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メッセージ - 主日礼拝カテゴリのエントリ

主日礼拝

神にとって不可能なことは一つもありません(ルカ1:26-38)

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週報/メッセージ(説教)概要

 キリストのご降誕を待ち望むアドベント(待降節)第二週目となった。エデンの園で蛇(サタン)にそそのかされ、罪と死の呪いに捕われ、エデンから追い出されてしまった人類は、サタンを砕く「女の子孫」、すなわち、全被造物を贖い救うメシヤのご到来を待ち望む「アドベント」に入り、そしておよそ2000年前、救い主イエス・キリストが、赤ちゃんとなってこの世に来られた。その次第がルカによる福音書1章に記されている。
 
 その次第は、何の変哲も無い日常の中に、突如、現れた。ガリラヤのナザレという町で、マリヤという女性が結婚を間近に控えて暮らしていたある日、突如、主の使いガブリエルが彼女に現れ、途方もない「用事」を持ってきた。それは、全被造物が待ち望んでいた救い主の母になる、という用事だった(ルカ1:26-28)。
 その知らせが来た時のマリヤは、「婚約期間」という微妙な時期だった。結婚相手がいない時期ではなく、また、結婚した後でもない。赤ちゃんを宿すには最悪のタイミングだった。 もしマリヤのこの状況から、起こりうる「最悪」を考えるなら、ヨセフとの婚約は覆され、姦淫の罪を着せられて、石打になる危険もあった。
 Aという事象が起きた時、まだ起きていない最悪の事態Bをすぐに想定してそれを言い出す人もいるが、もし御言葉が、そしてイエス様が「Aが起きたら、Zとなって行く」と言うなら、最悪の事態Bという恐れは、思考から締め出し、御言葉なるイエス様が言われたZを信じて進んで行く事が、私達の分である。
 御使いは言った。聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたを覆う。神にとって、不可能なことは、一つも無い!そう、信じる私達を、その御手で包んでおられる主にとって、不可能は何一つ無い!
 主の御手に覆われるなら、不可能は可能となり、恐れに憑かれた人が思い描いた「最悪の事態」は、起こらず、むしろ、御言葉で約束された通り、いと高き神の力によって守られ、導かれ、主の栄光が現れるのだ。
 
 マリヤは答えた。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(38節) 彼女はこのように、主の言葉を「アーメン」して受け入れた故に、みごもり、彼女の中でイエス様がどんどん大きくなって行った。ひと度信仰告白し、お腹の赤ちゃんイエス様が大きくなって行ったら、もう途中下車はできない。
しかし彼女には、心配は一片も無く、むしろ自分は古今東西の女達の中で、一番の幸せ者、と感じていた。
 なぜなら、いと高き神の御子キリストが、確かにおられる、と、腹の奥底に感じ、御霊に導かれて、全てが益とされていくからだ。私達信じる者も、皆そうである。『わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その「腹(コイリア:子宮、心、知情意の座)」から生ける水が川となって流れ出るであろう。』(ヨハネ7:38)
 私達も、主の召命を受けた時、それに従うなら、私達は神様から与えられたタラントに合った、天職の中を生きるようになって行く。その人生は、聖なるモチベーションに導かれて形成されて行く世界で、やりがいと喜びに満ち、疲れず、たゆまず、歳をとっても鷲のように若々しく昇っていく。しかし、主の申し出を受け入れず、現状の生活や、自分の「思い描き」を手放さないで生きて行こうとするなら、アダム以来の、骨折りと苦しみが多く、「やらされ感」に満ちた労働で日々の糧を得て、ついには土に帰る人生となってしまう。
 主が与え、相続させて下さる仕事は、「したくないけれど仕方無しにやらされる」ものではない。自分がその物事の主人公となり、能動的に動いて、何時間やっても疲れず、そして楽しいものだ。しかもその仕事は、永遠の神の国を建て上げて行く、誇り高い事業で、歴史をいのち溢れる方向へ導き、光の方向へと塗り変えて行くもので、決して朽ちることのない栄光の冠をいただくものである。それを得たいだろうか?それなら、マリヤのように「おことば通り、この身になりますように」と、自分の計画や心配を全て主に明け渡すのである。
そうするなら、私達もマリヤのように、「世界一の幸せ者」と心底、思えるようになっていく。主の言葉をアーメンして受け入れた人は、サタンを砕き全世界を救う主・イエス様を宿らせ、どんな物事からも守られて行く。
事実、マリヤとヨセフは、多くの危険をことごとく回避できた。それは、ことごとく主の導きに従ったからだ。
 
 私達もマリヤの性質を身につけるべきである。その性質とは主に対して「そのとおりです」と受け入れる「従順」の性質であり、それこそマリヤのように天的な事業に用いられ、世界一の幸せ者となる性質である。
 今、私達は、多くの子供達、若者達を、御言葉で教育するという、いのちの事業をしようとしている。準備はできているだろうか? 信仰の先輩にならい、主の御言葉への従順をもって、多くの尊い子供達、栄光の次世代達を、生んで育て上げて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

積極的に主を求める家系に来られたイエス様(ルツ記4:18-22)

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週報/メッセージ(説教)概要

 
 いよいよアドベント(待降節)が始まった。待降節は、救い主イエス・キリストのご到来のために心を備え、待ち望むシーズンである。キリストのご降誕が一番最初に預言されたのは、いつか。アダムとエバが蛇すなわちサタンにそそのかされ、死と罪が入ってしまったのが創世記3章6節、そこから10節も数えぬ「創世記3章15節」において、主は、蛇を砕く「女の子孫」の到来を約束された。人はエデンから追放され、罪と死に悩むようになり、こうして全被造物は「女の子孫」、救い主の来る事を待ち望む「待降節」に入ったのだ。
その長い長い「アドベント」の後、およそ二千年前、イエス・キリストがこの世に、赤ちゃんとして来られた。
 キリスト者は、イエス様を信じて救われたが、一度信じれば終わり、というものではない。私達の家庭や職場、生活に、「救い」を必要とする状況がどうしても起きる。その都度、「救い」が来る事を求めるべきである。
 私達は、求めているだろうか。この、先が見えず、正義が行われていない闇のような現状に、「主よ、来て下さい」と、求めているだろうか?主は、その求める声がある所に、来て下さる。このアドベントの第一週、ルツ記の系図から、イエス・キリストがおとずれた王族の家系の性質を学び、その恵みを得ていきたい。
 
