メッセージ - 201302のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:贖いと洗い(出エジプト記30:11-21):右クリックで保存

人口調査でイスラエル人を登録する際は、「贖い銀」を支払う事を主は命じている。
『これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである。登録される者はみな、聖所のシェケルで半シェケルを払わなければならない。一シェケルは二十ゲラであって、おのおの半シェケルを主への奉納物とする。』(出エジプト記30:12-13)

イスラエル人として登録された成人男性は皆、銀半シェケル(1シェケルは11.4g)を支払う事になっており、金額は富んだ人も貧しい人も、同じ「半シェケル」である。
その銀は、会見の天幕の用として、もちいられる。(同14−16節)
つまり、イスラエル人として登録された成人男性は、皆、神に贖われた者であり、皆が神の幕屋の奉仕へ参加した者とされているのだ。

私達については、イエス・キリストが、贖いの銀を支払って下さった。
ルカ10:30-37の「良きサマリヤ人のたとえ」の中に、サタンに身ぐるみ剥がされ、傷つけられ、動けなかった私達の有様と、一方的に助けて下さった、良きサマリヤ人としてのキリストの姿を、見る事が出来る。
この世という旅路の中、サタンに襲われ、何もかも奪われ、身動きできなくなっていた私達に対し、人間の祭司や働き人は何もしてくれなかったが、イエス様はサマリヤ人として身をやつし、近づいてきて、聖霊の油を塗り、ぶどう酒(イエスの血)で洗い清め、贖いの衣で包帯をして傷を覆って下さり、イエス様の乗り物である「ろば」に私達を乗せ、世の旅路において安全な宿屋(教会)へと運んでくださり、しかも介抱できるようにと、宿屋に必要な銀二枚まで支払って下さった。
「行ってあなたも同じようにしなさい」
キリストが私達に為して下さったように、私達も同じように傷ついた人の隣人となるよう命じられている。
イスラエルの民は全員、贖いの銀を払う事によって自らを主に対して買い戻し、その銀は天幕の用に用いられ全員が主の働きに参加したように、私達も、主が贖って下さったからには、奉仕や献金などを通して、神の働きに参加すべきである。

出エジプト記18−21節には、祭司が務めをする際の、水の洗いについての指示がある。

祭司が祭壇での務めをする前には、手足を水で洗わなければならず、聖所での務めをする前に水を浴びなければならない事が、永遠のおきてとして定められている。
それをする理由は、死なないためである。(20節)
それ程までに、祭壇や幕屋での奉仕は、聖なる務めであり、水で洗い清めない事は主怒りを招く事である。

今、私達は、主の務めを為すにあたり、キリストが語られた御言葉によって洗われていなければならない。(ヨハネ15:3-5)
すなわち、私達は御言葉なるキリストに繋がっていなければ、主の御前に何もしてはならないし、する事は出来ない。
『キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:26)

私達は世という旅路を渡り歩く時、どうしても、世や人々から罪と汚れを受けてしまう。
その汚れをも、主は清めて下さった。
『夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。』(ヨハネ13:4-10)

足を洗うのは、何もイエス様だけがする事ではない。イエス様は、私達もそうするようにと、模範を示されたのだ。
私達もまた、イエス様にならい、兄弟姉妹の足を洗い合うべきである。
すなわち、兄弟姉妹が世を通して罪や汚れを受けている時は、それを断罪するのではなく、御言葉の洗いによって、兄弟姉妹の罪や悪いところを戒め、良き方向へと立ち返るようにしてやる事によって「足を洗う」のである。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
着飾ってただ立つ(エステル5:1-2):右クリックで保存

【概要】

本日は、エステル記5章の冒頭に見る、エステルが神の民のために命を懸けて謁見に臨んだ勇気と、その無言の振る舞いに秘められた信仰の力を学びます。その姿は、私たちに主の御前に正しく立つための模範を示しておられます。

