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メッセージ - 伝道者の書カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
悪者が百度悪事を犯してもなお平気な事がある理由(伝道者の書8:9-17):右クリックで保存

【概要】

神の憐れみと裁きについての説教。悪者が栄えるように見える状況での正しい生き方を教える。

【聖書箇所】

伝道者の書8:9-17

黙示録20:11-15

第二ペテロ3:8-9

【慰めの言葉】

神は一人も滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。

【励ましの言葉】

イエス・キリストを信じ、招き入れるならば、そこは天の御国となります。

【戒めの言葉】

地上の人間の行いにばかり目を向けず、信仰の創始者であり完成者であるキリストに目を向けましょう。

【勧めの言葉】

御言葉を守り行い続けることで、人生から茨やアザミが取り除かれ、清められていきます。

【悔い改めの促しの言葉】

悪者が栄えているように見えても、その道に従わず、神の子として光の子どもとして歩みましょう。

【***詳細***】

今日の箇所は伝道者の書8章9節から17節までです。ここでソロモンは、この世で悪者が栄え、正しい者が苦しむという現実を目にして、そのむなしさを語っています。

「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。」(伝道者の書8:11)

この状況は、私たちの周りでも見られることでしょう。しかし、これは地上での一時的な状況に過ぎません。聖書は、最終的な裁きが必ず来ることを教えています。

黙示録20章11-15節には、最後の白い御座の裁きについて記されています。

「また私は死んだ人々が、大きな者も小さな者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは命の書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:12)

この箇所は、すべての人が最終的に自分の行いに応じて裁かれることを明確に示しています。では、なぜ神は今すぐに悪を裁かないのでしょうか?それは神の憐れみのゆえです。

第二ペテロ3章8-9節にこうあります。

「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

神は、悪者たちが悔い改めて立ち返る機会を与えておられるのです。これは神の憐れみの表れです。しかし、多くの人々はこの憐れみを誤解し、「神は悪いことをしても許してくれる」と思い、さらに悪を重ねてしまいます。

私たちクリスチャンは、この世の状況に目を奪われるのではなく、イエス・キリストに目を向け続けるべきです。イエスを信じ、御言葉に従うことで、私たちの人生から罪という茨やアザミが取り除かれていきます。

「私は快楽を賛美する。日の下では食べて飲んで楽しむより、ほかに人にとって良いことはない。」(伝道者の書8:15)

ソロモンはここで、人生を楽しむことを勧めています。しかし、私たちクリスチャンにとっての真の喜びは、神との関係の中にあります。イエス・キリストを信じ、御言葉に従う生活こそが、最高の喜びをもたらすのです。

ソロモンは、人間の知恵や努力では神の御業を完全に理解することはできないと結論づけています。しかし、だからといって求めることをやめてはいけません。むしろ、御言葉に従い続け、聖霊の導きを求め続けることが大切です。

【結論】

この世では悪者が栄えているように見えても、最終的な裁きは必ず来ます。しかし、神は憐れみ深く、すべての人が悔い改めることを望んでおられます。私たちは地上の状況に惑わされず、イエス・キリストに目を向け、御言葉に従う生活を送りましょう。そうすることで、私たちの人生は清められ、神の栄光を現す器となるのです。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
知恵は顔を輝かせる(伝道者の書8:1-8):右クリックで保存

【概要】

知恵の大切さと、神の命令に従うことの重要性について語られたメッセージ。

【聖書箇所】

伝道者の書8:1-8

イザヤ書28:14-19

【勧めの言葉】

神の知恵を求め、それに従って生きることで、人生と永遠をうまく渡り合えます。

【戒めの言葉】

死や悪と同盟を結ぶのではなく、イエス・キリストという礎石に寄り頼むべきです。

【***詳細***】

今日、恵みをいただく御言葉は伝道者の書8章1節から8節までです。

「誰が知恵ある者にふさわしいだろう。誰が事物の意義を知り得よう。人の知恵はその人の顔を輝かし、その顔の硬さを和らげる。」(伝道者の書8:1)

知恵を身につけること、それこそが、この人生を、また永遠をうまく渡り合っていくためのコツです。知恵を得ることは、まず、主を恐れること、主の命令を守り行うことから始まります。そうする者には何も恐れることも、また慌てることもありません。

