メッセージ - 主日礼拝カテゴリのエントリ
主日礼拝
幸せと成功を引き寄せる「家」のあり方(創世記2:20-25)
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English Service: How important it is to teach the Word of God to our children (Deu6:6-9) Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
人が人格を形成する、最も基本的な場は、家庭である。幸せと成功を引き寄せる人格形成のためには、家庭のあり方を整える必要があり、まず家庭の最小単位である「夫婦関係」を整える必要がある。今回は、聖書という知恵の宝庫の色々な箇所から、家庭の地盤固めや、自分が属する”輪”の発展の秘訣を得たい。
『わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて「恐慌(メフーマー:破壊、狼狽、騒動、悔しさ、苛立たしさ)」があるのにまさる。』(箴言15:16) まず、全宇宙・全法則を創造された「主を恐れる」事が第一である。ユダヤ人は子育て・家庭構築において「主を恐れる」事を第一としている故に、祝福され、世界的に成功している。神様から離れ、礼拝から離れた生活は、一見、制限がなく、自由のように見えていて、実はそうではない。絶対に揺るがない基準を持たず、神様の守りを持たないため、多くの財宝を手に入れて行く過程で、罪を犯し、敵を作り、傷を受け、結局、「恐慌(メフーマー)」の状態になってしまう。
また、次のようにも書いてある。『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、「ごちそう」と争いに満ちた家にまさる。』(箴言17:1) 「ごちそう(ゼバフ)」と訳された語は、「和解のいけにえ」を指す語。つまり、たとえ礼拝に通う家庭であったとしても、争う家庭であるとするなら、平和な貧しい家庭のほうが勝っている。
もし、自分は「よくしゃべる」と自覚する人は、家庭内では口を謹んだほうがいい。ガミガミする男性または女性は、その妻や夫、子供をひからびさせ、彼らを家に居られなくしてしまうからだ。(箴言21:19,27:15-16)
イエス様も言われた。どんな国でも内輪揉めしたら荒れ廃れ、家にしても内輪で争えばつぶれてしまう、サタンも、もし仲間割れしているなら、どうしてサタンの国が立ち行くことができるだろう、と。(ルカ11:17)
サタンの国さえ、仲間割れせず統率が取れているというのに、夫婦が、兄弟姉妹が、ビジネス仲間が、分裂して、統率が取れていない、とするなら、サタンの国にも劣る恥ずかしい状態である。 もっとも、サタンの国は、戦前の日本や、今の共産国のように、強権や圧政、暴力や脅しによって統率を取っており、そのような家庭や国には自由は無く、居るだけで消耗してしまうので、長続きしない。しかし、神の国は、主イエス・キリストにあって一致し、自主的で自由なモチベーションに満ちていて、それで統率が取れているのである。
『もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。』(ガラテヤ5:14) ここで明確な事は、もし内輪で分裂しているなら「互いに滅ぼし合っている」状態である。例えばそのグループに、10の力があるとするなら、互いに噛み合う事で3のエネルギーを浪費し、食い合う事で3のエネルギーを浪費し、残った4のエネルギーで渡り合っていかなくてはならない。グループの力が、15にも20にもなるためには、互いに建て上げようと、互いが積極的に協力し合う必要がある。
互いに同じ目標を目指し、力を合わせて行くなら、より容易に目的地に到達できるが、もし建設的な努力を全くせず、一方的に誰かにぶら下がって、ブランコ遊びするような者が一人でもいるとするなら、その人がいる故に、引きずられ、8にも7にも減退してしまう。その人は、やがて負担となって、切り落とされてしまう。
奴隷の国・エジプトから脱出した民のうち、信仰の努力をせず、ただ指導者であるモーセに不平不満をぶちまけて、約束の地へ行く事を阻害していた者達は、主によって、荒野で切り落とされて行ってしまった。
特に、社会の最小単位である夫婦関係こそ、重要である。結婚を控えている男女は、自分の「あばら骨」である妻が連れて来られるよう、また「脇腹」である夫の所に無事収まるように、主に祈り求めるべきである。
神様は、最初の人・アダムが独りでいるのを「良くない」とし、アダムに深い眠りを与え、その脇腹からあばら骨を取り出し、それを元にして女性を造り上げ、そうして彼女を、彼の元に連れてきた。(創世記2章)
アダムが深い「眠り」を経験したように、男性は、妻や子供をこれから養うために、それまで自由に生きて来た自分を「死」に明け渡さずには、「あばら骨」が取り出される事は無い。また女性も、神様の御手の中で造り上げられ、建て上げられ、女性として完成してこそ、神様は一人の男性の元へ連れて行かれるのだ。
ふたりは一体となる、と書いてあるが、残念ながら一体ではない夫婦が多い。主が連れてこられた脇腹でないなら、一致できないのだ。互いに、心も、体も、思いも、考えにおいても、「裸」でわかりあえる相手。
独身の男女はそのような伴侶を求め、夫婦はそれを目指すべきである。主を恐れ敬い、神様に喜ばれ、神様に祝福される家庭を構築して、幸いと喜びと成功に満ちた人生を送って行く皆さんでありますように!
