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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

心のおもむくままに歩む虚しい人生と、御霊によって導かれる充実した人生(伝道者の書2:1-11)

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『私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。』(伝道者の書2:1)
 
クリスチャンライフは、喜びに満ちて、充実しているはずなのに、どうしてこんな内容が、聖書の一巻に記されているのだろうか。
 
人は元々、まことの創造主に導かれて、創造主の意図どおりに進むために創られた者である。
だから、創造主抜きに生きるなら、すなわち、私達のいのちを創り、私達の人生に意味を付与して下さった神様から独立し、ただ、自分の心と欲望のおもむくまま、快楽や楽しみを追求して行くなら、「本質を生きていない」という虚しさに必ず覆われ、そのまま人生を終わるとするなら、ソロモンのように「なんとむなしいことか」という、「虚しさ」の実り以外、結ばない。
 
ソロモンは、前半人生は、素晴らしい信仰によって歩み、誰よりも知恵が与えられ、世界一高いIQも与えられた。
しかし、途中から多くの妻をめとり、しかも、多くの偶像礼拝する女性をめとった結果、彼は偶像礼拝もするようになり、女に願われるまま、偶像の神殿もいくつか造った。
その彼が行き着いた先が、これであった。
だから、世の哲学や思想が、知恵を集結して、行き着く先は、大体、この伝道者の書のような内容となり、その内容とは「全てはむなしい」「全ては空」「全ては虚無」なのである。
 
結局、肉欲のおもむくままに邁進する結果、自らを滅ぼし、また、周囲の人にも多大な迷惑をかけることになってしまう。
次に書かれてあるとおりである。
 
『肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。』(ガラテヤ5:19-21)
 
実際、神から離れて、肉の行いに邁進し、偶像礼拝や魔術、好色、酩酊、遊興に興じたソロモンが相続したのは、神の国ではなく、虚しさだった。
ソロモンが、事業や、何か物事をした動機は、以下であった。
 
『私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだは「ぶどう酒(ヤイン:ワイン、うきうきさせるもの)」で「元気づけよう(マーシャク:引っ張りまわす、続ける、運転する)」と考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。』(伝道者の書2:3)
 
みなさんの人生は、ぶどう酒に引きずり回されていないだろうか?
うきうきさせるものに、運転させられていないだろうか?
 
ソロモンは、自らそれに飛び込んでしまった結果、飲まれてしまったのだ。
心がどんなに知恵ふかくても、ぶどう酒や、うきうきさせるものには、勝てず、それに飲まれてしまうのだ。
 
彼は、心のおもむくままに、色々やった。
 
『私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った。私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。
私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。』(伝道者の書2:4-11)
 
結局、神から離れた人が、心のおもむくままにするとするなら、たとえそれが、どんなに知恵深い人がやったとしても、全てはむなしく、益する所は一つもない。
 
ソロモンは、ぶどう酒に引き回され、運転させられる人生を送った結果、むなしくなった。
私達は、自分のおもむくままにではなく、御霊のおもむくままに引き回され、御霊によって運転させられるなら、神様が与えられた、意味ある人生、永遠の価値ある、充実した人生を生きられるのだ。
 
『兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。』(ガラテヤ5:13-17)
 
何かの事業をするにしても、自分の欲のおもむくままに、ではなく、御霊の赴くままに成し、豊かな御霊の実りを実らせ、充実した事業を成し、充実した人生を送る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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主が定められた祝福祈祷(民数記6:24-26)

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今回の箇所は、大祭司が神の民イスラエルを、このように祝福しなさい、という、祝福祈祷文です。
 
キリスト教の礼拝では、両手を上げて祝祷しますが、イスラエルの祭司の祝祷の姿勢は、それとは違います。
 
まずヘブライ語の「ש」(シン)の文字を作り出し、そのようにした状態で、両手の親指・人差し指同士を合わせて、輪をつくり、ヘブライ語の「ס」(サメク)の文字を作り出して、それを空に向けます。
それでこの祝福祈祷文は、「サメク本文」とも呼ばれています。
 
ヘブライ語のシンは「聖である」という意味があり、同時に、「滅ぼす」という意味もあります。
つまり、神様が彼らを聖別し、彼らを蝕もうとするサタンの勢力を打ち滅ぼして下さるように、と、表現します。
 
そして両手を天に向けて「サメク」の語を作って宣布する事によって、神様が彼らを囲い、守って下さるように、と、象徴的に表しています。
 
民数記6:24 「願わくは主があなたを祝福し、/あなたを守られるように。
 
まずサメク本文は、「祝福する(バーラフבָּרַךְ)」という動詞の、PIEL態(能動・強意、断じて**する)で始まります。
主が、断じて、あなたを祝福して下さいますように!
という、強意が込められているのです。
 