「人は言う。王の命令を守れ。神の制約があるから、王の前から慌てて退出するな。悪事に加担するな。王は自分の望むまま何でもするから。王の言葉には権威がある。誰が彼に『あなたは何をするのですか』と言えようか。」(伝道者の書8:2-4)

ここでソロモンは王について語っていますが、私たちが王と仰ぐべきはイエス様です。イエス・キリストこそ私たちの王です。ですから、ここをキリストに読み替えて読むならば、本当にふさわしい言葉が私たちに与えられます。

「命令を守る者は災いを知らない。知恵ある者の心は時と裁きを知っている。」(伝道者の書8:5)

王なる主イエス様の命令、すなわち御言葉を守る人は災いを知りません。そして知恵が増し加わります。御言葉に親しむうちに知恵が増し加わっていき、知恵ある人の心は時と裁きを知るようになります。

「すべての営みには時と裁きがある。人に降りかかる災いが多いからだ。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを誰も告げることはできない。」(伝道者の書8:6-7)

確かに何が起こるか、いつ起こるか、それはわかりません。しかし、知恵ある人は、いつ何が起きても怖くありません。なぜなら知恵に従って行動しているから、災いをもたらすような行動を初めから避けているからです。

「風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。悪は悪の所有者を救い得ない。」(伝道者の書8:8)

人間はいつも毎日が死と対抗する戦いを戦っています。日々食べたり飲んだり働いたりすること、それは死なないためです。しかし、この戦いから免れる人は誰もいません。やがて人は死にます。

ここで、イザヤ書28章14-19節を見てみましょう。

「それゆえ、あざける者たち、エルサレムにいて、この民を物笑いの種にする者たちよ。主の言葉を聞け。あなたがたはこう言ったからだ。『私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとえにわか水が溢れ押し寄せて来ても、それは私たちには届かない。私たちはまやかしを避けどころとし、偽りに身を隠してきたのだから。』」(イザヤ書28:14-15)

これらの人々は、まやかしを避けどころとし、偽りに身を隠しています。彼らは死と同盟を結び、よみと契約を結んでいると言います。しかし、主はこう言われます。

「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の貴い隅石。信じる者は、慌てることがない。」(イザヤ書28:16)

主は、シオンに一つの礎石を据えられました。イエス・キリストという礎石です。この礎石により頼む人、これを信じる人は慌てることがありません。

「あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。にわか水が押し寄せて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。」(イザヤ書28:18)

まやかしを避けどころとしている者は、にわか水が溢れて押し寄せてくると、それによって踏みにじられます。偽りやまやかしに身を隠してきた者は、やがてにわか水が溢れ、それに押し寄せられ、踏みにじられるのです。

【結論】

私たちは死やよみ、まやかしといったものと同盟を結ぶのではなく、イエス・キリストという礎石に寄り頼むべきです。知恵あるものとなり、知恵にふさわしく歩むならば、私たちの顔は輝き、表情は柔らかくなります。どんな状況にあっても、イエス・キリストという知恵に満たされ、御言葉という知恵によって養われ輝かされる者となりましょう。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
女が死よりも苦々しいと言う人の特徴(伝道者の書7:26-29):右クリックで保存

【概要】

伝道者の書7章26-29節を基に、ソロモンの女性観と人間の理屈について説く。

【聖書箇所】

伝道者の書7:26-29、箴言31:1-3、31:28-31、第二コリント10:4-6

【戒めの言葉】

人間の理屈に頼らず、神の知恵を求めるべき。

【勧めの言葉】

夫婦は互いに一人の伴侶を大切にし、神を恐れる関係を築くべき。

【***詳細***】

今日の箇所は伝道者の書7章26節から29節です。ソロモンは「私は女が死よりも苦々しいことに気がついた。女は罠であり、その心は網、その手はかせである」と述べています。

ソロモンがこのように女性を見たのは、彼自身の経験に基づいています。ソロモンは700人の妻と300人の側女、合計1000人もの女性を持ちました。エジプトやモアブの女性など、様々な国の女性を政策や欲望のために集めました。その結果、神の国を思うよりも偶像礼拝に走る女性たちに囲まれることになったのです。

ソロモンは「神に喜ばれるものは女から逃れるが、罪を犯すものは女に捕らえられる」と言っています。結局、ソロモン自身も罪に捕らえられ、晩年には偶像の宮を建て、子供を生贄に捧げるような邪教の神殿さえイスラエルに建ててしまいました。