【聖書箇所】

・エステル記 5章1節〜2節

・1ペテロ 3章1節〜6節

・ルツ記 3章9節

・雅歌 1章9節〜11節

・雅歌 4章9節

【慰めの言葉】

私たちがどんなに弱さや恐れを抱いていても、主はその心の奥にある真実な姿を見逃されません。エステルやルツのように神から与えられた贖いの衣に包まれていれば、どんな困難も乗り越えることができるのです。

【励ましの言葉】

王に謁見に臨むエステルのように、恐れずに主の御前へと進み出る勇気を持ちましょう。たとえ命のリスクがあったとしても、無言の誠実な振る舞いは、必ず主に届く確かな証です。

【戒めの言葉】

自己流の飾り付けや、世俗の価値にとらわれた心では、主の御許へ受け入れられません。主が授ける義の衣を軽んじ、誇示することなく正しい姿勢を保つよう自覚しましょう。

【勧めの言葉】

日々の断食と祈りを通して、自身を清め、霊の油で塗るよう努めましょう。そうする時、主が約束された守りと愛を実感する日が必ず来ると信じ、確信を持って歩みを進めることができます。

【悔い改めの促しの言葉】

もし今まで自分流のやり方で主に近づこうとしていたなら、今一度立ち止まり、真の贖いの衣に心を改めましょう。自分の外面的な飾りではなく、内面からにじみ出る穏やかな霊を、主の愛によって研ぎ澄ませる時です。

【***詳細***】

本日私たちは、エステル記5章1節〜2節に記されているエステルのある勇敢な姿に立ち返ります。エステルは、王妃としての地位を得ながらも、イスラエル民族を救うために自らの命を懸け、呼ばれていないにもかかわらず、敢えて王宮の内庭へと足を踏み入れました。聖書は「エステル記5章1節」にその状況を記録しています。王は、王宮の玉座に座しながらも、エステルに気付き、手に持った金の尺を彼女に向かって差し伸べられたのです。これこそ、神の民の救いを信じたエステルの無言の訴えであり、王でさえもその振る舞いに応じざるをえなかった瞬間でありました。

エステルは、ただ言葉を並べるのではなく、身なりを整え、王妃としての衣装に身を包み、慎ましやかでありながらも厳かな姿で謁見に臨みました。命を賭してでも、イスラエル民族の未来を託すその行動は、現代に暮らす私たちにとっても大変重い意味を持っています。私たちも、主の御前に立つ時、自己流の華美な装いではなく、主ご自身が支給された義の衣、つまりキリストの贖いの霊に満たされた姿で謁見に臨むべきです。聖書は「1ペテロ3章1節〜6節」において、敬虔な婦人が夫に従い、内面の美しさを現すことが、神に喜ばれる姿であると教えています。これは、エステルやルツが示した無言の従順さに通じるものであります。外面的な飾り付けは一過性のものにすぎず、内面に宿る平和な霊こそ、永遠の救いにつながる真実の装いなのです。

さらに、ルツ記におけるルツの姿勢も私たちに大きな示唆を与えます。ルツは、ナオミの導きに従い、体を清め、香り高い油で身を飾り、そして無言で買い戻しの権利を訴えました。聖書「ルツ記3章9節」の言葉には、ルツが「あなたの衣の裾を広げ、私に覆いを与えてください」と謙虚に訴える場面が描かれており、彼女の静かな忍耐と信仰が、最終的にボアズの心を動かしたのです。私たちも、自己主張や派手な言葉に頼るのではなく、内に秘めた静かな誠実さをもって主に謁見すべきです。エステルもまた、王の謁見に臨む際に、断食を三日三晩続け、多くの人々の祈りに支えられ、そして自らも主に信頼するその無言の振る舞いによって、王の心を動かしました。

聖書「雅歌 1章9節〜11節」及び「雅歌 4章9節」に見られるように、真の美しさとは言葉や外見にとどまらず、無言のまなざしや、内面からあふれ出る神の愛に根ざした姿からにじみ出るものです。ソロモン王が愛した女性の美しさは、単なる外面的な装飾だけではなく、彼女の心のあり様、そしてその無言の献身の中にあったのです。現代の私たちも、どんなに世俗の装飾が魅力的であっても、主が与えてくださる義の衣、すなわち救いの恵みによって着飾ることこそが、真に勝ち取るべき美しさであると信じなければなりません。