主日礼拝
永遠の命が湧き上がって来る水を飲ませて下さるお方(ヨハネ4:3-30)
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週報/メッセージ(説教)概要
ある女性が、サマリヤという町に住んでいた。彼女はすばらしい男性と結婚すれば、この心の渇きは癒える、と、ささやかな夢を抱きつつ結婚した。しかし結婚生活は、夢見ていたようなものではなく、渇きはもっとひどくなって、離婚する事となった。すぐ別の男性と結婚したが、これもうまく行かず、離婚してしまった。
同じように別の男性と結婚してもうまく行かずに離婚し、結局、5回も結婚と離婚を繰り返したのに、どれもうまくいかなかったので、今度は6人目の男性と同棲を始めた所だった。それで彼女は昔のように公然と出歩けなくなり、パレスチナでは誰も出歩かない昼の暑い時間を選んで、井戸に水汲みしに行くようになった。
人は、ささやかな夢を見る。「自分をずっと変わらず愛し、いつでも守ってくれる」存在を。しかし、そんなささやかな夢を、完全に叶えてくれる人は、実は、この地上にはいない。儚い人間関係がひしめくこの空の下で、ある人は後先考えずに飛び出し、取り返しのつかない失敗をし、ある人は関係が壊れる事を恐れて、自分を出さずに黙って生き、ある人は、人間関係は、自分に有利な方向に利用するもの、と割り切って、騙し騙し生きていく。そうして、束の間の渇きをいやす「水」、たとえば、異性や結婚、お金、仕事、地位といった「水」を求めつつ、来る日も来る日も、暑い思いをしながら、それぞれの井戸と家とを行ったり来たりする。
しかしそれらを得ても、やがて渇く時が来る、のみならず、それを手に入れる過程で、罪を犯したり、迷惑をかけたり、自分自身の心や身体を傷つけ、あるいは隣人の心や身体にも、傷を積み上げて行ったりする。
彼女はそんな日々に、ますます渇きを覚えつつ、その日も水がめを持って、あの井戸へと行った。すると、一人の男性が、井戸のところに座って、彼女を待っていた。彼こそ、私達の救い主、イエス・キリストである。
彼は、彼女に声をかけた。水を飲ませてください、と。それは意外な事だった。ユダヤ人とサマリヤ人とは、選民と異邦人という事で、付き合いは無い筈なのに、彼のほうから関係を求めて来たのだ。イエス様は、救いからは遠いような「私達」をも、待っておられ、声をかけて下さる。「あなたから、飲ませてくれないか」、と。
私達も、罪によって苦くなってしまった自分自身、酸っぱくなてしまった自分の人生を、イエス様に全て明け渡すなら、イエス様は全ての苦さ、酸っぱさを「完了」させ、イエス様の安息を「完成」させて下さる。
イエス様は、全人類の罪を負って、私達が受けるべき刑罰を身代わりに受けて下さり、最後に「わたしは渇く」と言われた時、人々は彼に、酸いぶどう酒を差し出した。それを受けられると、「完了した(完成した)」と言って息をひきとられた。しかし、三日目によみがえられた。彼を信じる人は、罪に対しては死んだ者、神に対しては永遠に生きた者とされる、のみならず、この人生の、あらゆる問題も、彼が解決して下さる。
『イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇く事がないばかりか、わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が、湧き上がるであろう」。女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここにくみにこなくても良いように、その水をわたしに下さい」。』(ヨハネ4:13-15) 私達もイエス様に、「その水をわたしに下さい」と求める時、全ての問題解決の責任は、イエス様へと移り、イエス様は、どんな人生の問題も解決するために行動を起こされる。イエス様は、彼女からそれを受けると、問題の本質に直球を投げた。
「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい。」(18節) イエス様が彼女の問題の本質をご存知だったように、私達の問題をも全てご存知である。そして、イエス様と対話し、交わりをして行くうちに、どうしようもなく渇いていた心の渇きは、癒やされていく。彼女は、自分が話していた相手が、待ち望んでいた救い主だと分かると、今まで使い古して来た水がめは、そこに置いて、町へと走って行って、人々に伝えた。
自分の全てを言い当てたイエス様を。どうしようもなく渇いていた自分を癒やし、救って下さったイエス様を。
イエス様に癒やされた彼女は、今まで負っていた負の遺産は、人々にイエス様の栄光を現す「ネタ」に変わり、もはや恥もなく、決して満たすことの出来なかった渇きは、主イエス様にあって、癒されたのだった。
イエス様は今日も、私達が毎日行き来している”井戸”のそばで、待っておられる。彼に全てを明け渡すなら、今までの人生の酸っぱさは、甘さへと変えられ、決して癒やされなかった渇きは、潤されるだけでなく、腹の奥底から、生ける水が川となって流れ出るようになり(7:37-38)、周りをも潤し、いのちで満たして行くようになる。このイエス様に全てを明け渡し、救いを得て、栄光の働き人とされる皆さんでありますように!
主日礼拝
祭司となって祈るべき祝福祈祷(民数記6:24-26)
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今回の民数記6:24-26は、祭司はこのように祝福しなさい、と言われた、祝福祈祷文である。私達キリスト者は、イエス・キリストを信じる信仰によって、王族の祭司とされた(1ペテロ2:9)。それ故、積極的にこの祈りで家族や職場、自分の人生を祝福したい所である。しかし祝福をするに相応しい者となるため、全ての悪意やごまかし、色々の偽善やねたみ、悪口を捨て、生まれたばかりの乳飲み子のように純粋な御言葉の乳を慕い求める必要がある(同1-2節)。そうするとキリストを通じて生ける石として霊の家に築き上げられ、聖なる祭司として、霊のいけにえが捧げられる、と書いてある(同3-5節)。そういう人の祝福には、力がある。
今回の、この有名な、私達も積極的に宣言すべき祝福祈祷文は、どのような意味と力があるのだろうか。
この祝祷の最初は、「祝福する(バーラフ)」という動詞の、PIEL態(強意、断じて**する)で始まる。「主が断じてあなたを祝福して下さいますように!」という強意が込められているのだ。しかし、何よりもまず私達は、御言葉の乳を慕い求め、御言葉のバリケードを張り巡らす事をするべきだ。なぜなら、せっかく祝福してもらっても、また宣言しても、罪と呪いのパターンを持っているなら、祝福は逃げて行ってしまうからだ。
