヤは、悔い改めに相応しい行動をした。
私達は、御言葉が示された時、どう応答するだろうか。
御言葉を聞いて、知ってもなお主の目に悪とみなされてしまう道を改めないなら、通常の人が受けないような災いに遭う事は、ヨシヤが聞いた律法に書いてある。
申命記29:22 後の代の人、すなわちあなたがたののちに起るあなたがたの子孫および遠い国から来る外国人は、この地の災を見、主がこの地にくだされた病気を見て言うであろう。
29:23 ――全地は硫黄となり、塩となり、焼け土となって、種もまかれず、実も結ばず、なんの草も生じなくなって、むかし主が怒りと憤りをもって滅ぼされたソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムの破滅のようである。――
29:24 すなわち、もろもろの国民は言うであろう、『なぜ、主はこの地にこのようなことをされたのか。この激しい大いなる怒りは何ゆえか』。
29:25 そのとき人々は言うであろう、『彼らはその先祖の神、主がエジプトの国から彼らを導き出して彼らと結ばれた契約をすて、
29:26 行って彼らの知らない、また授からない、ほかの神々に仕えて、それを拝んだからである。
29:27 それゆえ主はこの地にむかって怒りを発し、この書物にしるされたもろもろののろいをこれにくだし、
29:28 そして主は怒りと、はげしい怒りと大いなる憤りとをもって彼らをこの地から抜き取って、ほかの国に投げやられた。今日見るとおりである』。
主の民は、確かに特別扱いを受ける。
御言葉に聞き従う事への幸いは、尋常ならぬ幸いだが、御言葉にあえて反する災いもまた、尋常ならぬ災いである。
私達は、どちらを受けたいだろうか。
そして、次の主の言葉はとても重要である。
29:29 隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。
御言葉の中に、隠された内容と、明らかにされた内容がある。
私達は、御言葉を全て知っている者ではない。わからない御言葉も、意味が隠された御言葉も、ある。
しかし、人生の時々に応じて、理解の光が当てられ示される御言葉があり、それは、まさに我々のものである。
まだ明かされていない事については、私達は知らないゆえに、十字架の主の憐れみを受ける事ができる。
しかし、知って、理解したならば、それは「長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせる」ものである。
ヨシヤは、人生の前半、御言葉が隠されていた。
しかし、それが見つけ出され、明らかにされ、その内容を理解した以上、これから彼らが御言葉に対してどうするかによって、幸いに入るか、呪いに入るかは、彼ら次第である。
私達も、御言葉はすぐちかくにある。
私達は御言葉を恐れ敬い、守り行い、あらゆる事に主から特別扱いを受け、祝福の王道を踏み外さずに歩んでいくものでありたい。
災いに遭って悔い改めたマナセの後半人生と、一切の悔い改めをしなかったアモン(2列王記21:1-15)
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- pastor 2017-6-13 7:04
災いに遭って悔い改めたマナセの後半人生と、一切の悔い改めをしなかったアモン(2列王記21:1-15)
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マナセは数々の罪を主の御前で犯した。
彼は父ヒゼキヤがせっかくイスラエルの中から取り除いた悪習を、再び復活させ、また主の宮に偶像を配置したり、預言者の言葉を退けたりした。
そればかりではない。
2列王記21:16 マナセはまた主の目の前に悪を行って、ユダに罪を犯させたその罪のほかに、罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果から、かの果にまで満たした。
21:17 マナセのその他の事績と、彼がおこなったすべての事およびその犯した罪は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
マナセは「罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果から、かの果にまで満たした。」
きっとマナセに耳の痛い忠言をくれる預言者や、彼の気に入らない人を、そこがエルサレムの端であろうと中心であろうと、かまわず次々と殺して行ったのだろう。
それほどの悪を行ったマナセには、主の直接のさばきが降った事が歴代誌には記されている。
2歴代誌33:10 主はマナセおよびその民に告げられたが、彼らは心に留めなかった。
33:11 それゆえ、主はアッスリヤの王の軍勢の諸将をこれに攻めこさせられたので、彼らはマナセをかぎで捕え、青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った。
彼は、アッシリヤによって捕らえられ、青銅のかせに引きずられ、バビロンに連れて行かれたのだ。