また、イエス・キリストが十字架上で見せられた無言の忍耐は、義人アベルの血が主の御前で雄弁に叫んだと伝えられる聖書の記述にも重ね合わせることができます。私たちにとって、無言の振る舞いはただ沈黙を守るだけのものではなく、主へ捧げる崇高な証であり、心からの信仰の表現なのです。王に対して、身を粉にして謁見に臨むエステル、そして買い戻しの権利を無言で求めたルツの姿は、私たちに「恐れずに主の御前へ」と叫びかけています。

 

私たちが日々の生活の中で、自己流の飾り付けや世間の成功、虚飾に頼るならば、主はそれを受け入れず、むしろ外面のみに偏った生き方から離れるよう厳しく戒められます。聖書に記されているように、「我が行い、救いを得ず」とは、自分自身で奮闘することでは決してなく、主から授けられた恵みと義を着こなすことこそが唯一の救いへの道です。主が支給して下さる晴れ着、すなわちイエス・キリストの御顔にあずかるその恵みを、私たちは何よりも大切にしなければなりません。

 

このように、エステルとルツ、そして雅歌に登場する美しくも勇ましい姿は、現代に生きる私たちにとっての生きた教訓です。たとえ命を賭けるかのような危険な状況にあっても、恐れずに主の御前へと進み、無言の信仰と従順で神の救いを求めるその精神が、いかに尊く、また効果的であるかを思い起こさせます。私たちもまた、日常の中で主から与えられた義の衣を身にまとい、精霊の油で心を満たし、神の前にひたむきな態度で謁見に臨むことができるよう、日々の祈りと自己反省に励みましょう。

 

どうか、エステルが命をかけたその勇敢な振る舞い、そしてルツが謙虚に従ったその無言の態度が、私たち一人ひとりの心に刻まれ、どんな困難な状況にあっても主に頼る信仰と希望の証として生き続けますように。私たちが自分の作り上げた飾りではなく、真に主から授けられた義の衣を纏い、内面から溢れ出る霊の香りによって神の栄光を称える者とならんことを、主イエス・キリストの御名によって固く宣言いたします。

 

あらゆる状況の中で、無言の振る舞いが雄弁に神の御心を伝えるという確信のもと、我々は命懸けの信仰、自己犠牲の愛、そして神への絶対的従順をもって、この地上での日々を歩んでいきます。どうか、私たちが姿勢を正して主の御前に謁見し、くださった祝福に応える真摯な信仰の証を見せることができますように。

 

本日のメッセージを通し、私たちは決して自分自身の力では救いを得られないこと、ただ主ご自身が支給してくださった義の衣にすがることでのみ、救いと勝利がもたらされるという真実を再確認いたします。私たちは世俗的な評価や外見に惑わされることなく、内面から湧き上がる霊の美しさをもって、ひたむきに主の謁見に臨む生きた証人となるよう努めましょう。

【結論】

エステルやルツが見せた無言の振る舞いと真摯な信仰を例として、私たちも主から与えられた義の衣を信じ、恐れずに主の御前に立つ勇気を持ちましょう。日々、真心をもって自己を清め、主の愛によって満たされる生き方こそが、私たちの救いと未来への道であります。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
ユダの手紙1-8:右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:香壇での聖なる務め(出エジプト記30:1-10):右クリックで保存

今回の箇所は、聖所に置く香壇についての主の指示である。
前回の「祭壇」と、今回見る「香壇」とは、用途も置かれる場所も違う。
『あなたは、香をたくために壇を作る。それは、アカシヤ材で作らなければならない。長さ一キュビト、幅一キュビトの四角形で、その高さは二キュビトでなければならない。その一部として角をつける。それに、上面と回りの側面と角を純金でかぶせる。その回りに、金の飾り縁を作る。また、その壇のために、その飾り縁の下に、二つの金環を作らなければならない。相対する両側に作らなければならない。これらは、壇をかつぐ棒を通す所となる。その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。』(出エジプト記30:1-5)

