メッセージ - 201205のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:バベルの塔の呪い(創世記11:1-9):右クリックで保存
韓国語通訳有

全地が一つの話し言葉であった頃、東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
このシンアルの地は、神の前に(敵対的に)力をつけたニムロデが、バベルの町を建造した所である。(創世記10:8-10)

ノアに祝福されたセムの子孫は、東の高原地帯に住んでいた(10:30)が、その彼らがシヌアルの地に移動して来て、ハムの子孫と共に定住し、『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」』(4節)

本来彼らが主体にすべき神は、脇に置かれてしまい、「われわれ」主体となってしまっている。
(欽定訳では、4節は「us(われわれ)」という言葉が4回も登場する。)
神のノアに対する祝福は、生んで増えて、地に満ち、あちこちへと増え広がる事であったが、彼らはそれを好まず、人間同士が結託し、力を合わせて高くなろうとした
しかし、人間が高くなろうとして結託する結果、神からもたらされるものは、混乱(バラル)である。

人間が高い建造物を作りたがる背後には、自らが高くなりたいという高慢と、洪水への恐れがある。
かつて不従順のために洪水が起こった、だから神に従順しよう、という発想ではなく、だから高い建造物を造ろう、という発想になるわけである。

この、自らが高められたいという欲求は、サタン由来である。
サタンは、真に高められるべき神を差し置いて、自らが高い所に座をしめようとした結果、地に投げ落とされた。(イザヤ14:12-15)

同じように、バベルの時代の人間も、自分たちが高みに登ろうとしたものの、その野望は、ことばの混乱によって砕かれた。
彼らは言葉が通じなくなったため、全地に散っていく事となった。

せっかくノアを通して、人類が神と共に歩む新しい希望が生まれた、と思ったら、早速人類は、神に敵対し、混乱と離散が起きてしまった。

創世記を11章まで学んできたが、そこまでに人類は既に幾度も神に敵対し、被造物を台無しにし、どうにもならない所まで来る度に、神の介入が入って来た。
さらに旧約聖書を読み進めて行くと、人の神に対する不従順と、罰と、悔い改めのくり返しを、幾度も見る事になる。

今回も、人類は不従順のために神の介入が入ったが、神はそれでもめげずに、人類を救済するご計画を立てられる。
それは、エベルの子孫からアブラハムを立て、このアブラハムの子孫を通して、人類を救済する方法である。
旧約聖書の大部分は、このアブラハムの子孫の歴史である。

私達が今回、この箇所から学ぶべきは、高慢になってはならない事である。
本来、主とすべきお方を差し置いて、自分が高くなろうとすると、それはへし折られ、混乱が起き、散らされるのだ。
自らはへりくだり、主であるキリストを高く上げ、そして聖霊をいただく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:ノアの子孫たち(創世記10章):右クリックで保存
韓国語通訳有

創世記10章は、ノアの3人の子、セム・ハム・ヤペテの系図と歴史が記されてある。

ヤペテは白色人種の祖父であり、その子孫はヨーロッパに進出して、次のノアの預言が後に成就した。
「神がヤペテの土地を広げ(ヤフェト)/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ。」(創世記9:27)
ヤペテの子孫は旧約時代までは異邦人として神の約束から離れた民であったが、新約時代以降は福音が最も普及し、結果、セムからの恩恵を最も受けた民となった。

それに対し、ハムの子孫は、聖書では悪名高い民族が多数生まれ出る。
「クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。」(8節)
ここに登場するニムロデの名は「反抗」という意味で、9節には「彼は、主の御前に勇敢な狩人であり」とあるが、この「御前に」の原語には敵対的な意味も含まれており、つまり、彼は神に敵対して高慢になった最初の勇士であった。

