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主のボーナスステージの期間を無駄に過ごすなかれ(2列王記13:14-25)
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- pastor 2017-3-22 7:07
主のボーナスステージの期間を無駄に過ごすなかれ(2列王記13:14-25)
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13:14 さてエリシャは死ぬ病気にかかっていたが、イスラエルの王ヨアシは下ってきて彼の顔の上に涙を流し、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言った。
エリシャが死の病にある時、北イスラエル王ヨアシュは誰を訪れ、涙を流した。
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」ということばは、エリシャが、彼の師であるエリヤが火の戦車、火の騎兵によって天に上げられたのを見た時に叫んだ言葉だった。(2列王記2:12)
エリシャはなぜ、エリヤの霊のふたつ分を得ることが出来たのか。その理由が2章に書いてある。
2Ki 2:9 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。
2Ki 2:10 エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。
2Ki 2:11 彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。
2Ki 2:12 エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。
エリシャは、他の預言者達がエリヤの昇天を受け入れ、あきらめたのに、なおエリヤにすがりついて離れなかった。
そして、エリヤが天に上げられる様を見ることが出来たから、その願いが聞き入れられた。
エリシャには、決してあきらめず、求め続け、見続ける忠実さがあったから、願ったとおりに与えられたのだ。
ひるがえって、ヨアシュ王はどうだったか。
13:15 エリシャは彼に「弓と矢を取りなさい」と言ったので、弓と矢を取った。
13:16 エリシャはまたイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、手をかけた。するとエリシャは自分の手を王の手の上におき、
13:17 「東向きの窓をあけなさい」と言ったので、それをあけると、エリシャはまた「射なさい」と言った。彼が射ると、エリシャは言った、「主の救の矢、スリヤに対する救の矢。あなたはアペクでスリヤびとを撃ち破り、彼らを滅ぼしつくすであろう」。
預言者は、最後の力を振り絞って王の手を取り、これらの言葉を宣言した。
彼が最後のちからを振り絞って言ったこの言葉には、どれほど重みがあっただろう。
13:18 エリシャはまた「矢を取りなさい」と言ったので、それを取った。エリシャはまたイスラエルの王に「それをもって地を射なさい」と言ったので、三度射てやめた。
13:19 すると神の人は怒って言った、「あなたは五度も六度も射るべきであった。そうしたならば、あなたはスリヤを撃ち破り、それを滅ぼしつくすことができたであろう。しかし今あなたはそうしなかったので、スリヤを撃ち破ることはただ三度だけであろう」。
エリシャが「矢を取りなさい」と言った「矢」は、複数形である。だから、ヨアシュは、エリシャが最後の力を振り絞って宣言したこの「勝利の矢達」を、本当に勝利できる矢と信じ、期待して、何度でも射るべきだったのに、彼は3度しか射なかった。
三日坊主という言葉がある。せっかく預言者の戒めによって良い行いを続けても3日しか続けない人がいる。
主の時がある。祈り求め続けるべき時、そして、その祈りが報いられる時。
ゲームには大体、ボーナスステージという、得点やアイテムなどを一気に稼げるステージがあるが、主が「しなさい」と言われたその時が、私たちのボーナスステージである。
ゲームをする人は、ボーナスステージの期間になまけるような人はおらず、大体、期間が満ちるまで、時間を惜しんで動き回るものであるが、もし、私たちが主から「滅ぼし尽くせ」と言われたなら、時間を惜しんで滅ぼし尽くすべきであるし、もし、「足の下で踏む所がことごとくあなたのものとなる」と言われたなら、期間が満ちる最後の瞬間まで、縦横無尽に踏み尽すべき時なのだ。
13:20 こうしてエリシャは死んで葬られた。さてモアブの略奪隊は年が改まるごとに、国にはいって来るのを常とした。
当時の北イスラエル王国は、アラムのみならず、モアブにまでも好き放題荒らされていた。
霊的な「怠け」を続けているなら、このように、敵が好き放題になってはびこってしまうのだ。
13:21 時に、ひとりの人を葬ろうとする者があったが、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去った。その人はエリシャの骨に触れるとすぐ生きかえって立ちあがった。
エリシャの名の意味は「私の救いなる神」であった。
