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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:イスラエルには女が一人もいないというのか(士師記14:1-4):右クリックで保存

生まれる前から士師として選ばれていたサムソンは大人になり、士師として活躍できる年齢になった。
今までの士師は、主から与えられた力や知恵、統率力などを用いて、正攻法で戦ったものだったが、サムソンの場合の活動の始まりは、少々ややこしかった。
『サムソンはテムナに下って行き、ペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見た。彼は帰ってきて父母に言った、「わたしはペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見ました。彼女をめとってわたしの妻にしてください」。』(士師記14:1-2)
彼はあろうことか、神の民の敵の、ペリシテ人の女を見初め、それと結婚したいと申し出たのだ。

信仰の無い女と結婚する事は、神の国の家系にあっては、ご法度である。
聖書では、信仰なき女との結婚が、家族や国を破滅へと導いた記事が沢山あり、また、人類全体さえ破滅へと導いた記事さえある。(創世記6章)
信仰なき異邦の女との結婚が、いかに災いであるかをよく知っていたアブラハムは、自分の子はを決してカナン人の女からめとらせてはならない、と、固く誓わせたし、エズラも、異邦の女と結婚し始めたイスラエルに対して、断固とした対応を取った。

『父母は言った、「あなたが行って、割礼をうけないペリシテびとのうちから妻を迎えようとするのは、身内の娘たちのうちに、あるいはわたしたちのすべての民のうちに女がないためなのですか」。しかしサムソンは父に言った、「彼女をわたしにめとってください。彼女はわたしの心にかないますから」。』(士師記14:3)
イスラエルには、信仰者の女がたくさんいるであろうに、それを全部無視して、異邦の女を妻にしたいなどとは、全イスラエルの女性への冒涜であり、それは、女性の男性に対しても同じである。
サムソンの父も母も当然、彼を戒めたが、サムソンは父母の戒めも聞かなかった。

この3節の、「彼女はわたしの心にかないますから」は、直訳すると「彼女は私の目に喜びですから」となる。
私達も、「目に喜び」となるものに惹き寄せられて、いらぬ災いを招いてしまいやすい。
神の民が、神の目に適う事を捨てて、自分の「目」に好む事を選ぶ時、生み出されるものは呪いであり、滅びである。
エバは「目」に良いと映った禁断の実を食べて、人類全体を呪いへと導いてしまったし(創世記3章)、ノアの洪水の元凶も、神の子達が人の女の美しいのを「見て」、好き勝手に妻をめとった事が原因だった。(創世記6章)

『父母はこの事が主から出たものであることを知らなかった。サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていたからである。そのころペリシテびとはイスラエルを治めていた。』(士師記14:4)
このように記されているが、果たして主は、イスラエルに益をもたらすために、敢えてサムソンに異邦の女を惹き寄せさせたのだろうか。
そうではないと思われる。なぜなら、次のように書いてあるからだ。
『だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。』(ヤコブ1:13-16)

主は、人が情欲に突っ走って、両親や兄弟姉妹が戒めても聞かないような場合、敢えてそのまま好きな道を行かせ、ひどい目に遭わせて戒められる。
主のすごい所は、単に戒めるだけに終わらず、そのような人の愚かささえ用いて、益と為し、それをきっかけとして、イスラエルに救いを与えられる所だ。
この後、サムソンはその女性の故にカナン人と敵対する事となり、サムソン本人としては、自分の身に振りかかる「女性問題」を対処しているつもりが、実はそれによって多くのカナン人を滅ぼし、イスラエルに益をもたらす事になる。
そういう意味で、サムソンと異邦の女との結婚は、まさに「主から出たもの」なのだ。

サムソンは正当に妻をめとって、その力を用いて正当に戦えば良いものを、自分の肉欲を満足させる方向で、自分の力を用いる。
しかし主は、その出来事をもって、「サムソンの懲らしめ」ばかりでなく、「イスラエルの救い」も、両立させてしまわれる。

『世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。』(1ヨハネ2:15-17)
私達は、サムソンのような懲らしめや災いに遭う事は避け、最初から御胸に従順し、主と共に心地よく歩む者でありたい。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
黒いけれども美しい(雅歌1:5-8):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:その名は、不思議(士師記13:15-25):右クリックで保存

『マノアは主の使に言った、「どうぞ、わたしたちに、あなたを引き留めさせ、あなたのために子やぎを備えさせてください」。主の使はマノアに言った、「あなたがわたしを引き留めても、わたしはあなたの食物をたべません。しかしあなたが燔祭を備えようとなさるのであれば、主にそれをささげなさい」。マノアは彼が主の使であるのを知らなかったからである。マノアは主の使に言った、「あなたの名はなんといいますか。あなたの言われたことが事実となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。』(士師記13:15-17)