「祝福(バーラフ)」の元来の意味は、「ひざをかがめる」、そこから「ひざまずく、あがめる、祝福する、賛美する、誉め称える」の意味となりました。
 
あたかも、親が、膝をついて子供の目線に合わせ、
よく食べなさい、健康になりなさい、と、愛の眼差しで目を向けてくれるかのように、
主がお一人一人を特別扱いし、特別保護対象にして下さいますように、という、素晴らしい願いが込められているかのようです。
 
私達も自分自身の守りのために祈る事は重要ですが、何より、私達自身が、テフィリン(御言葉暗唱)をする事によって、神様の言葉というバリケードを、私達自身に張り巡らす事が、何にも増して、有効です。
なぜなら、せっかく祝福を祈ってもらっても、本人自身が、祝福の囲いから出るような性質、つまり、罪や呪いの言動をする思考パターンがあるとするなら、たとえ祝福を受けても、たちまち祝福がその人から逃げてしまうからです。
祝福は、受けるにふさわしい人にとどまり、受けるにふさわしくない人から逃げていくものです。
 
テフィリンをして、昼も夜も御言葉を口ずさみ、思いと心に御言葉のバリケードを張った状態にしている人は、呪いをみずから招いてしまうような罪の性質が、どんどん消え去って行きます。
キリストとベリヤルは共存できないからです。
 
そして、ここにおける「祝福」の内訳は、「シャーマル」(שָׁמַר)、すなわち、「守られますように」です。
 
シャマールとは、羊飼いが羊を石垣で囲って、その垣の上にさらに棘つきの植物を乗せてバリケードを張る、というのが元々の意味で、そこから、厳重に守る、という意味になりました。
ですからこの宣言は、主が、あのサメクの字のように、囲いを設け、厳重にバリケードを張って、諸々の災いや、あらゆる悪しき勢力から、守って下さいますように、という宣言です。
 
 
民数記6:25 願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、/あなたを恵まれるように。
 
「恵まれるように」のヘブライ語「ハーナンחָנַן」は、元々、目下の存在に、親切にする、身をかがめる、好意を持つ、与える、などの意味があり、そこから「恵む」「憐れむ」「情けをかける」と、よく訳されます。
 
知っていたでしょうか?
私たちは、実は、神様の一方的な「ハーナン(恵み)」によって、生かされている事を。
私たちが生命を維持していく上で必要なもの、例えば空気や水、太陽、食べ物など、これらは全部、神様が一方的に与えて下さった恵みです。
 
そして、私達の「健康」も、神様から与えられている贈り物であるという事を、忘れてはなりません。
もし心臓が突然、正常に活動しなくなったなら、数分も、生きながらえる事はできません。
そうした事を意識せずに生きている人が、残念ながら大部分です。
 
その 私達の生存において、全ての必要が満たされるように、と、サメク本文の二番目の祝福として、「恵まれますように」が示されています。
 
その恩恵を、主が「御顔を照らす」事によって、私達に施してくださいます。
 
詩篇80篇では、『神よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。』という祈りが、3回も繰り返されております。(3,7,19節)
つまり、主が、ご自身の御顔をわたしに照らして下さるならば、神様との破壊された関係は、修復されます、もとの祝福された状態に戻ることができます、主が、ご自身の御顔をわたしに照らして下さるならば、破壊された生活が、建て直され、もとの、祝福の生活に戻ることができます、という祈りです。
主が、御顔を照らして下さるなら、そのような回復が可能である、と確信して祈るのが、詩篇80篇です。
 
ですから、主の御顔の光が向けられ、神様との関係や、生活が、回復されるために、まことの光であり、御言葉であられるイエス・キリストに帰るべきなのです。
 
 
民数記6:26 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように
 
サメク本文・三番目の祝福は、主なる神様が、その御顔を私たちに「向けて(ナーサーנָשָׂא)」、平安(シャロームשָׁלוֹם)を与えられますように、という祝福です。
 
ここで、「向けて」と訳されたヘブライ語・ナーサーは、上げる、運ぶ、持っていく、などの意味があります。
いと高き神が、地に住む、低く卑しい人に向かって、御顔を「上げる」「運ぶ」とは、一体どういう事でしょうか。
それはちょうど、泣いている赤ちゃんを、母親が手で高く上げ、顔の近くへ運んで行き、顔と顔とを合わせ、じっと見つめ、赤ちゃんを安心させるような、様です。
 
平安と訳された「シャローム」というヘブライ語は、よく「平安」「安息」と訳されます。
 
基本的に、人は、安楽である事を求めますが、シャロームの平安は、その「楽」である事よりも、遥かに大きな意味を持っています。
この世の人々は、楽な状態を追求するために、お金を稼ぎ、楽な仕事を好み、楽な状態を目標として、生きます。
 
