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礼拝説教メッセージ音声:エジプトでの艱難のはじまり(出エジプト記1:1-14):右クリックで保存
出エジプト記はモーセ五書の第二番目の書物、内容的には創世記50章からの続きであり、1〜18章がモーセによるイスラエル民族のエジプト脱出、19章以降はシナイ山における神と民の契約とその内容、それが授与された時の人々の反応が記されている。
イスラエル民族はヨセフ以降、エジプト・ゴシェンの地でおびただしく増えるようになり、エジプトを脱出する時には男子だけでも60万以上にまでなっていた。
神の民が祝福されれば、世の人はそれを妬んだり恐れたりするものである。
『ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。』(出エジプト1:8-11)
エジプトはイスラエル民族を「賢く」扱った。
すなわち、彼らに重い労役を課す事で、自分達の国益に叶うようにし、かつ、イスラエルを弱体化させる方策を取った。
エジプトはイスラエル民族のお陰で潤い祝福されていたのに、彼らはその恩を仇で返したのだ。
ヨセフは自分の民族がこの国を脱出するべき時が来る事を、まだエジプトで大いに栄え何もかもうまく行っている時に予見していたし、実は、イスラエル民族が異国で400年もの間虐待を受ける事は、その何百年も前から、まだイスラエル民族がその父祖である一人の老いた男だった頃から、神はその事を示していた。
『時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。」』(創世記15:13-14)
普通、虐待されて希望が持てなくなれば、人々は結婚して子供を産む事に意義を見いだせず、子供は減っていくものであるが、イスラエル民族は少子化になるどころか、逆に増えて行ったため、エジプト人はますます恐れた。(出エジプト1:12)
私達も以前はサタンに縛られ、肉に従って日々を過ごし、肉の思いの欲するままを行い、不従順な人々と同じく生れながら怒りを受けるべき者達であったが、憐れみ深い神は私達を愛して下さったその大きな愛によって、罪過の中に死んでいた私達をキリストと共に生かし ――その救いは、恵みによる―― キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上の座につかせて下さったのである。(エペソ2:4-6)
世の支配者サタンも現在、人々を「賢く扱い」、労役で虐待し、命を減らす戦法に出ている。
人々はその圧政の支配下にあって、あえいでいる。
しかし、神の民はいかなる虐待の中にあろうと、その中でいのちを増え広がらせるのである。
神の民にとって、艱難はただの無益な苦しみでは終わらない。
『それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。』(ローマ5:3)
出エジプト記は約束の地に入る所までは記されてはいない。
彼らは約束の地に入る前に、神から与えられる諸々の試練をパスして行かなくてはならないのだ。
イスラエル民族は、この出エジプトの経験を通して、神の恵み深さを知り、救いの素晴らしさを噛み締め、神とともに歩む歴史的なアイデンティティを確立した。
同じように私達も、諸々の患難を忍耐して乗り越え、練達を生み出し、希望を生み出し、そして、永遠にしぼむことのない救いの希望へと導かれるのである。