イスラエルは長い間、民族レベルで主から離れていたため、主がどのようなお方か、また、主と向かう時の正しい流儀知らなかったのだろう。
マノアは、御使いを、何か霊的なレベルの高いな人であるかのように思って、ごちそうで接待しようとしたが、御使いは、人の飲み食いするものを食べたりはしない。ただ、人の主への捧げ物や祈りを受け取って、それを主の元へと運んでいく。(黙示録8:3-4)

主から使わされている者は、人であれ、天使であれ、自分が伏し拝まれる事を好まない。
使徒ヨハネは自分に啓示を伝えてくれた御使いにひれ伏したが、御使いは言った。「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。」(黙示録19:10)
また、使徒パウロもペテロも同様に、自分が拝まれる対象である事を拒否し、主のみを礼拝するよう勧めた。(使徒14:15、10:26)

『主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」。』(士師記13:18)

マノアは御使いに、あなたをあがめたいから名前を教えて欲しい、と聞いたが、それに対し主の使いは、自分の名を「不思議」と言った。
そう、私達があがめるべきは、御使いや誰か人間ではない。主の不思議なわざ、くすしいわざである。
詩篇には「主の不思議なわざをほめたたえます」「主のくすしいわざをほめたたえます」と、至る所に散りばめられているように、私達も、主の不思議なわざ、くすしいわざをこそ、誉め称えるべきなのだ。

子が生まれるには、もう望み得ないようなマノア夫婦の間に、ひとりのみどりごが与えられる。そしてその子は、暗闇に満ちた時代のイスラエルを、救うという。
それはまさしく、キリストの型である。
『苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。・・・ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』(イザヤ9:1-6)

キリストは、その名を、「不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)」ととなえられる。
士師の時代、ひとりのみどりごがイスラエルを救うという預言が、御使いによって、不妊の女マノアの妻に与えられた。
同じように、この暗闇に満ちた全世界に、ひとりのみどりごが与えられるという約束が、子を産むなど決して望み得ない一人の処女マリヤに、御使いを通して与えられた。
まさにサムソンの生まれる様は、キリストの生まれる様によく似ている。

聖書には至る所に類似性があり、それらは全て、キリストを示している。
律法も、預言書も、詩篇も、キリストのご性質、キリストの品性を示しているのだ。
『「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。』(ルカ24:44-47)

不思議な助言者・キリストに聞き従い、キリストのみを伏し拝み、キリストを至る所に宣べ伝え、暗闇に満ちたこの世界に、キリストの光を届ける皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:母の胎にいる時から任命された士師(士師記13:1-14):右クリックで保存

先の12章では、4人の士師たちが、現れては消えて行ったが、この4人の統治した中で最長が10年と、かなり短い統治期間となって来ており、イスラエルの混迷はどんどん深くなっている事がわかる。


『イスラエルの人々がまた主の前に悪を行ったので、主は彼らを四十年の間ペリシテびとの手にわたされた。』(士師記13:1)
士師記では、このパターンは既に何度も繰り返されているが、40年という被虐期間は、過去最長である。
そして、いつものパターンなら、イスラエルは悔い改めて主に叫び、それで主が助けを送られるものであるだが、今回は、イスラエルが悔い改めたという記述は、無い。
40年経っても、全然主に立ち返らなかったのだ。
それだけ、イスラエルの霊的状態は地に落ちているのだが、今回、主のただ一方的な憐れみの故に、イスラエルに士師が使わされる。
それは、士師記の中では最後の士師・サムソンである。

『ここにダンびとの氏族の者で、名をマノアというゾラの人があった。その妻はうまずめで、子を産んだことがなかった。主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。
それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。』(士師記13:2-5)

士師サムソンは、生まれる以前から主に選ばれたナジル人であった。(ナーザル:「聖別する」「分離する」の意)
ナジル人については民数記6章で学んでいるが、彼らは特別な誓願により世俗から分離され、神のものとして聖別された特別な人で、ぶどうの実によるものは摂ってはならず、頭にかみそりを当ててはならない等の、様々な規定がある。
自ら誓願をかけて一定期間ナジル人となる人もいれば、今回のように、生まれる前から一方的に捧げられている人もいる。(他にはサムエル、バプテスマのヨハネ等)

