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聖所に入る時、私達は真理をさとり、あらゆるしがらみから解放される(詩篇73篇)
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- pastor 2020-8-26 8:28
詩篇 講解説教
聖所に入る時、私達は真理をさとり、あらゆるしがらみから解放される(詩篇73篇)
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詩篇第三巻に入った。
詩篇の構造は、モーセ五書(トーラー)と同じく、五巻から成り立っていて、詩篇第三巻は、聖所と礼拝がテーマで、それはトーラー第三巻の、レビ記に相当する。
詩篇は生活密着型トーラー、リビングトーラーである、と、コーエン大学総長のポールガン博士は言ったが、聖所と礼拝を重んじるなら、あるいは、軽んじるなら、そ人はどうなるか、この73篇で早速示されている。
詩篇73篇表題『第三巻 アサフの歌』
アサフは、ダビデが編成した聖歌隊において、シンバルを鳴り響かせる楽長である。
ダビデが契約の箱をエルサレムに運び入れた日、この聖歌隊が編成され、彼は楽長としてダビデに任命された。(1歴代誌16章)
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
全くそのとおりである。
神は神の民に、心のきよい人達に対し良くしてくださり、恵み深い。
イエス様も、心の清い人は幸いである、彼らは神を見る、と言われた(マタイ5:8)。
ところが、聖歌隊の指揮者で、教会の賛美リーダーのようなポジションであるアサフが、真逆な事を、言い出してしまう。
73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
賛美リーダーや、教会の重要なポジションの人が、つまづくばかりの人生、足がすべるばかりになってしまう、とすれば、その理由が、3節につづられている。
73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
聖所から目を離し、礼拝から遠ざかって、世の悪しき者の栄えるのをじっと見つめ、悪どい者が高くなっているのを、ねたむ、とするなら、どんなにアサフのような素晴らしい賛美リーダーであっても、また教会指導者であっても、つまづくばかりの人生、すべるばかりの人生になってしまうのだ。
すなわち、1節に記されている真実から離れ、2-3節をしてしまうと、4-16節に記されている、苦々しい、みじめな思いを味わい続けてしまう事になる。
以降、4-12節に、世で栄えている悪者の有様が列挙されている。
73:4 彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
73:5 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
73:6 それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。
73:7 彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
73:8 彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。
73:9 彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。
高慢な者、神に逆らう者の特徴は、以下である。
73:10(新共同訳) (民がここに戻っても/水を見つけることはできないであろう。)
73:11(新共同訳) そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
73:12(新共同訳) 見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
(口語訳の10節は、あまりに原文から離れた訳し方をしている、と感じたので、新共同訳を引用。)
「神よりも自分を高く」。これがサタンの本性であり、サタンの、人をそのように仕向けようとする本質である。
そして、悪を為す人が栄えるのを大々的に見せて、神に喜ばれる生き方を損であるかのように思わせるのである。
その価値観で世を見てしまったアサフは、13-16節にて、その虚しさを吐露している。
73:13 まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。
73:14 わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲らしめをうけた。
73:15 もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。
73:16 しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。
彼は13節で、心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗う事をむなしいかのように言ったが、1節こそ真実である。
「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。」。
しかし、世の悪が栄えている事に目を向け、世は不条理だ、と自分の中で結論づけてしまうと、その人は、朝ごとに懲らしめを受け、心の苦痛から抜け出せない。
この、終わりのない堂々巡りから脱出するコツが、17節である。
詩篇73篇の転機は、17節である。
73:17 わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。
アサフが、聖所に入った時。
その時、その者達の最後を彼は悟り得て、解決へと導かれる。
思い出してほしい。
詩篇73篇からはじまる第三巻は、聖所と礼拝がテーマであり、レビ記に相当する箇所であった事を。
レビ記は、私達には関係が遠い書のように感じるかもしれないが、詩篇はまさに、現代を生きる私達の思い、心、現状と実に密接する、生活密着型トーラーなのだ。
レビ1:1 主はモーセを呼び、会見の幕屋からこれに告げて言われた、
主から呼ばれ、主の聖所に導かれ、主の聖所から語られる言葉に聞く。
この原点に立ち返る時、「きよい者は神を見る」と書かれてあるとおり、神の視点で、物事の真理を悟る事ができる。
その時、目の覆いが取り除かれる。
それまで、悪人の悪行によって覆い隠され、くらまされてしまっていた真理が、見えて来る。
そして、真理を知る時、私達は自由になる。
18節以降、悪どい者が行き着く先を、彼は真理の目で見て、悟った内容を、列挙する。
73:18 まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。
73:19 なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。
73:20 あなたが目をさまして/彼らの影をかろしめられるとき、彼らは夢みた人の目をさました時のようである。
これは、弱い者の願望ではなく、真実である、という事は、歴史が証明している。
悪と嘘に長けた卑怯な者が、ずっと成功し続け強くなり続けて永らえた歴史は、無い。もしそうだったら、とっくに今、全世界は強大な悪に支配されているはずだ。
そうなっていないのは、義なる神が、そうならないように歴史を支配しておられる故だ。
結局、神なしで好き放題出来る、などという思いは、一時の夢である。
目を覚ました時、またたくまの滅びが一気に襲う。
彼は告白する。
73:21 わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、
73:22 わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。
73:23 けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。
73:24 あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
目を神からそむけ、けもののような人間を妬むなら、心が痛み、苦しみ、けもののようにもだえ吠えるしかない。
私達は、そのようないらぬ痛みに苦しみ悶え、けもののようになっていないだろうか。しかし、主は、ずっと手を取って導いて下さった。
主はさとしつつ導かれる。弱い私達を。
後に、栄光にあずからせて下さるために!