ソロモンは知恵を与えられましたが、さらに知恵を求めて人間の悪行や愚かさを学ぼうとしました。しかし、人間は弱く、染まりやすいものです。ソロモンも女性を極めようとして、かえって罪に染まってしまったのです。

私たちは力を異性に費やすべきではありません。箴言31章では、レムエルの母が「あなたの力を女に費やすな」と忠告しています。代わりに、夫婦は互いに一人の伴侶を大切にし、尊重し合うべきです。

エペソ書では、夫は妻を命がけで愛し、妻は夫に従うよう教えています。これが理想的な夫婦像です。一人の夫と一人の妻が互いを支え合い、敬い、守り合うことで、幸せな家庭が築かれるのです。

ソロモンは「神は人を正しいものに作られたが、人は多くの理屈を探し求めた」と述べています。人間は神の言葉に対して理屈をつけ、罪を増やしてしまいました。エデンの園でも、アダムとエバは神の戒めに理屈をつけて罪を犯しました。

私たちは理屈や謀りごとを捕らえて、キリストに従わせるべきです。第二コリント10章に「私たちは様々の理論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべての思いをとりこにしてキリストに従わせ」とあります。

人間を見ることをやめ、異性を見つめることもやめましょう。代わりに、唯一の完全な男であるイエス・キリストに目を向けるのです。キリストを見つめることで、私たちもキリストの姿に少しずつ変えられていくのです。

【結論】

神の言葉に従い、理屈ではなく信仰によって生きる。夫婦は互いに愛し合い、キリストを見つめて歩む。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
人の愚かさに目を留める事の愚かさ(伝道者の書7:21-25):右クリックで保存

【概要】

人の愚かさを見つめるのではなく、神の真実と愛に目を向けることの大切さを説く。

【聖書箇所】

伝道者の書7章21-25節

コリント人への手紙第一13章4-7節

【戒めの言葉】

人の語る言葉にいちいち心を止めてはならない。

【勧めの言葉】

神の真実と愛にのみ目を向け、それを見つめ続けることで、人の愚かさに対する正しい対処が身につく。

【***詳細***】

今日の箇所は、伝道者の書7章21-25節です。

「人の語る言葉にいちいち心を止めてはならない。あなたの下僕があなたを呪うのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度も呪ったことを知っているからだ。私はこれらの一切の知恵によって試み、そして言った。『私は知恵あるものになりたい』と。しかし、それは私の遠く及ばないことだった。今あることは、遠くて非常に深い。誰がそれを見極めることができよう。私は心を転じて、知恵と道理を学び、探り出し、探し求めた。私は、愚かな者の悪行と、狂った者の愚かさを、学び取ろうとした。」

人には何も、人を見つめても、何も良いものは見つかりません。ただ、愚かさと悪行とが目につくばかりです。そして神にこそ目を向けるとき、私たちは平安が与えられ、また清められ、有益なものになっていきます。

人のことをじっと見つめると、人の悪い点ばかり目についてしまうものです。なぜなら、人はすべて不完全であり、罪を負うものだからです。そしてある程度の愚かさがあるからです。人のことをじっと目を凝らして、どこかに間違いがないかと探すとき、まず自分自身がそのように目を凝らして、自分自身が良くないことをしていることにまず気づくべきです。そしてそのようなことをしていると、自分自身がどんどん汚れていってしまいます。

ソロモンは、「私は知恵あるものになりたい」と求めておりました。しかし、それは彼の遠く及ばないことだったと書いております。ソロモンは、人類史上誰よりも知恵あるものとなることはできたのですが、でもそれでも、それは彼の遠く及ばないことだったと言っています。

ソロモンは、良いことも悪いことも、低めて全部、何でもかんでも、知恵を持って見極めようとしました。この世界の知恵。そして、ソロモンは非常に造詣が深かったのです。岩とか鉱物とか、またそれに入る動物の類から、全ての種類の生き物や、また物、それら全てについて知識が深かったのです。またそればかりでなく、正しく裁判をすることにおいても知恵が深かったのですが、同時に人の愚かさもまた、よく知ろうとしたのです。

