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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:ダビデ家の部下達とサウル家の部下達の抗争(2サムエル記2:12-32):右クリックで保存

ダビデはサウル家に誠実を尽くしたヤベシュ・ギルアデの住人に祝意を送り、サウル家に対しては争いを仕掛ける意図は一切無く、平和に過ごしたかったのだが、彼の部下たちやサウルに属する人達は、そうではなかった。


『ネルの子アブネル、およびサウルの子イシボセテの家来たちはマハナイムを出てギベオンへ行った。』(2サムエル記2:12)
ギブオンは元々、ベニヤミンの領地である。
サウルの将軍だったアブネル達がそこに向かったのは、ダビデの家と一戦を交えるためというより、単に、自分達の領地に戻るためだったのかもしれない。
しかし、アブネル達がギブオンに向かったという情報を聞いたダビデの家来達、ゼルヤの子達と呼ばれているヨアブ、アビシャイ、アサヘルの3兄弟は、戦士達を引き連れ、そのギブオンへと向かった。

『ゼルヤの子ヨアブとダビデの家来たちも出ていって、ギベオンの池のそばで彼らと出会い、一方は池のこちら側に、一方は池のあちら側にすわった。アブネルはヨアブに言った、「さあ、若者たちを立たせて、われわれの前で勝負をさせよう」。ヨアブは言った、「彼らを立たせよう」。』(2サムエル記2:13-14)
アブネルから「勝負させよう」という提案が出されたが、この「勝負」と訳されたヘブライ語・「サハク」は、元々、「遊ぶ」「笑う」「楽しむ」などの意味である。
最初は、余興的に勝負をさせよう、というつもりだったのかもしれない。

『こうしてサウルの子イシボセテとベニヤミンびととのために十二人、およびダビデの家来たち十二人を数えて出した。彼らは立って進み、おのおの相手の頭を捕え、つるぎを相手のわき腹に刺し、こうして彼らは共に倒れた。それゆえ、その所はヘルカテ・ハヅリムと呼ばれた。それはギベオンにある。その日、戦いはひじょうに激しく、アブネルとイスラエルの人々はダビデの家来たちの前に敗れた。』(2サムエル記2:15-17)
この試合では、12人が12人とも相打ちとなって勝負がつかず、両陣営は激昂し、ひどい殺し合いへと発展してしまった。
1969年のホンジュラスとエルサルバドルの戦争のきっかけは、ワールドカップの予選試合だったように、戦争とは大体、事前に敵対的な心情が互いにあって、それが増加し、ささいな事が発端となって起こるものである。
『争いの初めは水がもれるのに似ている、それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。 』(箴言17:14)
と記されているとおりである。

『その所にゼルヤの三人の子、ヨアブ、アビシャイ、およびアサヘルがいたが、アサヘルは足の早いこと、野のかもしかのようであった。アサヘルはアブネルのあとを追っていったが、行くのに右にも左にも曲ることなく、アブネルのあとに走った。』(2サムエル記2:18-19)
このゼルヤの子達は皆、有能な将校であったが、気性が激しかった。
アサヘルは、自慢の足をもって執拗にアブネルを追いかけ、手柄を取ろうとしたのだが、それが彼にとって命取りとなってしまう。
アブネルからの2度の警告を受けたのに聞かず、アブネルに追い迫ったため、アブネルは仕方なく彼を殺した。
ヨアブとアビシャイは、末の弟アサヘルが殺されたという事で激昂し、さらにアブネルのあとを追った。

『その時アブネルはヨアブに呼ばわって言った、「いつまでもつるぎをもって滅ぼそうとするのか。あなたはその結果の悲惨なのを知らないのか。いつまで民にその兄弟を追うことをやめよと命じないのか」。ヨアブは言った、「神は生きておられる。もしあなたが言いださなかったならば、民はおのおのその兄弟を追わずに、朝のうちに去っていたであろう」。こうしてヨアブは角笛を吹いたので、民はみな立ちとどまって、もはやイスラエルのあとを追わず、また重ねて戦わなかった。』(2サムエル記2:26-28)
戦いを止めるよう持ちかけて来たのも、アブネルの側からだった。
ヨアブは、アブネルのほうが闘技を提案しなかったら、自分達はこんな殺し合いをしなかっただろう、朝の内に去っていただろ、と言ったが、軍団を連れてベニヤミン領に入って来たのも、また闘技の提案に乗ったのも、そして、アブネルを執拗に追い回したのも、ゼルヤの子達の側ではなかったか。
そしてヨアブ達は、アブネル達に、過剰防衛とも言える程の事をしている。

『ヨアブはアブネルを追うことをやめて帰り、民をみな集めたが、ダビデの家来たち十九人とアサヘルとが見当らなかった。しかし、ダビデの家来たちは、アブネルの従者であるベニヤミンの人々三百六十人を撃ち殺した。』(2サムエル記2:30)
力の差は、歴然である。
闘技以外で殺された人数は、アブネルの側は348人、ヨアブの側は、アサヘルを含めて、わずか8人だった。
アブネルの方が多くを殺され、ヨアブ達のほうが少なかったのに、怒りはヨアブのほうが大きかった。ヨアブはこの後、アブネルを卑怯な方法で殺す事になる。
ヨアブは結局、その血気盛んな激しい気性ゆえに、剣によって身を滅ぼす事になってしまう。(1列王記2章)
『イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。』(マタイ26:52)

人の怒りは、神の義を現さない。
私達はつとめて、この「怒り」や「妬み」「殺意」を支配するべきである。それらはカインの道であり、サウルはそれで身を滅ぼした。
そして、力だめし的に挑発する事も、自分の能力を誇示し合う事も、そして、ゆずらない事も、無駄で不毛な血の流し合いとなってしまう。
『怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』(箴言14:29-30)

イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
マイム・ ベッサッソン(イザヤ12章):右クリックで保存

【概要】

イザヤ書12章を中心に、神の怒りと慰め、救いの喜びについてのメッセージ

【聖書箇所】

イザヤ書12:1-6

ヨハネの福音書4章

【慰めの言葉】

主は悔い改めた民に対して慰めを送ってくださいます。

【励ましの言葉】

見よ、神は私の救い、私は信頼して恐れることはありません。

【勧めの言葉】

あなた方は喜びながら、救いの泉から水を汲みなさい。

【悔い改めの促しの言葉】

主が何で私たちに悔いなさいと言っているかと言ったら、お前は罪人だからと言って、私たちを責めるためではなくて、罪によってその責めを負っていることを止めるためです。

【***詳細***】

今日のメッセージは、イザヤ書12章を中心に、神の怒りと慰め、そして救いの喜びについてお話しします。

イザヤ書12章1-2節には次のように書かれています。

「その日、あなたは言おう。主よ、感謝します。あなたは私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めて下さいました。見よ、神は私の救い、私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は私の力、私の褒め歌、私のために救いとなられた。」

この箇所は、イスラエルの民に対する神の慰めの言葉です。それまでイザヤ書では、罪を犯したイスラエルに対する厳しい言葉が続いていましたが、ここで一転して慰めの言葉が語られています。