すなわち、「祭壇」は外庭の出入り口に一番近い所に置かれているのに対し、「香壇」は幕屋の内側、聖所と至聖所を仕切る幕の聖所側、至聖所に最も近い所に置かれている。
「祭壇」は、人々が動物や穀物のいけにえや注ぎの捧げ物を携え来て、そこで捧げるのに対し、「香壇」ではそうしたいけにえを捧げてはならず、ただ祭司のみが香り高い香を焚く務めをするものである。
祭司が聖所の中で、朝ごとに夕ごとにともし火を灯す時に、この香壇で香を捧げる。
香壇で香を焚く務めは、聖なる務めであり、この、主の御前に立ち上る香は「祈り」をあらわす。(黙示録5:8)

『アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いをする。すなわち、あなたがたは代々、年に一度このために、贖いをしなければならない。これは、主に対して最も聖なるものである。」』(出エジプト記30:10)
これもまた、世々に渡る永遠の務めであり、そしてこれは主に対して「最も聖なるもの」と定められている以上、異なった香を炊くことはできない。
異なった香を炊いてしまったアロンの子ナダブとアビフは、主からの火によって焼き滅ぼされ、主の前に死んでしまった。(レビ記10:1-2)
香を焚く務めは聖なる務めであり、私達の祈りも同様に、聖なる務めである。

旧約において、香壇は、聖所の中の至聖所をしきる垂れ幕の手前にあったが、新訳にて記されている所は、そことは別の所である。
出エジプト記30:6によると、香壇は聖所の中に、至聖所と聖所を仕切る垂れ幕のそばに置かれているが、ヘブル9:1-5によると、香壇は契約の箱と共に至聖所にある。
これはどういうことか。

イエス・キリストの十字架により、聖所と至聖所を仕切る幕は真っ二つに裂かれ、神の臨在がいつも在る至聖所への道が、キリストを通して開かれた。
そして、悔い改めてイエスを信じる者には、誰でも御霊(聖霊)が与えられ、御霊はいつも弱い私達のために主の御前にて執り成し、祈っていて下さるのだ。
『御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。』(ローマ 8:26-27)

旧約では、特別な人のみがが油注がれて任職を受け、祭司として立てられ、神と人との間に立って香壇の務めを為したが、新約の今は、キリストにある者は皆、聖霊の油が注がれ、選ばれた種族、王族の祭司、神の民とされたのだ。(1ペテロ2:9)

礼拝説教メッセージ音声:祭壇で捧げる捧げ物(出エジプト記29:35-46):右クリックで保存

『あなたは毎日、あがないのために、罪祭の雄牛一頭をささげなければならない。また祭壇のために、あがないをなす時、そのために罪祭をささげ、また、これに油を注いで聖別しなさい。あなたは七日の間、祭壇のために、あがないをして、これを聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なる物となり、すべて祭壇に触れる者は聖となるであろう。』(出エジプト記29:36-37)
ここでは祭壇の贖いの方法が示されている。
祭壇は、完全数である七が満ちるまで雄牛を捧げる事によって清められ、七が満ちた時、はじめて主に対し有用なものとなり、そこで捧げられたものは、主に受け入れられるようになる。

この祭壇には、毎日、主に捧げられるべきものがある。
それはすなわち、0.95リットルの上等の油に小麦粉2.3リットルを混ぜたもの、それにぶどう酒0.95リットルを添え、そして、一歳の若い雄羊一頭を、それらを朝ごと夕ごとに祭壇で焼いて煙にし、香ばしい捧げ物として捧げる。(出エジプト記29:38-41)

『これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、あなたと語るであろう。また、その所でわたしはイスラエルの人々に会うであろう。幕屋はわたしの栄光によって聖別されるであろう。』(出エジプト記29:42-43)
これらの毎日の捧げ物は、「永遠に」主の御前で有効な契約であるからには、現代もまた有効である。
現代の私達は、イスラエル民族ではなく、祭壇もなく、朝ごと夕ごとに焼きつくすいけにえを捧げてくれる祭司もいないが、どのようにして主に近づけるのか。
その答えは、ヘブル10章にある。

『イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。
しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。』(ヘブル10:10-14)

それ故、私達は罪赦され、大胆に御前に近づけるのである。
そして、キリストにあって私達も祭司とされたからには、日々、主の御前に自分自身を生きた供え物として捧げ、祈りの煙を主の御前に立ち上らせる務めがある。

『わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。』(出エジプト記29:44-46)

この記述は、黙示録21章によく似ている。
神の人類に対する究極的なご計画は、神の幕屋が人と共にあり、神と人とが永遠に共に住み、人は神の民となる事である。
それ故神は、この荒野の幕屋での務めの内に、天における永遠の幕屋のひな形を示されたのである。

出張中

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2013-2-24 21:10

現在、葬儀司式奉仕のため静岡へ出張しております。

明朝の早天礼拝は、天声教会においては通常通り行いますが、明日の配信はお休みさせていただきます。

尚、ホームページでの礼拝音声アップはまだ為されておりませんが、後ほどいたしますので、しばしお待ち下さい。

永遠の衣に何を織り込むか(黙示録19:6-9)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

キリストにあって忠実な働き人だったある姉妹が、天に凱旋された。
彼女の生涯は、主の御前に尊い日々で綾なされていた。子供たちを、しっかりと神の働き人として育て上げ、子や孫からは福音のための働き人たちがおこされ、その働き人達を通して、多くのキリストにある霊的な神の子達が、彼女から産まれ出て、そのいのちは、今も産んで増えて地に満ちて行っている。

彼女のその生涯は、主の御前に尊く、美しい綾織り物のような生涯であり、今や、キリストの花嫁として、新しいからだが着せられ、天のまことの夫の懐で、世の諸々の煩いや病から解放され、安息を得ている。
「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」(黙示19:8) 「衣」は聖徒たちの正しい行いである、と書いてあるからには、私達はこの地上で、日々の「正しい行い」をもって、天国で着るための「衣」を織っているようなものであろう。
私達はこの地上の一日一日の「行い」を、どのように正しくできるだろう。
どうしたら、天で着せて頂く永遠の衣を、より美しく完璧に仕立て上げる事が出来るだろうか。
それは、一言で言えば、主イエス・キリストと共に歩む事によって、である。

キリスト者として歩む人生は、決して平坦なものではない。キリストを信じている故の患難があり、迫害もあり、災いもある。私達もまた弱く、時に誘惑に負けて罪を犯してしまう事もある。
私達の力には限りがあるが、キリストには限り無き力があり、キリストと共に歩むなら、どんなに非道く、耐えがたいような困難でも、不思議と神からの力で守られ、平安の内に歩む事が出来るのだ。
ステパノは、常人ならばとても耐え切れないような迫害の中でも、聖なる平安の内にキリストを証した。
群衆は口々に叫びながら彼に殺到し、彼は多くの腕に掴まれ、殴られ、もみくちゃにされ、外に引き摺り出され、よってたかって石を投げつけられた。そのような暴力的な混沌の中、ステパノは御使のような面向きで、殺意に満ちた群衆をキリストのように執り成し、祈り、美しい平和の内に天に凱旋した。(使徒7:54-60)
彼に微塵の絶望も憎しみも悲嘆も無く、世のものならぬ平安に満たされつつ、眠りにつけたのは、なぜか。
それは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見つめていたからである。(55節)
世の中の人々、あるいは、呪われてしまった自然界が、殺意に燃えて私達を飲み込もうとする事があるかもしれない。そのような状況でもステパノのような平安を保つには、天を見つめ、イエスを見つめる事である。
キリストの愛と守りは、生も死も超えている。死も、命も、御使いも、支配する者も、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私達を引き離すことはできない。(ローマ8:39)