ここに過ちの原因があります。「愚かな者の悪行と、狂った者の愚かさを学び取ろうとした。」これが、ソロモンが間違いに陥った、そもそもの原因です。愚かな者の悪行をつぶさに見て、じっと見て、調査して、それを分析して、この人はこれこれ、そういう風に見定めようとしたのです。

現在を生きる私たちも、誰か人のことをじっと見つめて、この人の愚かさを学び取ろうとすると、その人自身が愚かになってしまうのです。人間というのは、人間の愚かさ、他人の愚かさ、また罪に対して無防備なのです。何の力もありません。

ソロモンは知恵ある者になりたいと願いました。しかしそれは、彼の遠く及ばないことだったと言っております。それは、人は有限な存在だからです。他人の愚かさを見極めようとしても、見極めようとしたらどうしても嫌な気分が湧いて出てしまう。嫌な感覚になってしまう。

では、知恵を身につけるためにはどうすればよいのでしょうか。人の愚かさに対抗するために、人の愚かさをじっと見て分析することは最も良くない方法です。むしろ私たちが身につけるべきは、人の愚かさではなく、神の真実です。神の真実にのみ目を向けてじっと見つめているならば、人の愚かさに対する対処も自然と身についてくるのです。

偽札捜査官の例を考えてみましょう。彼らは偽札を見極めるために、膨大な量の偽札を調べたりはしません。むしろ本物だけをじっくりと見つめるのです。本物だけをじっくりと、手にとって、手触りを感じ、色を見極め、その細部まで観察します。本物ばかりをじっくりと見つめることで、偽物が来た時にすぐにわかるのです。

私たちも同じです。聖書という本物をじっくりと見つめ、味わい、その一節一節に隠されている思いや感情を読み取ろうとすることが大切です。神様はどんな思いを私たちに込めておられるのか、どんなことを今日私に示しておられるのかを考えながら、じっくりと一節一節を見ていくうちに命が増え、広がっていくのです。そして、本物の感覚を身につけていくのです。

人の愚かさが来た時、それに心を乱されるのではなく、イエス様がどのようなお方であったのかに目を向けるべきです。イエス様は罪人の悪行をしのばれました。罵られても罵り返さず、ただすべて正当に裁いてくださる主にお委ねしました。

コリント人への手紙第一13章4-7節を見てみましょう。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」

これが愛の性質です。私たちがもし知恵あるものになりたいと思うのであれば、ソロモンのように愚かさを身につけようとするのではなく、この愛を求めるべきです。

【結論】

人の愚かさや悪行に目を留めるのではなく、神の真実と完全なる愛に目を向けましょう。そうすることで、私たち自身が汚れから離れ、主の真実に向かって進み、ますます主イエス様の姿へと作り変えられていくのです。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
地上の歩み方と聖徒の歩み方(伝道者の書7:15-20):右クリックで保存

【概要】

知恵の追求と神との歩みについての教え

【聖書箇所】

伝道者の書7:15-20

ガラテヤ人への手紙5:16-17, 24

創世記17:1

【戒めの言葉】

この世の知恵に頼るのではなく、神の知恵を求めましょう。

【勧めの言葉】

神と共に歩み、御霊に導かれて生きる者となりましょう。

【***詳細***】

今日の箇所は伝道者の書7章15節から20節です。ソロモンはこの世の中で様々なことを見てきて、次のような結論に達しました。「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない、愚かすぎてもいけない。」

一見すると、これは賢明な助言に聞こえるかもしれません。しかし、私たちクリスチャンにとって、これは神の望まれる生き方ではありません。

神は、アブラハムに「私はエル・シャダイである。あなたは私の前を歩み、全きものであれ」(創世記17:1)と言われました。また、イエス様も「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全でありなさい」(マタイ5:48)と教えられました。

では、罪ある人間である私たちはどうすれば良いのでしょうか。それは、神と共に歩むことです。エノクもノアも「神と共に歩んだ」と聖書は記しています。神と共に歩む人は、全き者となることができるのです。

ガラテヤ人への手紙5章16-17節には「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです」とあります。

私たちクリスチャンは、御霊によって歩む者です。御霊に導かれて生きる時、私たちは神の知恵を得、神の聖さにあずかることができます。

ソロモンは「正しすぎてはならない、知恵がありすぎてはならない」と言いましたが、これは神の知恵ではなく、この世の知恵です。私たちは逆に、神の知恵を求め、神の御言葉をむさぼるように学ぶべきです。御言葉は私たちを霊的に健やかにし、成長させてくれます。