祝福(バーラフ)の最初は、「守られますように(シャマール)」である。シャマールの元々の意味は、羊飼いが羊を石垣で囲い、その上に、棘つきの植物を乗せて「厳重に守る」事である。だから、この宣言は、主が厳重にバリケードを張って、諸々の災いや、悪しき勢力から守って下さいますように、という宣言で始まる。
25節の「恵まれますように」のヘブライ語「ハーナン」は、目下の存在に対して、「親切にする」「好意を持つ、」「与える」といった意味があり、そこから、「恵む」「憐れむ」「情けをかける」と訳されている。
私たちは、神様からの、一方的な「ハーナン(恵み)」によって生かされている。空気や水、太陽、食べ物、健康など、全て生存に必要なものは、一方的に与えられた「恵み」である。それら、生きるのに必要な全ての恩恵を、主が、御顔を照らす事によって満たして下さいますように、と祈る事が、二番目の祝福なのだ。
26節は、主が、その御顔を私たちに「向け(ナーサー)」、「平安(シャローム)」を与えられますように、という祝福で、「向けて」と訳されたヘブライ語「ナーサー」は、上げる、運ぶ、持っていく、などの意味がある。
いと高き神が、地に住む低く卑しい「人」に向かって、御顔を「上げる」「運ぶ」とは、一体どういう事だろう。
それはちょうど、母親が、赤ちゃんを顔の近くに抱き上げ、顔を合わせ、見つめ、安心させる様に似ている。
人は基本的に「楽」である事を求めるが、シャロームの平安は、それよりも遥かに大きな意味を持っている。
人々は「楽」である事を追求する故に、お金を稼ぎ、色々な労をするが、サタンはそれらをエサに人を釣ろうとする。その目的は、人生を破壊し、死に至らしめるためである。 人は、サタンからどんなに高い地位や栄誉、富を得たとしても、真の安らぎは無い。なぜなら、それを得る過程で、犯してきた罪の数々が、彼らを追いかけ、ついには滅びに至る事を、彼らは何となく知っているからだ。しかし、神が下さるシャロームの平安は、そうした恐れが一切無い。それは、「楽な状態であるか・否か」を超越した、揺るがない平安である。
赤ちゃんは、お金や地位、名誉が無い、と言って泣く事は無い。赤ちゃんは、お金や地位をどう使って良いかも、その価値も、知らないからだ。ただ、お父さん・お母さんの顔が見れないと、泣く。なぜなら赤ちゃんは、何の疑いも無く信じているからだ。お父さんお母さんが、無条件に自分を愛し、全て守り、必要を備えてくれる事を。だから、その顔が見れないと泣き、顔の近くへと抱き上げられ、見つめられると、喜ぶのだ。
神様の平安、シャロームを味わい、体験して行けば行くほど、私達も、神様に対して「赤ちゃん」のようになって行き、今どういう状況にあるのか、とか、何を持っている・持っていない、といった事を心配しなくなる。
ただ、神様が御顔を照らし、御顔を向けて下さるかどうか、それだけが、何よりも大事になって行くのだ。
私達は、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な御言葉の乳を慕い求めるべきである。それによって、祝福に追いかけられる側となり、また、祝福を祈るその祝福が、力を帯びるようになって、「祭司」として整えられて行くからだ(1ペテロ2:1-9)。さらに、御言葉を帯びる事によって、世とサタンに対して、ますます圧倒的に勝利する勇士となって行くのだ。今日も、主が御顔を向けて下さり、シャロームを与えて下さるために、純粋な御言葉の乳を慕い求め、キリストのことばを心に豊かに住まわせる事において最善を尽くし、政治、経済、文化、教育界を支配して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
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この宇宙で最も敵に回してはならない者たち(ヨシュア記10:1-11)
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再び、ヨシュア記から養いを得たい。前回のヨシュア記9章では、主が「滅ぼしつくしなさい」と命じられた悪辣な民族の一つ、ギブオン人が主に立ち返り、主に助けられたいがために、自分達の出所を偽って、神の民に同盟を求めに来て、救いを得た。主は、罪を悔い改めて救いを求めて来る人は、決して拒まない。
それも、もし神の民より、彼らの方の信仰が優れているなら、主は、彼らの方を弁護し、特別扱いして下さる。
今回の10章では、主はどれほど熱心に、そのような人を擁護して下さるか、また、そのような、主により頼む人を救おうとする人には、どれほど物事をうまく進ませ、成功させ、祝福して下さるかを、見て行きたい。
ギブオン人がヨシュア達と同盟を結んだ、という事を聞いた周辺の王たちは、連合してギブオンに攻撃を仕掛けた(5節)。罪深い者達と縁を切って、イエシュア(ヨシュア=イエス様)と和平を結び、救いに入ったとたん、以前仲間だった悪辣な者達が歯ぎしりして、罪の生活へ戻そうと、攻撃を仕掛けてくる。それは、救われた人達が経験する宿命と言ってもいい(1ペテロ4:3-5)。そのような時は真のヨシュアであるイエス様に助けを求めるのだ。彼らが助けを求めると、ヨシュア達はすぐ、攻撃を受けているギブオンへ急行した。主は彼らの、主の助けの中で生きたい、という気持ちを汲み取り、彼らを特別扱いされたのだ。
ヨシュア達がいるギルガルから、ギブオンまでは、およそ35km。傾斜地を登って行く形となる。それを夜通し行くのは、骨が折れる行軍である。イスラエルにしてみれば、元々、ギブオンと和を講じるつもりは無く、騙された形で講じてしまったので、心情的には、救いたくなかったかもしれない。だから、このまま放置して、彼ら同士で戦わせて、互いに消耗させる、という手もあったかもしれない。しかし主は、そんな不誠実な計略で勝利させるお方ではない。主は、主に頼りを置く民のために、圧倒的な勝利で救って下さるお方だ。
主が主の民に願われる事は、一度約束した事を忠実に守る事、そして主の翼の下に保護を求めて来た人は一人も残さず救う事である。主はヨシュアに仰せられた。『彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからである。彼らの内には、あなたに当る事のできる者は、一人もないであろう。』(8節)
私達も、時には、気乗りしない戦いに「出よ」と、主から言われ、しぶしぶ出ていく事がある。その時「なんであんな者のために苦労しなければならないのか?」と、思うかもしれない。しかし主がそう言われるなら、行くべきなのだ。従いたくない心をとりこにして、御言葉に服従して行くなら、主は莫大な勝利を下さるだけでなく、宇宙規模の奇跡さえも起こして、私達の思いを遥かに超えた結果を、用意しておられるからだ。