 ルツ記は、死と悲しみの出来事で始まった。当時のイスラエルは、主の言葉に従う時代ではなく、自分の目に良いと見える事に従って歩み、荒んだ事件があちこちに起きた、暗黒の時代だった。異邦の女・ルツは、本来なら神の民に加えられるはずもなかったが、信仰を告白し、神の民の中へと入って来た。主は彼女を覚えておられ、また、信仰の家を紡いで来たボアズの家系も覚えておられた。主はルツを、ボアズの畑へ導き、そこでボアズと出会わせ、結婚させ、子供を産ませて、こうしてメシヤが来られる家系を育まれた。
 ルツ記の最後には、ちょっとした系図が挿入されている。その最後は、あの偉大な王ダビデで終わるが、この系図は、不思議な点がある。本来ならペレツの父で族長のユダから始まるのが妥当なのに、なぜかペレツから始まっている。私達はルツ記から、またこの系図から、込められたメッセージを汲み取るべきである。
 『ペレツの系図(トーレダー:家系、家族、歴史)は次の通りである。』(ルツ記4:18) ペレツの名前の意味は「割って入る・裂け目・侵入する」事。つまり、ルツ記の系図の意味は「割って入る者の歴史」、あるいは、「裂け目から侵入して来た一族」である。これがルツ記の内容であり、またキリストの裂かれた御身体によって救われ、その裂け目から、天国へと侵入して来た、私達クリスチャンの本質である。ペレツは元々、双子の「弟」として産まれる所だった。しかし兄が産まれる所に、割り込んで、先に産まれ出た。それで彼が長子の権利を得た。ルツ記の家系も、神の民も、何としても神の国に入りたい、と、願って割り込む者たちである。
 
 続く名前と意味を列挙して行くと、ヘツロンは「柵で囲まれた庭」、ラムは「積極的に昇りつめる」、アミナダブは「自発的に喜んでする人々・民族」。ナフションは「綴る・熱心に観察する」。ルツの義父で遊女ラハブの夫であるサルモンは「衣・包む・(子音変化でシャローム:平和)」。そして、ルツが嫁いだボアズは「彼に内充する力」である。 親が子につける名前には、親の願望や人間性が現れる。また子供は、その名前によって人格に大きな影響を及ぼしていくため、これらの名前から、この一族の性質がある程度、推測できる。
彼らは、自ら積極的に主に求め、また力と権威を内包し、それを防護し、大切に育む性質があるのだろう。
 この中の幾人かは名前しか分からず、どんな人生を経験し、また、どんなドラマの中で生きたのかは分からない。しかし、親達は、それぞれの時代を信仰によって子を産み、その生まれた子に「このようになってほしい」と、信仰によって名をつけ、信仰によって子育てし、信仰によって結婚し、信仰によって子を産み、そうして、子から孫へ信仰を継承して来た。実はその事こそ最も偉大な事で、私達も、そうするべきだ。
 私達も彼らのように、自分から積極的に主に求め、信仰によって結婚し信仰によって子育てして行くなら、イエス・キリストの系図へと入って行くのであり、そのような人にイエス・キリストが訪れて下さるのだ。
 
 さらに続く名前、オベデは「仕える・しもべ」、エッサイは「富・資産」、ダビデは「愛された者」の意味であり、まさに私達・神の民が持つはずの性質である。この、ルツの系図の名前に記された性質を、積極的に持っている人こそ、偉大な王が誕生する家系であり、イエス・キリストが訪れて下さる家系である。ルツのように、またその系図の人々のように、神の国を求め、探し、叩き、何としてでもそれを獲得しよう、という意欲を持ち、また、防護壁を張って力や富、権威を守り、そうしてキリストの訪れを待ち望む皆様でありますように!

主日礼拝

世の収穫物が来てひれ伏したヨセフの収穫を得よ(創世記37:5-11)

第一礼拝 Youtube動画

English Service:Hold on to the dream(Gen37:5-8) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は収穫感謝祭、主が私達に与えて下さったあらゆる良き実りを感謝する日である。今回はヨセフの箇所からだが、実は彼の夢の解き明かしは収穫に関連したものが多い。本日、それらの夢から恵みを得たい。
 
 最初にヨセフが見た夢は、ヨセフが収穫した束がまっすぐに立ち(ナーツァブ:確立する、安定する)、兄達の収穫物が周りに来てそれにひれ伏す(シャーハー:敬意を払う、身を投げ出す)、という内容であった。
皆さんは、自分の収穫物に、周りの収穫物が集まって来てひれ伏されたいだろうか?宣言するべきである。
彼の夢の内容は、実は私達が日頃宣言しているイザヤ45:14と共通している。詳しく訳すと次のようになる。
 『それで主は言われる。エジプトの労苦の実と、エチオピアの商品(収入)、身丈の高いセバ人達が、あなたの所に渡って来て、あなたのものとなる。彼らは、鎖(足かせ)に縛られつつあなたの後ろを歩み、進んであなたにひれ伏し(シャーハー:敬意を払う、身を投げ出す)、嘆願(パーラル:祈る)して言う。「確かに(アフ:本当に、ただ**だけ)神はあなたの内におられ、その神以外に神は無く、他の神々は無である」』
 ヨセフの夢の中で、兄達の収穫物がヨセフの収穫物にひれ伏したが、実に、その夢以上の事が実現した。
後に、ヨセフの手元にはエジプトの労苦の実が全部集まり、エチオピアの商品だけでなく、全世界の商品や儲けも、全て、ヨセフの収穫物と物々交換され、またセバ人だけでなく全世界の人々も、ヨセフの兄達も、ヨセフの後ろを歩み、彼にひれ伏し、「奴隷になります」と言って嘆願した。『パロはヨセフに言った、「神がこれを皆あなたに示された。あなたのようにさとく賢い者はない。あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。』(41:39-40) だから私達も、ヨセフの模範にならうべきである。
 彼は、奴隷に売られても、恨み言をこぼさず、誠実を養い、いつも「神」を主語として人々と話し、主から見せられた夢は正直に宣言して人に伝えた。たとえ、人から邪険に思われるような内容であったとしても。
 