なぜ主は慰めてくださるのでしょうか。それは悔い改めがあったからです。イスラエルは多くの苦しみを受けましたが、自分が悪かったということに気づいて悔い改めたから、主は慰めを送ってくださるのです。

主は誰も彼も許すわけではありません。確かに地獄に行ってしまう人もいます。その分岐点となるのが、悔い改めて主に立ち返ることなのです。自分の罪を言い表すとき、主は慰めを与えてくださいます。

イザヤ書12:3には次のように書かれています。

「あなた方は、喜びながら、救いの泉から水を汲む。」

この「水を汲む」というヘブライ語は「マイムベッシャソン」と言います。皆さんが小中学校で習ったマイムマイムという踊りは、実はこの聖書の言葉から来ているのです。

救いの泉から水を汲むという行為は、イエス・キリストという命の水を汲み上げることを意味しています。ヨハネの福音書4章にあるサマリアの女の話を思い出してください。彼女は昼間の暑い時間に水を汲みに来ていました。それは罪と恥のためでした。

そんな彼女のところにイエス様が来られ、こう言われました。

「この水を飲む者は誰でもまた渇きます。しかし私が与える水を飲む者は誰でも決して渇くことがありません。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命への水が湧き出ます。」(ヨハネ4:13-14)

イエス様から与えられる水は、永遠の命への水となります。サマリアの女はイエス様に求め、その水を汲んだのです。

私たちも同じように、イエス様に助けを求めることが、救いの泉から水を汲むことなのです。イエス様のところに行って、イエス様に求めることです。

サマリアの女は、イエス様との出会いによって大きく変えられました。彼女は喜びに満たされ、町の人々にイエス様のことを伝えました。イザヤ書12:4-6には次のように書かれています。

「その日、あなた方は言う。主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。その御業を国々の民の中に知らせよ。御名が崇められていることを語り告げよ。主を褒め歌え。主は素晴らしいことをされた。これを全世界に知らせよ。シオンに住む者よ、大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなた方の中におられる大いなる方だ。」

救われた喜びは、伝えずにはいられないのです。サマリアの女も救いの泉から水を汲み、その喜びが溢れて、周りの人々に伝えました。

私たちも同じです。私たち自身の力では誰かを救うことはできません。しかし、イエス様を流し出す通り管となるなら、人々を救いへと導くことができるのです。

神様は確かに、私たちが罪を犯したとき、懲らしめを与えられます。しかし、それは私たちが憎いからではなく、本当に立ち返ってほしいからです。そして、私たちが悔い改めをしたとき、主は豊かに許してくださり、怒りが去って慰めてくださるのです。

そのとき、私たちは渇くことなく潤され、イエス様を述べ伝える器として用いられるのです。どうか皆さんも、イエス様という救いの水に救いを求め、決して渇くことのない潤いを得て歩んでいく者となりますように。

【結論】

神様は私たちの悔い改めを待っておられます。悔い改めるとき、神の怒りは去り、慰めと救いが与えられます。その喜びは、周りの人々にも伝わっていくのです。イエス・キリストという救いの泉から水を汲み、その喜びと潤いをもって歩む者となりましょう。

礼拝説教メッセージ音声:主にあって動かざること山の如し(2サムエル記2:1-11):右クリックで保存

『この後、ダビデは主に問うて言った、「わたしはユダの一つの町に上るべきでしょうか」。主は彼に言われた、「上りなさい」。ダビデは言った、「どこへ上るべきでしょうか」。主は言われた、「ヘブロンへ」。』(2サムエル記2:1)

ダビデは王としての油を注がれたのだから、そのままイスラエルに行って、王を名乗っても良かったはずなのに、彼は勝手には動かなかった。
「ユダの一つの町に上るべきでしょうか」という、実に小さな所から主の御心を求めた。
まだサウル家が全滅した訳でなく、自分が勝手に王である事を表明するべき時ではないからだ。
サウルは主の御言葉を乗り越え、心の赴くままにさっさと仕出かし、失敗したのに対し、ダビデは、実に小さな事から主に導きを求め、示された導きの通りに行動した。

第二サムエル記に入ってから、ダビデが全イスラエルの王となるまでの間、ダビデの行動パターンは、一言で言えば「受け身」である。
ダビデが自分から積極的に行動したといえば、この、ペリシテの地からヘブロンへと移った事くらいで、それについても主に御心を伺い、主のゴーサインがあってから行動した。
以降、ダビデは特に自分から進んで行動する事はなく、ダビデの計り知れぬ所で周りの状況が自ら動き、その動いた状況に対してダビデは何らかの表明をする、というパターンが続いてゆき、そうして彼は「半自動的に」王になって行く。

たとえば、1章でも、サウルの死の知らせがダビデの所に舞い込んで来た時、ダビデはそれに対し「サウルを殺した」と言った若者を殺し、サウル家のために哀歌をつくり、自分はサウルの死を喜んではいない、むしろ、サウル家に対する尊敬と悲しみを、表明した。
また3章でも、アブネルの申し出には平和裏に応じ、そして部下が勝手にアブネルを殺した時も、自分はそれを認知せず関わっていなかった事を表明し、アブネルの死については、痛みと悲しみを表現して哀歌をつくって断食した。
4章でも、サウルの子・イシュ・ボシェテが殺された時も、その殺した者をダビデは殺し、自分には、サウル家を害するような意図は一切無かった事を表明した。

もし何かのたくらみや流血ごとが起きたなら、それに対して、自分は潔白である事、また、その事に対し自分はいのちと御言葉に即する立場である事を、はっきり表明する必要がある。
その事は、ミニストリーや団体が大きくなればなる程、また、有名になればなる程、そのような「表明」や「対応」は必須となって来る。

もしダビデが「自分は何の関係も無い」「だから何の対応も必要ない」と言って、何の行動も対応もせず、何の見解も述べないなら、人々はダビデを疑っただろう。
サウル家に次々と起こるこの流血ごとは、もしかしたらダビデが裏で糸を引いていたのではないか、優しそうな素振りをして、実は恐ろしい男なのでは、もし彼が王になるなら、どんなに恐ろしい事が待っているだろう、といった噂が立って、人々のダビデに対する心象は悪くなって行った事だろう。
だから私達は、自分がしたのではないけれど、何か事件が起こった時、自分の潔白といのちに立った見解を表明するべきであり、それは有名になればなるほど、また、事業が、ミニストリーが拡大すればする程、その対応が必要になって来る。

『そこでダビデはその所へ上った。彼のふたりの妻、エズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも上った。ダビデはまた自分と共にいた人々を、皆その家族と共に連れて上った。そして彼らはヘブロンの町々に住んだ。時にユダの人々がきて、その所でダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。』(2サムエル記2:2-4a)
ダビデ達は、主から示された地・ヘブロンへと上り、そこに定住して地歩を得、子供達を産み、力を養って行った。
ヘブロン。その名の意味は「連合」「結合すること」であり、アブラハムやカレブなど信仰の先人たちが仮住まいした地である。
ダビデがこれから色々の人と連合し、イスラエル各部族と結合して行き、イスラエルの王とされるまで、その地で一時的に養われる。それに相応しい地と言える。