なんと恵み深い神であろうか。
そして彼は、結論づける。
73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。
73:26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
73:27 見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。
73:28 しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。
彼は聖所に戻ってきた。
すると彼は、真理を知り、全ての世のしがらみや不条理から解放され、心底、主をほめたたえるに至った。
私達は、イエス様を信じ、いつもイエス様を見続けているなら、私達こそが神殿、聖所である。
いつも主を見続けて、自分自身を、いつも聖所として保ち、あらゆる世の不条理から自由な皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
詩篇 講解説教
キリストにある王族の祭司たちへの、祝福を求める祈り(詩篇72篇)
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・詩篇72篇は、全5巻ある詩篇の、第2巻の最後の詩篇である。
・それで18-19節は第2巻をしめくくるにふさわしい祝祷で終わり、そして最後の20節は「エッサイの子ダビデの祈は終った。」という言葉で締めくくられる。
詩篇72篇表題『ソロモンの歌』
・この表題は、ヘブライ語では「リ・シロモーホ」、「ソロモンのために」「ソロモンについて」「ソロモンによる」のいずれとも訳す事が出来る。なおKJVでは、「for Solomon 」である。
・この詩篇は、ソロモンの父・ダビデが、息子ソロモンがこのような王であってほしい、という祈りを込めた詩であると考えられる。それと同時に、私達キリスト者が、このような王族の祭司、聖なる国民、神の所有とされた者として歩むように、という、私達自身が祈る模範的な祈りともなる。
72:1 神よ、あなたの公平を王に与え、あなたの義を王の子に与えてください。
・「あなたの」とは当然、神であられる主のことであり、私達が祈るべきは、まず主の公平と主の義が私達に与えられ、それをもって、この世を支配できるように、という事である。私達が王になるとしたら、自分判断の公平や義によって支配するのではなく、神の義、主の公平によって、である。
72:2 彼は義をもってあなたの民をさばき、公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。
72:3 もろもろの山と丘とは義によって/民に平和を与えるように。
72:4 彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、乏しい者に救を与え、しえたげる者を打ち砕くように。
・この詩篇の祈りを、自分のための祈りにするとするなら、「彼」と書かれてあるところに、自分の名前を代入し、あるいは、自分の子やとりなしたい相手のために祈るとするなら、その人の名を代入して祈るのだ。
72:5 彼は日と月とのあらんかぎり、世々生きながらえるように。
72:6 彼は刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、地を潤す夕立のごとく臨むように。
72:7 彼の世に義は栄え、平和は月のなくなるまで豊かであるように。
・太陽、月、星は、しるしのため、季節のため、日のため、年のために創られた(創世記1:14)。それがなくなるまで、とは、この世界の秩序がもはや必要なくなるまで、すなわち、神が創造される新天新地に至るまでである。
・その時至るまで、神が立てた王、すなわち、私達・神の民による、恵みの雨のような憐れみに満ちた支配が、ずっと及びますように、という祈りである。
72:8 彼は海から海まで治め、川から地のはてまで治めるように。
72:9 彼のあだは彼の前にかがみ、彼の敵はちりをなめるように。
72:10 タルシシおよび島々の王たちはみつぎを納め、シバとセバの王たちは贈り物を携えて来るように。
・タルシュシュはスペインの南西タルテスースで、港と船で有名。島々とは地中海の島々。シバはアラビヤの南東の富んだ国、セバはエチオピヤの首都と考えられる。
・彼ら・神の民の王による支配が、東西南北全地まで及ぶように、という祈りである。
72:11 もろもろの王は彼の前にひれ伏し、もろもろの国民は彼に仕えるように。
・「もろもろの王は彼の前にひれ伏し、もろもろの国民は彼に仕える」ためには、12-14節の条件が必要である。
72:12 彼は乏しい者をその呼ばわる時に救い、貧しい者と、助けなき者とを救う。
72:13 彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ、乏しい者のいのちを救い、
72:14 彼らのいのちを、しえたげと暴力とからあがなう。彼らの血は彼の目に尊い。
・以上のように、貧しい者、乏しい助けなき者を助ける人は、以下の祝福を得る条件が整う。
72:15 彼は生きながらえ、シバの黄金が彼にささげられ、彼のために絶えず祈がささげられ、ひねもす彼のために祝福が求められるように。
72:16 国のうちには穀物が豊かにみのり、その実はレバノンのように山々の頂に波打ち、人々は野の草のごとく町々に栄えるように。
72:17 彼の名はとこしえに続き、その名声は日のあらん限り、絶えることのないように。人々は彼によって祝福を得、もろもろの国民は彼をさいわいなる者と/となえるように。
・これはイザヤ58章の、主が喜ばれる断食と同じである。そのようにする人には、必ず主がかえりみてくださる。
・ソロモンの前半人生は、ダビデが祈った通り、憐れみの支配をし、まことに広大な土地を支配し、セバの女王をはじめ、国々が贈り物を携え来て、黄金をふんだんに集め、地の産物もふんだんに祝福されたが、安逸を貪って傲慢になり、後半人生は主から離れた故に祝福が離れ、人々から重税を取り立て、貧しい人々を苦しめる者となり、晩年は、伝道者の書に記されている通り、全てが虚しい人生となってしまった。
・私達はキリストにある王族の祭司として、神の言葉どおりを生き、貧しい人を顧み、この詩篇に記されている祝福を生涯、勝ち取り続ける人生でありたい。
自分は主にあっていかなる立場であるかという宣言に基づいた祈り(詩篇71篇)
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- pastor 2020-8-5 8:13
詩篇 講解説教
自分は主にあっていかなる立場であるかという宣言に基づいた祈り(詩篇71篇)
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・珍しく、この詩篇に表題は無い。なお、70人訳は「ダビデによる.ヨナダブの子らと最初に捕囚になった者たちによって歌われた詩篇」という意味の表題が付けられている。
71:1 主よ、わたしはあなたに寄り頼む。とこしえにわたしをはずかしめないでください。
71:2 あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください。あなたの耳を傾けて、わたしをお救いください。
71:3 わたしのためにのがれの岩となり、わたしを救う堅固な城となってください。あなたはわが岩、わが城だからです。
・作者は、自分は、主に寄り頼む者である、と、まず宣言した。主が自分にとって、のがれの岩、わが城である、と。
・そして彼は、主に「あなたの義をもってわたしを助け」救い出して下さい、と祈り求めた。世の者が横暴さや卑劣さをもって自分の意を成し遂げようとする時、主の義が、神の民にとって救いとなる。
・神が支配し、同時に悪魔も働いているこの世において、自分は主にあって何者であるか、どの立場を取るのか表明するなら、主の義が、働いて下さる。
71:4 わが神よ、悪しき者の手からわたしを救い、不義、残忍な人の支配から、わたしを救い出してください。
・彼は4節で、特に悪しき者からの救いを願い、そして5-8節では、彼自身と、主との関係を、宣言している。
71:5 主なる神よ、あなたはわたしの若い時からの/わたしの望み、わたしの頼みです。
71:6 わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。あなたはわたしを母の胎から取り出されたかたです。わたしは常にあなたをほめたたえます。