まさに主が預言者の口を通して語られた通り、全くもって改めない彼にはアハブ(北イスラエル王国)と同じ秤で量られ、北イスラエル王国がアッシリヤによって滅ぼされ捕囚されてしまったのと、全く同じさばきにかけられたのだ。
もはや全くの絶望の状況に陥ってしまった彼だが、そのどん底の中から、マナセは主の前に悔い改めた。
33:12 彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、
33:13 神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った。
主はなんと憐れみに満ちたお方であろうか。
あれほどの罪を犯して来た彼なのに、主に悔い改めた事で、彼はいのちを長らえたばかりでなく、エルサレムに戻され、元の王の地位へと戻されたのだ。
それはまさに奇跡である。
33:14 この後、彼はダビデの町の外の石がきをギホンの西の方の谷のうちに築き、魚の門の入口にまで及ぼし、またオペルに石がきをめぐらして、非常に高くこれを築き上げ、ユダのすべての堅固な町に軍長を置き、
33:15 また主の宮から、異邦の神々および偶像を取り除き、主の宮の山とエルサレムに自分で築いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨て、
33:16 主の祭壇を築き直して、酬恩祭および感謝の犠牲を、その上にささげ、ユダに命じてイスラエルの神、主に仕えさせた。
彼は、悔い改めに相応しい実を結んだ。
このように、彼は口先ではなく心底悔いて、そして、改めた心を主はご覧になられたから、彼を元通りの地位に戻し、そして彼が悔い改めに相応しい実を結ぶ事によって、主に心から立ち返るものには全てこのように恵みを施して下さるお方だと知らせるために、そのようにされたのだ。
エゼキエル18:31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
18:32 わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。
主は、誰が滅ぶのも望んでおられず、悔い改めて命を得る事を望んでおられる。
しかし、彼の子アモンはそうではなかった。
2列王記21:19 アモンは王となった時二十二歳であって、エルサレムで二年の間、世を治めた。母はヨテバのハルツの娘で、名をメシュレメテといった。
21:20 アモンはその父マナセのおこなったように、主の目の前に悪を行った。
21:21 すなわち彼はすべてその父の歩んだ道に歩み、父の仕えた偶像に仕えて、これを拝み、
21:22 先祖たちの神、主を捨てて、主の道に歩まなかった。
21:23 アモンの家来たちはついに彼に敵して徒党を結び、王をその家で殺したが、
21:24 国の民は、アモン王に敵して徒党を結んだ者をことごとく撃ち殺した。そして国の民はアモンの子ヨシヤを王としてアモンに代らせた。
彼の統治は、たった2年だった。
北イスラエル王国のアハブもそうだった。彼は最後、悔い改めたが、彼の子アハズヤはそうではなく、主の前に悪を貫いたため、その統治はアモンと同じ、たった2年であった。
2歴代誌33:22 彼はその父マナセのしたように主の前に悪を行った。すなわちアモンはその父マナセが造ったもろもろの刻んだ像に犠牲をささげて、これに仕え、
33:23 その父マナセが身を低くしたように主の前に身を低くしなかった。かえってこのアモンは、いよいよそのとがを増した。
33:24 その家来たちは党を結んで彼にそむき、彼をその家で殺した。
アモンは、主の御前にへりくだらず、悔い改めず、なおもそのとがを増し加えた、と書いてある。
アモンは父王の悪い所も、良い所も見たはずである。父王が悪い事をした結果いかに災いに覆われたか、そして、その悪から立ち返って主に悔い改めたら、いかに奇跡的に幸いを施して下さったかも、見た。
それにもかかわらず、アモンは主に立ち返らなかった。
主は、一切の隠れた所と、人の心の奥底を、ご存知である。その人がその後悔い改める余地があるか無いかも、全て含めて。
彼の心には、主に心翻す余地が一切無かったのだろう。それで主は、彼をわずか2年で王位から取り除き、この世から取り去ったのだ。
ヤコブ4:6 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
4:9 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
4:10 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
主は、へりくだる者に、近くおられる。
罪の楽しみを楽しんでいる人が、その楽しみを「罪をしない」という苦しみ・悲しみに変えるなら、主は高めてくださる。
ちょうど、悔いてへりくだったマナセを、再び王座へと戻してくださったように。
マナセ - 南ユダ王国最悪の王(2列王記21:1-15)
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ヒゼキヤは良い王として記されている。しかし、彼が主から死を宣告された時、彼は祈って、主は彼の命を15年伸ばして下さったが、その15年は、良いものではなかった。