 ヨセフが牢屋にいた時に解き明かした夢も、収穫に関するものだった(40章)。献酌官は、夢の中では王に捧げる杯を持っており、ぶどうが実ったらすぐ収穫して王に捧げた。彼は、収穫の良いものを王に捧げる志を常に持っていたから、しあわせを得たのだ。しかし調理官は、王のために調理された食べ物のかごを頭の上に乗せ、鳥についばまれても放置していた。すると実際、彼自身が木に吊るされ、鳥についばまれるままとなってしまった。私達も、収穫を得たなら、王なるキリストに、いつでも真っ先に捧げる志を持っているべきである。そうするなら、王の御そば近くで仕える幸いを得られるが、もし、最高の礼拝を捧げようという頭の思いや考えを、悪霊やサタンに貪らせたままなら、やがて私達自身が、ついばまれる者となってしまう。
 
 その後のパロが見た夢には、これから世界的な7年の大収穫の年が来て、その後、非常に厳しい大飢饉の7年間が来る、という意味があった。ヨセフは、神様のなさろうとする謎と数字の秘密を解き、うまく対応して生き延びるだけでなく、世界一の大国にのしあがる術まで、しっかりアドバイスしたので、パロは言った。
 神がそれをあなたに知らされたのであるなら、あなたのように神の霊が宿った知恵ある者は、他にいない。
あなたが私の家を治めてくれ、と。 ヨセフのように、いつも神を証し、誠実を養い、主から示された事を正直に伝えるなら、あらゆる秘密を解き明かし、これから起こる事が示されるだけではない。来るべき艱難を、どううまく乗り超えられるか、その方法が示され、誰もが痩せ衰えて行く艱難の時代、逆に、他を出し抜いて断とつトップになれる知恵さえ与えられる。そして、世の王達の方から「支配して下さい」と言って来るのだ。
 
 彼は、大いなる収穫の時期、誰もが掃いて捨てていた収穫物をひとつも漏らさず、ひたすら溜め込んだ。
その後に大飢饉となって、食物の価格が大暴騰した時、その収穫物をもって、全世界の富をかき集めた。
それを用いて、神の民イスラエルが大いに産んで増えていくための肥沃な地、ゴシェンの地を用意した。
 今、天声・エクレシアは、現代のヨセフとなって、御言葉が息吹かれた栄光の次世代教育をするためのシステムづくりを目指している。私達は、主が見せて下さった「夢」を、日々宣言しているだろうか。ヨセフにならって日々、誠実を養っているだろうか。今、その宣言という「蒔いた種」を収穫すべき時が近づいている。
収穫感謝祭の今日、私達に与えられた夢の宣言という「蒔いた種」が、どれほど実ったかを思い返そう。
 それぞれの仕事や事業、ミニストリーが豊かに祝福され、その収穫の束に対して、世の収穫がこぞってひれ伏しに来る幸いを得ていく、これからの皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

幸せと成功を引き寄せる「家」のあり方(創世記2:20-25)

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English Service: How important it is to teach the Word of God to our children (Deu6:6-9) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 人が人格を形成する、最も基本的な場は、家庭である。幸せと成功を引き寄せる人格形成のためには、家庭のあり方を整える必要があり、まず家庭の最小単位である「夫婦関係」を整える必要がある。今回は、聖書という知恵の宝庫の色々な箇所から、家庭の地盤固めや、自分が属する”輪”の発展の秘訣を得たい。
 
 『わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて「恐慌(メフーマー:破壊、狼狽、騒動、悔しさ、苛立たしさ)」があるのにまさる。』(箴言15:16) まず、全宇宙・全法則を創造された「主を恐れる」事が第一である。ユダヤ人は子育て・家庭構築において「主を恐れる」事を第一としている故に、祝福され、世界的に成功している。神様から離れ、礼拝から離れた生活は、一見、制限がなく、自由のように見えていて、実はそうではない。絶対に揺るがない基準を持たず、神様の守りを持たないため、多くの財宝を手に入れて行く過程で、罪を犯し、敵を作り、傷を受け、結局、「恐慌(メフーマー)」の状態になってしまう。
 また、次のようにも書いてある。『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、「ごちそう」と争いに満ちた家にまさる。』(箴言17:1) 「ごちそう(ゼバフ)」と訳された語は、「和解のいけにえ」を指す語。つまり、たとえ礼拝に通う家庭であったとしても、争う家庭であるとするなら、平和な貧しい家庭のほうが勝っている。
 もし、自分は「よくしゃべる」と自覚する人は、家庭内では口を謹んだほうがいい。ガミガミする男性または女性は、その妻や夫、子供をひからびさせ、彼らを家に居られなくしてしまうからだ。(箴言21:19,27:15-16)
 イエス様も言われた。どんな国でも内輪揉めしたら荒れ廃れ、家にしても内輪で争えばつぶれてしまう、サタンも、もし仲間割れしているなら、どうしてサタンの国が立ち行くことができるだろう、と。(ルカ11:17)
 サタンの国さえ、仲間割れせず統率が取れているというのに、夫婦が、兄弟姉妹が、ビジネス仲間が、分裂して、統率が取れていない、とするなら、サタンの国にも劣る恥ずかしい状態である。 もっとも、サタンの国は、戦前の日本や、今の共産国のように、強権や圧政、暴力や脅しによって統率を取っており、そのような家庭や国には自由は無く、居るだけで消耗してしまうので、長続きしない。しかし、神の国は、主イエス・キリストにあって一致し、自主的で自由なモチベーションに満ちていて、それで統率が取れているのである。
 
 『もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。』(ガラテヤ5:14) ここで明確な事は、もし内輪で分裂しているなら「互いに滅ぼし合っている」状態である。例えばそのグループに、10の力があるとするなら、互いに噛み合う事で3のエネルギーを浪費し、食い合う事で3のエネルギーを浪費し、残った4のエネルギーで渡り合っていかなくてはならない。グループの力が、15にも20にもなるためには、互いに建て上げようと、互いが積極的に協力し合う必要がある。
 互いに同じ目標を目指し、力を合わせて行くなら、より容易に目的地に到達できるが、もし建設的な努力を全くせず、一方的に誰かにぶら下がって、ブランコ遊びするような者が一人でもいるとするなら、その人がいる故に、引きずられ、8にも7にも減退してしまう。その人は、やがて負担となって、切り落とされてしまう。
奴隷の国・エジプトから脱出した民のうち、信仰の努力をせず、ただ指導者であるモーセに不平不満をぶちまけて、約束の地へ行く事を阻害していた者達は、主によって、荒野で切り落とされて行ってしまった。
 
