メッセージ - 201105のエントリ
茨城から父親が来てくれて、役所の諸々の手続きを手伝ってくれました。
忙しくて中々出来なかった事が一気に進んで、とても有り難かったです。
礼拝説教メッセージ音声:ピリピまでの道遠く(使徒16:6-15):右クリックで保存
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ある場所で御言葉を語る事を聖霊が禁じたり、ある地方に宣教に行こうとしてもイエスの霊が差し止める、という事があるようだ。
言葉には語るべき時と口をつぐむべき時があり、その時は人には分からないが、時と場所は聖霊が導く。
パウロ達はあちらに行っては阻まれ、こちらに行っても阻まれ、そうしてはるばるトロアスまで来たその夜、一人のマケドニア人が助けを求める幻が与えられたため、彼らはマケドニア州に向かうことにした。(使徒16:6-8)
聖書の記述では、わずか3節しか裂いていないが、リュストラからトロアスまでさ迷い歩いた道は千キロほど。
交通手段の発達していない当時からすれば、途方も無い距離である。
ピリピにたどり着くまで、いかほどの日々と苦労、落胆、苛立ちがあっただろう。
彼らはトロアスで幻を見た翌日、早速船出して、マケドニア州の第一都市ピリピへ行ったが、そこには会堂は無かった。
ユダヤの会堂が立つには最低10人のユダヤ人がいなくてはならない。という事は、ユダヤ人は10人いなかったのだろう。
そこで祈り場があると思われる所を見つけたが、そこには女達が集まって来た。
パウロ達はそこで福音を伝え始めたが、主はテアテラ出身の紫布の商人リュディアの心を開き、彼女を通して家族にもバプテスマを施した。
彼女達が、このマケドニア地方で救われた第1号となった。
後にパウロがピリピへの手紙を書いた時、ピリピ教会は成長して監督や執事も立てられ、パウロもピリピに特別な思い入れがあるような書き方をしている。(ピリピ1:1-6)
パウロ達にしてみれば、ピリピに至るまで千キロ以上もさ迷い歩いた末、やっと到着した所は会堂も無く、祈り場に集うのも女達だけ、という霊的僻地で、がっかり続きだったかもしれない。
しかし主は、人の目から見たら「どうしてこんな所に?」と思えるような所でも、ちゃんとご計画があり、人の思いを超えた発展をさせて下さるのである。
私達のビジョンと主のビジョンが違っていると分かったら、すぐに自分の方法を捨てて主に従い、もしすぐに示しが与えられないとしても、忍耐強く御心を求め続けるなら、いずれ監督や執事が立ち、思い入れの強いピリピ教会が建つのである。
私達にとって、建てるべき「ピリピ教会」は何だろうか。
救うべき「マケドニア人」は誰だろうか。
主の導きに忍耐して従い続け、「ピリピ教会」を建て、「マケドニア人」を救う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!
メッセージをしている時、私の中では別に何でもない箇所を、何の感情も込めずにふっと言った言葉でも、ある人にとっては心の琴線に触れ、涙が止まらないほどになる、という事があります。
後になって「パスターのあの時の言葉がとても心に触れられました」と言われても、私自身がそれを覚えていないのです。
触れてくださるお方は主イエス様であり、私は御言葉を配達した郵便配達人に過ぎませんし、その時触れられたのは、その方が信仰を持って御言葉を聞いたからです。
今日の聖書学び会(恵みの投げ合い会)には、新しく2名の方が参加し、いつもよりも2名分よけいに(?)恵みをいただき、幸いでした。
礼拝説教メッセージ音声:テモテを得る(使徒16:1-5):右クリックで保存
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パウロはバルナバと決別して後、リュストラ(新改訳:ルステラ)の地において、若く強力な働き人・テモテを得た。
テモテは、ピリピやテサロニケへの手紙のパウロとの共同差出人となり、パウロから与えられた様々なミッションを為し、後には獄中のパウロの代わりに各地の教会を励ました。
そんなテモテの母はエウニケー(新改訳:ユニケ)、祖母はロイスというユダヤ人で、まずロイスに信仰が宿り、その母エウニケーに信仰が受け継がれた。(2テモテ1:3-5)
彼の父親はギリシア人で、名前が記録されていないという事は、キリストを信じるに至らなかったのではと思われる。
ユダヤ法では、父が異邦人で母がユダヤ人であれば子もユダヤ人とみなされるのだが、テモテはパウロと会った時点で割礼を受けていなかったので、父親はそれを許さなかったのかもしれない。
しかし母エウニケーは、テモテが幼いときからずっと聖書によって育て、教えと戒めと義の矯正を受けさせて来た。(2テモテ3:14-17)
テモテが評判の良い者となり(2節)、大いに用いられる器として整えられたのは、ロイスとユニケが御言葉と祈りによって育てていたからであろう。
最初のリュストラ伝道で、町の人々はパウロをヘルメス、バルナバをゼウス神にしてしまい、ユダヤ人達に扇動されると、今度はパウロに石を投げる者達となった。
