メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ
本日の第1祈祷会メッセージはパスター林が担当させていただきました。
礼拝メッセージ音声:
肥溜めと湧き水(エレミヤ2:1-9) 한국어예배
人々はまことの神を捨てて異国の神バアルに走ったため、神の怒りを買った。
神が怒るのは、新郎が新婦を愛するようにイスラエルを愛しているからであり、ご自身が用意した栄光の富、永遠の命というプレゼントを、受け取って欲しかったからである。
しかし人は神の用意したプレゼントを気に入らず、好き勝手な道を歩んでいった。
まことの神を捨てるのは、尽きる事の無い湧水を捨て、こわれた水溜を自分のために掘るようなものである。
まことの泉はイエスであり、このまことの水を飲む者は決して渇くことは無く、その人の内で泉となり、川々なり、周りを潤すようになっていく。
まことの泉であるイエスを手放さない皆さんでありますように。
礼拝メッセージ音声: ただ主に目を注ぐしかできない祈り(?歴代誌20:1-12) 한국어예배
ヨシャパテ王の時代、ユダ王国に滅亡の危機が迫っていた。アラムが大軍を率いて攻めて来たのだ。
ヨシャパテ王は、まず主がどのようなお方であるかを告白し(6節)、どのような御言葉をもってイスラエルに約束をされたかを思い起こしていただき(7-9)、それとは違う現状を訴え(10,11)、自分達には何もできず主しか頼る者はいない事を訴えた。その結果、主は大いなる救いを差し伸べてくださった。
私達の力ではどうしようも無い時、御言葉を盾に取って祈るなら、主は大いなる力でもって救い出して下さる。
礼拝メッセージ音声: 聖なる神殿に埋め込まれた者として(エレミヤ1:4-10)
引用聖句・要旨は第1礼拝と同じですが、メッセージ内容は違います。
本日の第1祈祷会メッセージはパスター林が担当させていただきました。
礼拝メッセージ音声:
聖なる神殿に埋め込まれた者として(エレミヤ1:4-10) 한국어예배エレミヤは生まれる前から預言者として定められていたが、キリスト者は世界の基の置かれる前から聖く傷の無いものとして、愛をもってあらかじめ定められていた。(エペソ1:3-5)
神様の御技を為すには、老若男女は関係無い。私達の能力によらず、権力によらず、神の霊によって御技を為すことができるのであり、どこに行くべきか、何を語るべきかは、全て主から与えられる。
まことの神殿であり堅い岩であるキリストの内にある私達は、堅固な城壁や鉄の柱のように揺らぐ事は無い。私達は聖なる神の神殿であり、私達への攻撃は神殿への攻撃、私達をいじめる者は神ご自身が扱って下さるのである。
9/29と10/1の祈祷会メッセージは、プライベートな内容が含まれておりますため、音声配信は見合わせていただきました。
ご理解の程、よろしくお願いいたします。
礼拝音声: まむし呼ばわりされた人達
パリサイ人やサドカイ人はバプテスマのヨハネや主からまむし呼ばわりされたのは、悔い改めにふさわしい実を結んでいないから。
悔い改めの実とは実際に行動に現れるものであり、究極には、イエスを主として信じる事である。。。続き
礼拝音声: なくなるパンとなくならないパン
イエス様の周りでは、奇跡や必要の満たしが行われる事はよくあるが、そうした物質的・心理的な必要の満たしは所詮、食べたら無くなるパンに過ぎない。
永遠に無くならないパンとは。。。続き