事実、彼らは、この従順を通して、とても短期間に、多くの王達を一網打尽にし、多くの地を占領できた。
皆さんも、短時間で一気に、多くを獲得したいだろうか?それなら、主の示した事に、服従するべきである。
彼らは夜通し、ギルガルから上って行って、敵を急襲した。主が彼らをかき乱されたので、イスラエルは彼らを激しく打った。しかも主は、彼らの上に、大きな雹を降らせ、イスラエル人が剣で殺した数よりも、雹で死んだ者のほうが、多かった(9-11節)。明らかに、天地を支配しておられる主が味方して戦われたのだ。
この宇宙で、最も敵に回してはいけないのは、主の御声どおりに聞き従う主の民である。主は太陽や月の運行を司り、雹の一粒一粒さえ命令して、主に救いを求める民を保護し、彼らを脅かそうとする者を蹴散す。
主は、主に約束した事を忠実に全うする聖徒を全面的にバックアップし、大いなる御業を見させて下さる。
そして、それを見た救われたばかりの人は、ますます主を畏れ敬い、従うようになり、そして、主の御声に従って彼らを助けた聖徒たちも、それを機に、今まではかどらなかった事が、一気に片つくのである。
実際イスラエルは、主に服従して彼らを助けた故に、短時間で多くの地を征服し、この地方の占領は一気に進んだ。私達は、自分の好き嫌いや世の価値観で進んで行くべきではない。主の御言葉に従って行くべきである。それまで、主ご自身が直接戦って、奇跡的な勝利を得て来たが、これからは段々、彼ら自身が戦う事になって行く。主は、まだ剣を使い始めたばかりの彼らの手を鍛え、自主的に主の御旨を為そうと働き、自分の足で走り、剣を使い、戦う、という事を徐々に学び、そうして御国の兵士として整えられて行く。
自主的に御旨を求め、主の世界経営・歴史経営に参加し、この時代、主の御国をもたらす勇士として、政治、経済、文化、教育を支配して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
主日礼拝
やがて巻き去られてしまうこの世で最も価値あるもの(1コリント13章)
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週報/メッセージ(説教)概要
最近、祝福と成功の法則を学んでいる。前回、ロックフェラーが経済において大いに祝福された秘訣を見た。それは、彼が母の教えに従い、神の国を第一としたからだ。母から言われた通り、十分の一を忠実に捧げ、慈善のわざを惜しみなく為し、天に宝を蓄えた。それは確かに成功の法則であるが、結局、彼が祝福された根源は、やはり、その法則を教えた母の、御言葉中心の教育であった事は、否定しようがない。
ロックフェラーが母の戒めを守ったのは、母が、彼をこよなく愛し、行いで愛を示したので、母が教える神の教えであるなら信頼して間違いないだろう、と彼が思ったから、従順し、そうして本当に祝福されたのだ。
彼女が天に召される間際、世界一の金持ちになった息子が、間違った道に逸れず、祝福の王道から離れないように、という愛の想いが、あの10の書き残しから滲み出ている。彼は母の死後、それを忠実に守った。1929年の世界恐慌でも、母の戒め通り、多くの人を救うために財産を解放し、ロックフェラーセンター建設で多くの雇用を確保し、彼のした信仰と希望と愛のわざへの感謝が、今もロックフェラーセンターのクリスマスツリー点灯式となって語り継がれている。施しを受けた人々の感謝は、神の御前に昇るものなのだ。
結局、永遠に残るものとは、ロックフェラーの母が子へと残したもの、そして、ロックフェラーが母から受け継いで、人々へ惜しみなく施したわざ、すなわち、信仰と、希望と、愛である。この世において、妻を、夫を、子供を愛し、親切にしたそのわざは、妻や夫の、子供の心にずっと残り、継がれていく。闇と絶望の時世の中で為した希望のわざも、信仰によって為した高貴なわざも、ずっと人々の心の中で、受け継がれて行く。
彼の母は、信仰と希望と愛を、彼に残した。それこそ、私達も遺産として残さなければならないものである。
『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』(1コリント13:13) 主の再臨と共に、やがて巻き去られてしまう、この有限の3次元宇宙で、最も価値あるものは、愛である。世の富は廃れ、知恵も力も廃れ、預言も止む。それらは、永遠なる実体の「影」に過ぎない。全ての本体であるキリストが来るなら、影なるものは巻き去られ、いつまでも残る「実体」だけが残る。
愛の目指すところは「いのち」であり、愛が言いたい事は、「生きよ」「存在しなさい」である。それが神様の、私達に対する願望である。サタンは、「いのち」の対局の、愛を破壊する「善悪判断」へと誘い込み、愛のわざが、あたかも、損得勘定の「損」であるかのように吹き込んで、祝福の法則から、離れさせる。サタンが最も言いたい事は「存在するな」「死ね」である。私達は、いのちと善悪判断の2つが置かれた時、いのちを選び、「愛」と「損得勘定」が置かれた時、「愛」を選んで、サタンのわざを蹴散らす、光の勇士である。
愛とは「関係」であり、「犠牲」であり、「時間に制約されたもの」である。やがて「あなた」と「わたし」は、別れなければならない時が来る。それまで一緒に居られる、ささやかな時間の間、私達は、相手のいのちが前進するために、力と、時間と、持てるものを投げうち、愛の犠牲を払って、今、してやれる事をするべきだ。
愛と優しさは、イコールではない。いのちを後退させてしまう事や、御言葉の法則にかなわない事に対しては、厳しく戒め、正すのが、愛である。人をダメにしてしまう「偽りの優しさ」でごまかしてはならない。
「あの人が、わたしが生きるために、犠牲を払ってくれた」という思い出は、闇の中に暖かく灯るともし火のような、美しい思い出として残り、その思い出は、時が経てば経つ程、感謝、喜びへと、美しく輝きを増して行く。イエス様こそ、私達をこよなく愛し、私達が生きるために、愛の犠牲を払って下さった、神の子である。
この限りある人生の中、私達にできる最高の愛のわざとは、ロックフェラーの母が子へと繋いだように、永遠の愛なる神様へと繋げ、御言葉どおりに生きるようにする、あらゆる営みである。親が子へ、伝道者が神様を知らない人へ、永遠の愛なるお方・イエス・キリストを伝える愛のわざこそ、この宇宙で何よりも尊い。
私達はまず、身近にいる相手の心に、愛されているという感覚の、暖かなともし火を灯す所から始めよう。
