メッセージ - 201107のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:神の国の宴会 2 (マタイ22:1-14)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

神の国の宴会に与る者について、前回とは別の平行箇所であるイエス様のたとえ話から見ていきたい。
ある王が王子のために婚宴を催し、招いておいた人々に「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」と僕に言わせた。
神の祭り(宴会)においては、既に、最良の家畜は屠られ、天の食卓は整えられてある。
この屠られた最良の家畜とは、屠られた子羊イエス様(黙示録5:6)であり、私達はその流された血潮によって天の大宴会に誘われ、いつでも参加できる特権が与えられている。

しかし人々は無視したり、色々な口実をつけては断り、あるいは僕達を殺してしまった。(マタイ22:6)
前回、神の宴会を断る者達に3パターンあるのを見た(ルカ14:16)が、神は誘っても来ない者達については放っておかれ、そして決して神の食卓には与からせないし、神の僕を殺すような者は滅ぼされる。
しかし神の宴会に参加したら万事OKというわけではなさそうで、宴会場から追い出されてしまう者もいる。
どういう人が追い出され、どういう人が追い出さされないのか。その選別基準は、礼服である。(12節)

宴会には悪人も善人も集まっていた(10節)が、追い出されたのは礼服をつけていない者だった。
という事は、偶像崇拝や盗みを働いていた者が、たまたまその時礼服を身に着けて宴会に参加しても、何のお咎めも無しなのに、品方向性に生きてきた者が、たまたまその時礼服を身に着けずに参加したら、外に追い出されてしまう、という事態も、大いに起こりうる。
一体、礼服とは何だろうか。

この時代、王様が披露宴などに人を誘う時は礼服も一緒に贈ったため、礼服を持っていないというのは有り得ず、礼服なしに宴会に来たのなら、王の贈った服を身に着けるのを敢えて拒否した上で来た事になる。
つまり、王の用意したものを着るなら大丈夫で、自前の服で王の前に出る事はダメなのである。
大祭司ヨシュアは神の前に汚れた服を着ていたが、神様は汚れた服をまず脱がせ、きよい礼服(新共同:晴れ着)を着させた。(ゼカリヤ3章。1-5)
この礼服も大祭司ヨシュアの自前ではない。彼の自前の服は汚れている。その服は神様が支給して下さったもので、その礼服を着る事によってサタンの訴えは無効となり、神の御前に大胆に進み出る事が出来た。

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:26,27)
すなわち礼服とはキリストご自身であり、汚れた衣・自前の服とは私達の”正しいわざ”(イザヤ64:6)である。
自分のがんばりによっていくら正しい行いをしてみても、神の御前には汚れた衣を着ているようなものであり、サタンは平気で訴えて来る。しかし、神の支給された礼服、すなわち、イエス様の裂かれた体を着る時、神の目からは私達はキリストと同様に見られ、サタンの訴えの口は封じられるのである。
ヤコブがイサクから祝福を得たのは、ヤコブが兄の晴れ着と動物の毛皮を身に着けたためで、本来祝福を受けるべきでない者が祝福を受けるのは理不尽に見えるが、支給された晴れ着を着、屠られた動物の毛皮を着た者に、祝福が与えられるというのが、神様のやり方である。

だから、支給された礼服を脱いで、自前の服を再び着て、神の御前に出るなどとは、言語道断である。
私達の「行い」という古い着物なぞは脱いで、神様が用意して下さった礼服すなわちキリストを着てこそ、神の祭りに参加でき、神の用意された最上の料理(キリスト)を味わい、飲み食いする事が出来るのである。
つまり、宴会に参加出来る者、キリスト者とは、人のまわしで相撲を取る者ならぬ、イエス様のまわしで相撲を取る者、虎の威を借りた狐ならぬ、イエス様の衣を借りた狐である。
私達は既に、キリストという礼服の支給を受けており、それを身に着けるかつけないかは、各人次第だ。
神の支給された贖い、イエスキリストを身に着け、神の宴会で大いに楽しみ食事を味わう皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

昨日、ガウンが届いたので(牧師が礼拝で着用する、あのガウンです)今日の礼拝で着ました。
このガウンはK姉妹のビジネスパートナーの、韓国の勧士の方からの献品で、その方は主のご用に用いられますように、と、見ず知らずの日本の牧師(私)のために、と、お捧げ下さったものです。
その方の主への志に、主が豊かに報いて祝福して下さいますように!

