メッセージ - 201105のエントリ
AKB48がミスチルを抜き、歴代シングル初動ランキング1位になってしまいましたね。
現代日本は、実にアテネに似ていると思います。
ギリシア神話の神々は、現代日本で言う所のアニメキャラ、ゲームキャラみたいなもので、当時の熱狂的オタクたちが、大きなキャラの像を作り、フィギュアを流行らせ、町や丘にキャラの名前をつけたようなものです。
アイドルの原語はイデア、偶像です。はまり過ぎませんように。。。
礼拝説教メッセージ音声:霊的不毛地帯(使徒17:22-34):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
アテネの町では、パウロに積極的に「語ってほしい」と頼んで来た。
そういうケースは珍しく、伝道者には一見嬉しい事のように見えるが、何でもかんでも受け入れるアテネのような所こそ、実は要注意である。
アテネ人のように、死の危険が少なく、生活の雑事から解放されて、時間的ゆとりもあると、面白おかしい物事は無いかと探し回り、偶像や哲学、福音さえも「自分に気に入るか入らないか」という身勝手な判断によって取捨選択する。
そのような所は日本のように、福音を受け入れない霊的不毛地帯となりやすい。
彼らは福音さえも「何か新奇なこと」の一つとし、パウロをコメディアンのように新規なネタを提供してくれる者とし、イエス様を「異国の心霊(ダイモニア)」の一つにしてしまう。
日本も色々な神々が祀られ、テレビをつければ日々目新しい事や、面白おかしい事に満ちており、イエス様さえもコメディアンの一つのようにしてしまった。
パウロはアレオパゴスという有力者達の評議会に連れて行かれ、話す機会が得られ、アテネの人達にも分かりやすいようにメッセージを展開した。
有名な詩人の詩を引用し、彼らが知らないで礼拝している神の正体は、実は天地を創造したまことの神である、だから偶像崇拝は意味が無い。。。
そこから真の救い主、イエス様へと話を持っていこうとした所で、唐突にメッセージは終了してしまう。
死者のよみがえりの話になった途端、人々はあざ笑い、「その話だったらまた後で」と言いつつ2度と聞こうとしなかったからだ。
他のほとんどの伝道地では、迫害に遭ったりユダヤ人が騒ぎを起こして出て行かざるを得なかったものだが、ここでは何の迫害も反対も無く自由に伝道出来たのに、パウロ自ら去って行った。そういうケースも珍しい。
もし死者の復活が無ければどうか?
古今東西のクリスチャン達は、自分たちの師を見捨てた卑怯な12弟子たちによるでっちあげ話を信じているわけである。
しかしあいにく、イエス様と出会った者はいっぱいいるし、イエスの名によって悪霊は追い出され病も癒されたケースは数多く、イエスにあって眠った聖徒達の顔は、実に聖なる安らかさがある。
いのちの主であるイエス様は、私達の初穂として蘇られた。そのしるしとして、イエスの名によって多くの良きわざが為されているのを、私達は見ている。
そういうわけで、復活こそ救いの根幹であり(?コリント15:12〜19)それを認めないアテネ人も、復活を信じない「クリスチャン」も霊的には致命傷で、パウロもイエス様も、そういう者からは何も言わずに去っていくのである。
罪と死によって支配されている呪いの生活に対しては十字架の死に明け渡し、イエス様と共に復活し、新しい永遠のいのちという祝福に満ちた人生を歩む皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
今日は聖書勉強会が休みでしたので、ゆばるさんの集会に参加させていただきました。
ゆばるさんのブログ
http://homechapel.sblo.jp/
普通に賛美したり、ハモりながら賛美する事を教えていただいたり、御言葉からメッセージをいただいたり、腹から楽しさが沸いて来るひと時でした。
このような機会を与えてくださった主に感謝します。
礼拝説教メッセージ音声:破れ口に立つ者(ヨナ書1,2章)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)メッセージのみ:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
ニネベは邪悪な町で、その悪が神の御許に達したために滅びの危機が訪れた。