イエス様の名の意味も、「救いの神」であるが、まさにエリシャは、「信じる者は死んでも生きる」イエス様をあらわす預言者であった。
13:22 スリヤの王ハザエルはエホアハズの一生の間、イスラエルを悩ましたが、
13:23 主はアブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約のゆえにイスラエルを恵み、これをあわれみ、これを顧みて滅ぼすことを好まず、なおこれをみ前から捨てられなかった。
イスラエルの歴史は、まことに主に反逆し続ける歴史であったが、それでも主は、彼らの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約のゆえに、彼らに対するあわれみを注ぎ続けて来た。
南ユダ王国の王は、彼らの先祖ダビデの故に、であるが、しかし北イスラエル王国は、さらに何百年も前のアブラハムとの契約を覚え、あわれみを捨てないのだ。
まことに、主を恐れ敬う人には、千代の祝福が約束されている。
もし、義人の子がその世代に主から離れても、親のその信仰故に、主はあわれみを注ぎ、その子の世代に災いを起こしてでも、立ち直らせようと主は為される。
その子にとっては「災い」と見える事でも、それは、主の「あわれみ」が根源にあるのだ。
13:24 スリヤの王ハザエルはついに死んで、その子ベネハダデが代って王となった。
13:25 そこでエホアハズの子ヨアシは、父エホアハズがハザエルに攻め取られた町々を、ハザエルの子ベネハダデの手から取り返した。すなわちヨアシは三度彼を撃ち破って、イスラエルの町々を取り返した。
エリシャの預言どおり、三度、勝利する事は出来た。
北イスラエルはなお、主に立ち返らない事を続けるが、なおも主のあわれみは尽きる事が無い。
主に憐れみを受けてもなお立ち返らない時代(2列王記13:1-13)
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話は再び、北イスラエル王国に戻る。
ニムシの子エフーは、北・南のイスラエルにおいてはびこっていた悪しき王達を滅ぼし、その悪しき思考パターンを一旦リセットさせたかのように見えたが、エフーは御言葉に基づかない間違った熱心によって物事を進め、結局、イスラエルを霊的に建てなおす事は出来なかった。
そのエフーの子、エホアハズが王となる所から13章は始まる。。
13:1 ユダの王アハジヤの子ヨアシの第二十三年にエヒウの子エホアハズはサマリヤでイスラエルの王となり、十七年世を治めた。
13:2 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を行いつづけて、それを離れなかった。
13:3 そこで主はイスラエルに対して怒りを発し、エホアハズの治世の間、絶えずイスラエルをスリヤの王ハザエルの手にわたし、またハザエルの子ベネハダデの手にわたされた。
ネバテの子ヤラベアムの罪、それは偶像礼拝の罪である。御言葉に基づかない主に対する熱心の行き着く所は、結局、主の忌み嫌われる偶像礼拝である。
その結果、イスラエルは敵の手に渡されてしまった。
神の民は、神から特別扱いを受けている。主に聞き従う人は、特別扱い的な祝福が臨むが、神の民でありながら聞き従わない事を続けるなら、主から特別扱い的な災いが次々と降りかかってしまう。
13:4 しかしエホアハズが主に願い求めたので、主はついにこれを聞きいれられた。スリヤの王によって悩まされたイスラエルの悩みを見られたからである。
13:5 それで主がひとりの救助者をイスラエルに賜わったので、イスラエルの人々はスリヤびとの手をのがれ、前のように自分たちの天幕に住むようになった。
エホアハズは、長らく主に願い求める事をしなかったが、敵の虐げという災いにつぐ災いに、ついには主に願い求めるという事をした。
主は、主に助けを求めるその声を聞いて下さる。主は一人の助ける人を送って下さり、シリヤの手から救って下さった。
主に助けを求め、助けていただいたのであるなら、以前の主に忌み嫌われる思考・行動パターンを悔い改め、生活を改めて主を恐れる生活に入るべきであるが、喉元過ぎれば熱さを忘れるように、主を忘れ、以前の生活に戻ってしまうなら、災いは絶えず、それでもなお主に立ち返らないなら、やがてはその人に滅びが追いついてしまう。
13:6 それにもかかわらず、彼らはイスラエルに罪を犯させたヤラベアムの家の罪を離れず、それを行いつづけた。またアシラの像もサマリヤに立ったままであった。
エホアハズは、立ち返らなかった。アシェラ像もずっと立ったままであった。
お酒を断った人は、その家から全てのお酒を取り除かないなら、またすぐにお酒に戻ってしまうように、主の御前に忌み嫌われる物事を、自分の家から取り除かないなら、すぐにまた以前に戻ってしまうのだ。
13:7 さきにスリヤの王が彼らを滅ぼし、踏み砕くちりのようにしたのでエホアハズの軍勢で残ったものは、ただ騎兵五十人、戦車十両、歩兵一万人のみであった。
13:8 エホアハズその他の事績と、彼がしたすべての事およびその武勇は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
13:9 エホアハズは先祖たちと共に眠ったので、彼をサマリヤに葬った。その子ヨアシが代って王となった。
結局、立ち返らないエホアハズは、冴えない王としてその治世が終わってしまった。