イエス・キリストこそが真の知恵です。ヨハネの福音書の冒頭で、イエス様は「ロゴス(言葉、理性)」と呼ばれています。このロゴスなるお方が私たちと共に住まわれることこそ、究極の知恵であり、私たちの命そのものなのです。

【結論】

私たちは、この世の中庸を行く知恵ではなく、神の知恵を求めましょう。イエス・キリストと共に歩み、御霊に導かれて生きる時、私たちは真の知恵を得、神の聖さにあずかることができます。永遠を見据えて、神の御前を歩む者となりましょう。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
生まれた日と死ぬ日、どちらが勝るか(伝道者の書7:1-14):右クリックで保存

【概要】

生まれる日より死ぬ日が勝る理由と、知恵ある者の生き方について教える説教。

【聖書箇所】

伝道者の書7:1-14

【戒めの言葉】

愚かな者の笑いや楽しみを追い求めるのではなく、知恵ある者の叱責を聞くべきである。

【勧めの言葉】

日々永遠を念頭に置きながら生き、知恵を求めて歩むべきである。

【***詳細***】

今日の箇所は、伝道者の書7章1-14節です。ここで語られている重要な教えは、「良い名声は良い香油に勝る。死の日は生まれる日に勝る」という言葉に集約されています。

私たちには誰しも死ぬ日が訪れます。人生は長いと思われがちですが、その終わりの時があります。日本人の平均寿命は約80歳ですが、その長い人生の中で何をしたのかが、永遠の未来を決定する上でとても重要です。

イエス・キリストを信じた人は誰でも天国に入れるというのは真実です。しかし、イエス様を信じてからも不品行の道を歩み続けた人と、以前の行いを悔い改めて歩んだ人とでは、その終わりはまったく違います。コリント人への手紙第二や黙示録にも記されているように、私たちは地上で行ったことによって裁かれるのです。

ソロモンは「宿縁の家に行くよりは、喪中の家に行く方が良い。そこにはすべての人の終わりがあり、生きているものがそれを心に留めるようになるからだ」と述べています。死を意識して歩むことの大切さを教えているのです。

また、「知恵ある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのに勝る」とあります。私たちは二通りのタイプに分かれます。知恵ある人の叱責を聞こうとする人と、愚かな者の歌声を聞きに行く人です。皆さんは、どちらの道を選びますか?

しかし、知恵も注意が必要です。「しいたけは知恵ある者を愚かにし、マイナイは心を滅ぼす」とあります。ここでのマイナイは賄賂のことです。知恵を学んでいても、悪しき者がその知恵を取り除こうとすることがあります。また、賄賂によって心が滅ぼされることもあります。

「軽々しく心を苛立たせてはならない。苛立ちは愚かな者の胸にとどまるから」という教えもあります。怒りに駆られることは良くありません。平安であることが知恵ある人の道なのです。

「どうして昔の方が今より良かったのかと言ってはならない。このような問いは知恵によるのではない」という言葉もあります。過去を懐かしむのではなく、今を大切にし、未来をより良いものにしようと努力することが大切です。

パウロは第二テモテ4章で、自身の人生の終わりについて語っています。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているだけです」と述べています。私たちも、パウロのように人生の終わりに自信を持って語れるような歩みをしたいものです。

【結論】

私たちには生まれる日と死ぬ日があります。どちらが勝っているかは、その人の日々の歩みによります。生まれた日よりも死ぬ日の方が勝っていると言えるような人生を送りましょう。信仰の戦いを走り抜き、義の栄冠を受け取れるよう、日々知恵を求めて歩む者となりましょう。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
見えるものの罠(伝道者の書6:8-12):右クリックで保存

【概要】

ソロモンの愚かさを例に、目に見えるものではなく、見えない永遠の価値を求めることの重要性を説く。

【聖書箇所】

伝道者の書6:8-12、箴言1:7、ヘブル11:1、第二コリント4:16-18、マタイ7:24-27

【戒めの言葉】

目に見える一時的なものではなく、見えない永遠のものに価値を置くべきである。

【勧めの言葉】

御言葉を信じて実践し、内なる人を日々新たにしていくべきである。

【***詳細***】

今日、私たちが学ぶ御言葉は、伝道者の書6章8節から12節です。ここでソロモンは驚くべき言葉を語っています。「知恵あるものは愚かなものより何が勝っていよう」と。かつて知恵の王と呼ばれたソロモンが、なぜこのような言葉を発するに至ったのでしょうか。