今、与えられている財や、力、時間を活用して。それが、愛なる主に喜ばれる事であり、そのようにする人に、主は、さらに押入れ、ゆすり入れして与えられる。もっと多くの人に、喜びのともし火を灯すために。
天と地において最大に価値があり、評価されるものは、愛である。与えられた賜物を用いて、愛に裏付けされた信仰と希望という資産を受け継がせ、素晴らしい希望の将来を愛する人のために用意し、永遠に朽ちる事の無い冠を、日々、備えて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
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アメリカ史上一番の富豪から学ぶ祝福のコツ(マラキ3:10-12)
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参考資料:ロックフェラーの年ごと献金額合計と、彼の母の遺言
神の国を建て上げるために、世界的に用いられる「時代の主人公」となるには、どうすればいいか。最近、ヨセフやクロス王から学んだが、今回、石油ビジネスを通じてアメリカ史上一番の富豪となったジョン・ロックフェラーから学びたい。彼の資産は、現在の価値に換算すると約28兆円以上にもなると推定される(ビル・ゲイツは約6兆)。ロックフェラー財閥や、彼の一族については、今日、色々言われる所はあるものの、初代のロックフェラーは素晴らしいクリスチャンで、多くの人に恩恵をもたらし、多くの社会貢献をして来た。
彼の父は真面目に働かず、いつも遊び歩いて、何か一山当てようとする人だったが、母イライザは信仰熱心なクリスチャンで、夫がほぼ不在の家を守るために奮闘した。彼はその母から、大いに影響を受けた。
彼の経済が祝福された秘訣は、ずばり、母から受け継がれた「信仰」であり、特に、「十分の一献金」を捧げる事にあった。母は、幼き日のロックフェラーに、「3 つの約束」を守るよう教えていた。すなわち、第 1 に什一献金をささげる事。第 2に教会で一番前の席に着いて礼拝を捧げる事。第 3は教会の指示に従い、牧師を悲しませない事。 彼は幼い時から、それら全てを忠実に守った。彼は若い時から収支を帳簿につける習慣を身に付けており、事業が祝福された後には、40名もの職員を雇って収入と献金額を正確に計算させた。それ以外も、彼は、多大な寄付をしていたが、彼自身は倹約を努め、質素な生活をしていた。
母は、息子が世界で最も裕福な男になるのを見てから、天に召されるが、彼女は、彼の信仰をまだ心配していたため、死ぬ前に、十の戒めを彼に残した。すなわち、1,神を実の父以上に敬う。 2,神を尊重するごとく牧師を尊重する。 3,常に右ポケットを、十分の一を入れるために確保し、主日に捧げる。 4,誰とも敵対しない。 5,礼拝に出席する時、最前列に座る。 6,毎朝その日の目標を決定し、祈りを捧げる。 7,寝る前にその日を振り返って祈る。 8,人を助ける事ができるなら、助けるために最善を尽くす。 9,主日礼拝を、自分の所属する教会で捧げる。 10,朝目覚めたら、まず神の言葉・聖書を読む。
これらが彼の家訓となり、生涯、忠実に守った。彼の息子は、1962年、タイム誌のインタビューで言った。
「ロックフェラー家の富は、神のものであり、私たちはただ、(神の)執事です。」
彼はそのようにしたため、経済的感覚が祝福され、20歳で事業を立ち上げた時、これから旬のビジネスは石油である、と早期に見抜いた。彼は、周囲の反対を押し切って石油関連事業に邁進して行った結果、大成功を収めた。彼は、競合他社を買収し、市場の90%以上を占有するに至ったが、あらゆる方面から非難され、彼の会社は30以上の会社に分割されてしまった。しかし皮肉にも、それでかえって株価は急騰し、彼の資産は、5倍以上に増え、彼はさらに富む者となった。祝福の法則に立つ者は、みな、こうなのだ。
そんな中、彼は55歳の時、病に侵され、余命1年と宣告されてしまう。彼は必死に祈り、もし助かるなら、これから後の人生は「莫大な財産を貯める事」ではなく、「莫大な財産を使う事」を使命とした。結果、彼は98歳まで生き、安らかに息を引き取った。彼は90歳を過ぎても、毎日ゴルフをする程、健康だった。
彼の病後の後半生は、世界一の慈善事業家となり、数々の事業を立ち上げた。彼は数千もの教会を建設し、シカゴ大学をはじめ、全米24の総合大学を創立・支援し、ニューヨークに様々な文化施設を建てた。
結局重要なのは、どれだけ貯めるか、という事より、与えられたものをどれだけ有意義に用いるか、である。
御言葉に従って、神の御心を行い、泥棒や虫、さびなどの手が届かない、天に宝を積み上げる事である。
せっかく稼いでも、有意義に使わないまま、死んでしまうなら、稼いだ事自体、無駄な労苦となってしまう。
また、たとえ沢山稼いで、自由にお金を使えた、としても、その使い道が、自分や家族や子孫を悪い方へと導く結果になってしまったり、また、世の中を悪くする方向へと導いてしまったとしたなら、ただこの世に「害悪」をもたらしただけで、むしろ稼がないほうがまだ良かった、という事になってしまう。(ルカ12:16-21)
結局、最高の投資方法とは、まず、神様に十分の一を捧げ、神の国を前進させる事。そうするなら、神様は祝福するために天の窓を開き、資産を蝕む”いなご”を叱り、投資した先が、不作とならないように守り、そうして主は祝福し、全ての国民は「幸せ者」と言うようになり、その地は喜びの地となる(マラキ3:10-12)。
また、大いに人に与え、施しをする事である。そうするなら、押し入れ揺すり入れして溢れるばかりに与えられる(ルカ6:38)。ヨセフやクロス、ロックフェラーのように、与えられたものを神の国のために捧げ、時代の主人公として、大いに用いられて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
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主が仕込まれた布石として用いられる人(イザヤ45:1-3)
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週報/メッセージ(説教)概要
聖書には、主が御旨を成就するために据えた「布石」が、あちこち散りばめられている。布石とは、囲碁の序盤、より多くの陣地を獲得するために、先を読んで要所要所に石を配置する事であるが、私達は、主が置かれた布石を、聖書から見出す事ができる。その主の置かれた布石が有効に発動するために、御言葉を元に「霊的先読み」をし、私達の将来の計画を立てて行くべきである。今回、クロス王という歴史の人物から、時間と空間を支配しておられる主の布石の完璧さ・美しさを学び、私達も用いられるコツを得たい。
