メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ
弱い人間の決心と、揺るぎない聖霊の力、変わらないキリストの信仰(ルカ22:31-34)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2020-4-8 20:56
受難週 水曜昼礼拝
弱い人間の決心と、揺るぎない聖霊の力、変わらないキリストの信仰(ルカ22:31-34)
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イエス様の苦しみと悲しみ、そして私達が赦された事を覚える聖餐(マタイ26:26-29)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2020-4-8 20:53
早天礼拝
イエス様の苦しみと悲しみ、そして私達が赦された事を覚える聖餐(マタイ26:26-29)
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御言葉に従順する人を、悪しき者のたくらみから徹底して守られる主(マタイ2:13-23)
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- 執筆 :
- pastor 2019-12-26 20:14
御言葉に従順する人を、悪しき者のたくらみから徹底して守られる主(マタイ2:13-23)
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- 執筆 :
- pastor 2019-12-26 20:10
早天礼拝
神と人との永遠の綾織物(マタイ2:9-12)
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マタイ2:9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
乙女マリヤとヨセフをはじめ、クリスマスの主人公たちはすべて、主の言葉への従順を持っていた。
もし彼らに御言葉への従順が無かったら、キリストの誕生は無かった。
博士たちは黄金、乳香、没薬を捧げたが、主への従順、それこそ、何よりの捧げもの、真の礼拝である。羊飼い達は、それを捧げた。
1サムエル記15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
礼拝とは、神と人とのコラボレーションである。人の側は捧げものをし、神の側は御言葉の恵みをくださる。
真の礼拝とは何か。博士たちのように、何か物や金銀を捧げる事も礼拝だが、真の礼拝とは以下に記されている。
ローマ12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な(ロギコス:理に適った)礼拝である。
自分自身のからだ(ソーマ:肉体・魂・霊の全部)を、神に捧げる、という事。
自らの思い、意思、感情、そして体、霊の全部を、主の御言葉に従順する。それが、霊的な(ロギコス:理に適った)礼拝である。
この、神の御言葉への従順によって、自分自身を神の御言葉と織りなす事、その綾織物が、神の王国を建てあげて、神の国の歴史が動かされていく。
神の御言葉と自分を混ぜ合わせない人間歴史は、御前から消されてしまう。マタイ1章の系図は、まさにそうだ。
モーセは言った、
出エジプト記32:32 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。
32:33 主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した(ハター)者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。
罪を犯す(ハター)とは、神の秩序を割る事。神の創造した永遠に変わらぬ秩序を破壊する者は、永遠から除外されてしまう。
人の人生は、一つの巻物のロールのようだ。その人が一瞬一瞬した事が神の前にレコードされ続けていく。
時間に縛られている人間は、過去に戻ってやり直したり、発した言葉や行った行いを「やっぱり今の、無し」と言って、そのレコードを編集したりする事は出来ない。
黙示録20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物(ビブリオン:巻物、書)が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
私達は、手紙であるとパウロは言った。死人は、上書き禁止されたビデオテープのようなもので、その行いの記録は、既に固まってしまって変更不能である。人は、そのしてきたしわざに応じ、また主の基準にしたがって、さばかれる。
しかし、キリストにつながった人、永遠へと綾織りされた人は、いのちの書に名が書き記され、その人は天国に入る事が出来る。
主に捧げる事、それは永遠への仲間入りをする事である。天国は神と人とが共に住み、もはや離れる事は無い。
私達は日毎、主に捧げ、主から恵みがほどこされ、そうして一日一日、主と共に歩む綾織物を織りなす人生を送って行きたい。
博士たちがひれ伏して拝まざるを得なかった赤ちゃんとは(マタイ2:9-12)
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- 執筆 :
- pastor 2019-12-19 20:20