彼が建造したバベルの塔は、神抜きで人間が高ぶって名声を得ようとして建造したものであり、バベルは後にはユダヤ人を捕囚した、あのバビロンとなる。
また、11節のニネベは、後に北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリヤの首都であり、13節のミツライムは、ユダヤ人を奴隷として苦しめたエジプトであり、また14節にも、イスラエルを長きに渡って苦しめたペリシテ人が登場する。

15節以降20節までは、ノアに呪われたカナンの子孫の系図である。
ソドムとゴモラは、性的不品行により神の前に怒りを積み上げ、硫黄の火によって滅ぼされた。
カナン人らは神の御前に罪を積み重ね、ついに、アブラハムの4代目の子孫を通して滅ぼされるにいたった。(創世記15:16-21)

21節以降は、セムの子孫の系図である。
「エベルには二人の息子が生まれた。ひとりの名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、ペレグといい、その兄弟はヨクタンといった。」(25節)
エベルはすなわちヘブル人の祖先である。
ペレグの時代に民族部族が分けられて行き、そしてペレグの後の子孫に、アブラハムが出、ダビデから続く王族が出、イエスキリストが出た。

このように、ある民族は神に敵対し、世に悪をはびこらせ、また、ある民族からは神に従順で有用な民族が別れ出たが、我々も含めた全ての民族は、義人ノアから出ている事には代わりはない。
今や、私達はどの民族から出ているかは関係なく、「どなたを主として信じているか」が大切である。

「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13)

イエスを信じるなら、国も血筋も関係なく、神の子として、天の国籍を持つ者として、新しく生まれた者である。

礼拝説教メッセージ音声:言い触らす者の呪いと覆う者の祝福(創世記9:18-29):右クリックで保存
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ノアは、改まった世界以降、農夫となってぶどう畑を作り始め、出来上がったぶどう酒を飲むと酔って、天幕の中で裸で寝ていた。
酒に酔う事は王たる者のする事ではない、と、箴言にある。なぜなら、さばきを曲げるといけないから(箴言31:4-5)であり、また、そこには放蕩があるから(エペソ5:18)である。
事実、あの義人ノアでさえ、酔った事によってさばきを曲げてしまった。

「カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。」(22節)
この「見る」のヘブル語(ra^'a^h)は、じっくり見る、楽しみつつ見る、等の意味がある。
ハムは敬うべき父の天幕に入り、そこで見つけた父の裸を、じっくりと見、楽しんで見、そして天幕から出て、兄弟たちに言いふらし、来て見るよう招いた。

敬うべき人の裸を、指さしてあげつらえ、罪を指摘して中傷するのは、サタンの道である。

ノアはその事を知ると、ハムの子カナンを呪った。
「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(25節)
事実、カナンの子たちは、ノアの呪ったの通りの歴史となっている。
エブス人やエモリ人、ソドムやゴモラ等のカナンの子孫たちは、偶像崇拝や不品行、暴虐に満ち溢れ、セムの子孫であるユダヤ人を通して神に滅ぼされる対象となってしまった。
そして、ハムは黒色人種の祖先であると言われているが、世界歴史はノアの呪い通りである事を示している。

我々が学ぶべきは、父、あるいは祝福を授ける立場の者のプライベートへ踏み込み、露わな様をじっくりと見て楽しみ、周りの兄弟たちに言いふらし、一緒に来て見るように招いたりするような者は、確かに呪われ、罪と滅びを招いてしまい、その子孫も呪われる、という事である。

「セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。」(23節)
敬うべき人が裸をあらわにしていたら、そこから目をそむけ、覆ってあげる事こそ、祝福される者の道である。

「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。」(26節)
事実このとおり、セムの子孫からアブラハムが出て、神の民イスラエルとなり、カナン人を追い出し、さらには、全人類の救い主イエスが出た。
「神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト)/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ。」(27節)
ヤフェトはヨーロッパ系の白色人種の祖先であると言われており、以降の歴史では異邦人であったものの、キリスト以降、福音が最も普及した民族であり、「セムの天幕に住まわせ」という預言が実現した。