 特に、社会の最小単位である夫婦関係こそ、重要である。結婚を控えている男女は、自分の「あばら骨」である妻が連れて来られるよう、また「脇腹」である夫の所に無事収まるように、主に祈り求めるべきである。
 神様は、最初の人・アダムが独りでいるのを「良くない」とし、アダムに深い眠りを与え、その脇腹からあばら骨を取り出し、それを元にして女性を造り上げ、そうして彼女を、彼の元に連れてきた。(創世記2章)
 アダムが深い「眠り」を経験したように、男性は、妻や子供をこれから養うために、それまで自由に生きて来た自分を「死」に明け渡さずには、「あばら骨」が取り出される事は無い。また女性も、神様の御手の中で造り上げられ、建て上げられ、女性として完成してこそ、神様は一人の男性の元へ連れて行かれるのだ。
 ふたりは一体となる、と書いてあるが、残念ながら一体ではない夫婦が多い。主が連れてこられた脇腹でないなら、一致できないのだ。互いに、心も、体も、思いも、考えにおいても、「裸」でわかりあえる相手。
独身の男女はそのような伴侶を求め、夫婦はそれを目指すべきである。主を恐れ敬い、神様に喜ばれ、神様に祝福される家庭を構築して、幸いと喜びと成功に満ちた人生を送って行く皆さんでありますように!

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永遠の命が湧き上がって来る水を飲ませて下さるお方(ヨハネ4:3-30)

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週報/メッセージ(説教)概要

 ある女性が、サマリヤという町に住んでいた。彼女はすばらしい男性と結婚すれば、この心の渇きは癒える、と、ささやかな夢を抱きつつ結婚した。しかし結婚生活は、夢見ていたようなものではなく、渇きはもっとひどくなって、離婚する事となった。すぐ別の男性と結婚したが、これもうまく行かず、離婚してしまった。
同じように別の男性と結婚してもうまく行かずに離婚し、結局、5回も結婚と離婚を繰り返したのに、どれもうまくいかなかったので、今度は6人目の男性と同棲を始めた所だった。それで彼女は昔のように公然と出歩けなくなり、パレスチナでは誰も出歩かない昼の暑い時間を選んで、井戸に水汲みしに行くようになった。
 
 人は、ささやかな夢を見る。「自分をずっと変わらず愛し、いつでも守ってくれる」存在を。しかし、そんなささやかな夢を、完全に叶えてくれる人は、実は、この地上にはいない。儚い人間関係がひしめくこの空の下で、ある人は後先考えずに飛び出し、取り返しのつかない失敗をし、ある人は関係が壊れる事を恐れて、自分を出さずに黙って生き、ある人は、人間関係は、自分に有利な方向に利用するもの、と割り切って、騙し騙し生きていく。そうして、束の間の渇きをいやす「水」、たとえば、異性や結婚、お金、仕事、地位といった「水」を求めつつ、来る日も来る日も、暑い思いをしながら、それぞれの井戸と家とを行ったり来たりする。
 しかしそれらを得ても、やがて渇く時が来る、のみならず、それを手に入れる過程で、罪を犯したり、迷惑をかけたり、自分自身の心や身体を傷つけ、あるいは隣人の心や身体にも、傷を積み上げて行ったりする。
 彼女はそんな日々に、ますます渇きを覚えつつ、その日も水がめを持って、あの井戸へと行った。すると、一人の男性が、井戸のところに座って、彼女を待っていた。彼こそ、私達の救い主、イエス・キリストである。
 
 彼は、彼女に声をかけた。水を飲ませてください、と。それは意外な事だった。ユダヤ人とサマリヤ人とは、選民と異邦人という事で、付き合いは無い筈なのに、彼のほうから関係を求めて来たのだ。イエス様は、救いからは遠いような「私達」をも、待っておられ、声をかけて下さる。「あなたから、飲ませてくれないか」、と。
 私達も、罪によって苦くなってしまった自分自身、酸っぱくなてしまった自分の人生を、イエス様に全て明け渡すなら、イエス様は全ての苦さ、酸っぱさを「完了」させ、イエス様の安息を「完成」させて下さる。
 イエス様は、全人類の罪を負って、私達が受けるべき刑罰を身代わりに受けて下さり、最後に「わたしは渇く」と言われた時、人々は彼に、酸いぶどう酒を差し出した。それを受けられると、「完了した(完成した)」と言って息をひきとられた。しかし、三日目によみがえられた。彼を信じる人は、罪に対しては死んだ者、神に対しては永遠に生きた者とされる、のみならず、この人生の、あらゆる問題も、彼が解決して下さる。
 
 『イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇く事がないばかりか、わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が、湧き上がるであろう」。女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここにくみにこなくても良いように、その水をわたしに下さい」。』(ヨハネ4:13-15) 私達もイエス様に、「その水をわたしに下さい」と求める時、全ての問題解決の責任は、イエス様へと移り、イエス様は、どんな人生の問題も解決するために行動を起こされる。イエス様は、彼女からそれを受けると、問題の本質に直球を投げた。
 「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい。」(18節) イエス様が彼女の問題の本質をご存知だったように、私達の問題をも全てご存知である。そして、イエス様と対話し、交わりをして行くうちに、どうしようもなく渇いていた心の渇きは、癒やされていく。彼女は、自分が話していた相手が、待ち望んでいた救い主だと分かると、今まで使い古して来た水がめは、そこに置いて、町へと走って行って、人々に伝えた。
自分の全てを言い当てたイエス様を。どうしようもなく渇いていた自分を癒やし、救って下さったイエス様を。
 イエス様に癒やされた彼女は、今まで負っていた負の遺産は、人々にイエス様の栄光を現す「ネタ」に変わり、もはや恥もなく、決して満たすことの出来なかった渇きは、主イエス様にあって、癒されたのだった。
 
 イエス様は今日も、私達が毎日行き来している”井戸”のそばで、待っておられる。彼に全てを明け渡すなら、今までの人生の酸っぱさは、甘さへと変えられ、決して癒やされなかった渇きは、潤されるだけでなく、腹の奥底から、生ける水が川となって流れ出るようになり(7:37-38)、周りをも潤し、いのちで満たして行くようになる。このイエス様に全てを明け渡し、救いを得て、栄光の働き人とされる皆さんでありますように!