箴言1章7節には「主を恐れることは知識の初めである」と書かれています。ソロモンは若い頃、この真理を理解し、多くの知恵の言葉を残しました。しかし、彼は後年、愚かさを身につけようとしてしまいました。

伝道者の書2章3節で彼はこう語っています。「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、体は葡萄酒で元気づけようと考えた」。ソロモンは知恵を持ちながらも、一時的な快楽を求めてしまったのです。

私たちもソロモンと同じ過ちを犯す危険性があります。どんなに知恵があっても、それを正しく用いなければ意味がありません。むしろ、御言葉による知恵を学び、それを実践することが重要です。

イエス様はマタイ7章24-27節で、御言葉を聞いて行う人は岩の上に家を建てた賢い人のようであり、聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てた愚かな人のようだと教えられました。私たちは単に知識を得るだけでなく、それを信仰によって実践しなければなりません。

伝道者の書6章9節には「目が見るところは心が憧れるところに勝る」とあります。しかし、私たちクリスチャンは違う視点を持つべきです。ヘブル11章1節にあるように、「信仰は、望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるもの」なのです。

第二コリント4章16-18節で使徒パウロは、「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」と語っています。私たちの外なる人は衰えていきますが、内なる人は日々新たにされるのです。

ソロモンは目に見える華やかさ、愚かさ、葡萄酒、美味しい食事、奴隷、歌い手、多くの妻たちなど、一時的なものに捕らわれてしまいました。しかし、私たちは目に見えない御言葉によって養われるべきです。なぜなら、見えないもののうちに永遠があるからです。

伝道者の書6章10節は、「今あるものは何であるか、すでにその名がつけられ、また彼がどんな人であるかも知られている」と語っています。私たちが見るものすべてに名前が付けられていますが、それらは人間が名付ける遥か前から存在していました。それは見えない創造主である神が造られたからです。

私たちは、この創造主である神を礼拝し、御言葉を大切にしなければなりません。神を差し置いて、目の前にある一時的なものだけを重視することは、何の益ももたらしません。

11節と12節で、ソロモンは人生の虚しさについて語っています。しかし、私たちクリスチャンは、この世の虚しさを超えた永遠の希望を持っています。私たちは御国の言葉を信仰をもって語り、実りある人生を送るべきです。

【結論】

私たちは、ソロモンの過ちから学び、目に見える一時的なものではなく、見えない永遠のものに価値を置くべきです。御言葉を信じ、実践し、内なる人を日々新たにしていきましょう。そうすることで、私たちは真の知恵を得、神の栄光を現す人生を送ることができるのです。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
富と誉れを自分の楽しみに使う人(伝道者の書6:1-7):右クリックで保存

【概要】

永遠の命の重要性と、富や名誉よりも神の言葉に従うことの大切さを説く説教。

【聖書箇所】

伝道者の書 6:1-7

【戒めの言葉】

富や名誉、子孫を得ても、それらを神のために用いなければ虚しい。

【励ましの言葉】

イエス・キリストを信じ、御言葉に従って生きることで、永遠の命を得られる。

【***詳細***】

今日、私たちが恵みをいただく御言葉は、伝道者の書の6章1節から7節です。

「私は日の下でもう一つの悪があるのを見た。それは人の上に重くのしかかっている。神が富と財宝と誉れとを与え、彼の望むもので何一つ欠けたものがない人がいる。しかし神はこの人がそれを楽しむことを許さず、他国人がそれを楽しむようにされる。これはむなしいことで、それは悪い病だ。」(伝道者の書6:1-2)

ソロモンは、富と財宝と誉れを得ても、それを楽しむことができなければ何にもならないと言っています。彼自身、望むものをすべて手に入れましたが、それでもむなしさを感じていました。ソロモンの財宝は外国人の手に渡り、異教の神殿を建てるのに使われてしまいました。

「もし人が百人の子供を持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が幸いで満たされることなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う。死産の子の方が彼よりはましだと。」(伝道者の書6:3)