時には汚い手を使ってでも、「楽」を手に入れようともします。
しかし、そのようにして「楽」を追求する人々は、実は、神様の「シャローム」の平安を見い出す事は難しいのです。
 
サタンは、この世の富や地位、栄誉が由来の「安楽さ」をエサにして、人々を釣りますが、その目的は、人を揺さぶり、破壊し、死に至らしめる事です。
人は、サタンから、どんなに高い地位や栄誉、また富を得たとしても、真の安らぎは、得られません。
どれほどお金や地位を得たとしても、それを得るために犯してきた罪の数々が、彼らを追いかけ、ついには滅びへと導く、という事を、彼らは何となく知っているからです。
 
神様が下さるシャロームの平安は、そうした恐れが一切無い、世の何物にもまさる平安です。
それは、「楽」な状態であるか・ないかを超越した、揺るがない平安なのです。
主が与えて下さるシャロームは、たとえ、肉体的に、あるいは、金銭的に、どんなに苦しい状況であったとしても、心が100%「大丈夫だ」と、安息しているのです。
  
赤ちゃんは、お金や地位、名誉が無い、という理由では、泣きません。
ただ、お母さんやお父さんの顔が見れないと、泣きます。
そして、顔近くへと抱き上げられて、じっと見つめられると、安心して喜びます。
 
赤ちゃんには、そもそも、お金や地位といった、余計な知識は、ありません。
ただ自分を愛し、大切にし、守ってくれて、そして、全ての必要を備えてくれる、お父さんとお母さんこそ、かけがえの無い存在だと、生まれながら知っているからです。
 
また、お父さんやお母さんが、どんなに今の生活や将来や、お金の心配をしたからといって、子供は心配しません。
なぜなら子供は、お父さんやお母さんなら、なんとかしてくれる、と、信じて疑わないからです。
 
だから私達もまた、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な御言葉の乳を慕い求めるべきです。
 
『今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。』(1ペテロ2:2)
 
赤ちゃんのように主の御顔を慕い求め、そしてサタンに対しては、御言葉で完全武装した兵士となるのです。
今日も、神様が御顔を向け、シャロームを与えて下さるために、純粋な御言葉の乳を慕い求め、キリストのことばを心に豊かに住まわせる事に、最善を尽くしましょう。

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

お金の使い所に心が見える(ルカ12:13-34)

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12:13 群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。
12:14 彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。
12:15 それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
 
私達は、お金の運用方法について、非常に関心がある。
一体、どうするのが、ベストなお金の運用方法だろう。
 
せっかく稼ぐだけ、稼いでも、自分の有意義と思える事に使えないまま、死んでしまうなら、稼いだ事がそもそも、無駄な労苦であるし、
また、せっかく稼いで、たとえ自由に使えた、としても、使い先が自分や家族を子孫を悪くして、世を悪くする方向性であったとしたら、ただ有害性をもたらしただけで、まだ稼がないほうが良かった、という事である。
 
その最たる例が、ソロモンである。
 
伝道者の書2:18 わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。
2:19 そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。
2:20 それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望みを失った。
2:21 今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大いに悪い。
2:22 そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。
2:23 そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。
2:24 人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。
2:25 だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。
2:26 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
 
イエス様は言われる。
 
ルカ12:16 そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして
12:18 言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
12:19 そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
12:20 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
12:21 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
 
結局、重要なのは、
生まれてから死ぬまで、得たものを、どれだけ「有意義に使ったか」、である。
主から与えられたものを、「有効に」、活用する事。
 
ロックフェラーの年間件金額の表をみると、彼は本当に、有意義に使った事がわかる。
イエス様が言っておられる。
 
ルカ12:33 自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。
12:34 あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。
 
まさに、ロックフェラーは、それをした。
しかし多くの人は、お金について、明日について心配する。
 
12:29 あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。
12:30 これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。
12:31 ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。
12:32 恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。
 
「神の国(バシレイア・トゥー・テウー)」とは、神の統治領域である。
私達が、何はさておきして、最優先で求めるべきは、職場も、家庭も、自分のデスクも、神の統治が行き渡る事、である。
 
どうやって、神の国に宝を蓄えられるか。
 
ルカ12:33 持ち物を売って、施しをしなさい。
自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。
そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。
12:34 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。
 
結局、私達が残せるものは、愛である。
この世において、妻を、夫を、子供を、愛し、親切したその心は、妻の、夫の、子供の心に、ずっと残り継がれていく。
また、信仰による心によって残したものは、今も健在する。
 
1コリント13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

花婿をとりこにする性質(雅歌4:9-16)

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