主日礼拝

祭司となって祈るべき祝福祈祷(民数記6:24-26)

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週報/メッセージ(説教)概要

 今回の民数記6:24-26は、祭司はこのように祝福しなさい、と言われた、祝福祈祷文である。私達キリスト者は、イエス・キリストを信じる信仰によって、王族の祭司とされた(1ペテロ2:9)。それ故、積極的にこの祈りで家族や職場、自分の人生を祝福したい所である。しかし祝福をするに相応しい者となるため、全ての悪意やごまかし、色々の偽善やねたみ、悪口を捨て、生まれたばかりの乳飲み子のように純粋な御言葉の乳を慕い求める必要がある(同1-2節)。そうするとキリストを通じて生ける石として霊の家に築き上げられ、聖なる祭司として、霊のいけにえが捧げられる、と書いてある(同3-5節)。そういう人の祝福には、力がある。
 今回の、この有名な、私達も積極的に宣言すべき祝福祈祷文は、どのような意味と力があるのだろうか。
 
 この祝祷の最初は、「祝福する(バーラフ)」という動詞の、PIEL態(強意、断じて**する)で始まる。「主が断じてあなたを祝福して下さいますように!」という強意が込められているのだ。しかし、何よりもまず私達は、御言葉の乳を慕い求め、御言葉のバリケードを張り巡らす事をするべきだ。なぜなら、せっかく祝福してもらっても、また宣言しても、罪と呪いのパターンを持っているなら、祝福は逃げて行ってしまうからだ。
 祝福(バーラフ)の最初は、「守られますように(シャマール)」である。シャマールの元々の意味は、羊飼いが羊を石垣で囲い、その上に、棘つきの植物を乗せて「厳重に守る」事である。だから、この宣言は、主が厳重にバリケードを張って、諸々の災いや、悪しき勢力から守って下さいますように、という宣言で始まる。
 25節の「恵まれますように」のヘブライ語「ハーナン」は、目下の存在に対して、「親切にする」「好意を持つ、」「与える」といった意味があり、そこから、「恵む」「憐れむ」「情けをかける」と訳されている。
 私たちは、神様からの、一方的な「ハーナン(恵み)」によって生かされている。空気や水、太陽、食べ物、健康など、全て生存に必要なものは、一方的に与えられた「恵み」である。それら、生きるのに必要な全ての恩恵を、主が、御顔を照らす事によって満たして下さいますように、と祈る事が、二番目の祝福なのだ。
 
 26節は、主が、その御顔を私たちに「向け(ナーサー)」、「平安(シャローム)」を与えられますように、という祝福で、「向けて」と訳されたヘブライ語「ナーサー」は、上げる、運ぶ、持っていく、などの意味がある。
 いと高き神が、地に住む低く卑しい「人」に向かって、御顔を「上げる」「運ぶ」とは、一体どういう事だろう。
それはちょうど、母親が、赤ちゃんを顔の近くに抱き上げ、顔を合わせ、見つめ、安心させる様に似ている。
 人は基本的に「楽」である事を求めるが、シャロームの平安は、それよりも遥かに大きな意味を持っている。
人々は「楽」である事を追求する故に、お金を稼ぎ、色々な労をするが、サタンはそれらをエサに人を釣ろうとする。その目的は、人生を破壊し、死に至らしめるためである。 人は、サタンからどんなに高い地位や栄誉、富を得たとしても、真の安らぎは無い。なぜなら、それを得る過程で、犯してきた罪の数々が、彼らを追いかけ、ついには滅びに至る事を、彼らは何となく知っているからだ。しかし、神が下さるシャロームの平安は、そうした恐れが一切無い。それは、「楽な状態であるか・否か」を超越した、揺るがない平安である。
 赤ちゃんは、お金や地位、名誉が無い、と言って泣く事は無い。赤ちゃんは、お金や地位をどう使って良いかも、その価値も、知らないからだ。ただ、お父さん・お母さんの顔が見れないと、泣く。なぜなら赤ちゃんは、何の疑いも無く信じているからだ。お父さんお母さんが、無条件に自分を愛し、全て守り、必要を備えてくれる事を。だから、その顔が見れないと泣き、顔の近くへと抱き上げられ、見つめられると、喜ぶのだ。
 神様の平安、シャロームを味わい、体験して行けば行くほど、私達も、神様に対して「赤ちゃん」のようになって行き、今どういう状況にあるのか、とか、何を持っている・持っていない、といった事を心配しなくなる。
ただ、神様が御顔を照らし、御顔を向けて下さるかどうか、それだけが、何よりも大事になって行くのだ。
 
 私達は、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な御言葉の乳を慕い求めるべきである。それによって、祝福に追いかけられる側となり、また、祝福を祈るその祝福が、力を帯びるようになって、「祭司」として整えられて行くからだ(1ペテロ2:1-9)。さらに、御言葉を帯びる事によって、世とサタンに対して、ますます圧倒的に勝利する勇士となって行くのだ。今日も、主が御顔を向けて下さり、シャロームを与えて下さるために、純粋な御言葉の乳を慕い求め、キリストのことばを心に豊かに住まわせる事において最善を尽くし、政治、経済、文化、教育界を支配して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

この宇宙で最も敵に回してはならない者たち(ヨシュア記10:1-11)

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週報/メッセージ(説教)概要

 再び、ヨシュア記から養いを得たい。前回のヨシュア記9章では、主が「滅ぼしつくしなさい」と命じられた悪辣な民族の一つ、ギブオン人が主に立ち返り、主に助けられたいがために、自分達の出所を偽って、神の民に同盟を求めに来て、救いを得た。主は、罪を悔い改めて救いを求めて来る人は、決して拒まない。
それも、もし神の民より、彼らの方の信仰が優れているなら、主は、彼らの方を弁護し、特別扱いして下さる。
 今回の10章では、主はどれほど熱心に、そのような人を擁護して下さるか、また、そのような、主により頼む人を救おうとする人には、どれほど物事をうまく進ませ、成功させ、祝福して下さるかを、見て行きたい。
 
 ギブオン人がヨシュア達と同盟を結んだ、という事を聞いた周辺の王たちは、連合してギブオンに攻撃を仕掛けた(5節)。罪深い者達と縁を切って、イエシュア(ヨシュア=イエス様)と和平を結び、救いに入ったとたん、以前仲間だった悪辣な者達が歯ぎしりして、罪の生活へ戻そうと、攻撃を仕掛けてくる。それは、救われた人達が経験する宿命と言ってもいい(1ペテロ4:3-5)。そのような時は真のヨシュアであるイエス様に助けを求めるのだ。彼らが助けを求めると、ヨシュア達はすぐ、攻撃を受けているギブオンへ急行した。主は彼らの、主の助けの中で生きたい、という気持ちを汲み取り、彼らを特別扱いされたのだ。
 
