メッセージ - 201106のエントリ
礼拝説教メッセージ音声:託された賜物と遣わされた場所で(使徒18:1-11):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
パウロは自らアテネを去り、発展した商業都市であるコリントへ行った。
コリントは発展した経済と活発な偶像礼拝のため道徳的に退廃し、当時は退廃した生活を「コリント風」とさえ言っていた。
そのようの町でもイエス様は「恐れず御言葉を語り続けよ、この町には私の民が大勢いる」とパウロに示し、パウロも1年半じっくり腰を据えて活動したため、多くの者達が悔い改めに導かれて洗礼を受けた。
パウロがコリントに来た時、アクラとプリスキラという夫婦に出会った。
「彼らは、カエサル・クラウディウスが、すべてのユダヤ人はローマから退去すべしとの命令を出したので、最近イタリアから来ていたのであった。」(2節)
なぜそのような命令が出されたかというと、ユダヤ人達はキリストの騒動で世界を騒がしているため、そのような「迷惑な民族」はローマから出て行かなくてはならなかったからである。
使徒行伝を見ると、あたかもパウロ一人が地中海世界を伝道していたかのように錯覚するが、そうではない。
名も無い大勢の者達が、至る所に遣わされて伝道し、多くの命を獲得し、そして迫害に遭ってきたのだ。
アクラとプリスキラも、イタリヤにいた時に誰かから伝道されてキリスト者となり、そしてコリントに退去させられたと思われる。
彼らの仕事は天幕作りで、パウロも同業だったため、彼らと一緒に仕事をしながら安息日ごとに会堂で論じる生活を暫くしていた。
福音を伝えながら世の中の仕事もしている人をテントメーカーと呼ぶのは、この箇所が元になっている。
全ての人が専業の献身者にならなくてはならない、というわけではないし、逆に、全ての召された人は必ず世の仕事もしなくてはならない、というわけでもない。
12使徒は、祈りと御言葉の奉仕を差し置いて食卓の事に関わるのは良くないと判断した(使徒6:2)し、主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されている(1コリント9:10)。
パウロがその権利を、コリントやテサロニケで行使しなかったのは、キリストの福音を少しでも妨げないため(同12節)また、怠惰な生活を脱却して働く者になるよう、身をもって模範を示すため(2テサロニケ3:9)であった。
事実、テモテとシラスが来てくれたからパウロは御言葉と祈りに専念でき、その結果、このような堕落した町でも多くの人達が悔い改めて洗礼を受ける事になったのだ。
主の仕事とは何もパウロのような特別な器だけのものではないし、世の仕事をしながらでも十分に出来るし、主の奉仕に当たっている者を支える事も、立派な主の仕事である。
それぞれに託された賜物と遣わされた場所で、それぞれにしか出来ない主の仕事をすれば良いのである。
任された秤に従って、主の働きを忠実に為す皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
昨日はある交流会に参加し、夜まで盛り上がってしまったため、配信出来ませんでした。
月収何百万というクリスチャンの方々とも交わって来ましたが、彼らは本当に謙虚で、人を幸せにしようという意欲があります。
世において富むコツは、与える事。これにつきますね。