『そこでその女はきて夫に言った、「神の人がわたしのところにきました。その顔かたちは神の使の顔かたちのようで、たいそう恐ろしゅうございました。わたしはその人が、どこからきたのか尋ねませんでしたが、その人もわたしに名を告げませんでした。しかしその人はわたしに『あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです』と申しました」。』(士師記13:6-7)
彼女が神の人から言われた事の中で、夫に伝えていなかった事が一つあった。
それは、「その頭にかみそりをあててはなりません。」(15節)という事である。
この士師は、彼女が伝えこぼした「頭にかみそりを当てる事」において、将来失敗してしまう。
私達は、主から御言葉を受けた時、それを取りこぼす事なく、軽んじる事なく、心してそれを覚えて、その通り実行するように気をつけるべきだ。

『そこでマノアは主に願い求めて言った、「ああ、主よ、どうぞ、あなたがさきにつかわされた神の人をもう一度わたしたちに臨ませて、わたしたちがその生れる子になすべきことを教えさせてください」。神がマノアの願いを聞かれたので、神の使は女が畑に座していた時、ふたたび彼女に臨んだ。しかし夫マノアは一緒にいなかった。女は急ぎ走って行って夫に言った、「さきごろ、わたしに臨まれた人がまたわたしに現れました」。』(士師記13:8-10)
マノアは主に求め、それは聞き入れられたが、主の使いは二度、妻の所に現れた。
それは、乙女マリヤの時と同じように、子を身ごもる女性のほうに、特別な指示を主が与えるためだろう。

『マノアは立って妻のあとについて行き、その人のもとに行って言った・・・「あなたの言われたことが事実となったとき、その子の育て方およびこれになすべき事はなんでしょうか」。主の使はマノアに言った、「わたしがさきに女に言ったことは皆、守らせなければなりません。すなわちぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません。またぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。わたしが彼女に命じたことは皆、守らせなければなりません」。』(士師記13:11-14)
主の命令は、「わたしがさきに女に言ったことは皆、守らせなければなりません。」だった。
私達も子育てについては、主からあらかじめ命じられている通りの事、すなわち、御言葉によって育てるべきである。

このように御使いが二度現れ、生まれてくる子は、確かに将来、イスラエル人を敵の虐げから救う者であると宣言された。
聖書は実に、不妊の女、生まれるはずのない女に、奇跡的に子を生まれさせ、その子に特別な役割を与えられる記述が多い。(サラ、ハンナ、エリザベツ、そして乙女マリヤ)
それは、救いは人の力によるのではなく主によるものであると示し、おごり高ぶる者を退け、卑しくされている人を高く引き上げ、力ある方が、貧しい者に大いなる事をして下さったと、多くの人々が誉め称えるためである。(ルカ1:46-55)

礼拝説教メッセージ音声:短命な士師達(士師記12:1-15):右クリックで保存

イスラエルはせっかくアンモン人という敵に勝ったのに、内に棲む敵の故に、多くの犠牲者を出してしまう。
その内なる敵とは、名誉欲や嫉妬、自己義という、肉の内に潜む罪である。

『エフライムの人々は集まってザポンに行き、エフタに言った、「なぜあなたは進んで行ってアンモンの人々と戦いながら、われわれを招いて一緒に行かせませんでしたか。われわれはあなたの家に火をつけてあなたを一緒に焼いてしまいます」。』(士師記12:1)
エフライム族は、自分達はヤコブから右手の祝福を受けた者だという奢りがあったのかもしれない。(創世記48:14)

彼らは、ギデオンの時代にも、彼ら抜きで闘いにギデオンが勝利した事後、この闘いになぜ自分たちを誘わなかったのか、と言って迫った。
現代でも、「なぜ自分をその大事な会議に誘わなかったのか」などと言って、平和に物事が進んでいる所に余計な波風を立て、ややこしくしてしまうような者がいるが、高ぶった者は、何でもしゃしゃり出てずにはおれず、その者自身を滅びに招き、そればかりでなく、その集団全体に災いを招いてしまう。
『高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。 』(箴言16:18)と記されている通りである。

おおよそ、同国民同士の争いや殺し合いの原因は、嫉妬である。
カインが弟を殺したのも、嫉妬が原因だった。
『あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。』(ヤコブ4:1-3)