 ヨシュア達がいるギルガルから、ギブオンまでは、およそ35km。傾斜地を登って行く形となる。それを夜通し行くのは、骨が折れる行軍である。イスラエルにしてみれば、元々、ギブオンと和を講じるつもりは無く、騙された形で講じてしまったので、心情的には、救いたくなかったかもしれない。だから、このまま放置して、彼ら同士で戦わせて、互いに消耗させる、という手もあったかもしれない。しかし主は、そんな不誠実な計略で勝利させるお方ではない。主は、主に頼りを置く民のために、圧倒的な勝利で救って下さるお方だ。
 主が主の民に願われる事は、一度約束した事を忠実に守る事、そして主の翼の下に保護を求めて来た人は一人も残さず救う事である。主はヨシュアに仰せられた。『彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからである。彼らの内には、あなたに当る事のできる者は、一人もないであろう。』(8節)
 
 私達も、時には、気乗りしない戦いに「出よ」と、主から言われ、しぶしぶ出ていく事がある。その時「なんであんな者のために苦労しなければならないのか?」と、思うかもしれない。しかし主がそう言われるなら、行くべきなのだ。従いたくない心をとりこにして、御言葉に服従して行くなら、主は莫大な勝利を下さるだけでなく、宇宙規模の奇跡さえも起こして、私達の思いを遥かに超えた結果を、用意しておられるからだ。
 事実、彼らは、この従順を通して、とても短期間に、多くの王達を一網打尽にし、多くの地を占領できた。
皆さんも、短時間で一気に、多くを獲得したいだろうか?それなら、主の示した事に、服従するべきである。
 
 彼らは夜通し、ギルガルから上って行って、敵を急襲した。主が彼らをかき乱されたので、イスラエルは彼らを激しく打った。しかも主は、彼らの上に、大きな雹を降らせ、イスラエル人が剣で殺した数よりも、雹で死んだ者のほうが、多かった(9-11節)。明らかに、天地を支配しておられる主が味方して戦われたのだ。
この宇宙で、最も敵に回してはいけないのは、主の御声どおりに聞き従う主の民である。主は太陽や月の運行を司り、雹の一粒一粒さえ命令して、主に救いを求める民を保護し、彼らを脅かそうとする者を蹴散す。
 主は、主に約束した事を忠実に全うする聖徒を全面的にバックアップし、大いなる御業を見させて下さる。
そして、それを見た救われたばかりの人は、ますます主を畏れ敬い、従うようになり、そして、主の御声に従って彼らを助けた聖徒たちも、それを機に、今まではかどらなかった事が、一気に片つくのである。
 実際イスラエルは、主に服従して彼らを助けた故に、短時間で多くの地を征服し、この地方の占領は一気に進んだ。私達は、自分の好き嫌いや世の価値観で進んで行くべきではない。主の御言葉に従って行くべきである。それまで、主ご自身が直接戦って、奇跡的な勝利を得て来たが、これからは段々、彼ら自身が戦う事になって行く。主は、まだ剣を使い始めたばかりの彼らの手を鍛え、自主的に主の御旨を為そうと働き、自分の足で走り、剣を使い、戦う、という事を徐々に学び、そうして御国の兵士として整えられて行く。
 自主的に御旨を求め、主の世界経営・歴史経営に参加し、この時代、主の御国をもたらす勇士として、政治、経済、文化、教育を支配して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

やがて巻き去られてしまうこの世で最も価値あるもの(1コリント13章)

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週報/メッセージ(説教)概要

 最近、祝福と成功の法則を学んでいる。前回、ロックフェラーが経済において大いに祝福された秘訣を見た。それは、彼が母の教えに従い、神の国を第一としたからだ。母から言われた通り、十分の一を忠実に捧げ、慈善のわざを惜しみなく為し、天に宝を蓄えた。それは確かに成功の法則であるが、結局、彼が祝福された根源は、やはり、その法則を教えた母の、御言葉中心の教育であった事は、否定しようがない。
 ロックフェラーが母の戒めを守ったのは、母が、彼をこよなく愛し、行いで愛を示したので、母が教える神の教えであるなら信頼して間違いないだろう、と彼が思ったから、従順し、そうして本当に祝福されたのだ。
 彼女が天に召される間際、世界一の金持ちになった息子が、間違った道に逸れず、祝福の王道から離れないように、という愛の想いが、あの10の書き残しから滲み出ている。彼は母の死後、それを忠実に守った。1929年の世界恐慌でも、母の戒め通り、多くの人を救うために財産を解放し、ロックフェラーセンター建設で多くの雇用を確保し、彼のした信仰と希望と愛のわざへの感謝が、今もロックフェラーセンターのクリスマスツリー点灯式となって語り継がれている。施しを受けた人々の感謝は、神の御前に昇るものなのだ。
 
 結局、永遠に残るものとは、ロックフェラーの母が子へと残したもの、そして、ロックフェラーが母から受け継いで、人々へ惜しみなく施したわざ、すなわち、信仰と、希望と、愛である。この世において、妻を、夫を、子供を愛し、親切にしたそのわざは、妻や夫の、子供の心にずっと残り、継がれていく。闇と絶望の時世の中で為した希望のわざも、信仰によって為した高貴なわざも、ずっと人々の心の中で、受け継がれて行く。
彼の母は、信仰と希望と愛を、彼に残した。それこそ、私達も遺産として残さなければならないものである。
 『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』(1コリント13:13) 主の再臨と共に、やがて巻き去られてしまう、この有限の3次元宇宙で、最も価値あるものは、愛である。世の富は廃れ、知恵も力も廃れ、預言も止む。それらは、永遠なる実体の「影」に過ぎない。全ての本体であるキリストが来るなら、影なるものは巻き去られ、いつまでも残る「実体」だけが残る。
 