71:7 わたしは多くの人に/怪しまれるような者となりました。しかしあなたはわたしの堅固な避け所です。
71:8 わたしの口はひねもす、あなたをたたえるさんびと、頌栄とをもって満たされています。
・彼は、若い時から主との交わりの中で生きて来て、彼の口にはいつも賛美があった。
・それで多くの人々は、彼の周りであまりに主が働かれるので、多くの人に驚き怪しまれるような者となった。私達も、いつも主を賛美し、主との交わりの中で生きるなら、多くの人々にとって奇跡と思われるようになる。
71:9 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。
・歳をとって衰えるような事があっても、主に求めるなら、主が働き、悪い者の手から助けて下さる。
・10-14節において、彼は、彼にあだする者、損なおうとする者が、災いに遭う事を、主に求めている。なぜなら、主の民を噛みつき、損なおうとする者にとっての祝福とは、彼らののぞみ通りになる事ではなく、むしろ、その悪のわざが失敗し、痛い目にあって、もはや悪のわざを止め、主の栄光をほめたたえるようになる事だからだ。
71:15 わたしの口はひねもすあなたの義と、あなたの救とを語るでしょう。わたしはその数を知らないからです。
71:16 わたしは主なる神の大能のみわざを携えゆき、ただあなたの義のみを、ほめたたえるでしょう。
・彼は17-20節において、神が今までどのようにして来て下さったか、その体験から、15-16節において主はいかなるお方であるのかを宣言している。
71:17 神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。
71:18 神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。
・まさにイザヤ書に書いてある通りである。
イザヤ46:3 「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。
46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。
・そう、主は主の民を、背中に負って運んで来られたのだ。
・以降、彼はこれから、その主に対して、どのようにして行くのかという表明をして、詩篇を閉じる。
71:19 神よ、あなたの大能と義とは高い天にまで及ぶ。あなたは大いなる事をなされました。神よ、だれかあなたに等しい者があるでしょうか。
71:20 あなたはわたしを多くの重い悩みに/あわされましたが、再びわたしを生かし、地の深い所から引きあげられるでしょう。
71:21 あなたはわたしの誉を増し、再びわたしを慰められるでしょう。
71:22 わが神よ、わたしはまた立琴をもって/あなたと、あなたのまこととをほめたたえます。イスラエルの聖者よ、わたしは琴をもってあなたをほめ歌います。
71:23 わたしがあなたにむかってほめ歌うとき、わがくちびるは喜び呼ばわり、あなたがあがなわれたわが魂もまた/喜び呼ばわるでしょう。
71:24 わたしの舌もまたひねもす/あなたの義を語るでしょう。わたしをそこなわんとした者が/恥じあわてたからです。
詩篇 講解説教
幸いを得る主の民と、災いが降る神を蔑む者(詩篇70篇)
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詩篇70篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの記念の歌』
・「記念の歌」と訳された語レ・ハズキール(原型ザカール)は、「覚える」事の意味。
・1歴代誌16:4には、ダビデがエルサレムに契約の箱を運び入れた時、主を「覚えて(レ・ハズキール)」聖歌隊を初めて編成した記述があり、以降、詩篇をもって、主の前にいつも賛美が捧げられるようになった。
・ダビデは1節で、主に対し、すみやかな救いを求めて、最後の5節で繰り返している。それにサンドイッチされた”中身”は、2-3節と4節で分けられる。
・この詩篇70篇は、ダビデ一人のものではなく、全て、主を助けとし、救い主とする人達(5節)のものである。
・2-3節において、ダビデは、彼に良くない事をする者どもが、**となるように、という祈りを3つしている。すなわち、
1,彼ののいのちをたずね求める者どもが、恥じ慌てるように。
2,彼の損なわれる事を願う者どもが、うしろに退かせ、恥を負わせられるように。
3,彼に向かって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもが、自分の恥によって恐れおののかせられるように。
・これは、ダビデに嫌な思いをさせる者に災いが降るように、といった、単純な負け犬の遠吠えのようなものと考えてはならない。
・イエス様は、敵の祝福のために祈るように、と言われたが、例えば、神を蔑む者にとっての祝福は、神への蔑みが成功する事だと思っているであろうが、彼にとっての真の祝福は、永遠の滅びに至らないために、神への蔑みや、呪いをもたらすわざを、止める事である。
・神の民ののいのちをたずね求める者どもが、恥じ慌てる事、また、神の民の損なわれる事を願う者どもが退かせられ、恥を負わせられる事、また、神の民に向かって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもが、自分の恥によって恐れおののかせられる事が、実は、彼らにとって、祝福なのだ。それによって、彼らが永遠の滅びに通じる性質を止めるようになるからであり、それによって、主が蔑まれる事がなくなるからだ。
・だから私達も、神が侮られないために、神の民に敵対する者に対し、積極的にダビデのような祈りをするべきなのだ。
・4節では、主の民の祝福を2つ祈っている。すなわち、
1,すべてあなたを尋ね求める者は、主によって喜び楽しむように。
2,あなたの救を愛する者は、常に「神は大いなるかな」ととなえるように。
・主の民が祝福され、高められていく事、そして、主を蔑む者達が災いに遭う事は、すなわち、父なる神が、栄光をお受けになる事である。次のように書いてある。
イザヤ65:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。
65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。
65:15 あなたがたの残す名は/わが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。
65:16 それゆえ、地にあって/おのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。
・最後にダビデは、自分が主に属する者であると告白し、1節の祈りを繰り返している。
詩篇70:5 しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。神よ、急いでわたしに来てください。あなたはわが助け、わが救主です。主よ、ためらわないでください。
・主は言われた。心の貧しい者(原文:霊においてこじきである者)はさいわいである、天の王国は、その人のものだから、と。なぜなら彼らは、自分の力ではなく、ただ主により頼んでいるからである。ダビデは、自分が貧しく乏しい、だから主よ、あなたが必要です、と告白した。主は、そのような人にこそ、助けを送ってくださる。
・ダビデは、主に、急いで来てください、と祈った。これは全て聖徒たちの祈りである。
黙示録22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
・・・
22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
詩篇 講解説教
不当な者から理不尽なそしりを受けた時の対処法(詩篇69篇)
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詩篇69篇表題『聖歌隊の指揮者によってゆりの花のしらべにあわせてうたわせたダビデの歌』
・詩篇69篇は、ダビデが彼の信仰と主への忠実さゆえに人から苦しみや迫害を受けた事を主に訴えたものであるが、これはイエス様が通られた道であり、私達信仰者も必ず通る道である。