『人々がダビデに告げて、「サウルを葬ったのはヤベシ・ギレアデの人々である」と言ったので、ダビデは使者をヤベシ・ギレアデの人々につかわして彼らに言った、「あなたがたは、主君サウルにこの忠誠をあらわして彼を葬った。どうぞ主があなたがたを祝福されるように。どうぞ主がいまあなたがたに、いつくしみと真実を示されるように。あなたがたが、この事をしたので、わたしもまたあなたがたに好意を示すであろう。
今あなたがたは手を強くし、雄々しくあれ。あなたがたの主君サウルは死に、ユダの家がわたしに油を注いで、彼らの王としたからである」。』(2サムエル記2:4b-7)

ダビデは、ヤベシ・ギレアデの人々がサウル家にした忠誠の行為が伝えられた時、それに対する見解を「表明」する事を忘れなかった。
人々は、それまで思っていたかもしれない。
ダビデはサウルの生前、サウルに命を狙われていた、だから彼はサウルの死を喜んでいて、サウルに味方していた者達を、これから非道い目にあわせていくのではないか、と。

しかし、この度のダビデの表明を見て、それまでサウルに仕えていた人々は、安心しただろう。
ダビデはサウルのように、力でねじ伏せたり、恐怖政治で統率して行くのではなく、平和に穏健に統治して行く人だ、と。
これもまた、主イエス・キリストのご性質と同じである。

私達も、主の働きを展開して行く上で、このような、御言葉にかなった平和的な表明は、大切である。
お世話になった人に対して、しっかりお礼をし、良き事をした人には祝福し、そして、真実でない事が起きた時には、明確にNOの意思表示をする。
そのような行動は、平和の内に栄えていく人のたしなみである。

『さてサウルの軍の長、ネルの子アブネルは、さきにサウルの子イシボセテを取り、マハナイムに連れて渡り、彼をギレアデ、アシュルびと、エズレル、エフライム、ベニヤミンおよび全イスラエルの王とした。サウルの子イシボセテはイスラエルの王となった時、四十歳であって、二年の間、世を治めたが、ユダの家はダビデに従った。ダビデがヘブロンにいてユダの家の王であった日数は七年と六か月であった。』(2サムエル記2:8-11)
アブネルは、サウルの有能な将軍である。
彼は、かのペリシテの戦いでも生き残っていた。
彼は、サウルの子、イシュ・ボシェテを王として擁立し、以後、アブネルがサウル家の、そしてイスラエルの実質的な支配者となって行く。

それに対しダビデは、ヘブロンでの7年半の間、着実に力をつけて行く。それも、待ちの姿勢によって。
「動かざること山の如し」は、武田信玄の言葉だが、私達もダビデのように、「主にあって動かざること山の如し」を通し、火の粉が降りかかって来た時には、しっかり振り払い、平和と命の見解を表明して行くなら、主にあって着実に養われ、力を得て行く。

『主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。』(詩篇37:3)

礼拝説教メッセージ音声:ダビデがサウル家に捧げた哀歌(2サムエル記1:13-27):右クリックで保存

『ダビデは自分と話していた若者に言った、「あなたはどこの人ですか」。彼は言った、「アマレクびとで、寄留の他国人の子です」。ダビデはまた彼に言った、「どうしてあなたは手を伸べて主の油を注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」。ダビデはひとりの若者を呼び、「近寄って彼を撃て」と言った。そこで彼を撃ったので死んだ。』(2サムエル記1:13-15)

このアマレクの若者としては、自分は良い知らせをもたらした、と思い込んでいた。(2サムエル記4:10)
きっと、サウル達に追われていたダビデ達に褒美をもらえるだろう、と、浅はかな心をもって「自分がサウル殺した」と言ったのであろうが、彼が刈り取ったのは、死であった。

『ダビデは彼に言った、「あなたの流した血の責めはあなたに帰する。あなたが自分の口から、『わたしは主の油を注がれた者を殺した』と言って、自身にむかって証拠を立てたからである」。』(2サムエル記1:16)
アマレクの若者は、彼の口から出たことばによって、すなわち、『わたしは主の油を注がれた者を殺した』という証言のゆえに、死をもたらされたが、実はこの事は、現代を生きる全ての人々にも、同じく適用される事である。
それはどういう事か。

「主に油注がれた方」は、ヘブル語ではメシヤ、ギリシア語ではキリストである。
現代、多くの人々はキリストを軽んじ、いい気になってキリストをばかにし、敢えて冒涜する言葉や歌を豪語している者が多いが、そのような者達は全て、自分が発した「ことば」について申開きしなくてはならず、それによって裁かれるのである。(ローマ14:12、1ペテロ4:5)
今は恵みの時、憐れみの時である。
悔い改めの機会が与えられている今の内に、救い主キリストに立ち返るべきであり、その「恵みの時」を使い果たしてしまった時、このアマレクの若者のように、死という刈り取りをしなければならなくなる。

『ダビデはこの悲しみの歌をもって、サウルとその子ヨナタンのために哀悼した。これは、ユダの人々に教えるための弓の歌で、ヤシャルの書にしるされている。』(2サムエル記1:17)
ダビデは、サウルやヨナタン達が悪者として歴史に葬られないよう、彼らの良い所、称えられるべき所を追悼の歌にのせ、それを人々に歌わせた。
ダビデのそのような高貴な性質こそ、神の国において尊い事に用いられる器である人の性質である。

『「イスラエルよ、あなたの栄光は、/あなたの高き所で殺された。ああ、勇士たちは、ついに倒れた。ガテにこの事を告げてはいけない。アシケロンのちまたに伝えてはならない。おそらくはペリシテびとの娘たちが喜び、/割礼なき者の娘たちが勝ちほこるであろう。』(2サムエル記1:19)
歌の出だしは、サウル達をイスラエルの「栄光(ツェビー:美しさ、栄光)」とし、彼らを勇士として称える所から始まる。

『ギルボアの山よ、/露はおまえの上におりるな。死の野よ、/雨もおまえの上に降るな。その所に勇士たちの盾は捨てられ、/サウルの盾は油を塗らずに捨てられた。』(2サムエル記1:21)
ギルボア山は、サウル達が倒された所だが、ダビデがこのように”呪って”以来、ギルボア山の片面はぎこちなく禿げ上がってしまい、近年のイスラエル政府による緑化政策でも植物が育たなかった、と言われる。

『殺した者の血を飲まずには、/ヨナタンの弓は退かず、/勇士の脂肪を食べないでは、/サウルのつるぎは、むなしくは帰らなかった。サウルとヨナタンとは、愛され、かつ喜ばれた。彼らは生きるにも、死ぬにも離れず、/わしよりも早く、/ししよりも強かった。イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。彼は緋色の着物をもって、/はなやかにあなたがたを装い、/あなたがたの着物に金の飾りをつけた。』(2サムエル記1:22-24)
イスラエルの娘たちは、サウルは千を打ちダビデは万を打った、と歌って、サウルが小さく、ダビデを大きくしているが、ダビデ自身は、サウルがイスラエルの娘たちに良くしてくれた事を、思い起こさせている。

『ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンは、あなたの高き所で殺された。わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。あなたはわたしにとって、いとも楽しい者であった。あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、/女の愛にもまさっていた。』(2サムエル記1:25-26)
同性愛者達はよく、この「女の愛にもまさっていた。」を引用して、ダビデも同性愛だったのだ、と言っているが、あいにくダビデは「わが兄弟(韓国語では「兄上」と訳している)ヨナタンよ」と呼びかけており、「主にある信仰の兄弟の優れた「兄弟愛」を称えているのであって、その兄弟愛の強さは、世の恋愛感情に遥かに勝るものであったから、ダビデは「あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく」とうたったのだ。
主を信じる信仰者同士の「兄弟愛」は、家族の愛より、男女の愛よりも強く優れている事を、信仰者の友を持つ聖徒であるなら、誰もが経験している所だろう。
そもそも、聖書は同性愛を至る個所で禁じており(ローマ1:26-28, レビ18:22-30, 1テモテ1:9-10, 1コリント6:9-10, ユダ1:7)、この個所をもって神は同性愛を養護している、と主張するのは、早計もいい所である。

『ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた」。』(2サムエル記1:27)
ダビデはこのように、自分達のいのちを付け狙った相手を悪く言わず、「勇士たち」として追悼した。
世の王は、気に食わない人を抹殺し、死人に口なしとばかりに好き勝手な悪名をその人に着せ、歴史をでっち上げようとする事が多いが、ダビデは、その逆だった。
人のした悪を思わず、良い所を、人々に見出させようとする性質を持ち合わせていた。
それはキリストの性質であり、私達もそのようなたしなみを身につけるべきだ。

礼拝説教メッセージ音声:サウルの死に際とダビデの反応(2サムエル記1:2-12):右クリックで保存

ダビデ達は、アマレクから妻子も家財も全てを奪い返し、家族ともに無事だった事を喜び、お世話になった町々や人々に贈り物を届け、一息ついた所だった。

そんな彼らの所に、一人の若者から、ある知らせが来た。
『三日目となって、ひとりの人が、その着物を裂き、頭に土をかぶって、サウルの陣営からきた。そしてダビデのもとにきて、地に伏して拝した。ダビデは彼に言った、「あなたはどこからきたのか」。彼はダビデに言った、「わたしはイスラエルの陣営から、のがれてきたのです」。』(2サムエル記1:2-3)

着物を裂いて土をかぶるのは、イスラエル流の悲しみの表現である。
イスラエルの陣営から逃れて来た、と言う彼が、着物を裂いて土をかぶっている。
何かよからぬ事がイスラエルの陣営に起きたのだ、と、誰もが思っただろう。
『ダビデは彼に言った、「様子はどうであったか話しなさい」。彼は答えた、「民は戦いから逃げ、民の多くは倒れて死に、サウルとその子ヨナタンもまた死にました」。』(2サムエル記1:4)

あのサウルが、死んだ。
サウルに命を付け狙われ、国外にまで逃げて来た彼らには、衝撃的な知らせだった事に違いはないであろうが、見も知らぬ若者の言葉をそのまま受け入れるのは、早計である。
ダビデは詳細を聞いた。

『彼に話している若者は言った、「わたしは、はからずも、ギルボア山にいましたが、サウルはそのやりによりかかっており、戦車と騎兵とが彼に攻め寄ろうとしていました。その時、彼はうしろを振り向いてわたしを見、わたしを呼びましたので、『ここにいます』とわたしは答えました。彼は『おまえはだれか』と言いましたので、『アマレクびとです』と答えました。』(2サムエル記1:6-8)
普通、戦が真っ最中の戦場には、余程の事情でもない限り、人は近づきたがらないものである。
イスラエル人でもペリシテ人でもない、このアマレクの若者は、なぜ「はからずも」イスラエルとペリシテが戦っている戦場にいたのだろう。

アマレクの性質は、弱いものを襲撃して分捕る事である。
ダビデ達もつい先日、女子供しかいない留守中をアマレクに攻めこまれ、妻子や財産を奪われて、それを取り返したばかりだった。
また、アマレクは出エジプトしたイスラエルの会衆のうち、疲れて弱っている後方の人達を狙い撃ちにして襲った。
このアマレク人もおそらく、戦死者や傷ついて弱っている人から貴重品を掠め奪うために、敢えて、この危険な戦場に居たのではなかろうか。

そのような性質だから、主はアマレクを聖絶するようにモーセに命じ(出エジプト記17:8-16、申命記25:17-19)、サウルの時代、それを実行するようサウルに命じられたのだが(1サムエル記15:1-3)、サウルはそれをしなかった。
それ故サウルは、この事の刈り取りをする事になる。

『彼はまたわたしに言いました、『そばにきて殺してください。わたしは苦しみに耐えない。まだ命があるからです』。そこで、わたしはそのそばにいって彼を殺しました。彼がすでに倒れて、生きることのできないのを知ったからです。そしてわたしは彼の頭にあった冠と、腕につけていた腕輪とを取って、それをわが主のもとに携えてきたのです」。』(2サムエル記1:9-10)
アマレクの若者は、サウルの死んだ時の様をこのように証言し、その証拠として、サウルが身につけていた王冠と腕輪とを取って、ダビデ達に見せた。
ダビデ達は、その物証によって、サウルの死を確実なものとして知った。

サウルが最後にアマレク人に願った言葉は、KJVでは次のように記されている。
『I pray thee, upon me, and slay me: for anguish is come upon me, because my life is yet whole in me. (お願いだ、そばに来て私を殺してくれ、苦痛が来ているのに、私の命は今だに「満ちている(kole:完全な状態)」から。)』
ペリシテの矢を受けても死なず、自分で自分を刺しても、死ねない。
ものすごく痛くて苦しくて、すぐにでも死にたいのに、なぜか死ねずにいた、その所に、たまたまアマレク人が来て、彼に願って殺してもらった。
主の御声に背いてアマレクを生かしておいたサウルに、相応しい最後とも言える。

ところで、アマレク人が証言したこのサウルの最後の様子は、第一サムエル記31章のそれとは違う。
第一サムエル記では、サウルは矢傷を受けて敵が迫っているのに、従者に介錯してもらえず、やむなく、自ら自害した、というものだった。
このアマレク人が褒美欲しさに偽りを言ったのか、それとも本当を言ったのか、断定はできないが、いずれにせよ、サウルの死にアマレク人が関わった事は確かであり、サウルの王冠と腕輪はアマレク人に奪われ、それはダビデへと渡されたのだ。

将来サウルに取って代わって王となる、と言われていたダビデは、アマレクの手から王冠を受け取った時、どのような心境だっただろう。
ダビデ達としては、自分達を長年追っていたサウルが死んだ、という「意味」においては、「良い知らせ」だったかもしれない。
実際、アマレクの若者も、自分では「良い知らせ」を持ってきた、と思っていた。(2サムエル記4:10)
しかし、ダビデの反応はどうだったか。

『そのときダビデは自分の着物をつかんでそれを裂き、彼と共にいた人々も皆同じようにした。彼らはサウルのため、またその子ヨナタンのため、また主の民のため、またイスラエルの家のために悲しみ泣いて、夕暮まで食を断った。それは彼らがつるぎに倒れたからである。』(2サムエル記1:11-12)
ダビデの反応は、これだった。