そのような町の中で、聖書を幼い頃から慣れ親しませるというのは、相当な苦労だったと思われるが、そのような中であっても、母親の祈りと御言葉の教えによって子は清められ、後には主の為に大いに用いられるまでに育つのだ。
パウロにしても、多くの困難に遭ったこの町で見つけたテモテは、苦難の中で生んだ愛する子のようであった。
テモテはパウロが2回目の訪問の時に初めて福音を聞いたのか、それとも最初の訪問の時に福音を聞いたロイスやエウニケーが、最訪問の時までにテモテに信仰を継承したのか分からない。
いずれにせよ、福音を一を聞いたら十を悟るほど霊的な耳が開いていたのだろう。
テモテのように、ロイスやエウニケーのように、いつも霊的な耳を研ぎ澄まし、忍耐し、いかに異教的な家族、異教的な国の中であっても、立派に信仰を継承し、信仰の子を育てる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!
ブティックはこの数日、連日売り上げが祝福されていますし、今朝も早天に初めて参加された方がおりましたし、また、別のある姉妹も教会に繋がるかもしれません。
教会のある女性は、一歩間違えれば日常生活から追い出されてしまう程の突然の危機から救われました。
彼女は主日が近づく度に中にいる霊が騒ぎ、主日の心ぞなえの邪魔をされていたのですが、主は今回の事によって憐れみと戒めを示して下さいました。
11日のメールで、神様は大きな霊的詰まりからの開放を私達に用意されておられるのかもしれない事を書いておりましたが、早速いろいろな方面で詰まりが取れて、祝福が流れているようです。
私達には、もっと祝福されて欲しい困難続きの聖徒達がおります。
主が彼らを祝福し、幸いを得させてくださいますように。
礼拝説教メッセージ音声:反目は痛い事(使徒15:36-41):右クリックで保存
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使徒教令を持ち帰った数日後、パウロはバルナバに、主にあって兄弟姉妹とされた者達に会いに行って、彼らがどうしているか見て来よう、と言った。
バルナバはマルコも一緒に連れて行こうと思っていたが、1回目の伝道旅行の途中で離れてしまった彼をパウロは連れて行くべきでない、と考え、激しい衝突となった。
ついに別れ別れで行動する事となり、バルナバはマルコと共に最初の旅行と同じ海路を取り、パウロはシラスと共に地中海沿いを西に向かう陸路を取って出かけた。
彼らの対立の原因は、福音に反したとかイエスを捨てたとかいったものではなく、マルコという一人の兄弟に対する評価の違いによるものだった。
パウロは伝道ミッションへの熱心から、途中投げ出したマルコと同行する事が耐えられず、バルナバのほうは「慰めの子」故に、マルコが突き放されるのが耐えられなかったのだ。
主は同じと言えども、主に対する熱心の現れ方の違いによって、衝突してしまう事はある。
主は確かにそのような人間的な対立も益として下さるが、自分の信念や熱心を固持した本人達は、辛く痛い所を通らされる。
パウロは行く先々の兄弟姉妹から当然聞かれ続けられただろう。
「おやパウロさんお久しぶりです。ところで仲の良かったバルナバさんがいないようですが、どうしましたか?」
兄弟姉妹達から聞かれる度に苦く痛い思いをし、バルナバも全く同じ状況だったのではなかろうか。
そして行った先々の兄弟姉妹達は、パウロとバルナバ双方から別々に言い分を聞き、和解を促したのではなかろうか。
ずっと後に書かれたパウロの手紙には、バルナバやマルコと和解をしたように思われる記述がある。
パウロはバルナバを、パウロと同様に結婚もしないで宣教に打ち込んで自ら稼ぎながら宣教している、と、コリントの聖徒達へ評価している。(1コリント9:1-7)
また、コロサイの聖徒達への手紙で、次の事を書いている。
「私の捕虜仲間アリスタルコスが、そしてバルナバの従兄弟のマルコがあなたがたによろしくと言っている。このマルコについてはいくつかの要請をあなたがたは受け取ったことと思う。彼があなたがたのところに来たら、彼を迎え入れるように。」(コロサイ4:10)
一時は伝道旅行を途中で破棄した奴、と考えていたかもしれないが、苦く痛い思いを通る内に、また兄弟姉妹達から促される内に互いに和解し、コロサイ人に同じイエスを信じる者として「よろしく」と書くに至ったのではなかろうか。
信仰が若く未熟な頃は、兄弟姉妹と争い、自分が絶対正しいと主張するものだが、主張を固持し続けるならするほど、痛い思いをする。
それでもイエス様は、その事を益として下さり、彼らは別行動を取ったお陰で、パウロは1回目に行った地域よりもさらに向こう側へ行く事となったし、またバルナバも、パウロが行かなかったキュプロス島の聖徒達を訪問し、バルナバにしか出来なかった役割を果たす事が出来たのである。
パウロとバルナバは一度は激しい対立をし断絶したが、同じ主に繋がり続けていたため、痛い経験の後、再び主にあって繋がった。
その人間の弱さや反目さえも益として用いてくださる主に、栄光が豊かにありますように。
イエス様の名前によって皆さんを祝福します!