BC539年、クロス王(キュロス2世)がバビロンへ進軍した時、彼は最初、その城塞を見て弱気になった。
その強大な城壁や、青銅の扉、鉄の閂に。また、大きな船さえ行き来できる巨大な堀、そして、ふんだんに蓄えられた食料を前にして。「これほど巨大で、これほど高い防壁に囲まれた都市を強襲して陥落させる事など、誰にできよう。」(キュロスの教育7章7節) ところがバビロンは、彼によって、たった一晩で陥落し、バビロンの王は殺害され、各地の要塞の兵達は、翌朝、クロスに投降した(キュロスの教育7章33節)。
実は、バビロンが陥落する様は、その200年前、預言者イザヤを通して正確に預言されていた。クロスが取った戦法は、その城塞の堀に流れ込む川々を干上がらせ、乾いた川底を通って城内に侵入する、というものだったが、その手段は、イザヤ書44:26-28に正確に預言されていたのだ。そのような戦法は危険極まりないのに、その晩だけ、バビロンの見張り達は酔って眠りこけていた。それも、預言者エレミヤによって60年前に預言されていた。『わたしはその君達と知者達、長達、司達、および勇士達を酔わせる。彼らは、ながい眠りにいり、目をさます事はない。万軍の主と呼ばれる王がこれを言わせる。』(エレミヤ51:57)
その晩、バビロンの王ベルシャツァルの宮殿内で何があったのか。ダニエル5章に詳細に記されている。
その日、バビロンの王は、不遜にもイスラエル神殿の聖なる器を敢えて用いて、酒を飲み、上から下まで大宴会を開いていたのだ。彼の父ネブカデネザル王は、イスラエルの神が為された事に思い知り、神を畏れ敬っていたのに、ベルシャツァルはそれを知りながら、不遜な事をしたのだ。彼が酒を飲みながら、偶像の神々を賛美しているその時、ベルシャツァルの前に、突如、人間の手の指が現れ、壁に文字を書き出した。
王は大いに恐れ、「この文字を解き明かす者は、この国の第三の権力を持たせよう。」と言ったが、バビロンの智者には、誰も読めなかった。しかしダニエルは、その文字を解き明かす。その文字は『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』、意味は、「神はあなたの治世を数えて終わらせた。あなたは量られ足りない事がわかった。あなたの国は分割され、メディヤとペルシヤとに与えられる。」である。それでダニエルは第三の権力が与えられたが、その直後、クロスの軍隊がバビロン内に侵入し、ベルシャツァル王は殺された。。。
預言者エレミヤは、その60年前に預言していた。『バビロンの勇士達は戦いをやめて、砦の中に座り込み、彼らの力も干からびて、女のようになる。その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。』(エレミヤ51:30)
クロスは、このバビロンという強大な城塞都市を、あまりにたやすく制圧できて、町々も財宝も、人々も、その繁栄も、一切戦争で破壊される事なく、きれいな状態で、そのまま自分のものとなった事に驚いただろう。
そして、ダニエルから聞かされたであろう、イザヤやエレミヤの預言を聞いて、もっと驚愕しただろう。なにしろ、200年も前に、クロスという自分の名が名指しされ、バビロンを攻め落とすために取った戦法も、その時のバビロンの様子も、そのまま預言されていたのだから。そこでクロスは、翌年、BC538年に勅令を出す。
天の神、主は、地のすべての王国を自分に賜わり、エルサレムに、ご自分のために宮を建てる事を私に委ねられた。それ故、主の民はエルサレムに戻って、主の宮を再建するようにせよ、と。(エズラ1:2-3)
私達は知るべきだ。私達の神は全能で、時間(タイム)と空間(スペース)を完璧に配剤されるお方である。
クロス王は、労せずに栄光や富が与えられたが、その理由は、破壊された礼拝を、再建するためだった。
どんなに悪が増大し、主を冒涜する者達が権力を得ても、主は、その日数を数えておられる。そして、主の御旨を成し、御国を来たらせようと意欲のある人を用い、富も、栄光も、町々も、そっくりそのまま渡し、礼拝再建のために用いるようにされる。だからもし、主が、物事をうまく行かせ、富や権威、栄光が与えられたなら、それは欲しいままに用いるのではなく、主の御旨を成すために用いるべきだ。主はそういう人に、ますます、仕込んでおかれた布石を発動されるからだ。この時代、破壊された礼拝を復興し、散らされた神の民を集め、御言葉教育を再建する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
主日礼拝
父の日礼拝:父と母と子供の聖書的役割(コロサイ3:18-23)
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週報/メッセージ(説教)概要
今日は父の日、普段から一家のために働いておられる父に感謝する日である。父は大抵、母よりは無口であまり話さない傾向はあるが、父がいてこそ家は安定する。今回、聖書的な家族の役割を見ていきたい。
『妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしい事である…子たる者よ。何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれる事である。』(コロサイ3:18,20) 妻の、夫に対する責任は「仕える」、原意は「相手の権威に服する」事で、子の、両親に対する責任は「従う」、原意は、「聞いて、従う」事である。
夫や主人を意味するヘブライ語「アードーン」は、「主」「所有者」「支配者」の意味だ。 父が家の主ではあるが、圧政的・支配的であってはならず、愛を根底するべきだ、と命じられている。『夫たる者よ、妻を「愛(アガパオー:無償の捧げ尽くす愛)」しなさい。辛く当たってはいけない…。父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心が「いじける(アスメイオー:やる気・意欲を削ぐ)」かも知れないから。』(19,21節)
このように、父、また夫には、重要な責任が与えられている。家族を支え、正しく導く義務があり、また、
一家を祝福する祭司の役割が与えられている。アブラハムやダビデ、ヨブは、家族の幸せと祝福のために祈り、また、罪の赦しのために、いけにえを捧げた。パウロもまた、多くの教会・多くの兄弟姉妹たちの、
霊的な父として、主にあって産んできた霊的な子達を日夜気遣い、何日も徹夜しつつ祈ってきた。
第2コリント11章を見ると、パウロの「父」としての苦労が、並大抵のものではなかった事が分かる。