13:10 ユダの王ヨアシの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシはサマリヤでイスラエルの王となり、十六年世を治めた。
13:11 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムのもろもろの罪を離れず、それに歩んだ。
13:12 ヨアシのその他の事績と、彼がしたすべての事およびユダの王アマジヤと戦ったその武勇は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
13:13 ヨアシは先祖たちと共に眠って、ヤラベアムがその位に座した。そしてヨアシはイスラエルの王たちと同じくサマリヤに葬られた。
エホアハズの子ヨアシュについても、主に聞き従わない王だった故に、聖書にはわずかしか記されていない。
まことに聖書は、このパターンが多い。
めいめいが自分の目に正しいと見える事を行い、人が神から離れる度に外敵を用いて懲らしめ、懲らしめられて神に立ち返り、立ち返った故に救いを得、そうして束の間の平和が訪れると、すぐにまた神から離れ、神は再び外敵を用いて懲らしめ・・・というサイクルが、何度あるだろうか。
また、私たちの人生にも、何度それがあっただろうか。
詩篇78:32 すべてこれらの事があったにもかかわらず、彼らはなお罪を犯し、そのくすしきみわざを信じなかった。
78:33 それゆえ神は彼らの日を息のように消えさせ、彼らの年を恐れをもって過ごさせられた。
78:34 神が彼らを殺されたとき、彼らは神をたずね、悔いて神を熱心に求めた。
78:35 こうして彼らは、神は彼らの岩、いと高き神は/彼らのあがないぬしであることを思い出した。
78:36 しかし彼らはその口をもって神にへつらい、その舌をもって神に偽りを言った。
78:37 彼らの心は神にむかって堅実でなく、神の契約に真実でなかった。
78:38 しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。
78:39 また神は、彼らがただ肉であって、過ぎ去れば再び帰りこぬ風であることを思い出された。
主は、私たちが罪のあるはかない存在でしかない事に心を留められ、憐れまえる。その主の憐れみを軽んじる事なく、懲らしめられたならしっかりと悔い改め、もはや以前の、主に忌み嫌われる歩みには戻らず、主に喜ばれる歩みをし続けて、災い知らずの、祝福された人生を日々歩む者でありたい。
恩を仇で返したヨアシュに速やかに降された神の正しい審判(2列王記12:17-21)
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- pastor 2017-3-9 6:40
恩を仇で返したヨアシュに速やかに降された神の正しい審判(2列王記12:17-21)
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12:17 そのころ、スリヤの王ハザエルが上ってきて、ガテを攻めてこれを取った。そしてハザエルがエルサレムに攻め上ろうとして、その顔を向けたとき、
12:18 ユダの王ヨアシはその先祖、ユダの王ヨシャパテ、ヨラム、アハジヤが聖別してささげたすべての物、およびヨアシ自身が聖別してささげた物、ならびに主の宮の倉と、主の宮にある金をことごとく取って、スリヤ王のハザエルに贈ったので、ハザエルはエルサレムを離れ去った。
12:19 ヨアシのその他の事績および彼がしたすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
12:20 ヨアシの家来たちは立って徒党を結び、シラに下る道にあるミロの家でヨアシを殺した。
12:21 すなわちその家来シメアテの子ヨザカルと、ショメルの子ヨザバデが彼を撃って殺し、彼をその先祖と同じく、ダビデの町に葬った。その子アマジヤが代って王となった。
前回までのヨアシュの功績が記されたにもかかわらず、どうしていきなり、このように呪われた有様が展開されるのか、と、疑問を持たれる方もいるかもしれない。
なぜこのような事が起きたのか、その理由は列王記を見るだけでは分からない。並行箇所である第二歴代誌24章を見るならば、ああ、こんなに呪われてしまっても仕方がない、と、知る事ができる。
事の発端は、全イスラエルを霊的に指導し、ヨアシュが生まれた時からずっと導いてくれた偉大な祭司、エホヤダの死であった。
2歴代誌24:15 しかしエホヤダは年老い、日が満ちて死んだ。その死んだ時は百三十歳であった。
24:16 人々は彼をダビデの町で王たちの中に葬った。彼はイスラエルにおいて神とその宮とに良い事を行ったからである。
エホヤダは百三十歳という長寿を全うし、王の墓に葬られるという栄誉を受けた。それはまさに彼に相応しい。
このエホヤダに対しヨアシュは、そして全イスラエルは、どんなにお礼をしてもし足りないものであるが、しかし残念ながら、ヨアシュも全イスラエルも、エホヤダに対して恩を仇で返す事になってしまう。
2歴代誌24:17 エホヤダの死んだ後、ユダのつかさたちが来て、うやうやしく王に敬意を表した。王は彼らに聞き従った。
24:18 彼らはその先祖の神、主の宮を捨てて、アシラ像および偶像に仕えたので、そのとがのために、怒りがユダとエルサレムに臨んだ。
