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メッセージ - ヨハネによる福音書カテゴリのエントリ

早天礼拝
ひとりの人が死んで多くの国民が死なないほうが得である(ヨハネ11:47-57)
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早天礼拝
主の囲いに属している羊と属していない羊(ヨハネ10:19-42)
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【概要】

イエス・キリストが神の子であることを宣言し、信じる者に永遠の命を与えると教える。

【聖書箇所】

ヨハネによる福音書10章19-42節

詩編82篇

【励ましの言葉】

イエス様の羊に属する者は、誰にも奪われることなく永遠の命を与えられる。

【戒めの言葉】

神の言葉を受け入れ、イエス様を信じる者となるよう促す。

【***詳細***】

今日の箇所はヨハネによる福音書10章19-42節です。この箇所は、イエス様が自らをキリストであると宣言し、信じる者に永遠の命を与えると教えています。

イエス様は前回、自分が良い羊飼いであり、羊のために命を捨てると語られました。この言葉によって、人々の間に分裂が起こりました。ある人々はイエス様を悪霊につかれていると言い、他の人々はイエス様の奇跡を見て信じました。

時が過ぎて、エルサレムで宮清めの祭りの時期になりました。イエス様は宮の中のソロモンの廊を歩いておられました。そこでユダヤ人たちがイエス様を取り囲み、「あなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください」と迫りました。

イエス様は答えられました。「私は話しました。しかしあなたがたは信じないのです。私が父の御名によって行う業が、私について証言しています。しかしあなたがたは信じません。それはあなたがたが私の羊に属していないからです。私の羊は私の声を聞き分けます。」(ヨハネ10:25-27)

そしてイエス様は、信じる者への約束を語られました。「私は彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれも私の手から彼らを奪い去るようなことはありません。私に彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれも父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」(ヨハネ10:28-29)

さらにイエス様は、「私と父とは一つです」と宣言されました。これを聞いたユダヤ人たちは、イエス様を冒涜者として石打ちにしようとしました。

イエス様は彼らに問いかけます。「私は父から出た多くの良いわざをあなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」(ヨハネ10:32)

ユダヤ人たちは答えました。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」(ヨハネ10:33)

これに対してイエス様は詩編82篇を引用されました。「あなたがたの律法に、『わたしは言った。あなたがたは神々である』と書いてあるではありませんか。もし神のことばを受けた人々を神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、父が聖別して世に遣わした者が『わたしは神の子である』と言えば、どうしてあなたがたは、『神を冒涜している』と言うのですか。」(ヨハネ10:34-36)

ここでイエス様は、神の言葉を受けた人々が「神々」と呼ばれることを示し、ご自身が神の子であることを主張されました。さらに、「もし私が父のわざを行っていないのなら、私を信じないでいなさい。しかし、もし行っているなら、たとい私の言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父が私におられ、私が父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」(ヨハネ10:37-38)と述べられました。

イエス様はユダヤ人たちの手を逃れ、ヨルダン川の向こう岸、ヨハネが最初にバプテスマを授けていた場所に行かれました。そこで多くの人々がイエス様のもとに来て、「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことは、みな真実であった」と言い、多くの人々がイエス様を信じました。

【結論】

イエス様は神の子であり、信じる者に永遠の命を与えるお方です。私たちもイエス様の羊として、その声に聞き従い、神の言葉を受け入れる者となりましょう。そうすることで、私たちも神の子として、この世界を御言葉によって治める者となることができるのです。

 

 

 

 

私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
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【概要】

イエス・キリストは羊の門であり、良い牧者として私たちを救いへと導く

【聖書箇所】

ヨハネによる福音書10章1-18節

ヨハネによる福音書12章24-26節

【慰めの言葉】

イエス・キリストは私たちの名を呼び、罪から救い出し、永遠の命へと導いてくださる

【励ましの言葉】

イエス・キリストの声に聞き従い、従うことで、私たちも牧者となり、他の人々を導くことができる

【戒めの言葉】

偽りの教えや、羊の皮を被った狼に惑わされないよう注意する

【勧めの言葉】

自分の命を愛するのではなく、イエス・キリストに従い、永遠の命を得るよう励む

【悔い改めの促しの言葉】

自分の罪深い性質を憎み、イエス・キリストに従う決心をする

【***詳細***】

今日の箇所は、ヨハネによる福音書10章1-18節です。イエス・キリストは、ご自身が「羊の門」であり「良い牧者」であることを宣言されています。

まず、1-2節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」とあります。ここでイエスは、正当な方法で羊の囲いに入る者と、不正な方法で入る者を対比しています。