彼は、バビロンから来た使者に、宝物庫を見せ、武器庫を見せ、彼が主からいただいた栄光の品々をことごとくひけらかしてしまった。
それによって、将来、バビロンに見せた全てがバビロンによって奪われてしまう日が来る、と、イザヤから警告されたのに、ヒゼキヤは、自分の代には災いは降らないとたかをくくり、適当な返事をして悔い改めなかった。
彼は、15年命が引き伸ばされた事によって、たかをくくるような事をしたが、人は、知らないほうが良いことがある。
もし、アブラハムが召し出されたばかりの時、最初から神が立てておられた先々の事も教えておられたら、どうだっただろう。彼は将来、100歳になってからやっと子供が与えられ、その子は神に捧げなくてはならず、また、彼が生きている間は、マクペラの畑にある洞穴しか土地が与えられない、と、全行程が最初に示されていたら、彼もまた、カランから出ないままだったかもしれない。
会社や政治は、何も隠し立てせず全てを晒すべきだ、という人もいるが、私達は、神のご計画を何もかも知る必要は無い。
神は、なぜ、事を知らせない事のほうが多いのか。なぜ、物事を隠されるのか。
それは、人が「知る」事によって、罪を犯すという事をさせないためである。そして正しい道に歩ませるためである。
ヒゼキヤは、いのちの尽きる日を「知って」しまった故に、好き放題な事をし、また、バビロンに全て手の内を「知らせて」しまった故に、それらは将来奪われてしまう事になってしまった。
ヒゼキヤは、伸ばされた15年の3年目に、マナセが生まれた。
21:1 マナセは十二歳で王となり、五十五年の間、エルサレムで世を治めた。母の名はヘフジバといった。
21:2 マナセは主がイスラエルの人々の前から追い払われた国々の民の憎むべきおこないにならって、主の目の前に悪をおこなった。
21:3 彼は父ヒゼキヤがこわした高き所を建て直し、またイスラエルの王アハブがしたようにバアルのために祭壇を築き、アシラ像を造り、かつ天の万象を拝んで、これに仕えた。
マナセは、父ヒゼキヤがせっかく断ち切ったあらゆる悪しき習慣や偶像を、ことごとく復活させてしまった。
主は、見えないお方である。彼は主はいないと思って悪を行ったのかもしれないが、しかし2節にある通り「主の目の前に悪をおこなった」のだ。
私達はいつも主の眼差しを意識するべきである。
21:4 また主の宮のうちに数個の祭壇を築いた。これは主が「わたしの名をエルサレムに置こう」と言われたその宮である。
主の宮には、主の御名が置かれている。
その、主の面前に、彼は主が忌み嫌われるものを、恐れなく、平然と置いたのだ。
なぜ、こんな王が生まれてしまったのか。
彼は12歳で王になったが、きっと彼はその12年間、御言葉によって戒められる事なく甘やかされて育てられてしまったのだろう。
21:5 彼はまた主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。
21:6 またその子を火に焼いてささげ物とし、占いをし、魔術を行い、口寄せと魔法使を用い、主の目の前に多くの悪を行って、主の怒りを引き起した。
再び「主の目の前に」多くの悪を行ったと記されている。
主の眼差しを無視し、自分の欲望を満足させるためには、自分の子さえも焼いてしまう。
マナセはそこまで、欲望に忠実に、そして主に対して不忠実な事をしてしまった。
21:7 彼はまたアシラの彫像を作って主の宮に置いた。主はこの宮についてダビデとその子ソロモンに言われたことがある、「わたしはこの宮と、わたしがイスラエルのすべての部族のうちから選んだエルサレムとに、わたしの名を永遠に置く。
21:8 もし、彼らがわたしが命じたすべての事、およびわたしのしもべモーセが命じたすべての律法を守り行うならば、イスラエルの足を、わたしが彼らの先祖たちに与えた地から、重ねて迷い出させないであろう」。
主の宮は、主を礼拝する場所である。主の面前である事を特に意識する場所である。
そこに、彼は異教の像を置いた。
私達も、礼拝という主を意識し主に捧げるべき時間、場所において、思いの中に「異教」を置いて罪を犯していないだろうか。
体だけは礼拝に参加し、思いの中は別の考え、別の教えを意識し、贖い主イエス様よりも、そちらのほうを頼りとし主体としているなら、マナセと同じ事をしている。
21:9 しかし彼らは聞きいれなかった。マナセが人々をいざなって悪を行ったことは、主がイスラエルの人々の前に滅ぼされた国々の民よりもはなはだしかった。
21:10 そこで主はそのしもべである預言者たちによって言われた、
21:11 「ユダの王マナセがこれらの憎むべき事を行い、彼の先にあったアモリびとの行ったすべての事よりも悪い事を行い、またその偶像をもってユダに罪を犯させたので、
マナセは、主から、カナンの先住民よりも悪辣だと評価されている。
カナンの先住民は確かに邪悪な事を行っていたが、主の御言葉を知らず、主の道を知らなかった。
しかしマナセは、主の民であり、主の御言葉は知っていたはずなのに、それでも敢えて主の道に反したのだ。
その罪は、非常に重い。