24:19 主は彼らをご自分に引き返そうとして、預言者たちをつかわし、彼らにむかってあかしをさせられたが、耳を傾けなかった。
素晴らしい霊的指導者がいなくなった途端に、それまでずっと抑えてきた罪と肉の欲望を発散させ、せっかく長年霊的な指導を受けて来たにもかかわらず、それら全てを覆すような事をする人はいる。
彼らに対しては、主からの災いによる報いが待っているが、次のような人は要注意である。すなわち、表向きは善良な礼拝者を装ってはいても、普段から霊的指導者をうるさく思い、その指導する人が遠出したり、忙しくしたりしていると、なまけぐせが顔を出して、手抜きをしたり、威張り散らしたり、仲間を打ち叩いたりしてしまう人は。
24:20 そこで神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤに臨んだので、彼は民の前に立ち上がって言った、「神はこう仰せられる、『あなたがたが主の戒めを犯して、災を招くのはどういうわけであるか。あなたがたが主を捨てたために、主もあなたがたを捨てられたのである』」。
24:21 しかし人々は彼を害しようと計り、王の命によって、石をもって彼を主の宮の庭で撃ち殺した。
あろうことか、あの大きな恩のあるエホヤダの子、ザカリヤさえも、ヨアシュ王は石で撃ち殺す命令をくだしてしまったのだ。
ヨアシュはおよそ40年もの間、表向き偽りの礼拝生活を送って来ていたのだ。
24:22 このようにヨアシ王はゼカリヤの父エホヤダが自分に施した恵みを思わず、その子を殺した。ゼカリヤは死ぬ時、「どうぞ主がこれをみそなわして罰せられるように」と言った。
主は、全て義人が流してきた血がそのまま虚しく地に落ちるような事はされない。必ず報いをされるお方である。(黙示録14:4-7)
当時の南ユダ王国とヨアシュ王に対するさばきは、速やかに来た。
24:23 年の終りになって、スリヤの軍勢はヨアシにむかって攻め上り、ユダとエルサレムに来て、民のつかさたちをことごとく民のうちから滅ぼし、そのぶんどり物を皆ダマスコの王に送った。
24:24 この時スリヤの軍勢は少数で来たのであるが、主は大軍を彼らの手に渡された。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。このように彼らはヨアシを罰した。
わずかな軍勢により、ユダは大損害を受けた。そして、ゼカリヤを殺した民のつかさ達はことごとく滅ぼされ、また、ヨアシュ自身も大怪我を負わされた。
24:25 スリヤ軍はヨアシに大傷を負わせて捨て去ったが、ヨアシの家来たちは祭司エホヤダの子の血のために、党を結んで彼にそむき、彼を床の上に殺して、死なせた。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王の墓には葬らなかった。
イスラエルに大きな功労を立てた大祭司エホヤダは王の墓に葬られたが、ヨアシュはそこから外された。神の国は、そういうものである。
南ユダ王国において、謀反が起こり、しかも病の床の上で殺される、という事は前代未聞である。
それは彼が、恩を仇で返したからである。
ヨアシュにはアハブとイゼベルの血も流れているが、やはり血は争えないのだろうか。しかし、私たちには希望がある。
血筋によってでなく、肉の欲求や人の意欲によってでなく、ただ、神によって新しく生まれ変わらせてくださるイエス様に、私たちは望みを持つことができる。
主の器をになう者達が為すべき事 - そこを出よ、汚れたものに触れるな、身をきよめよ(イザヤ52:7-12)
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- pastor 2017-3-8 14:30
礼拝の再建から始まる祝福(2列王記12:1-16)
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12:1 ヨアシはエヒウの第七年に位につき、エルサレムで四十年の間、世を治めた。その母はベエルシバの出身で、名をヂビアといった。
12:2 ヨアシは一生の間、主の目にかなう事をおこなった。祭司エホヤダが彼を教えたからである。
ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間、主の目に叶う事を行った。しかし、エホヤダが死んだ後は、そうでなかった。
優れた霊的指導者が生きている間は、良き指導者、良き礼拝者になっているとしても、もし、主を恐れずに人を恐れ、ただ習慣から礼拝している「ふり」を何十年も行っているとしたなら、その指導者がいなくなったとたん、誠実をもって礼拝する事を止めてしまう者もいる。
私達は、人を恐れるのでなく主をおそれ、また、礼拝を捧げる事においても、主を敬う心をいつももって礼拝をささげるべきである。
12:3 しかし高き所は除かなかったので、民はなおその高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
高き所では、主を礼拝する所もあったが、異教の祭儀もまた行われ、その区別がつきにくくなっていた。いずれにせよ、御言葉によると、当時、主を礼拝する所は、エルサレムの神殿である事には、かわりは無い。
高き所が取り除かれるのは、ヒゼキヤの時代まで待たなくてはならない。