ギデオンの時は、平和の内にエフライム族をあしらって、争いを回避し、敵をさらに追撃しに行ってイスラエルに平和を取り戻した。(士師記8章)
しかし今回、エフタは、相手の低レベルな土俵に降りてきてしまい、平和を失ってしまう。
『エフタは彼らに言った、「かつてわたしとわたしの民がアンモンの人々と大いに争ったとき、あなたがたを呼んだが、あなたがたはわたしを彼らの手から救ってくれませんでした。あなたがたが救ってくれないのを見たから、わたしは命がけでアンモンの人々のところへ攻めて行きますと、主は彼らをわたしの手にわたされたのです。どうしてあなたがたは、きょう、わたしのところに上ってきて、わたしと戦おうとするのですか」。』(士師記12:2-3)
これは正論かもしれない。しかし、いかにこちらが正論を持っていると言えども、相手の低次元な言葉のふっかけに真正面から返して感情的になってしまうなら、話はさらにややこしくなってしまう。

『そこでエフタはギレアデの人々をことごとく集めてエフライムと戦い、ギレアデの人々はエフライムを撃ち破った。これはエフライムが「ギレアデびとよ、あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの落人だ」と言ったからである。』(士師記12:4)
エフライム族は、エフタやギレアデ人を「落人」だと言って、ばかにしている。
このような低レベルな者である。きっと、エフタが遊女の子である事や、全く関係の無い所で、人格攻撃をしただろう。
エフタは怒りの火がついてしまい、こうして、イスラエル部族内で戦争状態になってしまった。

普通、敵に勝利したなら、平和が取り戻されるはずが、勝利したが故に、無駄な争いが味方同士で勃発してしまう。
『乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。』(箴言30:33)と記されている通りである。
プライドが強く、何でもかんでも、しゃしゃり出ずにはおれない者が、その集団を内部から争いへと導いてしまうものだ。
私達は、そのような者達を、賢くあしらわなくてはならない。
賢いあしらいとは、ギデオンのように、相手の土俵に乗らず、柔和に対応する事だ。
『怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』(箴言14:29-30)

『そしてギレアデびとはエフライムに渡るヨルダンの渡し場を押えたので、エフライムの落人が「渡らせてください」と言うとき、ギレアデの人々は「あなたはエフライムびとですか」と問い、そ の人がもし「そうではありません」と言うならば、またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い、その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは、その人を捕えて、ヨルダンの渡し場で殺した。その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった。』(士師記12:5-6)
この「シボレテ」は、「流れ」「洪水」などの意味があり、頭文字は「シ」とも「セ、スィ」とも発音される言葉である。
ギルアデ人は、戦いに負けて逃げようとしているエフライム人を、出国させず、ヨルダン川の渡し場で四万人以上を殺した。
それもまた、明らかにやり過ぎである。そのような怒りを燃やして憐れみを閉ざす者は、命を短くしてしまう。

『エフタは六年の間イスラエルをさばいた。ギレアデびとエフタはついに死んで、ギレアデの自分の町に葬られた。』(士師記12:7)
六年という統治。未だかつて無い短さである。
柔和な者は地を相続する。
しかしその逆の、激しく怒る者は、統治の権が奪われ、いのちを短くしてしまうのだ。
エフタには、やくざ者を統率する程の力があり、頭も良く、御言葉を良く知っていたが、自分の正論を築き上げてその道に突っ走ってしまう彼の性質が元で、大切な娘を失ってしまい、さらにはイスラエルを混乱状態へと導いてしまい、そして、自分の統治といのちを短くしてしまった。

エフタの後、さらに、三人の士師が現れては消える。
『彼の後にベツレヘムのイブザンがイスラエルをさばいた。彼に三十人のむすこがあった。また三十人の娘があったが、それを自分の氏族以外の者にとつがせ、むすこたちのためには三十人の娘をほかからめとった。彼は七年の間イスラエルをさばいた。イブザンはついに死んで、ベツレヘムに葬られた。彼の後にゼブルンびとエロンがイスラエルをさばいた。彼は十年の間イスラエルをさばいた。ゼブルンびとエロンはついに死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。
彼の後にピラトンびとヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼に四十人のむすこ及び三十人の孫があり、七十頭のろばに乗った。彼は八年の間イスラエルをさばいた。ピラトンびとヒレルの子アブドンはついに死んで、エフライムの地のアマレクびとの山地にあるピラトンに葬られた。』(士師記12:8-15)

彼らが何をした、とは記されていないが、いずれも子が多い。おそらく、政略結婚などで多くの妻を持ったのだろう。
ギデオンの時にも学んだが、妻が多い事も、災いの元である。
この士師記12章には4人の士師達が現れては消えていくが、その中で最も統治が長かったのは(と言ってもわずか10年だが)、子の数が一切記されていないエロンだった。