果たして彼は、実は両手放しで喜びたい所を、ぐっとこらえたのだろうか?
サウルが死んで喜ぶ姿を皆に見せるのは良くない、むしろ悲しむ素振りをした方が、これからの身の振り上、よろしいだろう、そのような事を一瞬で思いついて一瞬で行動に移したのだろうか。
いや、彼は心底、サウルが、ヨナタンが、そして神の民イスラエルが多くが倒れた事に、ショックを受け、心乱され、悲しんだのではなかろうか。

私達も、自分たちに悪いことをし続けたクリスチャンの兄弟姉妹が、一族郎党、悲惨な死に方をした、という知らせ聞いたとするなら、果たして両手放しで喜べるだろうか。
むしろ、主にある兄弟姉妹がそのような死に方をした事を悲しみ、主の峻厳さを恐れるのではなかろうか。

ダビデ達がイスラエルを離れていたばかりに、イスラエルの多くの人達が倒れ、そして主に油注がれたサウルさえ倒れた。
しかも彼らは、あわや、ペリシテ軍の一員として神の民の血を流す側として、サウル達イスラエルに刃を向け、殺めていた所だったのだ。
ダビデは、一歩間違えれば、自分たちこそサウルのようになってしまっていた、と、震えおののいただろう。

ダビデはこの後、色々の失敗も犯すが、彼はその都度、すぐに自分の罪を告白して悔い改める性質を身につけ、主に滅ぼされる事なく、安泰の内にその生涯を全うする。
彼はこの時の経験を戒めとして受け取り、いつも主を恐れ、サウルの二の鉄を踏まないように、気をつけたのだろう。

ダビデは、知っていた。
自分がいかに罪にまみれているかを。
『神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。』(詩篇51:1-4)
それなのに、彼は赦され、むしろ自分には到底相応しくない栄誉と成功が与えられた。
この主の憐れみと赦しを、彼はどれ程、感謝した事だろう。

私達も、自分の犯してきた罪や過ちから勘案するなら、到底相応しからぬ栄誉と祝福を得ている。
その事を、ダビデのように感謝しているだろうか。罪に走らないよう常日頃気をつけているだろうか。
私達もこの第二サムエル記から、ダビデにならい、王としてのたしなみを学び身に着けて行きたい。

礼拝説教メッセージ音声:第二サムエル記概要(2サムエル記1:1):右クリックで保存

『サウルが死んだ後、ダビデはアマレクびとを撃って帰り、ふつかの間チクラグにとどまっていた』(2サムエル記1:1)

第二サムエル記は、サウルの死と、ダビデの勝利で始まる。
第一サムエル記の終盤、サウルも、ダビデも、それぞれ危機的状況にあったが、サウルは乗り越えられず死に、ダビデは信仰によって乗り越えて大逆転した。

サウルは結局、主に求め続けるという事を、最後までしなかった。
彼は人生最大の危機に面した時、久しぶりに主に伺おうとて、夢やウリム、預言者に御心を求めたが主の応えは無く、それでさっさと口寄せへと導きを求めてしまった。
結局、彼の長い”信仰生活”はずっと外見的なままで、彼の心は主から離れていた事が明確にされたのだ。

ダビデも、妻子や財産全てを失い、あわや部下に殺されてしまう、という危機にあったが、彼は信仰を奮い立たせて主に伺い、主の導きに従って追いかけ、全てを取り戻しただけでなく、それ以上を分捕って、このチクラグという所で喜びを噛み締めつつ、お世話になった人達に贈り物を届けた所だった。
第二サムエル記は、このサウル王の悲惨な死とダビデの戦勝の盛りの場面で始まる。

第二サムエル記は、ダビデ王の治世の記録である。
ダビデは第一サムエル記でも登場していたが、そこではあくまでサウル王の下での活躍であった。
この第二サムエル記は、そのサウルの死で初まり、ダビデがますます盛んになり、サウル家がますます没落して行く様が、一章から四章で記されている。
ダビデ自身からは何も仕掛けていないのに、周りの状況があれよあれよと動いて、彼は結局、ほぼ自動的に全イスラエルの王となって行く。

五章以降は、ダビデの王国がさらに確立されて行く様が記されている。
彼はイスラエルの首都をダビデの町・エルサレムと定め、そこに主の契約の箱を運び入れ、そして主から、ダビデの家は永遠に続くという約束をいただく事になる。
事実、彼の王国の永遠は今も続いている。
私達クリスチャンは全て、彼の王国の支配、すなわち、ダビデの子・キリストの王国の支配下にある。

八章は、周辺諸国を平定したダビデ治世の最盛期が記されているが、九章以降、ダビデの失敗も、残らず記録されている。
ダビデは全てがうまく行って最高潮の時、気が緩み、戦争に出ている部下の妻を見初め、身ごもらせ、その夫を戦争の激戦区へ送って殺させる事で、主の御心を損ねてしまった。
この時以降、彼の子供達は次々と血なまぐさい事件を起こして行く。
それが九章以降、二十章までずっと続く。

ダビデといえ、色々の罪や失敗を犯す。
特に、子育ての面で失敗し、気が緩んだ時に間違いを犯す傾向があった。
しかし彼が滅ぼされる事なく、永遠の王権が奪われたなかったのは、彼は事あるごとに主に立ち返り、主に求め、罪を指摘された時は、間髪をいれず悔い改めたからだった。
ダビデとサウルの違いは、日頃主に依り頼むか頼まないか、罪が指摘された時に悔い改めるか悔い改めないか、である。
そのシンプルな違いで、明暗が分かれるのだ。

なお、二十一章から最後の二十四章まではダビデ治世の付録的な記事が記されている。
二十三章にダビデの最後のメッセージが記されているが、二十四章にはダビデのもう一つの失敗・人口調査の過ちが記されていて、必ずしも年代順に記されているわけではない。

第一サムエル記では、神の国における「王」となるための、優良な「帝王学」を学ぶ事が出来た。
この第二サムエル記では、いかに誤りなく「王」としての立ち位置をキープし続けるべきかを学ぶ事が出来る。
私達はキリストにあって、王族の祭司とされた。
主イエスにあって王とされた者として在るべきたしなみを、また、成功と失敗の法則を、そして、万一失敗してしまった場合、いかに信仰者として立ち返るべきかを、この書から学んでいきたい。

イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
エッサイの根株から新芽が生え(イザヤ11:1-16)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存

【概要】

エッサイの根株から生えた新芽であるイエス・キリストを通じて、主の霊が全世界に満ちる時代が来ることを預言するイザヤ書11章の解説。

【聖書箇所】

イザヤ書11章

【慰めの言葉】

主の霊が満ちる時、敵対関係が解消され、平和が訪れる。

【励ましの言葉】

主を恐れ敬う霊に満たされるなら、どんな困難も乗り越えられる。

【戒めの言葉】

高ぶりや獣のような性質は主によって切り倒される。

【勧めの言葉】

主を知る知識と主を恐れる霊に満たされるよう努めるべき。

【悔い改めの促しの言葉】

自らの罪を認識し、古い自分を切り捨てて主に立ち返るべき。

【***詳細***】

今日、私たちが恵みを頂く御言葉は、イザヤ書11章です。まず、1節と2節を読みます。

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。」(イザヤ11:1-2)