・だからこの詩は、新約において何度か引用されており、それも特に、イエス様の十字架の場面でよく引用されている。
・まずはダビデの窮状の訴えから始まる。
69:1 神よ、わたしをお救いください。大水が流れ来て、わたしの首にまで達しました。
69:2 わたしは足がかりもない深い泥の中に沈みました。わたしは深い水に陥り、大水がわたしの上を流れ過ぎました。
69:3 わたしは叫びによって疲れ、わたしののどはかわき、わたしの目は神を待ちわびて衰えました。
69:4 ゆえなく、わたしを憎む者は/わたしの頭の毛よりも多く、偽ってわたしの敵となり、わたしを滅ぼそうとする者は強いのです。わたしは盗まなかった物をも/償わなければならないのですか。
・4節はヨハネ15:25でイエス様が引用している。キリスト者も、そして私達の主イエス様も、神の敵から、ゆえなく憎まれる事は定まっている。
・ダビデは、何も悪い事はしておらず、ただ、神に仕えている、というだけで、そしりを受けている。そんなダビデによる、信仰者のためにとりなす、とりなしの祈りである。
・その内容は、人々が、迫害されているダビデを見て、ああ、自分も神に仕えるなら、ダビデのようになってしまうのか、と恐れて、彼らが信仰から離れてしまわないように、という祈りである。
69:5 神よ、あなたはわたしの愚かなことを/知っておられます。わたしのもろもろのとがは/あなたに隠れることはありません。
69:6 万軍の神、主よ、あなたを待ち望む者が/わたしの事によって、はずかしめられることのないようにしてください。イスラエルの神よ、あなたを求める者が/わたしの事によって、恥を負わせられることのないようにしてください。
69:7 わたしはあなたのためにそしりを負い、恥がわたしの顔をおおったのです。
69:8 わたしはわが兄弟には、知らぬ者となり、わが母の子らには、のけ者となりました。
・イエス様はまさに、肉親の兄弟からも理解されず、またイスラエルの同胞からも、のけものにされた。
69:9 あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし、あなたをそしる者のそしりが/わたしに及んだからです。
・ここはヨハネ2:17で引用されている。主を思う熱心のあまり、直情的な行動をして、それが人々からの攻撃材料になってしまう。その行動が、たとえイエス様のように正当であったにしても、あるいは、愚かさや浅はかさの故だったにしても。
・ダビデは5節で、自分の愚かしさを告白している。しかしそれが、義人達の攻撃材料にならないように、と、とりなし祈っている。
・10-12節では、ダビデが、迫害する者達から具体的にどんな行為を受けているのかを挙げている。
69:10 わたしが断食をもってわたしの魂を悩ませば、かえってそれによってそしりをうけました。
69:11 わたしが荒布を衣とすれば、かえって彼らのことわざとなりました。
69:12 わたしは門に座する者の話題となり、酔いどれの歌となりました。
・ダビデは主のためにあるいは誰かをとりなすために断食したり、粗布をまとっても、それがそのまま、ダビデをばかにする材料となり、酔いどれの歌のネタにされている。
・そこで、救いを求める祈りを主に祈る。それが13-18節。
69:13 しかし主よ、わたしはあなたに祈ります。神よ、恵みの時に、あなたのいつくしみの豊かなるにより、わたしにお答えください。
69:14 あなたのまことの救により、わたしを泥の中に沈まぬよう助け出してください。わたしを憎む者から、また深い水からわたしを助け出してください。
69:15 大水がわたしの上を流れ過ぎることなく、淵がわたしをのむことなく、穴がその口をわたしの上に閉じることのないように/してください。
69:16 主よ、あなたのいつくしみの深きにより、わたしにお答えください。あなたのあわれみの豊かなるにより、わたしを顧みてください。
69:17 あなたの顔をしもべに隠さないでください。わたしは悩んでいるのです。すみやかにわたしにお答えください。
69:18 わたしに近く寄って、わたしをあがない、わが敵のゆえにわたしをお救いください。
・以上、いわば防戦の、受け身の祈りだったが、19節以降は、攻撃の、賛美の、積極的な祈りに転換する。
69:19 あなたはわたしの受けるそしりと、恥と、はずかしめとを知っておられます。わたしのあだは皆あなたの前にあります。
・義人に対する迫害も、主を敬うゆえにばかにされた全ての事も、全ては、主の目の前で行われていた。主は見ておられた。その事を宣言する。
69:20 そしりがわたしの心を砕いたので、わたしは望みを失いました。わたしは同情する者を求めたけれども、ひとりもなく、慰める者を求めたけれども、ひとりも見ませんでした。
69:21 彼らはわたしの食物に毒を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。
・イエス様が十字架上で、誰からもかえりみられず、酸いぶどう酒を差し出された。その事は、4福音書に記されている。
・22-28節は、敵に対する徹底的な呪いの祈りである。これは詩篇109篇に通じる。
69:22 彼らの前の食卓を網とし、彼らが犠牲をささげる祭を、わなとしてください。
69:23 彼らの目を暗くして見えなくし、彼らの腰を常に震わせ、
69:24 あなたの憤りを彼らの上にそそぎ、あなたの激しい怒りを彼らに追いつかせてください。
69:25 彼らの宿営を荒し、ひとりもその天幕に住まわせないでください。
69:26 彼らはあなたが撃たれた者を迫害し、あなたが傷つけられた者をさらに苦しめるからです。
69:27 彼らに、罰に罰を加え、あなたの赦免にあずからせないでください。
69:28 彼らをいのちの書から消し去って、義人のうちに記録されることのないようにしてください。
・こんな祈りをしても良いのか?!と思うかもしれない。しかし主は、私達の心を全てご存知である。「あ、こんな事を祈ったら主は喜ばれないかもしれない、だから、これは祈らないでおこう」という、心の一言一句さえも。
・だから、怒り悲しみ苦しみ嘆き、全て、主に吐き出すべきなのだ。ちょうど幼子が親に何もかも正直に感情をぶつけるように。
・もし、心に抱えているそれらを、主にではなく、人にぶちまけるなら単なる愚痴となって人を汚してしまい、また主にも人にもぶちまけず、一人抱えてしまうなら、精神を病んでしまう。
・しかし、主に吐き出すなら、それは訴えの祈りとなって、主に立ち上り、問題は主に移ったという事で、心に平安が来る。
・29-33節では、主に全てを打ち明けた事で心に平安が来たダビデの、救われる事への確信が表明されている。
69:29 しかしわたしは悩み苦しんでいます。神よ、あなたの救が/わたしを高い所に置かれますように。
・28節以前、主へ訴えをしていた時は、鬱憤に満ちた濁った感情があったが、全てを主にぶちまけた後、心がすっきりしている。
69:30 わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます。
69:31 これは雄牛または角とひずめのある雄牛にまさって/主を喜ばせるでしょう。
・彼は主に、クリアな心で、賛美と感謝を捧げている。濁った心のままで賛美を無理矢理捧げるよりも、主に全てをぶちまけたほうが良い。
69:32 へりくだる者は、これを見て喜べ。神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ。
69:33 主は乏しい者に聞き、その捕われ人をかろしめられないからである。
・5-7節では、そしりを受けているダビデを見た人達が試みに遭わないよう、とりなし祈っていたが、ここでは既に確信を得ている。
・それで彼は、へりくだる者、神を求める者には、主はちゃんと報いて下さるから、喜ぶように、心を生き返らせるようにと勧めている。
・34節以降、最後までは、確信に満ちた賛美で閉じている。
69:34 天と地は主をほめたたえ、海とその中に動くあらゆるものは主をほめたたえよ。
69:35 神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。そのしもべらはそこに住んでこれを所有し、
69:36 そのしもべらの子孫はこれを継ぎ、み名を愛する者はその中に住むであろう。
・主は、主を敬う人をどうしてくださるか。動詞に着目すると、主は救い、建て直し、住み、所有し、受け継ぎ、住めるという報いが与えられる。その事をダビデは、確信をもって宣言し、主をほめたたえている。