21:12 イスラエルの神、主はこう仰せられる、見よ、わたしはエルサレムとユダに災をくだそうとしている。これを聞く者は、その耳が二つながら鳴るであろう。
21:13 わたしはサマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこし、人が皿をぬぐい、これをぬぐって伏せるように、エルサレムをぬぐい去る。
21:14 わたしは、わたしの嗣業の民の残りを捨て、彼らを敵の手に渡す。彼らはもろもろの敵のえじきとなり、略奪にあうであろう。
21:15 これは彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日に至るまで、彼らがわたしの目の前に悪を行って、わたしを怒らせたためである」。
これは、今までの王達に対しては無かった警告である。
「サマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこ」す。
つまり、エルサレムさえも、主に対する反逆を続けて行くなら、サマリヤがそうなったのと同じく破壊され、捕囚され、散り散りにされてしまう。
それも、彼らを「アハブの家」と同列にして、主は評価している。
私達はこれを歴史の一出来事としてではなく、自分に対する戒めとして受けるべきである。
主からいただいた恵み、憐れみ、ゆるしを軽んじ、ないがしろにし続けて行くなら、やがて、アハブの家に起こされたのと同じように、また、南ユダ王国がバビロンによって破壊し尽くされてしまったのと同じように、されてしまうのだ。
マナセは、これらの預言者の言葉にどう対応したか。
16節には、彼は罪なき者の血を多く流して、エルサレムのあちら、こちらに満たした、と記されている。
きっと彼は、自分の意にそぐわない者、気に食わない者を、所かまわず、次々と殺したのだろう。
そして彼は、主が警告を与えるために遣わした預言者たちの血を、多く流したのだろう。
主の恵みの秤は、確かに、私達に向けられている。
しかしその秤には限度があり、その恵みの秤の分量を使い果たしてしまう時、滅びの災いに追いつかれてしまうのだ。
延ばされた15年の命を「高ぶり」に用いたヒゼキヤ(2列王記20:1-31)
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- pastor 2017-6-7 7:20
延ばされた15年の命を「高ぶり」に用いたヒゼキヤ(2列王記20:1-31)
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20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。
ヒゼキヤが死の病にあったのは、18:2から逆算すると、彼が39-40歳の時だった。
まだ先があるし、そして20:6からすると、アッシリヤの脅威が厳然と目の前にあった時期だ。
なぜまだ若いのに、なぜまだ為すべき事が多く、守らなくてはならない人々がいるのに、この世を去らなくてはならないのか。
そのような時、私達は祈るが、ヒゼキヤも祈った。
20:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、
20:3 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。
20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、
20:5a 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、
ヒゼキヤは言葉が与えられたら、すみやかに主に対して祈ったが、その祈りへの答えは、非常に早かった。
20:5b 『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。
20:6 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。
主は、イスラエルの主の民と、ダビデの家に目をとどめておられる。
主は「”わたしの民の君”ヒゼキヤ」「あなたの父ダビデの神」と5節で言っておられるし、また「わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのために」と言っておられる。
主は確かにヒゼキヤの祈りに答えられたのだが、ヒゼキヤのためというより、主の民のために、という色合いが濃い。
20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。
ヒゼキヤはしるしを求めた。彼の父アハズは、同じ預言者イザヤから「しるしを求めなさい」と言われても「求めません」などと言って、かえって別の神々の偶像を据える罪を犯したが、ヒゼキヤは積極的にしるしを求めた。
すると主は、宇宙規模のしるしを与えられる。
20:9 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。
20:10 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。