もし私達が地上で身勝手に歩み、主イエスを無視して日々を送るなら、その分だけそこがほころびとなり、いざ天に召された時、その部分は焼きつくされ、僅かにキリストと歩んだ部分しか残らない。(1コリ3:11-15)
キリストと共に歩み、キリストにあって何かを行う時、私達の人生という織物は、キリストにあって織りなされ、それは「聖徒の正しい行い」という清い衣として栄光の内に永遠に残されるのであり、そして多くの聖徒達によって紡がれた織物が完成する時、キリストの花嫁の光り輝く衣装が完成し、花嫁として迎えられるのだ。

今や彼女は、キリストの花嫁として迎え入れられ、目の涙をすっかりぬぐい取られ、全く新しいからだを着せられ、イエス様の懐に抱かれ、安息している。(黙示録21:1-7) そして彼女のように、天では多くの信仰の先人達が、私達の地上での歩みを応援し、執り成し、天の栄光ある御国へ入れられる日を待っている。
「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:1-2)
今、地上に残されている私達も、信仰の先人達に続き、イエスから目を離さず、イエスと共に歩み、「正しい行い」という永遠の衣を、共に地上でしっかりと紡いでいく皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:同じ羊から共に食べる(出エジプト記29:22-34):右クリックで保存

引き続き「任職の雄羊」について。
『あなたはまた、その雄羊の脂肪、脂尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓、その上の脂肪、および右のももを取らなければならない。これは任職の雄羊である。』(出エジプト記29:22)

雄羊のこれらの部分、および、主の御前にある三種のパンの一個ずつを、アロンとその子達が取り、それを主の御前に揺り動かして、焼いて捧げる。
この、揺り動かして捧げる「揺祭(wave offering)」は、ある説では前後左右の四方向に、ある説では前後方向に動かすと言われているが、いずれにせよ、水平方向に揺り動かすようである。
そうしてから祭壇の上で焼いて煙にし(火祭)、主の前に、なだめのかおりとする。(出エジプト記29:23-25)
これらは、主に対して捧げられるものである。

また、主に捧げた「任職の雄羊」のうち、胸の部分は、主の御前で揺り動かしてから、祭司の食物となる。ももの部分も同じように、祭司の食物となる。(出エジプト記29:26-28)
なお、「献納物」あるいは「奉納物」と訳されている捧げものは、垂直方向に神に向かって持ち上げて捧げるささげもの(heave offering)である。

このように、同じ羊の、ある部分は神のものとなり、ある部分は人のものとなる事によって、神と人とがおなじ羊から共に与り、それによって、神と人とが一つとなって交わるのである。

この雄羊の性質は当然、小羊なるイエス・キリストをあらわしている。
キリスト者は、キリストのからだである聖餐のパンに与るとき、同じパンから共に食べ、キリストの血である盃に与るとき、同じ盃から共に飲む。
それよって神と一つになり、共にキリストのひとつ体となり、神に仕える者、神の祭司とされるのである。

大祭司アロンの聖なる装束は、代が変わったら新しく作り直すものではなく、代々受け継がれるべきもので、任職の都度、血と油を注いで受け継がれていく。
大祭司である父親が、子に職務を受け継がせる時、それには七日間必要で、新しく任命される者は、七日の間、その特別な装束を着なければならない。(出エジプト記29:29-30)

祭壇で焼きつくす任職の雄羊の捧げ物は、主に対して捧げるのに対し、煮るものは祭司のものとなる。祭司はその肉を、かごのパンと一緒に食べなければならない。
そしてそれは、任職される祭司のみが食べて良い聖なるもので、他の人は食べてはならない。(出エジプト記29:31-34)
このように、祭司として聖別された者のみがあずかれる食物がある。
聖餐式のパンと盃は、身代わりとなって死んで下さったキリストにあって聖別された人のみが与ることのできる特別な食物である。
私達キリストは、主にあって、隠れた真の食物によって養われる特権が与えられたのである。

明日の第二礼拝後、私は葬儀の司式奉仕のため静岡へ出張し、月曜の夜に横浜へ帰って来ます。

月曜朝の早天礼拝は通常通り行いますが、月曜の配信はお休みさせていただきます。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
異言の賜物(1コリント14章):右クリックで保存

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