 愛の目指すところは「いのち」であり、愛が言いたい事は、「生きよ」「存在しなさい」である。それが神様の、私達に対する願望である。サタンは、「いのち」の対局の、愛を破壊する「善悪判断」へと誘い込み、愛のわざが、あたかも、損得勘定の「損」であるかのように吹き込んで、祝福の法則から、離れさせる。サタンが最も言いたい事は「存在するな」「死ね」である。私達は、いのちと善悪判断の2つが置かれた時、いのちを選び、「愛」と「損得勘定」が置かれた時、「愛」を選んで、サタンのわざを蹴散らす、光の勇士である。
 愛とは「関係」であり、「犠牲」であり、「時間に制約されたもの」である。やがて「あなた」と「わたし」は、別れなければならない時が来る。それまで一緒に居られる、ささやかな時間の間、私達は、相手のいのちが前進するために、力と、時間と、持てるものを投げうち、愛の犠牲を払って、今、してやれる事をするべきだ。
 愛と優しさは、イコールではない。いのちを後退させてしまう事や、御言葉の法則にかなわない事に対しては、厳しく戒め、正すのが、愛である。人をダメにしてしまう「偽りの優しさ」でごまかしてはならない。
 「あの人が、わたしが生きるために、犠牲を払ってくれた」という思い出は、闇の中に暖かく灯るともし火のような、美しい思い出として残り、その思い出は、時が経てば経つ程、感謝、喜びへと、美しく輝きを増して行く。イエス様こそ、私達をこよなく愛し、私達が生きるために、愛の犠牲を払って下さった、神の子である。
 
 この限りある人生の中、私達にできる最高の愛のわざとは、ロックフェラーの母が子へと繋いだように、永遠の愛なる神様へと繋げ、御言葉どおりに生きるようにする、あらゆる営みである。親が子へ、伝道者が神様を知らない人へ、永遠の愛なるお方・イエス・キリストを伝える愛のわざこそ、この宇宙で何よりも尊い。
 私達はまず、身近にいる相手の心に、愛されているという感覚の、暖かなともし火を灯す所から始めよう。
今、与えられている財や、力、時間を活用して。それが、愛なる主に喜ばれる事であり、そのようにする人に、主は、さらに押入れ、ゆすり入れして与えられる。もっと多くの人に、喜びのともし火を灯すために。
 天と地において最大に価値があり、評価されるものは、愛である。与えられた賜物を用いて、愛に裏付けされた信仰と希望という資産を受け継がせ、素晴らしい希望の将来を愛する人のために用意し、永遠に朽ちる事の無い冠を、日々、備えて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

主日礼拝

アメリカ史上一番の富豪から学ぶ祝福のコツ(マラキ3:10-12)

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週報/メッセージ(説教)概要

参考資料:ロックフェラーの年ごと献金額合計と、彼の母の遺言

 神の国を建て上げるために、世界的に用いられる「時代の主人公」となるには、どうすればいいか。最近、ヨセフやクロス王から学んだが、今回、石油ビジネスを通じてアメリカ史上一番の富豪となったジョン・ロックフェラーから学びたい。彼の資産は、現在の価値に換算すると約28兆円以上にもなると推定される(ビル・ゲイツは約6兆)。ロックフェラー財閥や、彼の一族については、今日、色々言われる所はあるものの、初代のロックフェラーは素晴らしいクリスチャンで、多くの人に恩恵をもたらし、多くの社会貢献をして来た。
 彼の父は真面目に働かず、いつも遊び歩いて、何か一山当てようとする人だったが、母イライザは信仰熱心なクリスチャンで、夫がほぼ不在の家を守るために奮闘した。彼はその母から、大いに影響を受けた。
 彼の経済が祝福された秘訣は、ずばり、母から受け継がれた「信仰」であり、特に、「十分の一献金」を捧げる事にあった。母は、幼き日のロックフェラーに、「3 つの約束」を守るよう教えていた。すなわち、第 1 に什一献金をささげる事。第 2に教会で一番前の席に着いて礼拝を捧げる事。第 3は教会の指示に従い、牧師を悲しませない事。 彼は幼い時から、それら全てを忠実に守った。彼は若い時から収支を帳簿につける習慣を身に付けており、事業が祝福された後には、40名もの職員を雇って収入と献金額を正確に計算させた。それ以外も、彼は、多大な寄付をしていたが、彼自身は倹約を努め、質素な生活をしていた。
 母は、息子が世界で最も裕福な男になるのを見てから、天に召されるが、彼女は、彼の信仰をまだ心配していたため、死ぬ前に、十の戒めを彼に残した。すなわち、1,神を実の父以上に敬う。 2,神を尊重するごとく牧師を尊重する。 3,常に右ポケットを、十分の一を入れるために確保し、主日に捧げる。 4,誰とも敵対しない。 5,礼拝に出席する時、最前列に座る。 6,毎朝その日の目標を決定し、祈りを捧げる。 7,寝る前にその日を振り返って祈る。 8,人を助ける事ができるなら、助けるために最善を尽くす。 9,主日礼拝を、自分の所属する教会で捧げる。 10,朝目覚めたら、まず神の言葉・聖書を読む。
 これらが彼の家訓となり、生涯、忠実に守った。彼の息子は、1962年、タイム誌のインタビューで言った。
「ロックフェラー家の富は、神のものであり、私たちはただ、(神の)執事です。」
 
 彼はそのようにしたため、経済的感覚が祝福され、20歳で事業を立ち上げた時、これから旬のビジネスは石油である、と早期に見抜いた。彼は、周囲の反対を押し切って石油関連事業に邁進して行った結果、大成功を収めた。彼は、競合他社を買収し、市場の90%以上を占有するに至ったが、あらゆる方面から非難され、彼の会社は30以上の会社に分割されてしまった。しかし皮肉にも、それでかえって株価は急騰し、彼の資産は、5倍以上に増え、彼はさらに富む者となった。祝福の法則に立つ者は、みな、こうなのだ。
 そんな中、彼は55歳の時、病に侵され、余命1年と宣告されてしまう。彼は必死に祈り、もし助かるなら、これから後の人生は「莫大な財産を貯める事」ではなく、「莫大な財産を使う事」を使命とした。結果、彼は98歳まで生き、安らかに息を引き取った。彼は90歳を過ぎても、毎日ゴルフをする程、健康だった。
 彼の病後の後半生は、世界一の慈善事業家となり、数々の事業を立ち上げた。彼は数千もの教会を建設し、シカゴ大学をはじめ、全米24の総合大学を創立・支援し、ニューヨークに様々な文化施設を建てた。
 