このように、自分のよかれを押し通す時代、士師記の時代が進めば進む程、混迷もまた深まっていく。
自分の”よかれ”は速やかに十字架の元に下ろし、主の御言葉に聞き従う人は、いのちを長くし、何をしても栄える。私達は、そうあるべきである。
『これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。』(申命記6:2-3)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
雅歌書概要(雅歌1:1-4):右クリックで保存

 

礼拝説教メッセージ音声:間違った誓願(士師記11:29-40):右クリックで保存

『エフタは主に誓願を立てて言った、「もしあなたがアンモンの人々をわたしの手にわたされるならば、わたしがアンモンの人々に勝って帰るときに、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎えるものはだれでも主のものとし、その者を燔祭としてささげましょう」。』(士師記11:30-31)

エフタは、余計な誓願を立ててしまった。
前回の箇所で、エフタは信仰を混ぜた真理のことばの宣言によって、真理の面では勝利は既に確定している。
だから、あとは審判者であられる主に任せておけば、そのまま難なく主が勝利を与えて下さるはずだ。
ちょうどダビデが、ゴリアテとの対決の前に、信仰を混ぜた真理のことばによって主の戦いと宣言し、そのまま実際に難なく勝利したように。

彼は恐らく、自分の覚悟の表明のために「わたしを迎えるものはだれでも主のものとし、その者を燔祭としてささげましょう」と、誓願を立てたのであろうが、人間を燔祭(全焼のいけにえ)としてささげるような事は、律法のどこにも書いていない。
むしろ、『あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。』(申命記18:10) と書いてある。
もしかしたら、イスラエルが18年の間色々な神々に仕えている内に、人間を捧げる事が、何か困難かつ高尚な捧げものであるかのような価値観が、彼の信仰に混じってしまったのかもしれない。

『エフタはアンモンの人々のところに進んで行って、彼らと戦ったが、主は彼らをエフタの手にわたされたので、アロエルからミンニテの附近まで、二十の町を撃ち敗り、アベル・ケラミムに至るまで、非常に多くの人を殺した。こうしてアンモンの人々はイスラエルの人々の前に攻め伏せられた。』(士師記11:32-33)
アモン人との戦いの勝利は、わずか2節で、実にあっけなく完結している。この」勝負は、エフタの真理の御言葉の宣言によって、既についていたからだ。
聖書はむしろ、エフタのその後の行動や心理描写のほうに、紙面を割いている。
エフタは、アンモン人という”外敵”に苦しめられる事は無かったが、自分の口から出たことば、自分の誓った内容によって、苦しめられる。
目に見える外敵よりも、むしろ、自分達の内にある思い込みや不信仰という”内なる敵”こそ、やっかいなのだ。

『やがてエフタはミヅパに帰り、自分の家に来ると、彼の娘が鼓をもち、舞い踊って彼を出迎えた。彼女はエフタのひとり子で、ほかに男子も女子もなかった。エフタは彼女を見ると、衣を裂いて言った、「ああ、娘よ、あなたは全くわたしを打ちのめした。わたしを悩ますものとなった。わたしが主に誓ったのだから改めることはできないのだ」。娘は言った、「父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アンモンの人々に報復された今、あなたが言われたとおりにわたしにしてください」。』(士師記11:34-36)
よりによって彼を出迎えたのは、最愛の、ひとり娘だった。
彼が主に誓った言葉によると、最愛の娘を全焼のいけにえとして捧げなくてはならなくなってしまった。
最愛の娘を全焼のいけにえとして捧げれば、主は喜ぶのだろうか?
否、子供を全焼のいけにえとして捧げるなど、主が命じることではなく、定めたことでもなく、主が思いもしなかったことである。(エレミヤ19:5)

主は全能なるお方だから、最愛の娘でない人物を迎えに出した事ができたであろうし、エフタも躊躇なくその者を捧げたであろう。
しかしもしそうであったなら、人間を主に全焼のいけにえとして捧げればエフタのように大活躍が出来、何でも願い事が叶う、といった、誤った価値観が広まってしまっただろう。

誰か他の人間を捧げる事よりも、もっと大事な事がある。まずは自分自身がへりくだり、砕かれたたましいとなって、主の前に霊とまことの礼拝を捧げる事である。
『あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても/あなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。』(詩篇51:16-17)
『「わたしは何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。燔祭および当歳の子牛をもって/そのみ前に行くべきか。主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。人よ、彼はさきによい事のなんであるかを/あなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。』 (ミカ6:6-8)

イエス様も言っている。
『『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。』(マタイ9:13)
イエス様は、どんな金持ちの多額の献金よりも、わずか2レプタを捧げたやもめにこそ目を留められた。
私達は、何をいくら捧げるかという事より、まずは自分を下ろし、へりくだった心をもって、霊とまことによる礼拝をこそ主に捧げるべきだ。

