メッセージ - ヨハネによる福音書カテゴリのエントリ
イエス・キリストという門(ヨハネ10:7-16)
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ヨハネ10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
黙示録4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
黙示録3:7 ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
3:8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
3:13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
信じようとしない人達とイエス様について行こうとする人達(ヨハネ6:60-71)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2018-11-8 6:40
早天礼拝
信じようとしない人達とイエス様について行こうとする人達(ヨハネ6:60-71)
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ヨハネ6:60 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。
6:61 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。
6:62 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。
6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
6:64 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。
6:65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
エペソ2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
6:67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
6:69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。
6:70 イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。
6:71 これは、イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。このユダは、十二弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ろうとしていた。
2テモテ2:23 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。
2:24 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、
2:25 反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、
2:26 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。
御言葉であられるイエス様を有り有りと存在させ、溢れさせるためには(ヨハネ6:52-59)
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- 執筆 :
- pastor 2018-10-13 1:33
父なる神が真に人に与えたかったまことのパンと、分からないでつまづく人達(ヨハネ6:28-51)
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- 執筆 :
- pastor 2018-10-6 1:06
なくなる食物のためでなく「わたしはある」なるお方のために(ヨハネ6:16-27)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2018-9-7 6:46
なくなる食物のためでなく「わたしはある」なるお方のために(ヨハネ6:16-27)
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6:16 夕方になったとき、弟子たちは海ベに下り、
6:17 舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。
6:18 その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。
6:19 四、五十丁こぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。
6:20 すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ(エゴ・エイミー=わたしはある)、恐れることはない」。
出エジプト記3:13 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。
3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
ヨハネ6:21 そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。
コロサイ1:13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
1:14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
ヨハネ6:22 その翌日、海の向こう岸に立っていた群衆は、そこに小舟が一そうしかなく、またイエスは弟子たちと一緒に小舟にお乗りにならず、ただ弟子たちだけが船出したのを見た。
6:23 しかし、数そうの小舟がテベリヤからきて、主が感謝されたのちパンを人々に食べさせた場所に近づいた。
6:24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知って、それらの小舟に乗り、イエスをたずねてカペナウムに行った。
6:25 そして、海の向こう岸でイエスに出会ったので言った、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」。
6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
1:17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
1:18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。
1:19 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、
1:20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。
ヨハネ6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
6:67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
6:69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。
イエス・キリストをあかしする4つのもの(ヨハネ5:30-47)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
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- pastor 2018-6-27 18:49