日本も滅びの危機に瀕しているが、偶然の連続によって、大規模爆発や放射能拡散から守られている。
神様は邪悪な町ニネベさえも憐れまれたように、日本も憐れまれ、ニネベに対して御言葉を伝える者・ヨナを整えたように、日本にも取り成す者、御言葉を伝える者を整え、導いておられるのだ。
ヨナは他の預言者に比べると、神様への文句と痛い目に満ちた出来の悪い預言者のように見えるが、為された事だけ着目すると、船に同乗した者全員をまことの神に立ち返らせ、巨大な魚に飲まれ3日3晩海の中にいたのに生還し、歩いて3日もかかる大きな町ニネベを悔い改めへと導くなど、多くの実績を残した。
私達もできの悪い預言者のようかもしれないが、神は憐れみ深く、私達を整え、失敗さえも用い下さる。
ヨナは主の命令を受けた時、まず逃げた。人々に埋もれ、船に乗り込み、主の示しとは逆方向へと向った。
その船が沈みそうになった時、他の皆は自分の神に祈ったり荷物を捨てて働いているというのに、彼はぐっすり眠り込み、まことの神の預言者のくせに、異教の民の船長から「寝てないで神に祈れ」と叱られた。
人々は彼に詰め寄って、「さあ、話してくれ。この災難が我々にふりかかったのは、誰のせいか。あなたは何の仕事で行くのか。どこから来たのか。国はどこで、どの民族の出身なのか」と言った。(ヨナ1:8)
神は災いを通じ、強制的に私達に思い出させる。私達は何の仕事をしている者か。どこの民族出身なのか。
私達の仕事は神の祭司であり、天の国籍を持つ者、神の民族出身である。
神が何を望んでおられるのか知りつつ敢えて無視し、人の中に紛れ込み、祈る事を止めていないだろうか。
まことの神の言葉を伝える者なのに眠っていないだろうか。
ヨナは人々から問いただされ、自分は「海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ」と告白し、人々は聞いて非常に恐れ「なんでそんな事をしたのか」と言った。
私達も神から与えられた役割をおろそかにしていると、乗る船は嵐に遭い、荷物は捨てる羽目に遭い、ヨナのように海に投げられ、魚に飲み込まれ、それを見ていた周りの者達は畏れて神に立ち返るのだ。
人々はヨナを恐れ、特別扱いし、何とか救おうとしたが、ヨナは自分を海に投げ込むように言った。
主から過ちを指摘されたなら、人々に荒海の中を岸まで漕いで生かしてもらう事を願うのではなく、御心から離れている自分の自我を十字架の死へと明け渡す宣言をし、3日目の復活に委ねるべきである。
ヨナが海に投げ込まれた時、風は止んで海は大凪になったが、主が見腕を動かされたのはそればかりでなく 巨大な魚、とうごまの木、虫、東風をも動かしてまでヨナを整え、同時に御心を遂げられた。
ヨナ書を読むと、神様とヨナの一対一の対話のように読み進められるが、ヨナの周りの者の視点に立って読んでみると、ヨナを中心に彼の周りの世界が、彼の言動によって振り回されている事が分かる。
私達は神の僕である故に、神は、自然界を振り回すほどに、厳粛に私達を特別扱いしておられるのだ。
もし私達が整えられ、執り成して祈るとしたら、主はどれほど御心を動かすだろうか。
ヨナは人々から捨てられ、海に投げ込まれ、魚に飲み込まれ、山々の根元まで下った。
その絶望のどん底、助かる見込みの無い静寂の暗闇から、ヨナは主に祈り、主と一対一で深く交わった。
どんなに御旨から逸れて堕落し、底の底まで下っても、主はそこにおられ、祈りを聞いて下さる。
初めから平伏して御声に従っていれば、こんな大事にはならなかったはずだが、そういう者は、自分の好き勝手を捨てる「十字架の経験」と、全能者の前にいのちを横たえる「3日3晩の死」を通される。
その向こうには復活が待っており、余計なものは削ぎ落とされ、主の働きが出来るよう整えられるのである。
ヨナはそうしてニネベを救うための使者として整えられていった。
日本は今、憐れみが注がれており、この国のために執り成し、忠実に御心を行う者を主は望んでおられる。
主がニネベへの40日のカウントダウンを開始されたのは、ヨナが十分整えられてからである。
主は日本を執り成す為に破れ口に立つ者(エゼ22:24-31)が整えられる日を、一日も早く待っておられる。
文句と苦難だらけのヨナをも整えら用いられた主が、皆さんをも整え、この国のために執り成し、御言葉を伝え、いのちを救うために、大いに用いられますように。