礼拝説教メッセージ音声:使徒教令 - エヴァンゲリオン(使徒15:22-35):右クリックで保存
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エルサレム使徒会議の決議事項は手紙として記され(いわゆる使徒教令)、その知らせが届いた所には喜びと開放がもたらされた。
福音(エウァンゲリオン)とは勝利と開放のよき知らせの意味で、実際そのようなもののはずだが、歴史を追うごとにキリスト教は束縛が増し加えられて行ったのは、どうした事だろう。
そもそも今回の事は、エルサレムから来た幾人かが、イエスを信じて救われた異邦人もモーセ律法を守らなければ救われない、と主張して混乱させ、パウロ達との対立が起こり、それではエルサレムで決着をつけよう、というのが事の発端だった。
エルサレムには「異邦人にも割礼受けさせよ」と主張していたパリサイ派から入信した数人がいた(5節)。
エルサレムでは、この少数のうるさ方達の主張がまかり通っており、彼らの主張が序じよに広がって、アンテオケにまで伝染したという事だ。
ペテロもヤコブももしかしたら、何となく彼らの主張はおかしいと思いつつも対処を先延ばしにしていたのかもしれないが、会議において彼らは、神が為された事と御言葉を盾にして弁明し、反対意見を沈黙させた。
こうして根本解決に至り、聖徒達を束縛する諸々はそこで砕かれた。
ここまで大事に至ってしまったのは、人間的な教えがはびこった最初の段階で妥協し、解決を後回しにしていたからだ。
それはキリスト教の歴史でも同じ事が言える。
福音に混ぜ物し、真理の自由を束縛する「人間の教え」に対して、私達は断固として妥協してはならない。
「彼ら偽兄弟たちは、私たちを彼らに隷属させるために、私たちがキリスト・イエスにあってもっている自由に狙いを定めて、入り込んだのであった。
この彼らに対して私たちは、ほんのわずかの間すらも譲歩して従うことはしなかった。それは、福音の真理があなたがたのところにいつまでも留まるためである」(ガラテヤ2章4-5)
にせ兄弟達は、キリストにあって持っている自由をつけ狙い、不自由にするために働きかける。
しかし信仰によって救われた私達は、奴隷の恐怖に至らせる霊を受けたのではなく、子とされ、自由に至らせる霊を受けた。(ローマ8:15)
私達を不自由に陥れようとするものは、不自由にしようとする人間の教えに限らず、日々私達に迫ってくる病や貧しさ、死など、キリストにある私達にはもはや関係の無い呪いもそうである。
そのようなものが迫って来た時、イエスキリストにあって、死からいのちへと、呪いから祝福へと名義変更された立場を主張し、パウロのように、少しも譲歩してはならない。
私達が用いる武器は、使徒達が用いたものと同じことば、すなわち、神が私達になさった事実と、御言葉である。
死も病も、貧しさも、呪いも、御言葉には何と書いてあるか、神が私達にどんなに素晴らしい事を為してくださったかを、信仰を持って宣言するなら、それらは逃げていく。
自分の所有でない死や病、貧しさ、呪いが入り込もうとした時には、主イエスにあって決して譲歩しない皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!