イエス・キリストをあかしする4つのもの(ヨハネ5:30-47)
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5:30 わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。
5:31 もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。
5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。
イエス・キリストを証するものが4つ出てくる。
5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。
まず一つ目はヨハネ、すなわち、人間である。
私達もヨハネのように、イエス・キリストをあかしするのである。
5:34 わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
イエス様は人のあかしを本来受ける必要は無い。
しかし「あなた方が救われるため」に、イエス様は敢えてこの事を示された。
5:35 ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
ヨハネはイエス・キリストを証言した。それはあたかも燃えて輝くあかりであったが、人々は肝心のヨハネが証言したお方をまことの光として認めなかった。
イエス・キリストの証人、すなわち、私達にとっての成功とは、自分が有名になったり栄誉を受ける事ではなく、イエス様が栄光をお受けになる事である。
そして、イエス様は人のあかしよりもさらに優れたあかしをするものがある。
5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
イエス様をあかしす第二のもの、それは、わざである。
それは、イエス様を信じた人の手を通して行われたわざ、あるいは、一切人手によらず、ただ、主が為したとしか言えないようなわざによって、イエス様を信じる人もある。
次のように書いてある。
15:24 もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。
15:25 それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
イエス様をあかしする第三のお方は、父なる神様ご自身である。
5:37 また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
5:38 また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
イエス様をあかしする第四のものは、聖書全体である。
ルカ24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
以上、4つのチャンネルを通して、イエス様があかしされる。
しかし、これらを通して語られても、それでも信じない人達がいる。
5:40 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
5:41 わたしは人からの誉を受けることはしない。
5:42 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
5:43 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
5:44 互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。
4つのチャンネルを通してもイエス様を信じない人達は、互いの栄誉ばかりを求めており、イエス様の言葉が留まっていない事が原因だと、イエス様は指摘する。
5:45 わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
5:46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
5:47 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
モーセもイエス様を証している。
モーセと預言者は「聖書」に含まれており、全て聖書は、イエス様を証するからだ。
15:18 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
15:19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
15:20 わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
15:21 彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。
15:22 もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。
神の子に与えられている特権(ヨハネ5:19-29)
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ヨハネ5:19 さて、イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
5:20 なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。
5:21 すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。
5:22 父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。
5:23 それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。
5:24 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
5:26 それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。
5:27 そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
黙示録20:11 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
セメイオンとテラス - しるしと奇跡(ヨハネ4:43-54)
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- pastor 2018-4-24 7:28
セメイオンとテラス - しるしと奇跡(ヨハネ4:43-54)
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4:43 ふつかの後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた。
4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言われたのである。
イエス様は自分の故郷に行かれた時、実際、イエス様はあまりわざを行わなかった。
それは、故郷では、イエス様をあまりに一緒に育った同僚とか、子供時代も見ていた若造とか、そのように「見知った人間」として見て、神の子として信じる事ができない人達ばかりだったからである。
「信仰」これこそ、イエス様が働かれるきっかけをこの世に導入する力である。
4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。
4:47 この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。
この、病気をしている息子を持つ王室の役人は、イエス様がガリラヤに来られた事を聞いた時、すぐにイエス様の元に行った。