この箇所は、クリスマスの時期によく引用される言葉ですが、ここでは深い意味が込められています。イスラエルの歴史を振り返ると、アッシリア、バビロン、メドペルシア、ギリシャ、ローマと、様々な帝国によって低くされ、切り倒されてきました。しかし、その根株から新しい芽として、イエス・キリストが生まれてきたのです。

この若枝の上に、主の霊が留まります。2節後半から3節には、その霊の性質が記されています。

知恵と悟りの霊、深慮と勇気の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び」(イザヤ11:2-3)

特に注目したいのは、「主を知る知識と主を恐れる霊」です。この世の知恵ある者たちは、人間の脳が機能しなくなれば人は死ぬと考えます。しかし、死を知る真の知識は主から与えられるものです。また、死を恐れる霊を持つことで、人は悪を避け、倫理にかなった生き方をするようになります。

この方が統治される世界がどのようなものかを、3節から5節で描写しています。

その目に見えるところによって裁かず、その耳に聞こえるところによって判断せず、正義をもって寄るべのない者を裁き、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、唇の息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。」(イザヤ11:3-5)

この方の裁きは、外見や噂によるものではなく、真に正しいものです。そして、その統治の基盤となるのが、主を恐れることなのです。

6節から9節では、この主の霊が満ちる世界の姿が描かれています。

狼は子羊と共に宿り、ひょうは子山羊と共に伏す。子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子供がこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏す。獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。」(イザヤ11:6-9)

これは、創造の始めの状態、罪が入る前の世界の姿を思わせます。獣たちは肉食ではなく、草食でした。主の霊が満ちるところでは、殺したい、傷つけたいという本能さえも抑えられ、平和な状態が実現するのです。

私たちの中にも、ライオンのような、クマのような性質があります。怒りがこみ上げてきたり、相手を傷つけたくなったりする衝動です。しかし、死を知る知識と死を恐れる霊が満たされるところでは、そういった性質さえも抑えられるのです。

10節から13節では、エッサイの根、すなわちイエス・キリストが国々の旗印となり、散らされた民が集められる様子が描かれています。

その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこうところは栄光に輝く。」(イザヤ11:10)

これは、イエス・キリストを信じる者たちが世界中から集められることを預言しています。実際に、現代では多くの人々がイエスを信じています。また、イスラエルの民も1900年ぶりに自分たちの国を回復しました。

さらに、13節では内部の対立も解消されることが預言されています。

エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。」(イザヤ11:13)

これは、北イスラエル王国と南ユダ王国の対立が解消されることを示しています。

14節以降では、イスラエルを苦しめてきた国々に対する裁きが描かれています。イスラエルが主を恐れる霊に満たされるとき、状況は逆転し、かつての敵対国々を従わせることになるのです。

最後に、16節では出エジプトの出来事が再び起こることが預言されています。

その残される民のために、アッシリアからの大路が備えられる。イスラエルがエジプトの国から上って来た日に、イスラエルのために備えられたように。」(イザヤ11:16)

かつて主が海を分け、イスラエルの民をエジプトから救い出したように、再び主は道を備えられるのです。これは、私たちが主を恐れ敬うならば、今も同じように主が働かれることを示しています。

【結論】

イザヤ書11章は、エッサイの根株から生えた新芽であるイエス・キリストを通じて、主の霊が全世界に満ちる時代が来ることを預言しています。私たちは、主を知る知識と主を恐れる霊に満たされることを求め、自らの内にある獣のような性質を主に委ねて切り倒してもらう必要があります。そうすることで、私たちも主の平和な統治の中に生きることができるのです。主の霊が満ちる世界の実現を待ち望みつつ、今日から私たちも変えられていく決意をしましょう。

礼拝説教メッセージ音声:帝王学書の最終章(1サムエル記31:1-13):右クリックで保存

第一サムエル記の最終章は、御声に逆らい続けたサウル王の悲惨な最後で終わる。

最後の夜、サウルは口寄せ女に頼ったが、「明日は死ぬ」という絶望的な示し以外には何物も得られなかった。
そして来たるその日、サウルは何の助けも無いまま、到底勝ち目の無い戦場へと、部下や息子達を率いて進み出ざるを得なかった。

『さてペリシテびとはイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテびとの前から逃げ、多くの者は傷ついてギルボア山にたおれた。ペリシテびとはサウルとその子らに攻め寄り、そしてペリシテびとはサウルの子ヨナタン、アビナダブ、およびマルキシュアを殺した。』(1サムエル記31:1-2)
あの素晴らしい信仰者・ヨナタンも、この時殺されてしまった。
2サムエル記1章でダビデが歌っている「弓の歌」では、「ヨナタンの弓は最後まで退かなかった」と記されているので、彼はきっと、父であり油注がれた王であるサウルを守るため、最後まで弓を絞りつつ立派に死んで行ったのだろう。

また、いつもサウルと共にいた精鋭の兵達も、皆倒れた。
サウルがダビデを追う時も、サウルが口寄せに聞きに行こうとした時も、サウルを諌めずに一緒にダビデを追い回し、尋ねられるままに口寄せの所へと導いて行った、あの部下達である。
無情な事であるが、ヨナタンのような素晴らしい信仰者も、権威者におもって何も言えないイエスマンも、共に、主に従わない家族や主君に最後まで従うとするなら、その者が受けるべき災いを等しく受けてしまうのだ。

『そこでサウルはその武器を執る者に言った、「つるぎを抜き、それをもってわたしを刺せ。さもないと、これらの無割礼の者どもがきて、わたしを刺し、わたしをなぶり殺しにするであろう」。しかしその武器を執る者は、ひじょうに恐れて、それに応じなかったので、サウルは、つるぎを執って、その上に伏した。武器を執る者はサウルが死んだのを見て、自分もまたつるぎの上に伏して、彼と共に死んだ。』(1サムエル記31:4-5)
サウルの最後は、矢傷を受けて敵が迫っているのに、介錯をしてもらえず、やむなく、自ら自害するというものだった。

なお、第二サムエル記1章には、サウルは最後の最後、まだ息があるのにひどいけいれんが起こったため、そばにいたアマレクの若者にとどめを刺してもらった、というアマレク人の証言がある。
自刃してもなお死にきれず、最後にアマレク人に止めを刺されたのか、それとも、アマレク人は褒美欲しさに「自分がとどめを刺した」とうそぶいたのか、定かではないが、いずれにせよ、アマレク人がサウルの死に関わったのは確かである。
サウルの死後、彼の王冠と腕輪はアマレク人に盗まれ、ダビデへと渡されてしまった。(2サムエル記1:10)
サウルは、聖絶せよと言われたアマレクを聖絶せずにいて、そのアマレクによって王冠が奪われ、そえれはダビデへと手渡される。
実に象徴的だ。