12:4 ヨアシは祭司たちに言った、「すべて主の宮に聖別してささげる銀、すなわちおのおのが課せられて、割当にしたがって人々の出す銀、および人々が心から願って主の宮の持ってくる銀は、
12:5 これを祭司たちがおのおのその知る人から受け取り、どこでも主の宮に破れの見える時は、それをもってその破れを繕わなければならない」。
ヨアシュは、祭司たちが人々から受ける銀を用いて主の神殿を補修するように命じた。
主の宮は、ずっと荒らされたままだったのだ。なぜなら、ヨアシュの祖母アタルヤが女王の座についていた時、アタルヤとその子たちが主の宮を打ち壊し、主の宮の聖なるものをバアルのために用いていたからである。(2歴代誌24:7)
これは、良い事である。
おそらく、ヨアシュの背後で祭司エホヤダの指導があったものと思われる。(2歴代誌24:16)
12:6 ところがヨアシ王の二十三年に至るまで、祭司たちは主の宮の破れを繕わなかった。
12:7 それで、ヨアシ王は祭司エホヤダおよび他の祭司たちを召して言った、「なぜ、あなたがたは主の宮の破れを繕わないのか。あなたがたはもはや知人から銀を受けてはならない。主の宮の破れを繕うためにそれを渡しなさい」。
12:8 祭司たちは重ねて民から銀を受けない事と、主の宮の破れを繕わない事とに同意した。
祭司たちは、受け取るお金を、主の宮を補修する事に用いないでいた。
そこでヨアシュは、祭司たちがお金を人々から受け取る事を禁じ、彼らを主の宮の工事の責任から外した。
12:9 そこで祭司エホヤダは一つの箱を取り、そのふたに穴をあけて、それを主の宮の入口の右側、祭壇のかたわらに置いた。そして門を守る祭司たちは主の宮にはいってくる銀をことごとくその中に入れた。
12:10 こうしてその箱の中に銀が多くなったのを見ると、王の書記官と大祭司が上ってきて、主の宮にある銀を数えて袋に詰めた。
12:11 そしてその数えた銀を、工事をつかさどる主の宮の監督者の手にわたしたので、彼らはそれを主の宮に働く木工と建築師に払い、
12:12 石工および石切りに払い、またそれをもって主の宮の破れを繕う材木と切り石を買い、主の宮を繕うために用いるすべての物のために費した。
祭司エホヤダは、献金箱をつくり、その中に納められる銀をもって、主の宮の工事のために用いた。
こうして、ヨシャパテ以来、おろそかになっていた主の宮の建て直しが行われた。
主の宮が、すなわち、礼拝が破綻したままの状態では、何をしても栄えない。
ハガイ書で次のように書いてある通りである。
ハガイ1:4 「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。
1:5 それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。
1:6 あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。
1:7 万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。
1:8 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。
1:9 あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。
1:10 それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。
1:11 また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。
私たちの中の、主を礼拝する心は破綻していないだろうか。破綻したままで、板張りの家に住もうとしていないだろうか。
それでは、稼いでも稼いでも、穴のあいた財布に入れるかのように出費がかさみ、満足いく衣食住が備えられず、何をしても栄えないのだ。
しかし、主を敬う心をもって礼拝を建てなおすなら、主はその時以来、祝福を命じられる。
ハガイ2:15 今、あなたがたはこの日から、後の事を思うがよい。主の宮で石の上に石が積まれなかった前、あなたがたは、どんなであったか。
2:16 あの時には、二十枡の麦の積まれる所に行ったが、わずかに十枡を得、また五十桶をくもうとして、酒ぶねに行ったが、二十桶を得たのみであった。
2:17 わたしは立ち枯れと、腐り穂と、ひょうをもってあなたがたと、あなたがたのすべての手のわざを撃った。しかし、あなたがたは、わたしに帰らなかったと主は言われる。
2:18 あなたがたはこの日より後、すなわち、九月二十四日よりの事を思うがよい。また主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。
2:19 種はなお、納屋にあるか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリブの木もまだ実を結ばない。しかし、わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与える」。
取り除かれた悪い世代、しかし再び湧き起こる悪の世代(2列王記11:13-21)
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- pastor 2017-3-7 6:48