今日は聖書勉強会が無かったため、第3礼拝の後は皆でみなとみらい方面へ散策しました。
暑すぎず海風の気持ち良い日でしたが、色々なイベントがあったため、すごい人が多かったです。
楽しく幸いな一日でした。

金曜から土曜にかけて、聖徒達と深夜まで交わったり、翌日に一緒に食卓を囲んだり、という交わりが、とても楽しいです。
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩篇133:1)
それを地で行ってます。

今日は新潟から聖会のお礼にと色々と送っていただき、中でも直径4,50cmのスイカがとーってもおいしかったです。
大きいので冷蔵庫には入らないし、教会で泊った6人の聖徒達では食べきれないので、さっきそのスイカのおすそわけを聖徒達に自転車でデリバリして回った所でした。

こういう日々がとても幸せです。

礼拝説教メッセージ音声:耳がいかに大切か(ヘブル10:1-10):右クリックで保存
韓国語通訳有

最も喜ばれるいけにえ(捧げ物)とは、何だろうか。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために”体を備えてくださいました。”」(ヘブル10:5)
神が望まれるのは、私達の側から捧げるものではなく、神様の側から備えられた”体”を私達が適用する事である。

この箇所の引用元では、神様が備えてくださったのは「体」ではなく「耳」(詩篇40:6-8)となっている。
いかに素晴らしい賛美も、高額の献金も、イエス様の足元で じっと”耳”を傾ける事には、かなわない。
主は、御声に聞き従うほどにいけにえを喜ばれず、聞き従わない事は偶像礼拝の罪なのだ(1サムエル15章)。

マルタはイエス様が話をしておられるのをそっちのけでしもべ達に指示し、マリヤはイエス様の足元にじっと座って聞き入っていた。(ルカ)
そのうちマルタは、イエス様に向かって指示を出してしまった。
聞き従わない者は、しもべ達を忙しくさせるばかりか、イエス様にさえ指示を出し、イエス様の足元で聞き入っている者さえ糾弾する。
それだから主は、聞かない者をとても嫌われる。
私達が居るべきはイエス様の足元であり、取るべき行動は、耳を傾ける事である。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

「もはや人の祭りは終わり」聖会音声

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2011-7-23 13:39

新潟グローリーチャペル 聖会 「もはや人の祭りは終わり」音声

第1部 「人の祭り1 金の子牛

第2部 「人の祭り2 神の箱という偶像

第3部 「神の祭りへの人の評価

講師: 林和也師、 川合ゆきえ師

台風6号は見事にUターンで日本を回避しましたね。
新潟の聖徒も横浜の聖徒も、台風が害を為さないよう祈っていましたが、主は見事に聞いてくださいました。
日本に使わされた祭司として、この国が憐れみを受けるよう日々執り成していきましょう。

礼拝説教メッセージ音声:荒波と喪失と絶望の日々に(使徒27:13-26):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロは伝道旅行で幾度も船に乗り、それまでに難船した事も(恐らく)2度あったため、その時期に地中海に少しでも乗り出す事の危険性を十分に知っていた。
彼は、他人には分からない自分の信仰のゴリ押しではなく、経験に裏打ちされたアドバイスをしたのだが、人々は彼の意見を聞かず、より快適に過ごせそうな近くの港で冬を過ごしたいと、穏やかな南風という、自分達の出立を祝福しているかのようなサインを見て船出した。
人は、客観的に存在する危機よりも欲望と希望的観測に駆られ、人々の制止を振り払って船出をし、ひどい目に遭うものである。

間もなくユーラクロンと呼ばれる暴風に翻弄され、快適な港どころか、安全な陸からどんどん遠ざかり、死の危険に満ちた冬の地中海へと引き摺り込まれて行った。
積荷を捨て、船具も捨て、幾日も太陽や星が見えず、激しい荒波と船酔いのため食事どころではなく、いつ命を取られても不思議でないような、想像を絶する日々となってしまった。