礼拝説教メッセージ音声:偽りの主張への対処方法(士師記11:12-28):右クリックで保存

元々はごろつきの首領だったエフタだが、主によって召しだされ、イスラエルを率いる士師とされた。
彼は長老達から任命を受けた後、さっそく戦いに出て行くのではなく、まずはアンモンに使者を送った。
『エフタはアンモンの人々の王に使者をつかわして言った、「あなたはわたしとなんのかかわりがあって、わたしのところへ攻めてきて、わたしの国と戦おうとするのですか」。アンモンの人々の王はエフタの使者に答えた、「昔、イスラエルがエジプトから上ってきたとき、アルノンからヤボクに及び、またヨルダンに及ぶわたしの国を奪い取ったからです。それゆえ今、穏やかにそれを返しなさい」。』(士師記11:12-13)
アンモンからこのように主張をされると、なんだか、こちらが不当な事をしていたかのような気分になるが、実際はそうではない。
相手の主義主張をそのまま丸呑みしてはならない。必ず真理の光に照らし出すべきである。

エフタは元々ごろつきの首領だったのだが、使者を通して返事した内容から、彼はかなりの知性派で、イスラエルの歴史に通じた信仰者である事がわかる。
エフタはエモリ人に、イスラエルがエジプトから出て後に歩んだ道のりを、正確に述べた。
すなわち、イスラエルがエジプトから出て、今いる地へと入った際、アモン人やモアブ人、エドム人など、アブラハムゆかりの子孫達の国には一切手出しせず、むしろ平和に通行しようと許可を求めたのに尽く断られてしまい、仕方なしに、死海南側の迂回ルートを通って行て、そうしてモアブとエモリ人の国境であるアルノン川まで来た所、アルノン川の北に住んでいたエモリ人達は、故なく武力で攻めてきたために、イスラエルは返り討ちにし、そうしてこのアルノン川以北の地は、正当防衛的な形でイスラエルのものとなったのだ。
つまり、アモン人らが所有権を主張しているアルノン川からヤボクに至る土地は、元々、エモリ人の土地であり、彼らの「アルノン川以北は元々自分のものだったから返せ」という主張は、偽りのあつかましい主張なのだ。

そのような偽りの主張は、そのまま看過して良いものではない。
偽りを黙認し、放置しておくなら、それが既成事実化してしまい、やがては実際的に奪われてしまう。いわゆる「言った者勝ち」の論理である。
サタンのやり口も全く一緒だ。
偽りの所有権を身勝手に主張し、その主張の勢い飲まれたり無抵抗だったりしていると、図に乗ってもっと侵入して来るため、そのような偽りに対しては、必ず対処しなくてはならない。

サタンが仕掛けて来る偽りの所有権主張への対処は、自分の力や議論で勝とうとする事よりも、御言葉の真理を突きつけ、上の権威に戦いを委ねるほうが確実である。
社会では、暴力団が不法な脅迫や暴力で訴えて来るなら、弁護士を呼んで、法を盾に取って守ってもらうのが通例であり、また、会社組織では、自分の手に負えない案件が来たなら、上司に振って任せるのが通例であるが、霊の戦いも、全く同じである。
敵である悪魔やサタンが何か訴えて来たなら、御言葉という最高の法を盾にとって弁護者である主に守ってもらい、また、自分の手に負えない案件が来たなら、上の権威であるキリストに振るものである。

エフタは、相手の偽りに対して、真理で返したばかりでなく、この争いを、最高の上司であるイスラエルの神、主へと持って行った。
『イスラエルの神、主はその民イスラエルの前からアモリびとを追い払われたのに、あなたはそれを取ろうとするのですか。あなたは、あなたの神ケモシがあなたに取らせるものを取らないのですか。われわれはわれわれの神、主がわれわれの前から追い払われたものの土地を取るのです。』(士師記11:23-24)

偶像の神ケモシュ対、天地を創られたまことの神、主。この戦いに持っていったなら、もう勝負は見えた。
『イスラエルはヘシボンとその村里に住み、またアロエルとその村里およびアルノンの岸に沿うすべての町々に住むこと三百年になりますが、あなたがたはどうしてその間にそれを取りもどさなかったのですか。わたしはあなたに何も悪い事をしたこともないのに、あなたはわたしと戦って、わたしに害を加えようとします。審判者であられる主よ、どうぞ、きょう、イスラエルの人々とアンモンの人々との間をおさばきください』」。しかしアンモンの人々の王はエフタが言いつかわした言葉をききいれなかった。』(士師記11:26-27)