4-5節では、「彼は自分の羊をみな連れ出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえってその人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」とあります。ここで重要なのは、羊が牧者の声を聞き分けるということです。私たちクリスチャンも、イエス・キリストの声を聞き分け、従うべきです。

7節で、イエスは「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。」と宣言されます。イエスは私たちが救いに入る唯一の門であり、イエスを通してのみ、私たちは救われ、安らかに生きることができるのです。

9-10節では、「わたしは門です。だれでもわたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」とあります。ここでイエスは、ご自身が来られた目的を明確に述べておられます。それは私たちに「いのち」、しかも「豊かないのち」を与えるためです。

11節で、イエスは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と宣言されます。ここでの「いのち」は、ギリシャ語で「プシュケー」であり、魂や心を意味します。イエスは私たちのために、ご自身の思いや願いを捨て、十字架にかかってくださったのです。

14-15節では、「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のために、わたしのいのちを捨てます。」とあります。ここでイエスは、ご自身と羊との関係が、父なる神との関係と同様に親密であることを示しています。

17-18節で、「わたしは自分のいのちを再び得るために、自分のいのちを捨てるのです。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令を父から受けたのです。」とイエスは述べられます。ここでイエスは、ご自身の死と復活が、自らの意志によるものであり、また父なる神の命令によるものであることを明らかにしています。

さらに、ヨハネによる福音書12章24-26節も重要です。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」ここでイエスは、ご自身の死と復活を一粒の麦にたとえ、また私たちにも自己犠牲の精神を求めておられます。

【結論】

イエス・キリストは私たちの良い牧者であり、私たちのためにいのちを捨ててくださいました。私たちは、イエスの声に聞き従い、イエスを通して救いに入り、永遠のいのちを得るべきです。また、イエスに倣って自己を捨て、他者のために生きる決心をしましょう。そうすることで、私たちも良い牧者となり、他の人々をイエスのもとへと導くことができるのです。
 
 
 
10:1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
10:4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
10:5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
10:6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命(ゾエ:永遠のいのち)を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)よい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは(エゴ・エイミー:わたしはある)よい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるのである。
10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ(女・単数形)、ひとりの羊飼(男・単数形)となるであろう。
10:17 父は、わたしが自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命(プシュケー:魂、自分主体の心)を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
 
12:25 自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を愛する者はそれを失い、この世で自分の命(プシュケー:魂、自分主体の心)を憎む者は、それを保って永遠の命(ゾエ:永遠のいのち)に至るであろう。
12:26 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。

イエスを知っているか、知らないか(ヨハネ9:18-41)

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人を霊的に盲目にさせる人間議論と善悪判断(ヨハネ9:8-16)

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ヨハネ9:8 近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。
9:9 ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
9:10 そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。
9:11 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
9:12 人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。
9:13 人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。
9:14 イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
9:15 パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
9:16 そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。
 
ヨハネ5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
 
ヨハネ10:24 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。
10:25 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
10:26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
 
ヨハネ14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
 
創世記3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
 
黙示録3:17 あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
3:18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

 

盲目に生まれついたのは神のわざがあらわれるため(ヨハネ9:1-7)
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ヨハネ9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
9:3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神の「みわざ(エルゴン)」が、彼の上に現れるためである。
9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたの「わざ(エルゴン)」を、昼の間に「しなければ(エルガゾマイ)」ならない。夜が来る。すると、だれも「働け(エルガゾマイ)」なくなる。