韓日讃頌歌396番「主イエスのみ名高く」の賛美は、音声メッセージ中にあります。
音声メッセージを聞くには、パソコンやスマートフォンから上記URLへアクセスして下さい。
音声メッセージ中の賛美で、私がおりかえし部分を
「わがくちびるが メッセージする時に 主は指揮者となり導きたまえ」
「わが銀行口座が なくなる時に 主は指揮者となり導きたまえ」
などと言っているのが聞こえますが、正しくは
「わがたましいが戦うときに 主は指揮者となり導きたまえ」
です。
ちなみにさっき、「谷川の流れをしたうカニのように〜」と歌っていたら、即座に「鹿のようにでしょ!」とK姉妹につっこまれました。
礼拝説教メッセージ音声:カニのように(ヘブル12:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
人生は戦いの連続だが、罪と戦って血を流すまで抵抗した事はあるだろうか。
危害を加えに来る敵と戦うのは分かりやすいが、気持ちよくさせる誘惑者と戦うのは、難しい。
韓日讃頌歌396番「主イエスのみ名高く」の賛美は、そうした戦い方の大きなヒントが得られる。(賛美は音声メッセージ参照)
誘惑が来た時は自分で戦うのではなく、主イエスの御名を褒め称えるほうが、誘惑は逃げて行く。
負けてしまうと罪の奴隷にされたり、悪しき束縛され、その下でこき使われ、したくない事をさせられ続ける事になるが、立ち返って主に求めるなら鎖は解き放たれる。
負け続ければ負け続けるほど、立ち返るのは困難になるので、最初の時点ですぐに勝利した方が良い。
海の岩場に、小さなカニが沢山いるのを見た事があるだろうか。
波が来るとカニは素早く隙間に入り込み、波が打ち付ける時にはカニは岩の隙間で守られている。
まことの岩はイエス様であり、私達はその岩陰で戯れる蟹のようなもので、どんな人生の荒波が押し寄せようとも、まことの岩なるイエス様の隙間にすぐに隠れれば安全は守られ、イエス様の内に隠れた私達を攻撃する者は、イエス様を攻撃する者となる。
イエス様は死と悪魔に打ち勝ち、悪魔は足の下に踏みにじられているため、私達もイエス様の内にあれば共に勝利しており、悪魔は足の下で踏みつけられ、陰府の力は届かない。
何事も勝利するコツとは、実は非常にシンプルで、誰にでもできる。
それはすなわち、イエス様を主とし、イエス様の内に入る事。
人生の荒波にみくちゃになっている原因は、100%と言い切っていい程、イエス様から離れているからだ。
敵はいつもこのイエス様という守りの岩からエサでおびき出そうとしており、おびき寄せられ岩の外に出ているなら、人生の荒波と苦難が尽きない。
私達は主イエス様にあってより良くなるために、訓練を受ける事や、むちを加えられることもある。(ヘブル12:1-7)
世の人が楽しそうにしているのに、自分がそっちに行こうとすると道がふさがれ鞭打たれる経験は、クリスチャンならあるのではないだろうか。
それは、神は私達を子として扱っているからだ。
親であれば子を特別扱いするもので、他の子が遊び呆けていても何とも思わないが、自分の子には、より良い将来を与えるために特別な訓練を与えたり勉強させる。
罪の楽しみはせいぜい100年も続かないが、主は、ちっぽけな100年よりも遥かに優れた永遠の祝福を楽しませたいがため、私達が世に向こうとすると、鞭を加えられるのだ。
短い人生、主から打ちたたかれるばかりでは、損である。
自分のはかりや天秤を握り締めて歩む人生は、打たれっぱなしの苦々しい思い出しか無いが、主に人生の重荷も全て委ねて歩む人生は、はるかにラクである。
自分のはかりや天秤はすぐにイエス様の元に投げ出し、イエス様にいつでも隠れ、運んで頂く。
そんな安全でラクな人生を過ごす皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
今日、また一つ峠を越えました。
詳しくは書けませんが、一歩対応を誤れば、今病で苦しんでいる多くの人達を回復させる望みが絶たれてしまう所でした。
しかし主が守ってくださり、また今回の事で色々な不明点が明らかにされ、これからは正々堂々と活動できるようになりました。
K姉妹は今朝、聖なる所を汚している霊的ゴミを捨てる夢を見たそうですが、その通りになったようです。
主は日々生きておられ、良き御わざをなされます。ハレルヤ!