・結局、人から受ける理不尽の悩みの時、主に全てを訴えるのである。そうするなら主は平安と確信を与え、そして実際に、主の救いが来るからだ。
・ダビデも、イエス様も、不当な苦しみを受けたが、最終的には父なる神に全てを打ち明ける事によって、勝利した。私達すべての信仰者も、それにならうべきである。
・この詩篇69篇の結論的な内容が、1ペテロ2:19-21に記されている。
1ペテロ2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
2:21 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
詩篇 講解説教
イエス様と教会をあらわす詩篇(詩篇68:19-35)
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・詩篇68篇は、まさに主イエス様をあらわし、また教会をあらわす詩篇である。
68:19 日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。〔セラ
68:20 われらの神は救の神である。死からのがれ得るのは主なる神による。
・「救」のヘブライ語はヤーシャ、「神はわれらの救である」は、「イエシュアテヌー」という一言であらわされる。
・「イエシュア」はヘブライ語のイエス様の名前である。
・すなわち、イエス様の名の意味は、「神は救い」である。
・「日々にわれらの荷を負われる主」と書いてある通り、イエス様は言われた。
マタイ11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
・「また、死からのがれ得るのは主なる神による」と書いてある通り、イエス様は永遠に死を滅ぼし、私達を死から救ってくださるお方である。
詩篇68:21 神はその敵のこうべを打ち砕き、おのがとがの中に歩む者の/毛深い頭のいただきを打ち砕かれる。
・主は敵を、すなわち「おのがとがの中に歩む者」を打ち砕かれる。
68:22 主は言われた、「わたしはバシャンから彼らを携え帰り、海の深い所から彼らを携え帰る。
・バシャンは、 ヨルダン川の東、ヤボク川からヘルモン山までの間、ゲネサレ湖からハウラン山脈までの間の地帯で、肥沃な地として知られ、強い雄牛、高い木などが語られている。そこから、傲慢な意味合いで語られる事が多い。
・主は、私達を傲慢から、また死から救い出し、贖い出される。
68:23 あなたはその足を彼らの血に浸し、あなたの犬の舌はその分け前を/敵から得るであろう」と。
・まさに啓示録に記されている。
黙示録19:13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
19:14 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
19:15 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
・・・
19:19 なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。
19:20 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
19:21 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。
詩篇68:24 神よ、人々はあなたのこうごうしい行列を見た。わが神、わが王の、聖所に進み行かれるのを見た。
68:25 歌う者は前に行き、琴をひく者はあとになり、おとめらはその間にあって手鼓を打って言う、
・「行列」はハリーカー、歩む人達、マーチする人達で、ハーラフ(歩む)が元である。
・ダビデは、将来、神とともに歩む人達が、教会で色々な楽器を使って主をほめたたえ賛美している様を、幻で見たのかもしれない。
68:26 「大いなる集会で神をほめよ。イスラエルの源から出た者よ、主をほめまつれ」と。
68:27 そこに彼らを導く年若いベニヤミンがおり、その群れの中にユダの君たちがおり、ゼブルンの君たち、ナフタリの君たちがいる。
・ベニヤミン、ユダは、南ユダ王国の民族で、イエス様が歩まれた時代にエルサレム近辺に多くいた民族である。パウロもベニヤミンの末裔だった。
・ゼブルンとナフタリは、イエス様が福音を開始された場所、福音が広まっていった所である。
68:28 神よ、あなたの大能を奮い起してください。われらのために事をなされた神よ、あなたの力をお示しください。
68:29 エルサレムにあるあなたの宮のために、王たちはあなたに贈り物をささげるでしょう。
68:30 葦の中に住む獣、もろもろの民の子牛を率いる雄牛の群れを/いましめてください。みつぎ物をむさぼる者たちを足の下に踏みつけ、戦いを好むもろもろの民を散らしてください。
68:31 青銅をエジプトから持ちきたらせ、エチオピヤには急いでその手を/神に伸べさせてください。
・国々は主の栄光を見て、主を求めて集まってくる。
イザヤ45:14 主はこう言われる、「エジプトの富と、エチオピヤの商品と、たけの高いセバびととは/あなたに来て、あなたのものとなり、あなたに従い、彼らは鎖につながれて来て、あなたの前にひれ伏し、あなたに願って言う、『神はただあなたと共にいまし、このほかに神はなく、ひとりもない』」。
68:32 地のもろもろの国よ、神にむかって歌え、主をほめうたえ。〔セラ
68:33 いにしえからの天の天に乗られる/主にむかってほめうたえ。見よ、主はみ声を出し、力あるみ声を出される。
68:34 力を神に帰せよ。その威光はイスラエルの上にあり、その力は雲の中にある。
68:35 神はその聖所で恐るべく、イスラエルの神はその民に力と勢いとを与えられる。神はほむべきかな。
・主は栄光を受け取られる。私達の賛美の内に住まわれ、御力を表してくださる。
詩篇 講解説教
主から特別扱いをされているキリスト者(詩篇68:1-18)
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詩篇68篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび』
・この詩もまたダビデによるもので、神の民がいかに特別に扱われているかを感謝し主をほめたたえている。
・まずは、神の民に敵対する者、神の敵がなくなってしまうように、という祈りから。(1-2節)
68:1 神よ、立ちあがって、その敵を散らし、神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。
68:2 煙の追いやられるように彼らを追いやり、ろうの火の前に溶けるように悪しき者を神の前に滅ぼしてください。
・私達は、神に敵する人が滅ぼされますように、というより、その人の中の、神に敵する性質が滅ぼされますように、と祈るほうが、御心に適っている。
・それに比して、神の民には喜びが備えられる。
68:3 しかし正しい者を喜ばせ、神の前に喜び踊らせ、喜び楽しませてください。
68:4 神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。その名は主、そのみ前に喜び踊れ。
・雲に乗られる方、それは黙示録1:7にある通り、イエス・キリストである。
・その御方が来る時、彼を突き刺した者はことさら悲しみ、地の王たちは恐れまどう。
・しかし神の民は、喜び踊る。
・5-10節までは、なやむ者への配慮と、神の民に対する備えが記されている。
68:5 その聖なるすまいにおられる神は/みなしごの父、やもめの保護者である。
68:6 神は寄るべなき者に住むべき家を与え、めしゅうどを解いて幸福に導かれる。しかしそむく者はかわいた地に住む。
・そむく者(サーラル)は、背を向ける者、反抗的な者を意味する。そのような者は、かわいた地(やけつく地)に住む。
68:7 神よ、あなたが民に先だち出て、荒野を進み行かれたとき、〔セラ
68:8 シナイの主なる神の前に、イスラエルの神なる神の前に、地は震い、天は雨を降らせました。
68:9 神よ、あなたは豊かな雨を降らせて、疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され、
68:10 あなたの群れは、そのうちにすまいを得ました。神よ、あなたは恵みをもって/貧しい者のために備えられました。