そして、サウルが恐れていた通り、彼の遺体は無割礼の者どもに、好き放題にされてしまった。
サウルの遺体がペリシテ人によって首を胴体から切り離され、彼の鎧は偶像の宮に安置され、彼とその子達の遺体はベテシャンの城壁にくぎづけに晒されてしまった。(1サムエル記31:8-10)

彼の最後が、このように悲惨なものになってしまったのは、彼は普段から主からの「方向修正せよ」というサインを、ことごとく無視し続けたからだ。
彼は預言者を退け、祭司を虐殺し、油注がれたダビデをも殺そうと執拗に追いかけ、ついには預言者にも祭司からも、油注がれた者からもそっぽ向かれ、そして最後には、主が忌み嫌われる口寄せに頼るという、信仰とは程遠い歩みをして、それを止めなかった。
結局彼は、長い信仰生活の間、「主により頼む」という信仰を育まず、ついには、与えられていた長い憐れみの期間を使い尽くしてしまい、リミットが来て、このような悲惨な最後になってしまったのだ。

ある人は思うかもしれない。サウルをこのような悲惨な死に方をさせた主は、非道い、と。
しかし私達は、サウルの放埒な歩みを長い間忍耐し、方向修正の指示を何度もし、チャンスを何度も与えて下さった主の憐れみと忍耐を思うべきであり、そしてサウルの悲惨な最後から教訓を得て、彼のような頑なさと不信仰を、速やかに捨てるべきである。

『ヤベシ・ギレアデの住民たちは、ペリシテびとがサウルにした事を聞いて、勇士たちはみな立ち、夜もすがら行って、サウルのからだと、その子たちのからだをベテシャンの城壁から取りおろし、ヤベシにきて、これをそこで焼き、その骨を取って、ヤベシのぎょりゅうの木の下の葬り、七日の間、断食した。』(1サムエル記31:11-13)
このヤベシ・ギレアデは、サウルが王になった当初、サウルに救ってもらった町である。(1サムエル記11章)
サウルは、最初の信仰の行い故に、そのささやかな報いを受ける事ができた。
そして、ここで第一サムエル記は終了している。

第一サムエル記は、イスラエル最後の士師でありキングメーカーであるサムエルの誕生に始まり、イスラエル最初の王・サウルが立てられたものの、彼の不信仰ゆえに主の御心は彼から離れ、ダビデへと移り、そして、不信仰を続けたサウルの悲惨な死で終わった。
サウルとダビデ、この二人の「王」の対照的な生き様が、際立ったコントラストをもって記されていたが、この書は、ダビデのような信仰者を目指して生きたいという願いを持ちながら信仰をもって読むなら、優れた「帝王学」の書となる。
帝王学とは、将来王となる人が受ける特別教育であり、私達は、ダビデの信仰と寛容、困難に対する忍耐と気高い対応から、そして、彼の諸々の失敗と信仰による立て直しの経験から、神の国において優れた”王”となるための優れた帝王学を、大いに学ぶ事が出来る。

私達はこの書から、二通りの道を見た。
優れた王となって行くダビデの道と、御声に従わずに身勝手な自分の道を貫こうとしたサウルの道を。
そしてこの書の終わりは、身勝手な道を選んだ王の、悲惨な結末で締めくくられていた。
私達はここから戒めを受け、失敗の道を歩まず、ダビデのように優れた「王」となるべき教育を得ようと務めるべきだ。
キリストにあって、神の国の素晴らしい「王」として、人生を、周囲を正しく治めて行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:ダビデが愛され祝福された理由と、その彼の性質(1サムエル記30:21-31):右クリックで保存

『そしてダビデが、あの疲れてダビデについて行くことができずに、ベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところへきた時、彼らは出てきてダビデを迎え、またダビデと共にいる民を迎えた。ダビデは民に近づいてその安否を問うた。』(1サムエル記30:21)

ダビデ達が疲れを押して、命がけて戦いに出て行った時、彼らは疲れて、荷物の所に留まっていた。
そんな彼らの所に戻った時、心穏やかにいられないのが普通かもしれない。
しかしダビデは、自ら彼らに近づいて行き、安否を問うた。
ダビデの子孫・イエス様も、弱く疲れ果て主の戦いを戦えない人を、決して責める事なく、自ら近づいて来て、安否を問うて下さる。

『そのときダビデと共に行った人々のうちで、悪く、かつよこしまな者どもはみな言った、「彼らはわれわれと共に行かなかったのだから、われわれはその人々にわれわれの取りもどしたぶんどり物を分け与えることはできない。ただおのおのにその妻子を与えて、連れて行かせましょう」。』(1サムエル記30:22)
ダビデの集団の中には、「悪く、かつよこしまな者ども」もいたが、教会の中にも、信仰が未熟ゆえ、あるいは弱さゆえに、兄弟姉妹を悪く言う人達がいるかもしれない。
私達は彼らに同意したり、染まったりするのではなく、以下でダビデがしているように神の国の基準を示さなくてはならない。

『しかしダビデは言った、「兄弟たちよ、主はわれわれを守って、攻めてきた軍隊をわれわれの手に渡された。その主が賜わったものを、あなたがたはそのようにしてはならない。』(1サムエル記30:23)
ダビデは明言している。
この勝利は、「主が」与えて下さった、と。
実際、その通りだ。主は、どこに行けば分からないダビデ達の前に、エジプトの若者を備えて道案内をさせ、ちょうど良いタイミングの時に到着させ、あり得ない程の大軍に大勝利し、多くの分捕りが出来たのは、明らかにダビデ達の力や器量のゆえではなく、主のお陰だったのではないか。

『あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。』(申命記8:17-18)
『気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。』(申命記8:11-14)
私達は、大成功したり、願っていたものが与えられた時こそ、つとめて気をつけるべきだ。
望んでいたものが与えられたとたんに、主を忘れ、主に祈り親密に交わる事を止めてしまう、というような事が、無いように。
もし今、何か必要を覚えて祈り求めているとするなら、その必要が備えられた時、いかに主に感謝し、その後、いかに主とともに歩む事を続けて行くべきか、その心備えをしっかりしておくべきだ。

『だれがこの事について、あなたがたに聞き従いますか。戦いに下って行った者の分け前と、荷物のかたわらにとどまっていた者の分け前を同様にしなければならない。彼らはひとしく分け前を受けるべきである」。この日以来、ダビデはこれをイスラエルの定めとし、おきてとして今日に及んでいる。』(1サムエル記30:24-25)
ダビデは、まだイスラエルの王ではなかった時から、この事を後々にも守るべき定めとして定めた。
勝利は主のものであり、天地に満ちているものは全て主のものである。主が与えて下さる勝利と全ての良き賜物は、兄弟姉妹でともに分け合う事が、神の民の標準である。
ダビデはその点、非常にクリアであったため、神と人とから愛されたのである。