礼拝説教メッセージ音声:真に高貴な者とは(使徒17:10-15):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
テサロニケでのユダヤ人による混乱のため、パウロ達は夜陰に乗じてベレヤの方へ送り出された。
「この町のユダヤ人は、テサロニケのユダヤ人よりも「まとも(エウゲネス:生まれの良い、高貴な)」で、御言葉を非常な熱心さをもって受け入れ、その通りかどうかと、日々聖書を調べていた。」(11節)
ベレヤの人達は、なぜ「高貴」と記されたか。
それは、「御言葉を非常な熱心さをもって受け入れ、その通りかどうかと、日々聖書を調べていた」からである。
つまり、神の目から「生まれの良い者」「高貴な者」とは、メッセンジャーから受けた内容を、はたしてその通りかどうかを御言葉からじっくり調べる者である。
御言葉が気に食うか気に食わないかではなく、御言葉を伝えるメッセンジャーが気に食うか気に食わないかではない。
一番望ましいのは、私達一人ひとりが日々聖書を調べ、神様から直接御言葉を頂き、頂いた御言葉の恵みを兄弟姉妹の間で流し合う事である。
※ 天声教会から日々配信しているメッセージも、はたして御言葉の通りかどうかを確かめ、もしそうでない所がありましたら遠慮なくご指摘頂ければ幸いです。
ベレヤの人達は毎日聖書を調べ、熱心さをもって受け入れた結果、多くの人達が信仰に入った。
それなのに、テサロニケで反発したユダヤ人達は、はるばる80kmの道のりを超えて来てベレヤまで来て、群集を騒動させ、そのためパウロはシラスやテモテ達と別れ別れになり、一人アテネへと導かれる事となってしまった。
御言葉を伝える者を「自分の気に入るか、気に入らないか」というはかりにかける者は、「霊的生まれの良くない者」であり、自分の何かではなく御言葉から熱心に調べる者こそ「霊的生まれの良い者」である。
永遠に残る書物に「生まれの良い者」「高貴な者」と記されたベレヤの聖徒達のように、御言葉を熱心に調べる皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
私はひげを生やしているのですが、髭トリマーなるものを注文したのが今日届きました。
今日から髭を簡単に整えられるかと思いきや、初期不良だったので返送しました。
ネットショップで仕入れたものが初期不良で返品したのは、今年で2度目です。
ネットで仕入れたものは初期不良率が高いと思うのは私だけでしょうか。
礼拝説教メッセージ音声:マケドニアの模範達(使徒17:1-9):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
パウロ達はピリピを離れてテサロニケまで行き、ユダヤ人の会堂で3週間に渡って聖書に基づいて論じ合い、ある者はイエス様を信じ、別の者は反発して暴動を起こした。
反発したユダヤ人達は、パウロ達を「カエサルの勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っています」と訴えた。
しかし、そう言う自分達も、王とすべきまことの神を差し置いて「カエサルを王」と告白する事によって自己矛盾に陥っている。
彼らの行動の動機は嫉妬であり、訴え内容も矛盾しているが、彼らのやかましい主張のお陰で、パウロ達はまたしても別の町へ行かなくてはならなくなってしまった。
そんな中で、福音の種が撒かれたテサロニケの聖徒達はとても優れた信仰の持ち主であった。
彼らはやがてマケドニア・アカイア全体に聖徒としての模範となり、彼らを通して主の言葉がマケドニアやアカイアへと広まった事が、テサロニケへの手紙から分かる。(1テサロニケ1:6-8)
さらに彼ら自身、神様から直接に互いに愛し合うよう教えられ、実際にそのことをマケドニア州全地にいるすべての兄弟たちに対して実行している。(4:9-10)
パウロの最初の訪問の時は、ヤソンが捕らえられ、パウロもわずか3週間にして他の町へと散らされる艱難は確かにあった。
しかし例えパウロと一緒にいた期間がわずか3週間であっても、「多くの患難の中で、聖霊のもたらす喜びをもって福音の言葉を受け容れることによって、私たちと主とに倣う者になった」(1テサロニケ1:6)ため、多くの実を結ぶ事となったのである。
テサロニケの人達の、目を見張るような成長の秘訣は何だろうか。
「あなたがたは私たちから聞くことによって神の言葉を伝えられた時、それを人間の言葉としてではなく、むしろ ――真実にそうであるのだが ――神の言葉として受け容れたからである。その神は、あなたがた信ずる者たちのうちにあって、まさに働いておられる。」(1テサロニケ2:13)
預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、義人を義人として受け入れる人は、義人と同じ報いを受ける。(マタイ10:41)
御言葉を語る者の口から出た言葉を、人間の言葉としてではなく、神の言葉として受けるなら、御言葉がその人の信仰どおりになって生きて働き、このテサロニケ人のように他の聖徒達の模範となり、兄弟愛に満ち溢れるのである。
御言葉を伝える者の御言葉を、そのまま神の言葉として信じ、テサロニケの聖徒達のように、御言葉からの報いと実を沢山いただく皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!