・神の民がエジプトで悩んでいた所、主はそこから導き出して、荒野でやしない、シナイ山で偉大な顕現の元、律法を授けられた。
・また、約束の地を雨で潤し、すばらしい相続地として備えて下さった。
68:11 主は命令を下される。おとずれを携えた女たちの大いなる群れは言う、
68:12 「もろもろの軍勢の王たちは/逃げ去り、逃げ去った」と。家にとどまる女たちは獲物を分ける、
・ここに、獲物を勝ち取る女たちと、逃げ去り、逃げ去る王たちが登場する。
・女たちは誰か。彼女らは良きおとずれを告げる女達、大いなる群れを成す女達である事から、キリストの花嫁、教会をあらわしていると言える。
・彼女たち教会は、地上の王たちから獲物を分捕る。教会は、世の支配者に勝利するキリストと共に、彼らから分捕る者たちなのだ。
68:13 たとい彼らは羊のおりの中にとどまるとも。はとの翼は、しろがねをもっておおわれ、その羽はきらめくこがねをもっておおわれる。
・羊のおりとは、まことの牧者キリストに囲われている私達・主の羊が養われている教会をあらわす、と言える。
・その羊のおりの中で、鳩が、銀で囲われ、その羽が黄金で覆われている。
・雅歌書にある通り、まことの花婿である主は、私達・花嫁である教会に「鳩」と呼んでくださり、銀で、金で飾り立ててくださる。
雅歌1:10 あなたのほおは美しく飾られ、あなたの首は宝石をつらねた首飾で美しい。
1:11 われわれは銀を散らした金の飾り物を、あなたのために造ろう。
1:15 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい、あなたの目ははとのようだ。
68:14 全能者がかしこで王たちを散らされたとき、ザルモンに雪が降った。
68:15 神の山、バシャンの山、峰かさなる山、バシャンの山よ。
68:16 峰かさなるもろもろの山よ、何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。まことに主はとこしえにそこに住まわれる。
・世の中に立派な山々はたくさんあるが、それらの山々は、神がすまいとされる山、主を礼拝するシオンの山、神の教会を妬む。
・なぜなら教会は、主が住まわれるという事は、一切のものを、一切のものによって満たすお方が満ちている所だからである。
68:17 主は神のいくさ車幾千万をもって、シナイから聖所に来られた。
・主を持っているという事は、すなわち、全てを持っている、という事である。
68:18 あなたはとりこを率い、人々のうちから、またそむく者のうちから/贈り物をうけて、高い山に登られた。主なる神がそこに住まわれるためである。
・この箇所は新約エペソ書で引用されている。
エペソ4:8 そこで、こう言われている、/「彼は高いところに上った時、/とりこを捕えて引き行き、/人々に賜物を分け与えた」。
4:9 さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。
4:10 降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。
・教会の主人であるキリストは、高い天から降りて来られ、低い所へと、しかも、十字架の死へと降られた。
・しかしよみがえり、多くの捕虜を引き連れて、天に昇られた。
・そのキリストの捕虜がすなわち私達キリスト者であり、悪魔サタンの圧政の下にいた所から、分捕り返され、栄光の神の支配へと移された。
早天礼拝
神が神の民を祝福するのはなぜか(詩篇67篇)
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詩篇67篇表題『聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび』
・この詩は神の民が祝福される理由が記されている。
・その理由は、7節でまとめられているように、全世界の人々が神を恐れ、神の救いへと入る事である。
・全世界が、神の民を通して、救いに入り、祝福を受けるという神の動機は、ずっと変わっていない。それは、全て神の民の先祖・アブラハムが呼び出され、祝福された理由であった。(創世記12:3)
67:1 どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ
・1節は「われらの祝福」を求める祈り。それは民数記6:24-26の大祭司が神の民へ向ける祝福と同じである。1節は7節に対応。
67:2 これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに/知られるためです。
・2節では、1節の「われらの祝福」が、すなわち、あまねく地へ、そしてもろもろの国民に主が知られて行く事へとつながる事が記されている。
67:3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:4 もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ
67:5 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
・3節と5節にサンドイッチされた4節が、この詩の中心。
・そこに何度も「国々の民が(アム×5回)」「国民が(レオーム×2回)」が出てくる。主体的な願いは、全人類が主をほめたたえる事。
・そこに何度も「国々の民が(アム×5回)」「国民が(レオーム×2回)」が出てくる。主体的な願いは、全人類が主をほめたたえる事。
・もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせる事、これが私達がまず祈り求めるべきことである。
・なぜなら主が公平をもってさばきを成し、地のもろもろの国民を導く事が、全人類の幸いにつながるから。全人類は今、不正なさばき、不当な支配によってうめいている。
67:6 地はその産物を出しました。神、われらの神はわれらを祝福されました。
・地の産物が与えられる事は、世の人々にとっての救い。
・ヨセフは7年の豊作の時に、地の産物を溜め、7年の凶作の時にそれをもって全世界の人々を救った。
・ヨセフのこの施策によって、2節が成就した。「これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに/知られるためです。」
67:7 神はわれらを祝福されました。地のもろもろのはてにことごとく/神を恐れさせてください。
・結論。神の民の祝福は、全世界の人々が神を恐れ、神の救いへと入る事である。
・ゆえに、神の民が祝福される理由は、全世界を救いたいという神の願いを私達が成就させるため。
・与えられた祝福に安住し、主の栄光を伝えず、むしろそのリッチさを用いて罪を犯したイスラエルの民は、呪われた。
・その警告は、申命記28章であらかじめ示されていた。
申命記28:1 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
28:2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
・・・
28:9 あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
28:10 地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
・・・
28:13 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
28:14 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。
28:15 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
早天礼拝
私達を練り、清め、神の民として下さる主(詩篇66篇)
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詩篇66篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせた歌、さんび』
前の詩篇のいくつかは、ダビデが作者だったが、この詩篇は、作者の名は記されていない。
この詩篇は,国家的な危機からの救いを感謝するものである.背景は不明であるが,13節からは1人称になっているので,王が民を代表して神に感謝をささげていると考えられる.