彼はコリントの聖徒達を、キリストへと嫁がせる花嫁として主に捧げ、婚期を迎える娘の父親のような心境で、彼らの霊的清純が汚されはしまいか、と、気にかけていた(同2-3節)。それなのに、コリントの聖徒達は、
偽教師の、言葉巧みな言葉にそそのかされ、霊の父であるパウロを軽んじたり、ばかにしたりして来た。
パウロは言う。たとえ、話は巧みでないにせよ、自分は全ての点で、色々な場合に、誠実を示してきた、と。
偽教師は、外見も言葉も立派な先生に見え、それにひきかえ謙遜なパウロは弱々しく見られ、それで惑わされてしまったコリントの聖徒の目を覚ますために、パウロも敢えて「愚か」になって誇らざるを得なかった。
パウロは何を誇ったか。彼は、最高の先生から師事を受け、最高の学校を卒業し、多くの国々に宣教し、多くの病や悪霊を追い出し、多くのいのちを救ったのに、彼は、そうした実績は、おくびにも出さなかった。
むしろ彼が誇ったのは、彼自身が受けてきた数々の困難や迫害、そして、主にあって産んできた霊的な息子・娘達を、日夜、気遣い、何日も徹夜しつつ祈ってきた事だった(22-28節)。私達も誇るべきは、何かの実績ではなく、主にあって働く事と、養わなくてはならない人々のために日夜祈りつつ養う事である。
父は、人知れず苦労して来た事を、滅多に家族に漏らさない。そのために誤解される事も多いが、たとえ家族に疎んじられたとしても、よほどでない限り、家族のために相変わらず働いて、養う。それは、父は本能的に、家長として、責務を全うしなければならない、という、神様が植えて下さった使命感があるからだ。
しかし、養っている家族から、心をへし折られない訳ではない。父親にとって一番痛い事は、養っている家族が、他の者にそそのかされ、別の者を父、あるいは主人としてしまう事である(同28-29節)。
父なる神様が最も悲しまれるのが、それである。人が悪魔にそそのかされ、神なしで生きようとしたり、別の者を神としてしまうなら、神様はひどく悲しみ、ねたみ、真の父・真の神はどなたであるのか思い知らされる。
父親は、仕事や使命を為すゆえに、あまり家におらず、交わる時間があまりないかもしれないが、家族を養わなくてはならないと誰より思うからこそ、仕事をするものである。男性と女性は、愛情表現の仕方が違う。
女性は、子育てをするため、一緒にいる事や、いっぱい話す事、感情や体験を共有する事に、価値を見出すが、男性は、働いて、責務を全うし、家族に必要なものを手に入れ、持ち帰る事によって、家族を愛している証とする傾向がある。その食い違いから、誤解が生じる事も多々あるが、二人が一体となって、共に、主が与えて下さった役割をこなしつつ、家庭を築き上げ、産んで増えて地に満ちて行く事が、御心である。
しあわせな家庭は、各々が、神様から定められた役割を正しく果たす家庭である。妻は、主にある者にふさわしく夫に従い、夫は、妻につらく当たる事をせず、むしろ主が私達を愛されたごとくに、妻を愛する。
子供たちは、全ての事において両親に従う。そのように正しく歩む事によって、それぞれ主キリストに仕え、報いとして、御国を相続させていただく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
主日礼拝
主の息(聖霊)が来る時、枯れた骨は生き返る(エゼキエル37:1-14)
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週報/メッセージ(説教)概要
本日、聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、イエス様の弟子達が聖霊を受け、大胆で力強い働き人になった事を覚える日である。それまで弱かった弟子達も、聖霊を受けて以降、力強く変わった。本日、聖霊の力はどれ程偉大で、日本の福音化のためにいかに必要であるのか、エゼキエル書37章から、その極意を得たい。
エゼキエルの時代は、バビロン捕囚下の時代で、かつてソロモン王が建てた豪華絢爛な神殿も、ダビデ王が建てた堅牢なエルサレム城壁も、バビロンによって破壊し尽くされ、荒れ果てた状態の時代である。
その破壊された理由は、神の民たる聖徒が、御言葉と礼拝をおろそかにし、世の諸々に奔走し、主がしてはならないと言われていた悪い事をし続け、警告を受け続けて来たにもかかわらず、改めなかった故だ。
それで彼らは、敵にやぶれ果て、打ちのめされ尽くされた様が、この、ひどく干からびた骨々の有様である。
この有様は、今の私達にも当てはまるかもしれない。若かりし頃の夢に破れ、もはや復帰する望みが無いまま何年も経ち、ただ枯れるに任せるしかないような状態に。あるいは、神様から離れ、好き放題にした結果、身から出た錆によって徹底的に打ちのめされ、もはや復帰の望みが絶たれてしまったような。
この日本も、霊的には、エゼキエル37章のような、干からびた骨々のような状況である。かつて日本は、多くの人が福音を受け入れ、いのちにみなぎっていた。1549 年、フランシスコ・ザビエルによって、初めて福音がこの地に入った時、信者の数はどんどん増えて行ったが、時の指導者達が、主にある私達の兄弟姉妹を迫害し、多くの殉教の血が流され、その人達の骨々で埋め尽くされているような状況である。
主は問われる。『「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。』(3節)
エゼキエルは答えた。神、主よ。あなたがご存じです。と。アーメン。枯れた骨々が生き返るかどうかは、主にかかっている! この国で、干からびた骨となってしまった信仰が、よみがえって、主の大勇士軍団となる事も。また、干からびた骨となってしまったような人生が、生きかえって、力強い働き人となる事も。
それは、権力によらず、能力によらず、主の霊によって!(ゼカリヤ4:6) 聖霊によって、可能である。
主はエゼキエルに、骨に対して主の言葉を語れ、と言われた。枯れた骨よ、主の言葉を聞け、と。(4節)
彼が、主から命じられた通りに、御言葉を宣言すると、大きな音、大きなとどろきが起こり、骨と骨が互いにつながった。『私が見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。』(8節) 私達も、信じた御言葉をそのまま語りだすなら、大きな変化が起きる。
たとえ、干からびた骨のような相手、状況、あるいは、干からびた骨のような、自分自身にも。
しかし、その中に「息(霊)」は無かった、と書いてある。主は確かに、干からびた骨のような人、モノ、状況を、人並みの状態へと戻して下さる事はおできになるし、そのようにされたキリスト者は、大勢いる。 しかし、神の息、すなわち、聖霊が無い状態では、マネキンのように、力の無い、死んだも同然の状態なのだ。