信仰の先達の意見を聞かず「ちょっとだけ」と思って手を出した事が仇となり、荒波人生に放り投げられてしまった人は多いのではなかろうか。
そのような無謀な人達の選択の結果は、自らが刈り取ればいいと思うが、パウロはそんな彼らが操作する船に乗り込まされ、彼らと同じように船酔いと空腹、疲れと不安の中にいた。
パウロには御使いから希望の言葉が告げられたが、その直前までは、他の船員同様、確かに荒波と極度の疲れ、先の見えない不安の中にいたのだ。
そんな中で確信と平安を持って主から示された事 - 全員のいのちは助かってどこかの島に流れ着く事 - を大胆に語り、事実彼の言うとおりとなり、人々は主の栄光を見た。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(ピリピ4:6,7)

どのような状況であれ、感謝を込めた祈りをささげるなら、人知を超えた平安に満たされ、その平安の土台に立つなら、大胆な主の証人となれる。
それはたとい状況が全く変わらないように見えても、またパウロのように御使いが現れて具体的な示しを頂かなくとも、世の何者も決して奪うことの出来ない平安である。
その平安を土台として、同じ暗黒の状況にある周りの人にキリストを伝えるなら、自分ばかりでなく周りの人々も救われ、そして人々はキリストが確かに生きておられ、求める者を助けられるのだと知るのである。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんが主イエスキリストにあって健やかでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

新潟では多くのいのちの実りがあり、来月のお盆の時に再度行く事が決定しました。
御言葉の種が撒かれた人々は「神様の法則に立てばこんなにラクな生き方が出来るんだ」と喜んでいました。
今の時勢、死がいのちを侵食するという終末特有の逆現象が起きていますが、いのちの光は闇に打ち勝つという法則に立てば、闇は消え去るしかありません。
 

礼拝説教メッセージ音声:遣わされている場所の祭司として(使徒28:1-12):右クリックで保存
韓国語通訳有

いよいよパウロはローマへ護送され、カエサルの下で裁判を受ける事になった。
彼を護送する百人隊長ユリアスから寛大な扱いを受けていた所を見ると、パウロの事だからユリアスにも福音を伝え、彼のほうもパウロに好意的な印象を持っていたのかもしれない。

ところがローマへの航海は順風満帆とは言えず、行く先々で向かい風に遭い船旅は遅々として進まなかった。
パウロは伝道旅行でいつも聖霊の風向きに敏感だったため、これ以上船旅を続けると、積み荷や船体ばかりでなく命の危険と多大の損失をもたらす事を、百人隊長に助言した。

ユリアスはパウロが神に導かれた人だと分かっていたであろう。
しかし彼はパウロの助言ではなく船長や船主の方を信用した。
その結果、パウロの言ったとおり多大な損害を蒙る事になってしまう。

私達は進む針路を選ぶ時は、パウロのように常に霊的アンテナを伸ばして御心を求め、何が最善であるか示されるよう、祈り求めるべきである。
それが分からない時は、霊的に信頼できる信仰の先輩に助言を仰ぐほうが良い。

パウロ達を含んだ百人隊長達一行は、確かに多大な損害を蒙るのだが、その中にパウロ達いたがために、一行全体の命は救われた。
私達も、主のしもべ達であるが故に、私達の乗っている船、つまり私達のいる家庭や職場、地域は助かるという事がある。
そのために日々、遣わされている場で祭司として執り成す者でありたい。

「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」(1テモテ2:1,2)

篠島に行ってきました。

今回の伝道メンバーの皆さんです。(私は写真撮り)

船に乗る前にあさりを食べている所です。

島に向かう船の中

島に到着しました。以下からは島の風景です。島の人口は60世帯2000人ほどですので、このように家が密集し、狭い路地が巡らされています。

海岸に向かう途中で、ご婦人たちが3人立ち話していましたので声をかけ、福音を伝えました。

島での伝道スタイルは、事前に何も取り決めをしておりませんでしたが、ただ声をかけ、おみやげの韓国のりを手渡し、我々はイエス様を伝えるために来た事を伝え、十字架をかけてあげて、私が最後に祝福を祈る、という流れに、自然になりました。