1節.〈全地よ〉を,神の世界支配の告白と最近の具体的な出来事において示された神の主権への言及とすれば,アッシリヤの敗退というヒゼキヤ王の時の出来事を示唆すると考えられる。(実用聖書注解)
詩篇66:1 全地(エレツ)よ、神にむかって喜び呼ばわれ。
エレツは、地、地球、世界などの広い意味があり、その、エレツの上にある全ての生き物、植物、鉱物、そして悪人も善人も含めた全人類に対し、呼びかけでこの詩は始まる。
それら全ての創造主である、神に向かって、喜び呼ばわれ!と。
詩篇66:2 そのみ名の栄光を歌え。栄えあるさんびをささげよ。
実際、全被造物の美しく調和が取れた存在によって、また、それら各々の働きと営みによって、神の栄光は表れており、誰にも弁解の余地は無い。(ローマ1:20)
しかし、全被造物の中で唯一、神の栄光をあらわす事をしない「例外」が、堕落してしまった人間である。
唯一、神に似たものとして創られた人間が、唯一、神の栄光を貶める存在となってしまったという「究極の皮肉」に、全被造物は、うめきつつ、彼らが贖われて神の子があらわれる事を、切に待ち望んでいる。(ローマ8:19-20)。
詩篇66:3 神に告げよ。「あなたのもろもろのみわざは恐るべきかな。大いなるみ力によって、あなたの敵はみ前に屈服し、
66:4 全地はあなたを拝み、あなたをほめうたい、み名をほめうたうであろう」と。〔セラ
神の御業が恐ろしい、と、ことさらに感じるのは、神に敵対する者達である。
エジプトのパロは、最初、神の言葉を伝えるモーセを侮ったが、最終的に、エジプトの軍隊は海に沈められ、神の前に屈服させられた。
また、ペリシテの神ダゴンも、当初はイスラエルの神に勝ったと思われて、ダゴン神殿に契約の箱が安置されたが、ダゴン像は、神の契約の箱を前にひれ伏せられた挙げ句、頭と胴体が切り離された状態で発見された。(1サムエル記5章)
5節以降は、神の民に対しての呼びかけである。
66:5 来て、神のみわざを見よ。人の子らにむかってなされることは恐るべきかな。
66:6 神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は徒歩で川を渡った。その所でわれらは神を喜んだ。
66:7 神は大能をもって、とこしえに統べ治め、その目はもろもろの国民を監視される。そむく者はみずからを高くしてはならない。〔セラ
神は、神の民イスラエルをエジプトを脱出させる際、紅海を割って、海をくぐらせた。
彼らはみな、雲と海とでモーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲んだ。彼らについて来た御霊の岩とは、キリストの事である。(1コリント10:2-4)
イスラエルの民は、モーセを通して律法が与えられ、荒野にて、主ご自身が与える食物によって養われつつ訓練を受けた。
その後、神は、ヨシュアを通してヨルダン川を渡らせ、ついに約束の地へと入らせた。
そのヨルダン川は、バプテスマのヨハネがそこで人々に水のバプテスマを授け、イエス・キリストへと導いた所である。
モーセは神の民を、エジプトという世から脱出させ、神の訓練所である荒野へ導いたものの、モーセ自身は、約束の地に入れなかった。
同様に、モーセを通して与えられた律法は、神の民を訓練する養育係ではあっても、約束の地には到達し得ない。
しかし、ヨシュアが神の民にヨルダン川を渡らせ、荒野から約束の地へと入らせる事が出来たように、まことのヨシュア(=ヘブライ語イエシュア=イエス)であるイエス・キリストを信じる信仰によって、私達は、永遠の約束の地・天国に入る事が出来るのだ。(ガラテヤ3:17-29)
66:8 もろもろの民(アム)よ、われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ。
66:9 神はわれらを生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない。
1節は「全地(エレツ)よ」の呼びかけで始まったが、8節は「もろもろの民(アム)よ」という呼びかけによって始まる。
アムは「人々」を意味するが、人々の中でも「善」に属する人々を、特に、イスラエルの人々や神の民をあらわす事が多い。
つまり1-7節は、神を敬う民も、敬わない民も、全部ひっくるめた全被造物に対するメッセージだったが、8節以降は、特に神の民に向けてのメッセージである。
それで作者は、「われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ」と呼びかけている。
神の民は、神に対し声を上げて賛美するべきだ。なぜなら神は、神の民を「生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない」からだ。
66:10 神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた。
炉の中で鉱物を溶かして、かなかすを除くのと同じように、神は、神の民を試練の中で精錬して、より純化する。
神はイスラエルの民に荒野を通らせ、不従順な世代を取り除いたように、私達を試練の中を通らせ、私達の中から要らない性質、不従順な性質を取り除かれる。
そうして純化された神の民を、広い、祝福の地へと導き入れてくださる。
66:11 あなたはわれらを網にひきいれ、われらの腰に重き荷を置き、
66:12 人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。
神は、私達の中に、神を離れて自分勝手な所に行ってしまう性質がある時、それを取り除くために、敢えて貶め、人々が彼の頭の上を乗り越えて行くような所を、通らせる。
放蕩息子が、父の元を離れて、世に出ていって放蕩した時、人々はよってたかって彼から剥ぎ取り、彼が全てを失った時は豚の世話をさせ、しまいに彼は、豚の餌さえ食べたいと思わせる程、みじめな思いをした。(ルカ15章)
しかし、全てを支配しておられる神は、憐れみのゆえに、彼らが火の中、水の中をくぐっても助かるように、手加減をしてくださり、しかも彼らの中から要らない部分「かなかす」だけを焼き尽くして取り除いて下さる。
これは、神は私達を愛しておられ、私達がより純粋な者となるために、取り計らってくださっているのだ。(イザヤ43:2-4)
放蕩息子が困難の渦中で、我に返り、父の元に帰った時、父は放蕩息子が帰ってきた事を喜び、宴会を開いて祝った。
同じように、神の元を離れた罪人が、悔い改めて立ち返るなら、天において、御使い達の間に、大きな喜びと、宴会が沸き起こるのだ。
66:13 わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、わたしの誓いをあなたに果します。
66:14 これはわたしが悩みにあったとき、わたしのくちびるの言い出したもの、わたしの口が約束したものです。
66:15 わたしは肥えたものの燔祭を/雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、雄牛と雄やぎとをささげます。〔セラ
神の民が苦しみに遭った時、思い出すのは、主の家(神殿、教会)である。
ハンナは、苦しみの時、主の宮にのぼって、言葉にならない祈りと誓いを捧げた(1サムエル記1章)。
またヨナは、神の命令とは逆方向に行った時、あらしに遭って船から放り出された挙げ句、魚に飲み込まれたが、彼はその魚の腹の中から、主に祈り、主の宮を慕い求め、かろうじて助かった。(ヨナ書1-2章)
人は苦しみの中で、神に誓いを立てるが、その立てた誓いは、しっかり果たすべきである。
ハンナが祈った通りに、神は彼女に男の子を与えられ、ハンナは、誓願した通りにその子を捧げた。
その結果、神はハンナを豊かに祝福し、さらに子を与えられた。彼女は大きな喜びの内に、素晴らしい賛美を主に捧げた。(1サムエル記2章)
ヨナのほうは、助かった後、主の言葉どおりニネベに行って宣教したものの、まだ心に苦さを覚え、主に不服を申し立てたが、主はヨナを、その苦々しさから救い出すために、東風と虫を備え、実体験を通して主の御思いを知らされた。(ヨナ書4章)
66:16 すべて神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。
66:17 わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。
この詩の最後は、主をほめたたえる賛美で終わる。
66:18 もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。
66:19 しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた。
主は、心を見るお方である。