取り除かれた悪い世代、しかし再び湧き起こる悪の世代(2列王記11:13-21)
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11:13 アタリヤは近衛兵と民の声を聞いて、主の宮に入り、民のところへ行って、
11:14 見ると、王は慣例にしたがって柱のかたわらに立ち、王のかたわらには大将たちとラッパ手たちが立ち、また国の民は皆喜んでラッパを吹いていたので、アタリヤはその衣を裂いて、「反逆です、反逆です」と叫んだ。
彼女は「反逆」だと叫んだが、元々、反逆したのは彼女の側だった。
イスラエルにおいてはダビデの家でない者が、それも女が王の座に座す事は不当な事であるが、ダビデの血筋をひいたヨアシュが慣例に従って王の座に座す事は実に正統な事だ。
11:15 その時祭司エホヤダは軍勢を指揮していた大将たちに命じて、「彼女を列の間をとおって出て行かせ、彼女に従う者をつるぎをもって殺しなさい」と言った。これは祭司がさきに「彼女を主の宮で殺してはならない」と言ったからである。
11:16 そこで彼らは彼女を捕え、王の家の馬道へ連れて行ったが、彼女はついにそこで殺された。
こうして、南ユダ王国からダビデの血を絶やそうとたくらみ、自ら女王の座に6年間ついたアタルヤは殺された。
邪悪な手段によって得た富、権力は、結局呪われたものであり、反逆によって得た座は、反逆によって奪い去られるのである。
11:17 かくてエホヤダは主と王および民との間に、皆主の民となるという契約を立てさせ、また王と民との間にもそれを立てさせた。
11:18 そこで国の民は皆バアルの宮に行って、これをこわし、その祭壇とその像を打ち砕き、バアルの祭司マッタンをその祭壇の前で殺した。そして祭司は主の宮に管理人を置いた。
11:19 次いでエホヤダは大将たちと、カリびとと、近衛兵と国のすべての民を率いて、主の宮から王を導き下り、近衛兵の門の道から王の家に入り、王の位に座せしめた。
11:20 こうして国の民は皆喜び、町はアタリヤが王の家でつるぎをもって殺されてのち、おだやかになった。
11:21 ヨアシは位についた時七歳であった。
平穏が戻ってきた。悪人が死に、良い王が建てられると人々は喜ぶのである。
ヨシャパテが彼の子・ヨラムを、アハブとイゼベルの間に生まれた娘アタルヤと、政略結婚させた時以来、はびこってしまった南ユダ王国の悪の習慣は、こうして取り除かれた。
神殿で6年間養われたヨアシュという7歳の、悪の習慣を全く知らない王によって、これから南ユダ王国は主に従って忠実に歩んで行くようにと、主がすべてお膳立てして下さったのだ。
しかし、残念な事に、ヨアシュは祭司エホヤダが死んでからは、悪の道に入ってしまう。
ヨアシュの父はアヤズヤであり、アヤズヤの母やアタルヤ、そしてその父母はアハブ・イゼベルである。
結局、南ユダ王国にはこの時以来、邪悪な者の血が混じってしまい、その血は争えない、という事だろうか。
主は、人の中に悪がはびこり、人の力ではどうしようもなくなってしまった時に悪の世代を刷新し、全く新しい主に従う世代を起こされる事を、たびたび人類歴史で起こされたが、その都度、人の側はその主が建ててくださったお膳立てをひっくり返し、主を悲しませて来た。
『ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。』(ルカ13:34-35)
しかしそのような中でも、主に立ち返り主に忠実に仕える人は残されており、彼らは永遠に変わらない栄光を受けるのである。
イエス、彼こそ、全て呪われた血筋から勝利する源である。
ヨハネ1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
切り倒された邪悪な者の大木、そして、エッサイの根株から生え出た新芽(2列王記11:1-12)
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- pastor 2017-3-3 7:55
切り倒された邪悪な者の大木、そして、エッサイの根株から生え出た新芽(2列王記11:1-12)
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11:1 さてアハジヤの母アタリヤはその子の死んだのを見て、立って王の一族をことごとく滅ぼしたが、
南ユダ王国の歴史の中で、7年間、ダビデ王家でない者、それも、女が、ダビデの家をほぼ根絶やしにして王座に立ち、支配した事があった。
それはこの、イゼベルとアハブの娘・アタリヤによってであった。
主を恐れ敬う人ば見るなら、絶望の7年間であったかもしれないが、主は、ダビデ王家を全滅から守って下さった。
11:2 ヨラム王の娘で、アハジヤの姉妹であるエホシバはアハジヤの子ヨアシを、殺されようとしている王の子たちのうちから盗み取り、彼とそのうばとを寝室に入れて、アタリヤに隠したので、彼はついに殺されなかった。
11:3 ヨアシはうばと共に六年の間、主の宮に隠れていたが、その間アタリヤが国を治めた。
主の憐れみにより、生まれたばかりの乳飲み子ヨアシュが守られ、主の宮の中に匿われ、こうしてダビデの王家は立たれる事は無かった。
一見すると、なんと邪悪な事が沸き起こっているのだろう、と思える時代ではあるが、しかしこれは、実に、主の導きである。