 結局重要なのは、どれだけ貯めるか、という事より、与えられたものをどれだけ有意義に用いるか、である。
御言葉に従って、神の御心を行い、泥棒や虫、さびなどの手が届かない、天に宝を積み上げる事である。
せっかく稼いでも、有意義に使わないまま、死んでしまうなら、稼いだ事自体、無駄な労苦となってしまう。
また、たとえ沢山稼いで、自由にお金を使えた、としても、その使い道が、自分や家族や子孫を悪い方へと導く結果になってしまったり、また、世の中を悪くする方向へと導いてしまったとしたなら、ただこの世に「害悪」をもたらしただけで、むしろ稼がないほうがまだ良かった、という事になってしまう。(ルカ12:16-21)
 結局、最高の投資方法とは、まず、神様に十分の一を捧げ、神の国を前進させる事。そうするなら、神様は祝福するために天の窓を開き、資産を蝕む”いなご”を叱り、投資した先が、不作とならないように守り、そうして主は祝福し、全ての国民は「幸せ者」と言うようになり、その地は喜びの地となる(マラキ3:10-12)。
 また、大いに人に与え、施しをする事である。そうするなら、押し入れ揺すり入れして溢れるばかりに与えられる(ルカ6:38)。ヨセフやクロス、ロックフェラーのように、与えられたものを神の国のために捧げ、時代の主人公として、大いに用いられて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

主が仕込まれた布石として用いられる人(イザヤ45:1-3)

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週報/メッセージ(説教)概要

 聖書には、主が御旨を成就するために据えた「布石」が、あちこち散りばめられている。布石とは、囲碁の序盤、より多くの陣地を獲得するために、先を読んで要所要所に石を配置する事であるが、私達は、主が置かれた布石を、聖書から見出す事ができる。その主の置かれた布石が有効に発動するために、御言葉を元に「霊的先読み」をし、私達の将来の計画を立てて行くべきである。今回、クロス王という歴史の人物から、時間と空間を支配しておられる主の布石の完璧さ・美しさを学び、私達も用いられるコツを得たい。
 
 BC539年、クロス王(キュロス2世)がバビロンへ進軍した時、彼は最初、その城塞を見て弱気になった。
その強大な城壁や、青銅の扉、鉄の閂に。また、大きな船さえ行き来できる巨大な堀、そして、ふんだんに蓄えられた食料を前にして。「これほど巨大で、これほど高い防壁に囲まれた都市を強襲して陥落させる事など、誰にできよう。」(キュロスの教育7章7節) ところがバビロンは、彼によって、たった一晩で陥落し、バビロンの王は殺害され、各地の要塞の兵達は、翌朝、クロスに投降した(キュロスの教育7章33節)。
 実は、バビロンが陥落する様は、その200年前、預言者イザヤを通して正確に預言されていた。クロスが取った戦法は、その城塞の堀に流れ込む川々を干上がらせ、乾いた川底を通って城内に侵入する、というものだったが、その手段は、イザヤ書44:26-28に正確に預言されていたのだ。そのような戦法は危険極まりないのに、その晩だけ、バビロンの見張り達は酔って眠りこけていた。それも、預言者エレミヤによって60年前に預言されていた。『わたしはその君達と知者達、長達、司達、および勇士達を酔わせる。彼らは、ながい眠りにいり、目をさます事はない。万軍の主と呼ばれる王がこれを言わせる。』(エレミヤ51:57) 
 その晩、バビロンの王ベルシャツァルの宮殿内で何があったのか。ダニエル5章に詳細に記されている。
その日、バビロンの王は、不遜にもイスラエル神殿の聖なる器を敢えて用いて、酒を飲み、上から下まで大宴会を開いていたのだ。彼の父ネブカデネザル王は、イスラエルの神が為された事に思い知り、神を畏れ敬っていたのに、ベルシャツァルはそれを知りながら、不遜な事をしたのだ。彼が酒を飲みながら、偶像の神々を賛美しているその時、ベルシャツァルの前に、突如、人間の手の指が現れ、壁に文字を書き出した。
 王は大いに恐れ、「この文字を解き明かす者は、この国の第三の権力を持たせよう。」と言ったが、バビロンの智者には、誰も読めなかった。しかしダニエルは、その文字を解き明かす。その文字は『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』、意味は、「神はあなたの治世を数えて終わらせた。あなたは量られ足りない事がわかった。あなたの国は分割され、メディヤとペルシヤとに与えられる。」である。それでダニエルは第三の権力が与えられたが、その直後、クロスの軍隊がバビロン内に侵入し、ベルシャツァル王は殺された。。。
 預言者エレミヤは、その60年前に預言していた。『バビロンの勇士達は戦いをやめて、砦の中に座り込み、彼らの力も干からびて、女のようになる。その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。』(エレミヤ51:30)
 クロスは、このバビロンという強大な城塞都市を、あまりにたやすく制圧できて、町々も財宝も、人々も、その繁栄も、一切戦争で破壊される事なく、きれいな状態で、そのまま自分のものとなった事に驚いただろう。
 そして、ダニエルから聞かされたであろう、イザヤやエレミヤの預言を聞いて、もっと驚愕しただろう。なにしろ、200年も前に、クロスという自分の名が名指しされ、バビロンを攻め落とすために取った戦法も、その時のバビロンの様子も、そのまま預言されていたのだから。そこでクロスは、翌年、BC538年に勅令を出す。
 天の神、主は、地のすべての王国を自分に賜わり、エルサレムに、ご自分のために宮を建てる事を私に委ねられた。それ故、主の民はエルサレムに戻って、主の宮を再建するようにせよ、と。(エズラ1:2-3)
 
 私達は知るべきだ。私達の神は全能で、時間(タイム)と空間(スペース)を完璧に配剤されるお方である。
クロス王は、労せずに栄光や富が与えられたが、その理由は、破壊された礼拝を、再建するためだった。
どんなに悪が増大し、主を冒涜する者達が権力を得ても、主は、その日数を数えておられる。そして、主の御旨を成し、御国を来たらせようと意欲のある人を用い、富も、栄光も、町々も、そっくりそのまま渡し、礼拝再建のために用いるようにされる。だからもし、主が、物事をうまく行かせ、富や権威、栄光が与えられたなら、それは欲しいままに用いるのではなく、主の御旨を成すために用いるべきだ。主はそういう人に、ますます、仕込んでおかれた布石を発動されるからだ。この時代、破壊された礼拝を復興し、散らされた神の民を集め、御言葉教育を再建する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 
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