息子が死にそうな状態である。父親としては、できるだけ息子の近くにいて自分で何とかしたいであろうが、それよりも、イエス様のほうがなんとかして下さるだろう、と信じて、2日はかかるような道のりを押してまで、イエス様を探しにカペナウムまで来たのである。
この父親には、それだけの信仰があったのだ。
「あなた方は、しるし(セメイオン)と奇跡(テラス)とを見ない限り、決して信じない」(ヨハネ4:48)
不思議な出来事は単に不思議として意味付けがされないが、しるし(セメイオン)は、神に関する”意味”が付与される。
カナの婚礼では、水という”無意味”が、ぶどう酒になるという、イエス様が必要を満たし、栄光を受けられるという意味がもたらされた。
長血の女は、無味な12年の日々に対し、イエス様を信じる信仰によって癒された、という意味が付与された。
見えない人が、見えるようになるのも、イエス様こ神の御子である事を彼らが意味の付与をせず、イエス様が栄光をお受けにならないとしたら、全く意味がない、単なる奇跡でしかない。
しかし人は、信仰によって成長する事が出来る。
『信仰によって、モーセは、成人(メガス)した時、パロの娘の子と言われることを拒み』(ヘブル11:24)
ここで「成人」と訳されたギリシア語メガスは「大きい、巨大な」の意味があり、そして数字の百万の意味もある。だからここは、「信仰によってモーセは100万倍に成長した時・・・」とも訳せる。
モーセは、信仰があったからこそ、100万倍まで成長した。イエス様は、ツロ・フェニキヤの女の信仰を「メガス」の信仰だと褒められた。(マルコ15:28)
しかしモーセが導いた出エジプトした民は、信仰が無く、また主が為されたしるしに対し、信じて神を栄光化する”意味付与”をしなかったため、40年もの間、幾つもの奇跡を見て、体験し、食べて、飲んで来たにもかかわらず、それらは無駄となり、荒野で屍を晒して行ってしまった。
そして、奇跡(テラス)は、人にはどうにも説明がつかない出来事である。
最近、メガやテラというギリシア語数字単位をよく耳にするが、いずれも聖書に登場するギリシア語で、メガス(百万)は人間が数えられるぎりぎりの数字であるが、テラス(一兆)は一生をかけても数え切れない、という事で、どうにも説明がつかない異常な、途方もない、驚異の出来事を意味する。
人の信仰は、成長するが、限界がある。その限界がメガスであり、それ以上のテラスは、神の領域、神のみが可能な奇跡である。
なお、テラスは4福音書には合計3回しか出てこないが、使徒行伝に9回登場する。
それは、信じた人は、イエス様のわざを行うのみならず、さらに大きなわざをも行う、とイエス様が言われた通りである。(ヨハネ14:12)
4:49 この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。
この役人は、既に信仰はあった。
そして、信仰をもってイエス様に「求め続けた」ゆえに、彼のメガス(百万)は、テラス(一兆)へと変わり、彼の信仰が、奇跡を引き出した。
4:50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。
なんと、この役人の信仰が、すでにその瞬間、息子から病を追い出したのだ。
それでイエス様は、あなたと一緒に行くまでもないですよ、帰りなさい、と言われた。
そして彼は信じて、帰って行ったが、はたしてその通りだった。
4:51 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。
4:52 そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。
4:53 それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。
4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。
しるしが起きるのは、主が栄光をお受けになられるためである。それでこそ、しるしには意味が付与される。
しかし、信仰に結び付けない者はたんに「驚いた」だけで終わり、意味が無い。
ある者は、しるしを見て、逆にイエス様に殺意を燃やす者となる。
マルコ16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
私達は信じる者に与えられるしるしを携え行き、イエス様の栄光を伝える者でありたい。
あの方は盛んになり、わたしは衰えなくてはならない(ヨハネ3:22-36)
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- 執筆 :
- pastor 2018-2-1 6:53
あの方は盛んになり、わたしは衰えなくてはならない(ヨハネ3:22-36)
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ヨハネ3:25 ところが、ヨハネの弟子たちとひとりのユダヤ人との間に、きよめのことで争論が起った。
3:26 そこで彼らはヨハネのところにきて言った、「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところへ出かけています」。
ヨハネは何のためにバプテスマを授けていたか。それは、あの方すなわちキリストへと人々を導くためである。
キリストよりも自分を栄光化するために、「自分はキリストへと導く偉大な者だ」と大々的にアピールする過ちに陥る人がいるが、それは間違いである。キリストこそ、栄光を受け取るべきであり、私は彼を前にするなら低くならなくてはならない。
2コリント3:5 もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。
3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
3:7 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、
3:8 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。
ヨハネ3:27 ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。
3:28 『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である。
人がいま持っている能力、地位、性格、経済などは、全て、天から与えられたものである。
自分で努力して稼いだ、と思っていても、その健全な手足や知能、育てられた養育環境、影響を受けた人々、全て配置して下さったのは、神である。
だから何事かをした、と思って誇る事は出来ない。
バプテスマのヨハネは、生まれながら、いや、その父母が産まれるずっと前の、マラキの時代から既にその役割が天から与えられている。(マラキ4:5-6)
そしてヨハネの役割は、人を、キリストへと導く事である。
3:29 花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。
ヨハネは自分を、花婿の友人の立ち位置になぞらえた。
花婿とはキリストである。
では、花嫁とは誰か?
キリストを信じた者達、すなわち、私達教会である。
だからヨハネは、キリストと、キリスト者達を見て、言った。
ヨハネ3:30 彼は必ず栄え、わたしは衰える。
私達キリスト者は、花嫁としてキリストに愛され、大切にされ、ますます清められている。
エペソ5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
そして、キリストへと導いたバプテスマのヨハネよりも、偉大な者である。
ルカ7:28 あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
既にさばかれている者 - 光が来ているのになお闇を愛する者(ヨハネ3:13-21)
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- 執筆 :
- pastor 2018-1-12 23:50