今日の礼拝と、聖書の学び会では「人間の熱心」と「イスカリオテ・ユダ」を気をつけるべき事として、図らずも一致していました。
また、金曜の祈祷会で私は「バベルの塔」のメッセージをして、神の御心をほったらかして人間が積み立てたものは神が散らす事を話したのですが、それも今日の学び会で一致していました。
人間中心ではなく神中心、ヒューマニズムではなく、キリストニズム(?)に立つようにと示されている気がします。
礼拝説教メッセージ音声:鶏の鳴く時(ルカ22:31-34)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)メッセージのみ:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは「立ち直ったら(エピストレフォー:向き直る、転向する)」、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31,32)
人が力を込めて言う言葉は、自身の弱さの前に何の保証も無く、死の覚悟も、サタンの前には無力である。
しかし大祭司なるイエス様は、私達が裏切る前から、いや、私達が「あなたを裏切りません」と力を込めて言う以前から、既に、私達が裏切った後も信仰が無くならないよう、あらかじめ取り成して祈っておられた。
するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカ22:33,34)
イエス様のために牢に入ったり死んだりする程に、ついて行くなら、イエス様に認められるのだろうか?
結局、12弟子の全てがイエス様を裏切ったのだが、その中で唯一、死して主にお詫び申した者がいた。
日本人の価値観では彼を潔い、立派だと思うかもしれない。しかし、滅びに下ったのは彼一人だけ、他の生き恥を晒した11人は、後に聖霊を受け、主のために大胆に造り変えられた。
滅んだ一人と、造り変えられた11人との違いは、主イエス様の集まりを止めたか、止めなかったかである。
人間的な美学に勝手に従って一匹狼で行動し、イエス様の名の下から離れる事は、滅びに至る道である。
例え生き恥を晒しても、主の名の集まりから決して離れない者こそ、聖霊によって造り変えられる者である。
信仰生活は、イエス様のために死ぬ覚悟を決める所から始まるのではなく、私達がまだ罪人であった時から既に私達を愛し、私達の罪のために死んで下さったイエス様の愛に気付く所から始まるのであり(1ヨハネ4:10)、自分には主に従い尽くす愛も力も信仰も無い、と、徹底的に示されるような最も暗闇の時、すなわち「鶏の鳴く時」が原点である。
イエス様は復活の後、ペテロ達が一晩中漁をしても魚一匹さえ取れない日の明け方に現われ、たった一言のアドバイスによって、人の経験や知識を遥かに越える結果を示し、生活に必要なものを溢れるばかりに与えただけでなく、暖かい炭火を熾してパンと魚を焼き、香ばしいかおりを漂わせつつ待っておられた。
主はこのように、お腹を満たし、肉的な必要を満たし、心をほぐして下さる。(ヨハネ21章)
イエス様はペテロに3度「あなたは私を愛しているか?」と聞いたが、ペテロは「あなたは私に完全な愛は無い事を知っておられます」と、イエス様に「知っていただく」しか無かった。
信仰が若ければ若い程、情熱と血気によって自分のやりたい事をし、自分の望む所へ行くが、人はイエス様に従い尽す事が出来ない事を思い知る「鶏の鳴く時」が来る。
そこを通った者は、自分のわざを終えて安息し(ヘブル4:10)、信仰が成熟すればするほど、自分は単に両手を広げるだけで、あとは主の導かれるまま、聖霊にうながされるままになって行くのである。
その数ヶ月後、ペテロは再びイエスの名のために大勢の前で尋問される時が来たが、その時彼は大胆にイエスを告白し、それを聞いた権力者達は何も答える事ができなかった。(使徒4:5-14)
この力の源は聖霊に満たされていたからであり(使徒4:8)、聖霊に満たされるコツは、主の集まりから離れない事である。
無学な普通の人である事は何の問題も無く、イエスと一緒にいた者(使徒4:13)である事が大切である。
全てを知っておられる主の前に、まな板の上の鯉となって全てを明け渡し、そして、新しいいのちを息吹いていただく「復活」に入ったなら、ペテロのように大胆に証できるのである。
私達が立つのは、私達の力や意地ではなく、私達のためにとりなし祈っておられるお方と共に十字架につけられ、共に死に、共に復活し、新しいいのちを息吹かれる故である。
主の憐れみと慈しみの中に育まれ、何度倒れても、イエスの名の下に立ち直る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって、祝福します!
最近、ブティック「詩篇128」が祝福され、主の用事のために店を開けられない時でも主が開けておられるかのように、お客さんが次々と入っているようです。
また先ほども、コロンビア出身の女性がたまたまブティックに来て、この近辺に教会は無いかと、訪ねて来たとの事だったので、私も合流させていただきました。
彼女はとても敬虔なキリスト者で、お互い主の導きによって出会えた事を喜びました。
主が祝福の窓を大きく開いて下さっているかのようです。