兄弟姉妹の裸を覆い、裸の恥から目を背ける者は、栄誉を受け、祝福を受けるが、敬うべき人の天幕に入り込み、そこで見た裸をあざ笑い、言いふらすような者は、奴隷となり、呪いを産み、滅びを刈り取るのである。
ハムのようではなく、セムやヤフェトのようになって祝福を受け継ぐ皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:虹のしるし(創世記9:8-17):右クリックで保存
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神は、全ての生き物との平和の契約を、目に見える形で定められた。
「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(13節)
虹が雲の間に現れる時、主は、もはや水によって人類を滅ぼし尽くさないという、平和の契約を思い起こされる。(16節)

聖書の他の箇所で、虹は、エゼキエル1:28や黙示録4:3に出てくるが、いずれも、不従順な人や不敬虔な民を罰する直前に「虹」という言葉が現れる。
神は罰する前に、人々に平和の契約を思い起こさせるために、また、滅ぼし尽くさないという憐れみをも示すために、虹を現したのであろう。

神をあざける者は「昨日も今日も何も変わっていない、これからもそうだろう」と思い、欲望のままに歩むかもしれない。
しかしこの不従順に満ちた世界が、現在も保たれているのは、神の恵みと憐れみによる、という事を忘れてはならない。

「当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。」(2ペテロ3:6-7)
人は思うかもしれない。
神はいつまで不条理に満ちた世界を、そのままほうって置かれるのか、いつまで暴虐な者達を好き放題にさせておられるのか、と。
しかし「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(同9節)

今や、救いはイエス様にある。
溺れている人に浮き輪を投げ、その人が浮き輪を掴んだら救われるように、私達がイエスキリストを誰かに伝え、その人がイエス様を信じて受け入れたら救われる。
浮き輪の信ぴょう性を疑って掴まなかったり、あるいは投げ入れた浮き輪ではなくワラなどを掴んだりしたら溺れてしまうように、イエス様以外に救いを求める者も、滅んでしまう。

今は恵の時、救いの時。
救い主イエスを一人でも多くの人に届け、多くのいのちを救い出す皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

聖霊降誕日(ペンテコステ)礼拝「炎の舌によって」(使徒2:1-4)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

聖霊が臨む時、力を受け、全世界に対し、主イエスの力強い証人となる。(使徒1:8)
主のその言葉どおり、五旬節の日、聖徒達がひとつ所に集まっていると、激しい風の響きが起こり、炎のような分かれた「舌」が一人ひとりに留まり、聖霊に満たされ、聖霊に促されるまま、異なる「舌」で話しだした。
ペンテコステにおける聖霊充満の、最も特徴的なしるしとは、「舌が変えられる事」である。
もし、聖霊に満たされている、と自認している人が、相変わらず自分由来の知恵や知識を語り、キリストにではなく自分に栄光を帰そうという動機で話しているとしたら、聖霊に満たされているとは言えない。
既に何度も語っている通り、聖霊はイエスキリストを栄光化する霊であり、聖霊充満の目的はイエスを大胆に証しし宣べ伝えるためである。聖霊に満たされるなら、以前は自分由来のものしか語れなかった者が、聖霊に促されるまま自分の知りえない「神の大きなみわざ」(使徒2:11)を語るようになり出すのである。

神の大きなみわざを語るには、まず、くちびるが聖なる炎によって、清められなくてはならない。
ペテロは聖霊に満たされる前、唇でよく過ちを犯した。変貌山では、自分でも良く分からない言葉を口走った(マルコ9:6)し、イエス様に「生ける神の子キリスト」と素晴らしい告白した直後、言葉で間違いを犯して「下がれ、サタン」と叱られ(マタイ16:23)、また、十字架の日、たとい一緒に死ぬ事になるとしても主を知らないなどとは決して言わない、と言っておきながら、その夜が明ける前に、三度も「主を知らない」と言った。
そんなペテロでさえ、聖なる炎の舌によって清められ、大胆にキリストを証するようになった。
また、預言者イザヤも、祭壇からの炭火を唇にあてがわれ、人間のことがらは全て聖なる火によって焼き清めていただいて、はじめて神に遣わされる者、神の言葉を伝える者となった。(イザヤ6:1-8)
人は、主の栄光に触れられると、いかに自分が汚れており、その汚れの源は「唇」である事が分かる。
いかに御前に相応しくないか示され絶望するが、主は祭壇で燃える炭火を唇に触れさせ、聖めて下さる。