ヨハネ6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。

ルカ16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。

ヤコブ2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし「行い(エルゴン)」がなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:17 信仰も、それと同様に、「行い(エルゴン)」を伴わなければ、それだけでは死んだものである。

ヨハネ9:5 わたしは、この「世(コスモス)」にいる間は、「世(コスモス)」の光である」。
9:6 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、

創世記2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

9:7 「シロアム(「つかわされた者:アポステロー」、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。

マルコ3:13 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教に「つかわし:アポステロー」、
3:15 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

ローマ10:14 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。
10:15 「つかわされなくては:アポステロー」、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

世の初めからメシヤであられたイエスと、信じないユダヤ人との、決して交わらない平行線(ヨハネ8:48-59)
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ヨハネ8:48 ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」。
8:49 イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。
8:50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。
8:51 よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。

ヨハネ8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
ヨハネ8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
8:32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

ヨハネ8:52 ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。
8:53 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。

マタイ22:29 イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
22:30 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
22:31 また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。
22:32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。
22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。

8:54 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。
8:55 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。
8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。

創世記15:5 そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫(単数形)はあのようになるでしょう」。
15:6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。

創世記22:15 主の使は再び天からアブラハムを呼んで、
22:16 言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、
22:17 わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫(単数形)をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫(単数形)は敵の門を打ち取り、
22:18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫(単数形)によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
22:19 アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って、共にベエルシバへ行った。そしてアブラハムはベエルシバに住んだ。

ヘブル11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

8:57 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。
8:58 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

エペソ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

ヨハネ8:59 そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

1ペテロ1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
1:9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。
1:10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
1:11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。
1:12 そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。

イエス様の言葉が入っていかない・わからない・受け入れられない人がいるのはなぜか(ヨハネ8:31-47)
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ヨハネ8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
8:32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
8:33 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。
8:34 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
8:35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。
8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。
8:38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。
8:39 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。
8:40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
8:41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。
8:42 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。
8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。
8:44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
8:45 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。
8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
8:47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。

御父が共におられる事を繰り返し証されたイエス様(ヨハネ8:12-30)
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8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
8:13 するとパリサイ人たちがイエスに言った、「あなたは、自分のことをあかししている。あなたのあかしは真実ではない」。
8:14 イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。
8:15 あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。
8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである。
8:17 あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。
8:18 わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」。
8:19 すると、彼らはイエスに言った、「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう」。
8:20 イエスが宮の内で教えていた時、これらの言葉をさいせん箱のそばで語られたのであるが、イエスの時がまだきていなかったので、だれも捕える者がなかった。
8:21 さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。
8:22 そこでユダヤ人たちは言った、「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。
8:23 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。
8:24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。
8:25 そこで彼らはイエスに言った、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼らに言われた、「わたしがどういう者であるかは、初めからあなたがたに言っているではないか。
8:26 あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。
8:27 彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。
8:28 そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。
8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。
8:30 これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。

ヨハネ14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
14:19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
14:21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

イエス様を信じて生ける水をいただく人、信じないで呪われる人(ヨハネ7:31-53)
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7:31 しかし、群衆の中の多くの者が、イエスを信じて言った、「キリストがきても、この人が行ったよりも多くのしるしを行うだろうか」。
7:32 群衆がイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人たちは耳にした。そこで、祭司長たちやパリサイ人たちは、イエスを捕えようとして、下役どもをつかわした。
7:33 イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く。
7:34 あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」。
7:35 そこでユダヤ人たちは互に言った、「わたしたちが見つけることができないというのは、どこへ行こうとしているのだろう。ギリシヤ人の中に離散している人たちのところにでも行って、ギリシヤ人を教えようというのだろうか。
7:36 また、『わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所には来ることができないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう」。
7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
7:40 群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である」と言い、
7:41 ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。
7:42 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。
7:43 こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。
7:44 彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。
7:45 さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。
7:46 下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。
7:47 パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。
7:48 役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。
7:49 律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。
7:50 彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、
7:51 「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。
7:52 彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。
7:53 〔そして、人々はおのおの家に帰って行った。

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