南ユダ王国は、ヨシャパテ王が彼の子を北イスラエル王国と政略結婚によって連合さた時以降、南ユダ王国は堕落の道を辿りはじめていた。
結婚相手には気をつけるべきである事を常日頃メッセージしている。
ノアの時代は、神の子達が人の娘の美しいのを見て、純潔な血筋が失われ、そうしてネフィリムが生まれ、暴虐が全人類に増し加わり、もはや純潔を保っているのはノア一家だけになってしまった時、神は洪水を起こし、こうして世界はひと度リセットされた。
この列王記の時代、一見するとアタルヤの好き勝手により南ユダ王国が虐殺して悪が勝利しているかのように見えても、実はこれによって、主を敬わない邪悪な世代が増えていく事を阻止し、ひと度リセットされたのだ。
こうして一人の、まだ右も左もわきまえな赤ちゃんが主の宮で7年間養われ、不遜な思想に基づいた教えを一切受けない、ただ主の教えを主の宮で7年間受けた幼子が次期の王として用意される。これはまさに主の手による事だ。
イザヤ 11:1 エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、
11:2 その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
これはエッサイの子ダビデの子孫からキリストが誕生する事の預言であるが、不遜に大きく育ってしまった大木は切り倒され、その残った切り株、そこから若枝が生え出て、全く新しく、主の御目に適った成長をして行くのである。
11:4 第七年になってエホヤダは人をつかわして、カリびとと近衛兵との大将たちを招きよせ、主の宮にいる自分のもとにこさせ、彼らと契約を結び、主の宮で彼らに誓いをさせて王の子を見せ、
11:5 命じて言った、「あなたがたのする事はこれです、すなわち、安息日に非番となって王の家を守るあなたがたの三分の一は、
11:6 宮殿を守らなければならない。(他の三分の一はスルの門におり、三分の一は近衛兵のうしろの門におる)。
11:7 すべて安息日に当番で主の宮を守るあなたがたの二つの部隊は、
11:8 おのおのの武器を手に取って王のまわりに立たなければならない。すべて列に近よる者は殺されなければならない。あなたがたは王が出る時にも、はいる時にも王と共にいなければならない」。
祭司エホヤダは、この正統なダビデの子孫が王座につけるように、6年間、着実に準備を整え、王につく人をあらかじめ定めて行った。
11:9 そこでその大将たちは祭司エホヤダがすべて命じたとおりにおこなった。すなわち彼らはおのおの安息日に非番となる者と、安息日に当番となる者とを率いて祭司エホヤダのもとにきたので、
11:10 祭司は主の宮にあるダビデ王のやりと盾を大将たちに渡した。
11:11 近衛兵はおのおの手に武器をとって主の宮の南側から北側まで、祭壇と宮を取り巻いて立った。
11:12 そこでエホヤダは王の子をつれ出して冠をいただかせ、律法の書を渡し、彼を王と宣言して油を注いだので、人々は手を打って「王万歳」と言った。
こうして、以前の不当な者共は邪悪な者達は、同士討ちによって滅び去り、不当な女による7年間の支配は終わり、主の宮で育てられた新しい王が誕生した。
これはまさしく主の導きによるものである。
この終わりの時代においても、主はこのような若枝を残しておられる。
うそによって真理を立てる事は出来ない(2列王記10:18-36)
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メッセージ音声
10:18 次いでエヒウは民をことごとく集めて彼らに言った、「アハブは少しばかりバアルに仕えたが、エヒウは大いにこれに仕えるであろう。
10:19 それゆえ、今バアルのすべての預言者、すべての礼拝者、すべての祭司をわたしのもとに召しなさい。ひとりもこない者のないようにしなさい。わたしは大いなる犠牲をバアルにささげようとしている。すべてこない者は生かしておかない」。しかしエヒウはバアルの礼拝者たちを滅ぼすために偽ってこうしたのである。
10:20 そしてエヒウは「バアルのために聖会を催しなさい」と命じたので、彼らはこれを布告した。
エフーは、それまで主に言われた通り熱心に物事を実行していた、と思ったら、突然、びっくりするような事を言った。自分は大いにバアルに仕える、と。
もっともそれは、バアルの礼拝者を全て滅ぼすためだが、それは、偽りによってであった。
また、19節で「生かしておかない」
10:21 エヒウはあまねくイスラエルに人をつかわしたので、バアルの礼拝者たちはことごとく来た。こないで残った者はひとりもなかった。彼らはバアルの宮にはいったので、バアルの宮は端から端までいっぱいになった。
10:22 その時エヒウは衣装をつかさどる者に「祭服を取り出してバアルのすべての礼拝者に与えよ」と言ったので、彼らのために祭服を取り出した。
10:23 そしてエヒウはレカブの子ヨナダブと共にバアルの宮に入り、バアルの礼拝者たちに言った、「調べてみて、ここにはただバアルの礼拝者のみで、主のしもべはひとりも、あなたがたのうちにいないようにしなさい」。
10:24 こうして彼は犠牲と燔祭とをささげるためにはいった。さてエヒウは八十人の者を外に置いて言った、「わたしがあなたがたの手に渡す者をひとりでも逃す者は、自分の命をもってその人の命に換えなければならない」。
嘘によって真実を貫こうとするのは結局、嘘である。