聖霊を受けると、光が当てられ、明らかにされる事が3つある。
「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」(ヨハ16:8)
まず「罪について」。人は罪と聞くと普通、盗むとか姦淫を犯すとか、悪い事を想像するが、罪の根本とはイエス様を信じない事である。(同9節)
次に「義について」。義と言えば普通、何か正しい事だと想像するが、義とは、主が御父の元に行く事によって得られる(同10節)。なぜなら、人には元々、神の御前に義とされる要素は一切なく、ただ、主が人の身代わりとなって十字架につけられ、御父の元に行った事によってのみ、義が提供されたのである。
そして「裁きについて」であるが、裁きの本質とは、この世を支配する者、即ちサタンがさばかれた事である。
人は元々、神の似姿として罪無き存在として創られたが、サタンの惑わしによって罪と死が入ってしまった。
その神の似姿を汚したサタンこそ、裁かれるべきものであり、人が裁かれる事は、神の本意では無いのだ。
聖霊が与えられると、ますますそれらが明らかになって行く。キリストを信じない事こそ罪であるとますます分かり、義は自分由来でなく御元に上られた主から来るものであるとますます分かるようになり、人を裁く事は主の御旨ではなく、サタンこそ真の敵であり、真に憎むべき存在であると、ますます分かるようになる。
そして、御霊はキリストの栄光を現し、また、キリストのものを受けて、私達に知らせる。(同14-15節)

私達も聖霊に満たされるよう、求め、探し、叩き続けるべきである。(ルカ11:9-13)
弟子たちは、主の言葉どおりエルサレムを離れず、一つ所に集まって、祈りつつ約束を待ち続け、時が満ちた時、炎のような分かれた舌がそれぞれに留まり、約束通り聖霊に満たされ、力に満たされた。
私達も弟子たちのように、神の都から離れず、聖徒達と共に集まり、熱心に祈って聖霊を求めるべきである。
聖霊の炎によって人間由来の罪が焼き尽くされ、唇が聖められ、罪と義とさばきについてますます理解が与えられ、また、聖霊の力に満ち溢れて力強くキリストを証しする者となる。
主イエスの名によって、悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、手で蛇をつかみ、毒を受けても決して害を受けず、病人に手を置いて癒す事によって、イエス様に栄光を大いに捧げる皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
宮を立てよ(ハガイ2章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
神の霊によって(ゼカリヤ4:6-7):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
助け主が来られると(ヨハネ7:37-39):右クリックで保存

助け主なる聖霊が来られると、渇ききった心に泉が湧き出、主の語られた言葉を思い起こさせる。
また罪について、義について、さばきについて理解の光が当てられる。

礼拝説教メッセージ音声:血を伴う犠牲の大いなる意味(創世記9:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

ノアは何事にも従順であったが故に、祝福された。
彼は、箱舟を造れと言われればその通りに実行し、箱舟に入れと言われればその通り実行し、外に出ても大丈夫そうであっても自分勝手に出る事をせず、神様から出なさいと命じられてから、はじめて箱舟から出た。
彼はそのように従順であった故に、後の世に多くのいのちを繋げ、そして祝福の契約をいただいた。
そして、彼が新天新地に降り立った時、真っ先に行ったのは、犠牲を伴った礼拝だった。
神はそのなだめの香りをかぎ、それによって、もはや地を滅ぼすまいと約束された。