このように、エフタは見事、真理の言葉によって相手の不真実を暴き出し、さらに、この戦いをアモン人の神対イスラエルの神へと持って行った。
私達もこのように、真理による対決方法を身につけるべきである。

礼拝説教メッセージ音声:人からは捨てられても主が用いる器(士師記11:1-11):右クリックで保存

『さてギレアデびとエフタは強い勇士であったが遊女の子で、エフタの父はギレアデであった。ギレアデの妻も子供を産んだが、その妻の子供たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して彼に言った、「あなたはほかの女の産んだ子だから、わたしたちの父の家を継ぐことはできません」。』(士師記11:1-2)


主が今回、イスラエルを救うために立てた士師は、遊女の子・エフタだった。
エフタのような非嫡出子は、本来、主の集会に加わる事はできない。(申命記23:2)
しかし彼は、イスラエルを救うために、主から白羽の矢が立てられた。これはどういう事か。

本来、神の民にはなれない者・なってはならない者が、神の民に加えられ、しかも、神の国のため有用に用いられる。
それは、その人の主を信じる「信仰」の故であり、また、それが信じる者にとっての醍醐味である。
エフタには主を畏れ敬う純粋な信仰があった故に、主に用いられたのだ。
私達も同じである。
私達は元々は異邦人であり、救いから遠い、罪人であったのに、主イエスを信じる信仰の故に神の民に入れ、そればかりでなく、主の御用のために用いられる者とされたのだ。

『それでエフタはその兄弟たちのもとから逃げ去って、トブの地に住んでいると、やくざ者がエフタのもとに集まってきて、彼と一緒に出かけて略奪を事としていた。』(士師記11:3)
エフタは異母兄弟から追い出されていたため、やくざ者の頭として略奪をしていたが、略奪する相手は、イスラエルから略奪していたのではなく、アモン人からだったと思われる。
なぜなら、もし彼がイスラエルから略奪しているとしたら、長老達からの申し出も無かっただろう。しかしもし彼がアモン人にいつも損害を与えていたのなら、長老達が彼に助けを求めて来たのもうなずける。
それに、彼自身は主を恐れ敬う信仰者であるので、神の民イスラエルから略奪するのは考えにくい。

エフタは、長老達からの申し出を一旦は断ったものの、長老たちは食い下がる。
『ギレアデの長老たちはエフタに言った、「それでわたしたちは今、あなたに帰ったのです。どうぞ、わたしたちと一緒に行って、アンモンの人々と戦ってください。そしてわたしたちとギレアデに住んでいるすべてのものとのかしらになってください」。エフタはギレアデの長老たちに言った、「もしあなたがたが、わたしをつれて帰って、アンモンの人々と戦わせるとき、主が彼らをわたしにわたされるならば、わたしはあなたがたのかしらとなりましょう」。』(士師記11:8-9)
エフタは「主が彼らを私に渡されるなら」と言った。
ここに、勝利は主からのものであるという、彼の正当な信仰が垣間見られる。

『ギレアデの長老たちはエフタに言った、「主はあなたとわたしたちの間の証人です。わたしたちは必ずあなたの言われるとおりにしましょう」。そこでエフタはギレアデの長老たちと一緒に行った。民は彼を立てて自分たちのかしらとし、大将とした。それでエフタはミヅパで、自分の言葉をことごとく主の前に述べた。』(士師記11:10-11)
彼は、自分が大将となって、アモン人と戦う事を、真っ先に主に報告した。
その事からも、彼の信仰の純粋である事を、伺い知る事が出来る。

人々は、彼が遊女の子である事を理由に軽んじ、一度は捨てたが、主は、御目をもってあまねく全地を見渡し、心が主にひとつとなっている人を探され、その物をもちいられる。(2歴代誌16:9)
神はこのように、人から軽んじられている人を、あえてよく用いられる。
なぜなら、救いは人の力や知恵によるのではなく、ただ神によるものであると、人々が知るためだ。
『兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。』(1コリント1:26-29)

礼拝説教メッセージ音声:憐れみの扉を開いていただくには(士師記10:1-18):右クリックで保存

『アビメレクの後、イッサカルの人で、ドドの子であるプワの子トラが起ってイスラエルを救った。彼はエフライムの山地のシャミルに住み、二十三年の間イスラエルをさばいたが、ついに死んでシャミルに葬られた。彼の後にギレアデびとヤイルが起って二十二年の間イスラエルをさばいた。彼に三十人の子があった。彼らは三十頭のろばに乗り、また三十の町をもっていた。ギレアデの地で今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれているものがそれである。ヤイルは死んで、カモンに葬られた。』(士師記10:1-5)