彼は、王になったはじめに、嘘によって始めた。また、「生かしておかない」「命に換えなければならない」と、脅し文句によって。
確かに、人はエフーを恐れ、言うことは聞き従うだろう。しかし、人々の心は彼を好き好んで従うだろうか。恐れおののきがあるから、仕方なく従うしかない。そのようなトップによる支配は、非常に危ういものである。
ダビデは全イスラエルの王になる前、サウル家で実権を握っていたアブネルが、部下のヨアブによって謀殺されてしまった時、自分はそのような卑怯な謀殺には関わっていなかった、と、はっきり全イスラエルに宣言し、正統にアブネルのために葬儀を催し、アブネルのために哀歌をつくり、その事をしたヨアブを呪う言葉を公にした。(2サムエル記3章)
ダビデは、悪がはびこった時、それを無視したり放置したり、単に蓋をするのでなく、真正面から向き合い、自分は悪に加担しない者むしろ悪を憎む者である事を公にした。もし悪が湧き起きた時に放置しているなら、悪は調子にのって、さらにその人をあざけり、支配しようとして来るものだ。
そういうわけで、人々は、ダビデが王になる事に安心したのだ。
エフーのやり方は、その真逆である。嘘と脅しによって支配するような王権は、人々はついて行けず、安心できず、続いても4代どまりである。
箴言11:1 偽りのはかりは主に憎まれ、正しいふんどうは彼に喜ばれる。
11:2 高ぶりが来れば、恥もまた来る、へりくだる者には知恵がある。
11:3 正しい者の誠実はその人を導き、不信実な者のよこしまはその人を滅ぼす。
2列王記10:25 こうして燔祭をささげることが終ったとき、エヒウはその侍衛と将校たちに言った、「はいって彼らを殺せ。ひとりも逃がしてはならない」。侍衛と将校たちはつるぎをもって彼らを撃ち殺し、それを投げ出して、バアルの宮の本殿に入り、
10:26 バアルの宮にある柱の像を取り出して、それを焼いた。
10:27 また彼らはバアルの石柱をこわし、バアルの宮をこわして、かわやとしたが今日まで残っている。
10:28 このようにエヒウはイスラエルのうちからバアルを一掃した。
エフーの馬の御し方は「狂ったような」御し方とかつて言われたが(9:20)、エフーの「熱心」は、狂気とも見えるやり方である。
しかし、それは正しい知識に基づく熱心ではなかった。
彼は、自分は熱心と思っても、御言葉に基づかずに行ってしまった。それは次の節を見ればわかる。
10:29 しかしエヒウはイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪、すなわちベテルとダンにある金の子牛に仕えることをやめなかった。
ヤロブアムは金の子牛に主エホバに関連付けさせ、子牛を拝むものは主を拝むものとしたが、それは御言葉の知識がある者が見ればとんでもない事だと分かる。
正しい知識に基づかない熱心は、逆にその身を滅ぼすものとなってしまう。(箴言19:2、ローマ10:2)
真実のためだという事で嘘をついたり、悪を滅ぼすためだと言って裏切りを手段とするなら、その場はうまく収められてもしこりが残り、そのしこりが後に本人自身を滅ぼすものとなってしまうのだ。
10:30 主はエヒウに言われた、「あなたはわたしの目にかなう事を行うにあたって、よくそれを行い、またわたしの心にあるすべての事をアハブの家にしたので、あなたの子孫は四代までイスラエルの位に座するであろう」。
10:31 しかしエヒウはイスラエルの神、主の律法を心をつくして守り行おうとはせず、イスラエルに罪を犯させたヤラベアムの罪を離れなかった。
ここに主の評価がある。
エフーは、アハブの家を根絶やしにした事に関しては主の目にかなう事を行った。
しかし、彼は「主の律法を心をつくして守りおこなおうとは」しなかった。
主の御言葉から外れた熱心、それは結局身を滅ぼすものである。その証拠に次の事が起きている。
10:32 この時にあたって、主はイスラエルの領地を切り取ることを始められた。すなわちハザエルはイスラエルのすべての領域を侵し、
10:33 ヨルダンの東で、ギレアデの全地、カドびと、ルベンびと、マナセびとの地を侵し、アルノン川のほとりにあるアロエルからギレアデとバシャンに及んだ。
10:34 エヒウのその他の事績と、彼がしたすべての事およびその武勇は、ことごとくイスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
10:35 エヒウはその先祖たちと共に眠ったので、彼をサマリヤに葬った。その子エホアハズが代って王となった。
10:36 エヒウがサマリヤでイスラエルを治めたのは二十八年であった。
エフーの王権は二十八年、そんなに長くない年月である。
エフーは、主に逆らうアハブの家と南ユダ王国の王にはいとも簡単に勝利したが、異邦の王には勝利できず、徐々にイスラエルの領土は侵食されて行ってしまった。
それは、主の御言葉どおり歩まないからだ。
あの人はあんなに熱心なのにどうして栄えないのだろう、と思われる時、私たちは御言葉どおり行っているかどうかを、まず点検すべきである。
1ペテロ2:1 だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、
2:2 今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。