外見はうやうやしく礼拝しているかのように見えても、心が御前で純粋でないなら、主は、その祈りを聞かれない。
しかし、心が主に対してまっすぐなら、主はその祈りを聞かれる。
そうして純粋に御前で祈り、心を尽くして礼拝するなら、その祈りが聞かれた時には大きな喜びと感謝があふれる。
66:20 神はほむべきかな(バラク)。神はわが祈をしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった。
バラクは元々、ひざをつくという意味である。主の前にひざをついて低くなる事こそ、人の側の分である。
神が人を祝福する、というのは、神が、天の高い所から下りてきて、ひざをついて低くなって便宜を図って下さるものである。
だから、究極に低くなられたイエス様の十字架こそ、祝福の真骨頂である。
高き所から降りて来られ、弱く罪を犯しがちな私達を憐れみ、救い、贖って下さった、素晴らしい神の御前に、いつも低くへりくだり、声をあげて主を賛美し、感謝を捧げるのが、私達が為すべき分である。
早天礼拝
主に聞き従う者に与えられる、豊かな喜びの収穫(詩篇65篇)
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詩篇65篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび』
65:1 神よ、シオンにて、あなたをほめたたえる(テヒラー)ことは/ふさわしいことである。人はあなたに誓いを果すであろう。
65:2 祈(テフィラー)を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる(カーファル)。
神は、罪を犯してしまう弱い人間を憐れみ、主に泣きついて来る人を赦して(カーファル)くださるからこそ、人々は賛美(テヒラー)と祈り(テフィラー)をもって御前に集う。
カーファルは元々、「覆う」が原意で、「無かったことにする」事である。
人はただ、主の一方的な恵みにより、罪を覆われ、義とされるのだ。
だからもし、自分は正しい事を行って来た・悪を行わなかった、などと主張して、自分を正しいと見なす事には何の意味も無く、むしろ、神の義から遠ざかってしまう。
パリサイ人は自分と取税人を比較し、自分があれをした、これをした、と、神の前でとうとうと自慢話をしたが、取税人は、遠く離れ、顔を天に向けようともせず、ただ自分の胸を叩いて、ただ「罪人のわたしをお赦し下さい」と祈った。ここで義とされたのは、取税人のほうだった。(ルカ18:9-14)
主は、自分で自分を義とする人ではなく、主に泣きついて来る人をこそ憐れみ、その人の罪を覆って下さるのだ。
結局、私達・人間は、自分の罪を覆い隠す事は、できない。
エデンでアダムとエバが、いちじくの葉で裸を覆ったが、それは何の役にも立たなかった。ただ、主が動物の血を流して得た皮の衣こそ、彼らの裸を覆う事ができた。
65:4 あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の/恵みによって飽くことができる。
なぜ聖徒は、主の宮に集うのか。
それは、主に泣きついて行く人に、罪の贖いが与えられ、それによって、赦された事の開放感が与えられ、また、永遠なる主との関係を取り戻し、そして、受け入れられている事の安心感と、主に愛されている事の甘い感覚と、また、実際的な問題解決と、セキュリティが与えられているからだ。
65:5 われらの救の神よ、地のもろもろのはてと、遠き海の望みであるあなたは/恐るべきわざにより、救をもってわれらに答えられる。(新共同訳:)遠い海、地の果てに至るまで/すべてのものがあなたに「依り頼みます(ミブタハ:避難所、拠り所)」。
罪を自覚し、御前に泣きついて礼拝に来る人には、主は、祝福で答えられるが、神を恐れず、神の民を苦しめる者に、主は、恐ろしさをもって、その栄光を表される。
かつてエジプトは、イスラエルの民を430年もの間、奴隷として扱い、それでいて、自分が犯した悪のわざを一切悔い改めなかったが、神はエジプトに対し、恐ろしい災いで御力を表した。
しかし、イスラエルに対しては、救いと贖いの神としてあらわされた。
65:6 あなたは大能を帯び、そのみ力によって、もろもろの山を堅く立たせられる。
65:7 あなたは海の響き、大波の響き、もろもろの民の騒ぎを静められる。
海は、定まりのない恐ろしい所を、または、不信仰の世界を象徴する。
そのような、主を敬わない国民には、「騒ぎ」がある。
しかし主は、その大能の御力によって、それら全ての騒ぎを鎮められ、そして諸々の山を堅く立たせるお方。
65:8 それゆえ、地のはてに住む人々も、あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。あなたは朝と夕の出る所をして/喜び歌わせられる。
朝と夕の出る所とは、すなわち、一日の初めから終わりまで、そして東の果てから西の果てまで、すなわち世界の隅から隅までをあらわす。
すなわち主は、世界の隅々までを支配し、人々を恐れ敬うようにさせ、また喜び歌うようにさせてくださる。
9節以降は、罪を悔い改め神の民とされた人々に与えられる、収穫の祝福が記されている。
65:9 あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。あなたはそのように備えして/彼らに穀物を与えられる。
人が主に立ち返り、その罪が覆われると、主は、その地を豊かに実らせるための、下ごしらえをされる。
65:10 あなたはその田みぞを豊かにうるおし、そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、そのもえ出るのを祝福し、
夕立と訳された語は、申命記11:14の「先の雨」である。
『わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。』(申命記11:14)
この先の雨は、ユダヤの地で10-11月に降り、土地を柔らかにし、種から芽を出させ、その年に萌え出る苗の量を左右する、重要な雨である。
65:11 またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。
あぶらと訳された語「デシェン」は、豊かさや脂肪を意味する。
せっかくたくさんの芽が萌え出たとしても、その後の雨がなければ、枯れてしまう。
その後の実りをさらに豊かにしてくれるのが、申命記11:14に出てきた「後の雨」である。
この「後の雨」は、3-4月に降って、根付いた苗の実りを豊かにする、いわば木々に果実という「冠」を与える雨である。
この、先の雨と後の雨の両方が主から送られる事によって、その年の実りが豊かになるのだ。
これによって地が潤されると、家畜が食べる草も豊かに生え出て、家畜たちも命がみなぎるようになる。
65:12 野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、
65:13 牧場は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、彼らは喜び呼ばわって共に歌う。
主を敬う民は、確かに、このように祝福される。
しかし、イスラエルが主を無視して別の神々を拝んでいた時代には、例えば、アハブやイゼベルの時代には、先の雨も後の雨も一切降らず、地につゆさえ降らなかった。
主はそれでも、悔い改めて立ち返る人には、豊かに雨を返してくださる。
レビ記26:3 もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、
26:4 わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。
26:5 あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。
26:6 わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。
26:7 あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。
26:8 あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。
26:9 わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。
26:10 あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。
主に聞き従い、その言葉を守り行い、御言葉に約束された祝福に、豊かなあずかっていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