20:11 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。
この出来事は、NASAの科学者達によって、実証されている。
人工衛星を打ち上げるにあたり、過去や未来の太陽・月・惑星などの位置を計算するのだが、太陽や地球が一日の例外もなく、普通に回って来た事を前提として計算すると、どうしても、計算が合わなくなってしまうのだ。
そこで、科学者の一人が、聖書のヨシュア記とこの箇所に基いて計算に代入した所、全てのつじつまがぴったり合って、衛生を飛ばすことが出来たというのだ。
こうして、主から恵みを得たヒゼキヤだが、その与えられた恵みを、彼は、悪い事に用いてしまう。
2歴代誌32:24 そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。
32:25 しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶったので、怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとしたが、
32:26 ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。
彼は、高ぶった、と書いてある。
私達は、危機的状況に陥った時は、よく祈る。しかし、祈って主からの憐れみを受けたなら、その後こそ、気をつけるべきである。
ヒゼキヤは、後のイスラエルに壊滅的な破壊をもたらすきっかけをつくってしまう。
20:12 そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。
20:13 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。
バビロンは当時はまだ小国で、アッシリヤに対抗する国であった
彼らは手紙と贈りものを携えていた。という事は、ヒゼキヤと協力関係を結んでアッシリヤに対抗する意図があったと考えられるが、しかしヒゼキヤは、余計な事をしてしまった。
彼は親切心のような心から、自分の手の内を明かしたのかもしれないが、将来、このことが仇となってしまう。
20:14 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。
20:15 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。
20:16 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、
20:17 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。
20:18 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。
親しくもない、しかも、主を敬うことをしない、外国の使者に、不用意に自分の手の内すべてを見せるなど、とんでもない事である。
私達は主に対してはすべてを明かすべきであるが、外に対して、特に、主を敬わない者達に、自分の手の内を、明かすべきではない。
箴言5:15 あなたは自分の水ためから水を飲み、自分の井戸から、わき出す水を飲むがよい。
5:16 あなたの泉を、外にまきちらし、水の流れを、ちまたに流してよかろうか。
5:17 それを自分だけのものとし、他人を共にあずからせてはならない。
ヒゼキヤは主から与えられた健康や富、名声、栄誉を全部ひけらかしたが、それらは全て主から与えられたものだ。
主がいかなるお方であるかを開示すべきであって、主から与えられたモノを自慢するべきではない。
20:19 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。
彼は、イザヤから言われた言葉に心おののかせるのではなく、自分が世にいる間は平和と安全があれば良い、と思った。
ここに彼の傲慢が垣間見られる。2歴代誌32:25に書いてある通りである。
彼はその傲慢な心持ちで、残りの15年をどうすごしたか。
20:21 ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠って、その子マナセが代って王となった。
この、マナセという王は12歳で王になった。すなわち、病が癒やされてから3年後である。
既に傲慢な心になってしまったヒゼキヤがいかにマナセを育てたのか、それはマナセが王になった時の統治の内容で伺い知れるが、マナセは主を敬わない悪い王で、しかもヒゼキヤがして来た良い事をことごとくひっくり返す事をした。
彼はヒゼキヤがせっかく打ち壊した偶像を建てなおす事をした。(21:3)
こうしてヒゼキヤは、与えられた15年を使って、色々の面で主に嫌われる事を行った。
しかし彼は悔い改めたので、災いがその代に降る事は無かった。(2歴代誌32:26)
私達は、主から与えられた祝福を、ひけらかしたりする事なく、ただキリストの花嫁として、イエス様に対しては開かれた者、それ以外の者には閉じられた者でありたい。