これは厳しい言葉ですが、真理です。たとえ多くの子孫を持ち、長寿を全うしても、神なき人生は虚しいのです。死産の子のほうがましだと言われるのは、その子が少なくとも罪を犯さなかったからです。

私たちは永遠を生きるものです。永遠に主とともに喜び楽しむか、それとも永遠に炎で焼かれて苦しむかのどちらかなのです。イエス・キリストを信じてこのお方を得た人は永遠の命を得ますが、このイエス・キリストを捨て去って自分の好き勝手に生きる者は、永遠の火の中で焼かれ続けます。

「人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。」(伝道者の書6:7)

これは、パンだけで生きようとする人の虚しさ、愚かさを表しています。イエスは言われました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と。私たちは単に食欲を満たすために生きているのではありません。イエス・キリストによって生きているのです。

悪魔は私たちを誘惑しようとしますが、イエスが示されたように、私たちも御言葉によって対抗することができます。自分の考えや論理ではなく、御言葉の剣を用いることで、悪魔は逃げ去っていくのです。

ソロモンは自分の楽しみのために知恵を用いてしまい、愚かに陥ってしまいました。私たちは御言葉から離れてはなりません。人間の欲望や快楽に対して弱いものであることを知り、しっかりと御言葉にとどまるべきです。

【結論】

私たちは、この世の富や名誉、子孫を得ることよりも、永遠の命を得ることを第一に考えるべきです。そのためには、イエス・キリストを信じ、御言葉に従って生きることが大切です。神の栄光のために与えられたものを用い、永遠の誉れを手に入れる者となりましょう。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
神からの賜物とは(伝道者の書5:12-20):右クリックで保存

【概要】

世の富と神の国の義を対比し、永遠の命の価値を説く。

【聖書箇所】

伝道者の書5:12-20

ヘブル人への手紙4:1-3, 10

【戒めの言葉】

富を追い求めることの虚しさと危険性

【勧めの言葉】

神の国とその義を第一に求めることの重要性

【***詳細***】

ソロモンは多くの富と知恵を手に入れましたが、その人生の終わりは虚しさで満ちていました。伝道者の書5章12節で彼は言います。「働く者は少し食べても多く食べても心地よく眠る。富む者は満腹しても安眠をとどめられる。」

富める者は、その富ゆえに安眠が妨げられるのです。多くの人は富を得ようとして悪に手を染め、大切な人を裏切ることさえします。しかし、その富を得ても安眠が妨げられ、心配事が増えるだけなのです。

13節には「所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。その富は不幸な出来事で失われる。」とあります。人は自分を守るために富を蓄えますが、その富が逆に害を加えることがあるのです。富を多く持てば持つほど、それを守る力も必要になります。時には、その守る力が小さいと、富によって縛られ、滅ぼされてしまうこともあります。

悪いことをして富を得る人は、その富によって滅ぼされる可能性が年々高まっていきます。悪い集団に入り、互いに騙し合って生きていくうちに、多くの敵を作ってしまいます。そして、ある時突然の恐怖や滅びによって滅ぼされてしまうのです。

私たちクリスチャンはどのように生きるべきでしょうか。イエス様は言われました。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って心配するのはやめなさい。むしろあなた方は神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えてこれらのものは全て与えられる。」(マタイ6:31-33)

神の国とその義を第一に求めるならば、世の富のことで心配する必要はありません。主が必要なものを備えてくださるのです。この世で蓄えた富を来世に持っていくことはできません。しかし、私たちクリスチャンは最も大切なものを持っていくことができます。それは永遠の命です。

「人はたとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを損じたら、何の得になろうか。」(マルコ8:36)とイエス様は言われました。永遠の命を得て、それを来世に持っていくことこそが最も大切なのです。

ヘブル人への手紙4章3節には「信じた私たちは安息に入るのです」とあります。信仰によって神の安息に入った者は、自分の業を終えて休むことができます。しかし、信じない人、御言葉を信仰によって結びつけない人は安息に入れません。

私たちは富に気をつけながら向き合うべきです。最も幸いな人は神の国とその義を第一に求める人です。そのような人には、朽ちることのない天の財宝が与えられます。「地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫が食ったり、さびたりして、盗人が穴を開けて盗みます。天に宝を蓄えなさい。そこでは虫が食うことも、さびることもなく、盗人が穴を開けて盗むこともありません。」(マタイ6:19-20)