『時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息(ルアッハ:霊)に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。』(9 節)
その通りに彼が「息(霊)」に預言すると、霊が彼らの中に入り、自分の足で立ち上がった。それは、非常に多くの「集団(ハイル:軍団、勇士、厳粛な者、富んだ者)」となった(10節)。 このハイルは、有力者ボアズに、厳粛な女ルツに、勇士ギデオンに、ダビデに与えられた称号である。弱い、臆病な者は強くされ、貧しく何も無かった者は富んだ者とされ、異邦生まれの者が、栄光の王族の家系へと組み入れられた。
私達も、主の息、すなわち、聖霊が与えられるなら、枯れた骨のような者が生かされ、ハイルとされるのだ。
神の息、聖霊を求めるべきである。ペテロや他の弟子達は、聖霊降臨以前は、大した実を結ぶ事のできない、烏合の集団だった。しかし聖霊降臨以降、彼らは死をも恐れない、力強い神の軍団となり、全世界に出て行き、ローマ帝国を席巻し、ヨーロッパ、アジア、地の果てにまで、福音を広めて行った。
自分は干からびた骨のようだ、と思っている人は、自分自身に御言葉を宣言すべきである。生き返れ、と 。
そして、「息」に預言すべきである。「息、四方から吹いて来い、この者に吹きつけて、生き返らせよ」と。
神の息吹のダイナマイトパワーに満たされて、干からびた骨から、神の軍団へと創り変えるられ、大胆にキリストを証して行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
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偉大な母の性質(詩篇34:12-15)
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先月4月17日、米国で一人の女性が天に召され、多くの人が悲しんだ。彼女の名はヘスター・フォード、115歳だった。なぜ彼女の死が多くの人に感銘を与えたのか。それは彼女は、「偉大な母」だったからだ。
母の日である今日、偉大な母と言われた彼女から、偉大な人生・高貴な人生のコツを得ていきたい。
彼女の子供は12人、孫は68人、ひ孫は125人、玄孫は120人、計325人もの子孫と、同時代を生きた。
(なお、子孫の数があまりに多く、年齢の記録も古い為、情報元によって数字や年齢に若干の違いがある)
彼女は1905年8月15日、アメリカ・サウスカロライナ州ランカスターで生まれ、ジョン・フォードという男性と15歳で結婚し、12人の子を産んだ。彼女は農場で働いて後、48歳からは乳母として20年以上働いた。
1963年、彼女の夫が57歳で天に召されて後も乳母として働きつつ、教会での礼拝と奉仕を生涯捧げた。
真に偉大な人とは、生涯、信仰生活を守り、その信仰をしっかり子々孫々へと継承し、空の星々のような、素晴らしい信仰の子々孫々を残す人である。有象無象をたくさん増やしても、何もならない。私達の使命は、信仰者である神の子達を、産んで、増えて、地に満たす事であり、全被造物もそれを待ち望んでいる。
彼女は高齢になると認知症を患ったが、幾つかの聖書箇所は完璧に覚えており、112歳の誕生日には、詩篇23篇を暗唱してみせたのだ。御言葉暗唱こそ祝福と長寿の秘訣であり、生涯現役の秘訣である。ユダヤ人は健康・長寿で有名で、色々な研究が為されているが、結局、それはテフィリン(御言葉暗唱)をしている故だ。彼女は、長寿の秘訣について聞かれると、「わからない」と言っていたが、聖書に書いてある。
主は、主を愛する人を助け、御名を知る人を守られる。その人が、主の御名を呼ぶ時、主は答え、その人の悩みの時、彼と共におられ、彼を救い、彼に栄光を与え、長寿で満ち足らせる、と。(詩篇91:14-16)
彼女の「人となり」は、どうだったか。彼女のひ孫であるパターソン=パウ氏は、彼女についてこう語った。
「彼女は発明家で、革新者で、地域社会や家庭内では独自の流行を生み出す先駆者だったため、1つの枠に収まる事は無かった。」「彼女は逆境に面しても揺るがず、動じない人だった。」「彼女は決して不平を言わず、敗北を示さず、同情を誘う事も無かった」と。 まさに彼女は、素晴らしいアイデアを実践する力で満ちた人で、地に住み誠実を養った人、口を制して否定的な言葉を言わせず、主にある勝利者の立場を、言葉において貫き、宣言し、実現し続けた人だった、とわかる。私達が日毎、宣言している通りである。
彼女は、いつでも子孫に言っていたと言う。「あなたは誰かを祝福するために、ここにいるのですよ」と。
彼女は分かっていたのだろう。アブラハムの子孫である私達・信仰者は、呪いに満ちている世に、祝福をもたらすために生かされており、私達が祝福するなら、その祝福は巡り巡って、自分へと帰ってくるのだ、と。
『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。』(箴言18:20)
だから、私達も日々、祝福を宣言し、その実を実体として得ていくべきだ。
彼女は、自身の沢山の子達を育てた、のみならず、他人の子も乳母として育てた。神はいのちの神、また愛の神である。それ故、いのちを愛し、大切に育み育てる人を、神は大切にされる。偉大な人とは、いのちを大切に守り、増やし、育む人だが、いのちを軽んじ、傷つけ、殺す人は、神と人から忌み嫌われる。
『幸いを見ようとして、いのちを慕い、ながらえる事を好む人は誰か。あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたの唇をおさえて偽りを言わすな。悪を離れて善を行い、やわらぎを求めて、これを努めよ。主の目は正しい人をかえりみ、その耳は彼らの叫びに傾く。主のみ顔は悪を行う者にむかい、その記憶を地から断ち滅ぼされる。』(詩篇34:12-15)
主にあって両親を敬い、従う人は、幸せになって地上で長生きする、と約束されている(エペソ6:1-3)。
幸せで、祝福され、信仰の家庭を建てあげて行くためには、親は、御言葉教育を行う責任があり、子供は両親に従う、という、双方向の責任をそれぞれ全うする必要がある。それが合致した家庭は幸いである!
今日は母の日、母が日頃負っている労をねぎらい、感謝する日であるが、親に感謝する人は幸いなのだ。
信仰を受けたなら、それをしっかり保持し、子へと、孫へと受け継がせ、地上において幸せで、長生きし、偉大な信仰者の列へと加えられていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