『神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。』(創世記9:1)
このいのちの祝福の言葉は、創世記1章でも語られたが、1章28-30節における契約と、9章における契約とは、異なっている所がいくつかある。

まず、1章に存在して9章には存在しない言葉は、「地を従わせよ」「生き物をすべて支配せよ。」である。
罪が入って以降、人は全地を支配するべき者ではなくなってしまった。

また、ノア以降は創造のはじめと違い、全ての生き物達は「あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。」(2節)つまり、動物たちは人間に対して恐怖が芽生え、動物たちは人間の手に委ねられた。

また、1章では人間の食物は種子を持つ木や草であったのに、9章では、「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。」と、肉食が始まっている。
創世のはじめは、生き物は全て草食で、どの生き物も、何も恐れたり脅かす事は無かったのに、9章以降では、弱肉強食の世界となり、恐れる関係になってしまった。

そしてまた、9章では新たに、血に関する新しい戒めが定められた。
「肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」(4節)
ここで神は、血は、肉なるものの命そのものである、とした。
いのちを買い戻す為には、血のあがないが必要であり、血は、とてつもなく重要な意味を持っている事がわかる。

「どうして人は人を殺してはいけないのか?」という質問の明確な答えが、6節に書いてある。
「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」(6節)
神にかたどって造られた人は尊いものであり、そのいのちそのものである血を流すことは、その似姿の元なる神に対する大きな冒涜である。

「生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」(レビ17:11)

旧約祭儀において祭壇の上で流す血は、人間の命の贖いのためである、とまで書かれてある。
そうであるからには、まことの神の子羊・イエスの血は、どれほど私達を救う力を持っており、イエスのいのちそのものであるイエスの血は、どれほど尊いものであろうか。

イエスの血の尊い意味を理解し、この血の守りにますます拠り頼む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:なだめの香り(創世記8:15-22):右クリックで保存
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ノアは、鳩の知らせによって水が引いたのを知った時も、箱舟の覆いを取り除いて地の面が乾いた事を確認した時も、自分の判断で身勝手に箱舟を出ることはせず、神様から示しが与えられてから、箱舟から出た。(創世記8:16-18)
出エジプトの民の多くは、神の時ではなく自分の望む時を優先させ、滅びへと導かれてしまったが、ノアは神の時が来るのを忍耐して待ち、そうして新しい天地へと導かれた。
神が定めた次のステップへ移る時は、神が計っており、その導きを従順に求めるなら、主は平安と祝福の内に、導いて下さる。

「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。」(20節)
ノアが新天新地に降り立って、初めて行った事は、礼拝だった。
箱舟の中を生き残った、貴重な生き物達を捧げたのだが、ノアは、神様がよしとする捧げものは何かをよく知っていた。
それは、犠牲である。
主が、カインの捧げものではなくアベルの捧げものに心を留められたのも、犠牲があったからであり、人間の罪・咎を洗い清めるのは、イエスキリストの尊い犠牲による。

『主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。』(21節)

人には相変わらず罪の性質があるが、それでもなお生きながらえているのは、主がこのなだめの香りを受け、その時にそのように約束されたからである。
そして、主を完全に満足させるなだめの香りは、キリストである。
キリストは十字架上で、燃え尽くされるような苦痛を味わって「私は渇く」と言われ、その主の宥めを受け取って、神は完全になだめられた。

「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」(22節)

人の営みには、シーズンがある。
蒔くべき時があれば刈り取る時があり、寒い時があれば暑い時もあり、明るい時もあれば暗い時もある。
そして、人は種を蒔けば、それに相応しい刈り取りをする事になる。(ガラテヤ6:7-8)
その法則は、世の終わりまで、永遠に変わることは無い。

自分由来の何かではなく、神様の望まれる捧げもの、すなわち、キリストを信じる信仰による礼拝を捧げる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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