【結論】

この地上の富や栄華、快楽ではなく、天の富、天の栄光、イエス・キリストの栄光を蓄え積み立てる者となりましょう。人生の終わりに「虚しかった」と言うのではなく、感謝と祝福に満ちた人生を送り、天の財宝を待ち望む喜びの時を迎えられますように。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
金銭を愛する事は災いの根源(伝道者の書5:8-11):右クリックで保存

【概要】

この世の富の虚しさと、神の国の富の尊さについてのメッセージ

【聖書箇所】

伝道者の書5:8-11

出エジプト記3:5-10

ヤコブの手紙5:4-6

1テモテ6:8-10

イザヤ書58:6-11

【戒めの言葉】

金銭を愛することは、あらゆる悪の根です。富を追い求めるあまり、信仰から迷い出てしまう危険性があります。

【勧めの言葉】

神の国とその義を第一に求めるなら、必要なものは与えられます。この世の富ではなく、天に宝を積む生き方をしましょう。

【***詳細***】

ソロモンは、世のあらゆる富を集め、権威のトップに座りました。しかし彼は、貧しい者が虐げられ、権利と正義がかすめられているのを見ました。そして彼は言います。「ある州で貧しい者が虐げられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもう一人の上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。」(伝道者の書5:8)

この世界では、貧しい人々が強いられ、絞り取られ、上に上がることもできずにどうしようもない状況があります。これは昔からあった状況です。しかし、主は見ておられるのです。

出エジプト記3:7-8で神は言われます。「私はエジプトにいる私の民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。私は彼らの痛みを知っている。私が下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいるところに彼らを上らせるためだ。」

主は虐げられている人々の叫びを聞き、彼らの痛みを知っておられます。そして、主は救いをもたらすために来られるのです。

ヤコブの手紙5:4でも同様のことが語られています。「見よ、あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声を上げています。そして、刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。」

主は、虐げられている人々の声に耳を傾けられます。未払いの賃金さえも主に向かって叫んでいるのです。私たちは決して絶望してはなりません。主が生きておられ、主に叫び求めるなら、主が応えてくださるからです。

しかし、富を追い求めることの虚しさについても、ソロモンは語ります。「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた虚しい。財産が増えると、それを食い尽くす者も増える。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。」(伝道者の書5:10-11)

この世の富は、人を不幸に陥れます。たとえ雇用者になったとしても、人は貧しい人たちから搾取するような、そういう罪深い行為に走ってしまいます。それでも人々は富を追い求めます。なぜなら、アダム以来の呪いにより、人は額に汗して食べ物を得なければならないからです。

しかし、私たちキリスト者は、もはやそのアダムの系列の呪いの下にいるものではありません。イエス・キリストによって神の民とされ、神の国とその義とを第一に求めるなら、必要なものがすべて与えられるのです。

パウロは1テモテ6:8-10で警告しています。「衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」

お金を持ちたがる人、金持ちになりたがる人は、多くの誘惑と罠に陥ってしまいます。世の中の多くの人たちは金銀を愛し、より多く持とうとしますが、満足することがありません。そして、キリスト者の中にも、金を追い求めたために信仰から迷い出てしまう人がいるのです。

しかし、神は私たちに別の生き方を示しておられます。イザヤ書58:6-11では、こう語られています。

「わたしの選ぶ断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわをほどき、しいたげられている者を自由にし、すべてのくびきを砕くことではないか。また、飢えた者に、あなたのパンを分け与え、家のない貧しい人を家に入れ、裸の人を見たら、これを覆い、自分の肉親に身を隠さないことではないか。そうすれば、あなたの光が暁のようにさし出て、あなたの傷はすみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光があなたのしんがりとなる。」

神は、持っている者が持っていない者に分け与えることを定めておられます。初代教会では、富んでいる人も貧しい人も、一切不足を覚えている人はいませんでした。なぜなら、持っている人が貧しい人に分け与えていたからです。

【結論】

この世の富は虚しく、それを追い求めることは危険です。しかし、神の国の富は永遠に続くものです。私たちは、この地上では旅人のように、寄留者のように歩み、真の故郷である天に宝を積むべきです。神の言葉に従い、貧しい人を助け、神の国の価値観に基づいて生きる時、私たちは本当の満足と祝福を経験することができるのです。

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