伝えた内容は、まず天と地を創られたまことの神様がおられ、天国と地獄があって、死後さばきがあり、イエス様を信じれば救われ、この世でもどんな時でも助けられる、という、非常にシンプルな内容です。

写真後ろのほうで伝道されたご婦人と抱き合っているのは富士純福音教会のアン伝道師、手前で十字架を渡そうとしているのは川合さんです。

『困ったときは「イエス様助けて~」って言えばいいんだよ』

すっかり仲良くなりました。

このように島には神社や寺が多いですが、島の方々はとても素朴で、福音に対して心が開かれていました。

ポーズをとっているわけではありません。。風が強かったので髪を押さえているだけです。

きれいな海岸で、ウミガメが卵を産みに来ます。

海岸沿いを歩いていたら子供達が遊んでおり、その親が公園に座っていましたので声をかけました。

子供達に十字架と韓国のりをプレゼントし、お母様に「私達は韓国からイエス様の事を伝えに来ました~」と話している所。

富士教会の方々が子供達にゴスペルダンスを教えています。

元漁師のおじいさん達に伝えている所です。左の方はなんと90歳です。

十字架をかけてあげて記念撮影。

海岸にはウミガメが卵を産みに来ます。以下の囲いの内側は卵を生んだ所だそうです。

通りがかりの人にも伝道。この方は最後に手を取り合って祈った時、手から何か流れていくのを感じました。

この方も元漁師です。

このご婦人は手を取って祈った時、じわっと熱いものが流れて行き、主に触れられて涙を流しておられました。

この二人も元漁師の素朴で良い方々です。

別れ際に祈っている所。

夜、旅館で食事の後にカラオケの賛美が始まり、写真は富士の方々がボディワーシップをしている所です。

食事中、昼に伝道した親子が「お礼がしたい」と旅館に訪ねて来て下さいました。

宿の女将さんは前回静岡の方たちが泊ったときにイエス様を受け入れるお祈りをしました。

彼女は今回洗礼は受けませんでしたが、今回、旦那さんがイエス様を受け入れました!

旅館を出て港に行く途中の風景です。

宿を出る時、ご主人の手を取って祈ったのですが、祈っているうちに彼はとても熱くなり、彼をさわっていた女将さんは「あなた、とても熱いよ」と言うほどでした。

このように狭い路地が張り巡らされ、スクーターが重要な足となっています。

島のフェリー乗り場です。

島を離れる時も、フェリー乗り場の待合室にいる人達に声をかけ、伝道しました。

伝えて祈っている所。

十字架をかけています。

本島に戻る船に乗る所です。

写真は以上です。

今回、色々な人に伝道し祈りましたが、声をかけ福音を伝えた人全員が良い反応をしていました。

 

伝道は「結構です」と言って断られるのが常ですが、なんとこの島では、断る人は一人もいませんでした。

 

声をかけた方々ほとんどに最後手を取って祈った時、じわっと熱いものが流れて行ったり、主に触れられて涙を流しておられたりしました。

 

この行程全体を、あたかも主が先んじて行って働かれ、人々の心を耕しておられたかのような感じですが、一つ、分かったことがあります。

 

人間による手練手管を辞め、御言葉という法則の通りに実行していれば、何事もスムースに行く、という事です。

 

例えば、天国や地獄、死後のさばきについては伝道で語るのは控えるというのが人の思う所ですが、主が語れと言った事を語った結果、祝福があったのです。

 

人間の考案した伝道メソッドを取ると、伝えるべき福音の純度が落ちてしまい、労多くなってしまいます。

 

人目を気にしたり、断られる事前提で望んだりすると、信じたとおりになってしまいますが、郵便配達人は受取人の顔色を伺ったり心配しないように、我々も福音の配達人に徹すればよいのです。

島の一部は伊勢神宮の所有だという事ですが、主イエスによらずに出来たものは何一つ無いという御言葉により、島全体も人々も全てイエスキリストのものである事を、イエスの名によって宣言します!

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