アビメレクの荒んだ統治の後、主はトラとヤイルという士師を任命し、イスラエルをさばかせた。
その合計45年間、平和だったようであるが、彼らが死んだ後、イスラエルはさっそく主を捨て去り、不従順の時代に逆戻りした。

『イスラエルの人々は再び主の前に悪を行い、バアルとアシタロテおよびスリヤの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンびとの神々、ペリシテびとの神々に仕え、主を捨ててこれに仕えなかった。主はイスラエルに対して怒りを発し、彼らをペリシテびとの手およびアンモンびとの手に売りわたされたので、彼らはその年イスラエルの人々をしえたげ悩ました。すなわち彼らはヨルダンの向こうのギレアデにあるアモリびとの地にいたすべてのイスラエルびとを十八年のあいだ悩ました。』(士師記10:6-8)
彼らは今までに無いほど多くの種類の神々を拝むようになってしまっている。
今回、イスラエルを悩ませるために主が用いられたのは、ペリシテ人とアンモン人であるが、イスラエルはペリシテ人やアンモン人の神を頼りにした結果、そこの人々によって苦しめられた。皮肉なものである。
人が主を捨てて、別のものに頼るなら、主はその人を立ち返らせるため、その頼りにしたものを用いて懲らしめられる。
例えば主よりもお金に頼るなら、主はその人をお金によって苦しめられ、主よりも異性のほうを取るなら、主は異性を用いて懲らしめられるものだ。

『またアンモンの人々がユダとベニヤミンとエフライムの氏族を攻めるためにヨルダンを渡ってきたので、イスラエルは非常に悩まされた。そこでイスラエルの人々は主に呼ばわって言った、「わたしたちはわたしたちの神を捨ててバアルに仕え、あなたに罪を犯しました」。』(士師記10:9-10)
イスラエルは、自分たちが罪を犯した、と告白している。
今回は18年目にしてやっとである。
しかし、主の返事はつれない。

『主はイスラエルの人々に言われた、「わたしはかつてエジプトびと、アモリびと、アンモンびと、ペリシテびとからあなたがたを救い出したではないか。またシドンびと、アマレクびとおよびマオンびとがあなたがたをしえたげた時、わたしに呼ばわったので、あなたがたを彼らの手から救い出した。しかしあなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。それゆえ、わたしはかさねてあなたがたを救わないであろう。あなたがたが選んだ神々に行って呼ばわり、あなたがたの悩みの時、彼らにあなたがたを救わせるがよい」。』(士師記10:11-14)
せっかく人々が自分の罪を告白しているのに、何故、主はそんなにつれないのか。
それは彼らは、口先では自分達が悪かったと告白しているものの、実はまだ偶像の神々を手放していなかったからだ。

もし彼らが、主のつれない返事に引き下がっていたならば、災いはまだ続いていただろう。
しかしイスラエルの民は、主に食い下がった。
『イスラエルの人々は主に言った、「わたしたちは罪を犯しました。なんでもあなたが良いと思われることをしてください。ただどうぞ、きょう、わたしたちを救ってください」。そうして彼らは自分たちのうちから異なる神々を取り除いて、主に仕えた。それで主の心はイスラエルの悩みを見るに忍びなくなった。』(士師記10:15-16)

彼らは今まで頼りにしていた神々を捨ててて、主に願い求めた。
そこで、主は彼らをあわれまずにはいられなくなった。
私達も同じである。
主の忌み嫌われるものを手放さないまま、口先でいくら自分が悪かったと告白しても、主からつれない返事を受けるだけである。
しかし、それらを手放して主に憐れみを願うなら、主は私達を憐れまずにはおられない。

主の忌み嫌われるもの、それは、容易には手放せないものかもしれない。習慣的なくせや、性格的な問題、あるいは、依存性のものなど。
そのような場合は、それに対し、「イエス様の名前によって」断ち切る事を、自らに宣言するとよい。
イエス様の名前は何も、誰か他人の病や悪霊を追い出すだけのものではない。
自分自身の手放すべき性質や、自分の人生の呪われている領域に対し、死をいのちに飲み込む事をイエスの名によって宣言するなら、今まで固く縛られていた領域は解放され、それまで閉じていた祝福の窓は開かれて行くのである。

私達も、主以外のものに頼っていたものを捨て去り、主に立ち返るなら、主は憐れみの扉を開いて下さるのだ。

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