ダビデはさらに、分捕りものを多くの町々の人々に贈った。
『ダビデはチクラグにきて、そのぶんどり物の一部をユダの長老である友人たちにおくって言った、「これは主の敵から取ったぶんどり物のうちからあなたがたにおくる贈り物である」。そのおくり先は、ベテルにいる人々、ネゲブのラモテにいる人々、ヤッテルにいる人々、・・・ヘブロンにいる人々、およびダビデとその従者たちが、さまよい歩いたすべての所にいる人々であった。』(1サムエル記30:26-31)
これら町々は、ダビデがサウルから逃げ、さまよい歩いていた時、お世話になった人々であり、またネゲブは、アマレクの略奪隊の被害にあった町々だ。
分捕られた彼らのものを返し、そして、お世話になった所にお礼する事を忘れない。その性質だったからから、ダビデは祝福されたのだ。

『神は喜んで施す人を愛して下さるのである。神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」/と書いてあるとおりである。
種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。』(2コリント9:6-12)

ダビデのように、信仰によって大胆に勝利し、多くを分捕り、多くを兄弟姉妹達に分け与え、良きものを継がせて行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:失ったもの以上を取り戻す転機(1サムエル記30:9-20):右クリックで保存

ダビデは主にあって奮い立ち、主に伺い、主から示された言葉どおり追撃を開始した。

一度はダビデを石打ちにして殺そうとした部下達だったが、主によって奮い立ったダビデの信仰に、彼らも触発されたのだろう。
彼らはダビデを石打ちにするのではなく、彼の指示に従った。

私達も、失ったものを惜しみ、奪われた事を悲しんで泣いているだけなら、さらに周りから石を投げられるような事になるものだ。世は、信じたとおりになるものだから。
そのような時こそ私達もダビデのように奮い立って「エポデを持って来なさい」と指示し、主の御前に進み出るべきだ。
その時、その人は威厳をまとい、周りの人も、状況も、動きだすのだから。

『そこでダビデは、一緒にいた六百人の者と共に出立してベソル川へ行ったが、あとに残る者はそこにとどまった。すなわちダビデは四百人と共に追撃をつづけたが、疲れてベソル川を渡れない者二百人はとどまった。』(1サムエル記30:9-10)
彼らはこの時、体力も気力も消耗し切っていたのだろう。この状況での進撃は、かなり厳しかったようである。
それでも600人中、400人は川を渡り、進撃を続けた。
具体的に何をすれば良いのか、どこへ行けば良いのか、分からない中でも、主の「進め」という言葉だけが確かに響いている時、私達の為すべき分はただ一つ、進み続ける事である。
その私達に与えられた「分」を果たすなら、主は助けを送り、次に為すべき事を示されるからだ。

『彼らは野で、ひとりのエジプトびとを見て、それをダビデのもとに引いてきて、パンを食べさせ、水を飲ませた。また彼らはほしいちじくのかたまり一つと、ほしぶどう二ふさを彼に与えた。彼は食べて元気を回復した。彼は三日三夜、パンを食べず、水を飲んでいなかったからである。』(1サムエル記30:11-12)
主が送られた助け人、それは、一介の、行き倒れのエジプト人であった。
一見すると何の役にも立たないような、行き倒れ。
そんな小さな者さえ、ないがしろにせず助けてやる人に、主は、隠されていた「助け」を現して下さる。

『ダビデは彼に言った、「あなたはだれのものか。どこからきたのか」。彼は言った、「わたしはエジプトの若者で、アマレクびとの奴隷です。三日前にわたしが病気になったので、主人はわたしを捨てて行きました。わたしどもは、ケレテびとのネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、また火でチクラグを焼きはらいました」。
ダビデは彼に言った、「あなたはその軍隊のところへわたしを導き下ってくれるか」。彼は言った、「あなたはわたしを殺さないこと、またわたしを主人の手に渡さないことを、神をさしてわたしに誓ってください。そうすればあなたをその軍隊のところへ導き下りましょう」。』(1サムエル記30:13-15)
この、一介の行き倒れが、ダビデ達、および彼らの妻子達を救いだす、重要なキーパーソンへと”大化け”した。

私達も、日々のちいさな物事、特に、美徳と呼ばれるものを、軽んじるべきではない。(ピリピ4:8)
主は、幻や奇跡といった「非日常」にしか現れないと思ったら大間違いである。むしろ主は日常の内に、盗人のように、思いがけず現れるものだ。(ヘブル13:2)
私達の信仰の父・アブラハムも、世の美徳と呼ばれる事を忠実に行ったから、知らない間に主をもてなし、主からの養いを豊かに受けた。

『彼はダビデを導き下ったが、見よ、彼らはペリシテびとの地とユダの地から奪い取ったさまざまの多くのぶんどり物のゆえに、食い飲み、かつ踊りながら、地のおもてにあまねく散りひろがっていた。』(1サムエル記30:16)
ダビデ達は、丁度良い時間に、丁度良いタイミングで、略奪した者達の所に到着した。
彼らはすっかり油断し、散開してあちこちで飲み食いし、酔っ払い、行動力も判断力も鈍っているような、攻めこまれたらひとたまりもないような状況だった。
主は実に、時間も空間も支配しておられる方だ。

『ダビデは夕ぐれから翌日の夕方まで、彼らを撃ったので、らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかには、ひとりものがれた者はなかった。こうしてダビデはアマレクびとが奪い取ったものをみな取りもどした。またダビデはそのふたりの妻を救い出した。そして彼らに属するものは、小さいものも大きいものも、むすこも娘もぶんどり物も、アマレクびとが奪い去った物は何をも失わないで、ダビデがみな取りもどした。』(1サムエル記30:17-19)
彼らは四百人で攻め入り、一昼夜激しく打って、らくだに乗ってようやく逃げたミデヤン人も、四百人だった。
ダビデ達はどれ程、大勢のアマレクを撃った事だろう。そして、その分捕りはどれ程多かった事だろう。

いかに疲れている状態でも、主の故に進み出て行く時、主は力を与え、疲れを吹き飛ばさせ、主の大いなる御業を見させて下さるのだ。
ヨシュアの時代、太陽と月が一日同じ位置に留まって、天がヨシュア達を助けた時も、彼らは、休まずの行軍と戦いで疲れていたはずだった。
しかし主が力を与え、大いなる奇跡を起こし、彼らの疲れを吹き飛ばしてくださった。

私達も時に疲れ、「なんでこんな人のために、休まずに働かなくてはならないのか」と思える時も、あるかもしれない。
しかし、今働いている事が御国の働きであり、着実に御霊の実を結び続けているのであるなら、たゆまずそれを続けるべきだ。
それを乗り越えた時こそ、主は偉大な事をされるからだ。

『ダビデはまたすべての羊と牛を取った。人々はこれらの家畜を彼の前に追って行きながら、「これはダビデのぶんどり物だ」と言った。』(1サムエル記30:20)
ダビデは、つい先日までは妻子も財産も奪われ、何もない、すっからかんの状態だったのに、それが一転して、一気に大物持ちになった。

ダビデ達がサウルを避けてペリシテに来たのも、妻子や家財が奪われたのも、ダビデの不信仰や弱さの故だったかもしれない。
しかし、そんな自業自得的な災いの中にあっても、主に立ち返り、信仰によって進み出るなら、主はそれさえ益として造り変えられる。
主はなんと恵み深いお方だろう。

私達も主にあって奮い立ち、サタンに奪われたもは、きっちりと取り戻すべきである。

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